私は元号というものに特に思い入れはないが、面白さは感じている。
たとえば、今年(正確には昨年末)、郵便局で貰った2024年のカレンダーには2024年という西暦の下に少し小さく「令和6年」とあり、さらにその下に、より小さく「平成36年 昭和99年」とあり、昭和天皇が存命だったら、今年は昭和99年だったのかと面白い。さらに、差し引き計算をして、平成は30年、昭和は63年続いたのだな、というのも分かって、これも面白い。ついでながら、平成元年は昭和64年と重なる。昭和天皇御大葬の儀が昭和64年の新年早々にあったので、これは記憶に残っている。つまり、昭和64年は7日間しか無かった。(小渕官房長官がテレビで「平成」と書いた紙を掲げてみせたのを私は見ている。)令和元年も平成31年と重なるのではないか。(生前退位という珍しい形で、年度途中で元号変更したような記憶がある。)
そして、明治元年が1868年だと思うから、2024ー1867で、今年は明治157年に当たるのだろうか。
長さで言えば、明治は45年、大正は15年あった(続いた)ようだ。案外覚えやすい。
年号には重なりがあるから、上で書いた計算には思い違いがあると思うので、あまり真剣に受け取らないでほしい。(そもそも寝起きの朦朧とした頭で書いているのである。)
それにくらべると西暦のほうが単純ではあるが、そもそも西暦はキリスト誕生を紀元としながら、後の歴史的考証で、キリストは西暦1年より何年も前に生まれているとされている。つまり、キリストはキリストが生まれていたはずの年より前に生まれている(キリストは「キリスト」が生まれる前に生まれている)わけだ。そうすると、西暦とは、何の根拠もなく適当に決められた暦法だとなる。
まあ、事務作業や公的作業(役所関係書類)では西暦のほうが便利であるのは言うまでもない。
元号は、「歴史を記憶するのに手がかりになる」面が大きなメリットだ。私など、現代史の西暦では1941年(太平洋戦争勃発)と1945年(太平洋戦争終結)しか覚えていない。
たとえば、今年(正確には昨年末)、郵便局で貰った2024年のカレンダーには2024年という西暦の下に少し小さく「令和6年」とあり、さらにその下に、より小さく「平成36年 昭和99年」とあり、昭和天皇が存命だったら、今年は昭和99年だったのかと面白い。さらに、差し引き計算をして、平成は30年、昭和は63年続いたのだな、というのも分かって、これも面白い。ついでながら、平成元年は昭和64年と重なる。昭和天皇御大葬の儀が昭和64年の新年早々にあったので、これは記憶に残っている。つまり、昭和64年は7日間しか無かった。(小渕官房長官がテレビで「平成」と書いた紙を掲げてみせたのを私は見ている。)令和元年も平成31年と重なるのではないか。(生前退位という珍しい形で、年度途中で元号変更したような記憶がある。)
そして、明治元年が1868年だと思うから、2024ー1867で、今年は明治157年に当たるのだろうか。
長さで言えば、明治は45年、大正は15年あった(続いた)ようだ。案外覚えやすい。
年号には重なりがあるから、上で書いた計算には思い違いがあると思うので、あまり真剣に受け取らないでほしい。(そもそも寝起きの朦朧とした頭で書いているのである。)
それにくらべると西暦のほうが単純ではあるが、そもそも西暦はキリスト誕生を紀元としながら、後の歴史的考証で、キリストは西暦1年より何年も前に生まれているとされている。つまり、キリストはキリストが生まれていたはずの年より前に生まれている(キリストは「キリスト」が生まれる前に生まれている)わけだ。そうすると、西暦とは、何の根拠もなく適当に決められた暦法だとなる。
まあ、事務作業や公的作業(役所関係書類)では西暦のほうが便利であるのは言うまでもない。
元号は、「歴史を記憶するのに手がかりになる」面が大きなメリットだ。私など、現代史の西暦では1941年(太平洋戦争勃発)と1945年(太平洋戦争終結)しか覚えていない。
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