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踊る阿呆になるか見る阿呆になるか

マスコミや企業の仕掛けるイベントに乗ること自体、自我を失わせる、という指摘は面白い。
つまり、踊っている時には踊ることしか頭に無いわけである。そうすると、年がら年中踊っているパーティピープルというのは、自我の無い踊る人形であるわけだ。それを陽キャラとも言う。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」というのは、まさに人生を損得でしか考えないという点でアホの極地でもある。
「衆人酔ひたる中に我ひとり醒めたり」というのも、孤独ではあるが、生き方として悪くはない。





  1. つまり、大衆を乗せて騙し、思い通りの方向へ進ませようとするには、イベントを仕掛けるのが一番というわけで、それがいかに見え見えの策であろうと、刺激と感動に飢えている人々は一も二もなく飛びつき、そのたびに自我という掛け替えのないものを失ってゆき、気づいたときにはもう国家の操り人形。



  2. ひとつの国家が末期を迎えるに際しての前兆は、イベントがやたらと持て囃されることで、それがどんなに無意味で、どれほど馬鹿馬鹿しいお祭り騒ぎであったとしても、砂糖に群がるアリのごとくわっと集まって、わっと散り、そのくり返しが人生における最たる愉楽と頭から信じこみ、精神を崩壊させる。






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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