今日8月6日は、ビクトリア朝時代を代表するイギリスの詩人テニスンが、1809年に生まれた日です。
アルフレッド・テニスンは、リンカンシャー州のサマズビーに牧師の子として生まれました。幼い頃から詩を作るのが好きで、ケンブリッジ大学に入学後の1827年には、2人の兄といっしょに『兄弟詩集』を刊行しました。
1832年に発表した『詩集』により詩人としての名声が高まり、友人の死を嘆いた長詩『イン・メモリアル』や叙事詩『王女』などで詩壇に確固たる地位を確立しました。1850年には、ワーズワースの跡を継いで王室付きの詩人で英国詩人の最高位である[桂冠詩人]となってからは収入も安定し、1859年から5年をかけてアーサー王伝説に取材した『アーサー王の死』など数々の詩集を発表しました。美しい言葉遣いと韻律には定評があり、英米人はもちろん、日本でも長い間愛読され続けています。
テニスンの代表作『イノック・アーデン』は、55歳のときに作られた物語詩で、あらすじは次の通りです。
『幼なじみで遊び仲間の3人の子どもがいました。船頭の息子で親を亡くしたイノック・アーデン、美少女アニイ・リイ、粉屋の一人息子フィリップ・レイ。イノックもフィリップもアニイに恋こがれていましたが、やがてたくましい漁師に成長したイノックが、アニイに求婚。二人は結婚して3人の子どもにめぐまれ、幸せな家庭を築きました。しかし、イノックがケガをしたことで家計が苦しくなり、イノックは妻子に楽をさせたいと、アニイが引き止めるのも聞かず、東洋貿易の船に乗りこみました。
つつがなく船旅を続けましたが、帰る途中暴風雨にあって船は沈没、イノックは常夏の無人島に取り残されてしまいました。故郷の妻子を夢見ながら、たった一人で暮らすこと10年あまり。ある日、運よく通りかかった船にすくわれ、港についたイノックは、ひたすら我が家へ急ぎました。ところが、住み慣れた家は、売家の札がかかっているのです。居酒屋のおばあさんは、イノックとは気づかず、アニイの話をするのでした。
イノックがいなくなってから、生まれたばかりの赤ちゃんが死んだこと、悲しむアニイをフィリップがなぐさめ、さらにアニイの苦しい暮らしも支えてあげた上、子どもたちを学校にかよわせたこと。10年経ってもイノックからの音信がとだえたためアニイは、イノックは死んだものとあきらめて、フィリップの求婚を受け入れたこと、そして子どもも生まれたこと──などを。
ある日の夕暮れ、イノックはこっそりフィリップの家を訪ねました。赤々と燃える暖炉のまわりで、楽しげにくつろぐアニイや子どもたちの姿をぬすみ見したイノックは、苦しみに荒野にのがれ、[妻子に帰国したことを知らせずに生きていける強い心を授けてほしい] と、神に祈るのでした……』
イノックが一人で暮らす南海の孤島の明るさ、それと対照的なイノックの望郷の思いの描写は、特に優れているといわれています。夏目漱石 は「イノック・アーデンが孤島に打ち上げられた時の有様を、テニスンは斯う書いてゐる。ここに人間がある。活きた人間がある。感覚のある情緒のある人間がある。是から見るとロビンソン・クルーソーの如きは山羊を食ふ事や、椅子を作ること許り考へている」と評しています。
「8月6日にあった主なできごと」
1945年 広島に原爆投下される…アメリカ空軍B29爆撃機が、人類初の原爆を広島に投下しました。[ 2007年8月6日ブログ 参照]