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漫画では許されてもアニメでは許されないこと

まあ、雑談でもしよう。
私は最近はネットTVで海外ドラマや日本の昔のアニメなどを見るのを楽しみにしているのだが、その一つにアニメ「ガラスの仮面」がある。と言っても、これは凄く楽しみにしている、というほどではない。ただし、アニメの出来が悪い、というのではなく、原作の欠点がモロに出てしまっているのである。
原作の欠点とは何か。それは、作中人物の芝居の演技がどうにも学芸会レベルの演技にしか見えない、ということである。喜ぶときにくるくる回ってみせたりとか、激情にかられたら大きく腕を広げてみせたりとか、実際の人間がそんなことをやるか、という、実に見ていて恥ずかしくなるような「演技」が、人々を感動させる「名演」として描かれるのである。漫画だと、読者が「脳内補完」してくれるからいいのだが、これがアニメで、実際に動くとなると、実に恥ずかしい大時代的な「お芝居」に見えるわけだ。
北島マヤや姫川あゆみが「名演」や「感動的演技」をしてみせる、とされる場面での小細工の数々も、アニメを見ていると、まったく説得力が無い。そんな小細工で観客が感動するわけもないだろう、と思ってしまうのである。
つまり、漫画は「静止画」だから「これは名演技の場面ですよ」と作者が言えば(つまり、観客が感動するというコマを入れれば)、読者は、そうなのだ、と信じ、それで通用したのだが、アニメではそうはいかない。アニメは実際のドラマと同様に動きがあるから、名演技は本当の名演技を動画で描く必要性があるのである。つまり、本当の役者などに監修してもらう必要性があったのだが、このアニメではただ漫画をほぼ忠実になぞるだけで終わった。その点では「失敗作」だと言える。
だが、ストーリーの点では、この作品は、やはり凄い作品ではある。特に、北島マヤに作者が与える「試練」は、実によく考えられたものである。惜しむらくは、実は作者の美内鈴江には、「表現力」がさほど無かったことだ。ほとんどその見事なストーリー展開を見る目的だけで、私はこのアニメを見ているのである。(原作漫画は飛び飛びにしか読んでいないので。)ただし、女性作家の例にもれず、「恋愛」要素が強くなると、作品がつまらなくなる。ライバル同士の「演技」のぶつかりあい、試練の克服、という要素の面白さに比べたら、この作品における恋愛要素は、時にはかえって邪魔ですらある。
ついでに書いておくが、最近の海外ドラマは脚本が実に素晴らしい。これは、本来なら映画界に行っていたはずの才能がテレビ界に行くようになった結果だろう。日本でも映画の脚本よりはテレビドラマの脚本のほうがかなり上であると思う。ただし、女性脚本家に「歴史ドラマ」の脚本を書かせるようなことはしてはいけない。女性はほとんどが「恋愛脳」の持ち主だから、政治でも戦争でも恋愛の話にしてしまう。(笑)海外の政治ドラマでは「情事」はあっても「恋愛」はほとんど無い。

なお、これも昔のアニメ「レ・ミゼラブル(少女コゼット)」というのがあって、これは主人公コゼットの、特にこども時代のアニメキャラが、幼稚園児だけが好むような絵柄なので、多くの人は第一話を見ただけで二度と見なくなると思うが、そこを我慢して見てほしい。じつは、多くの映画で描かれた「レ・ミゼラブル」よりもはるかに原作の真髄を伝えている、雄大で骨太の作品なのである。
「少女コゼット」と銘打ちながら、実はコゼットの出番は(原作でもそうだが)あまり無い。だから、コゼットの絵柄に辟易するのは最初だけであるはずだ。






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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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