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二大怪獣の戦い

こういうのを表す適切な四字熟語があったような気がするが、思いつかない。「目糞鼻糞」くらいか。これは四字熟語と言うよりは「目クソ、鼻クソを嗤う」の短縮化だが。
どうでもいいような記事だが、こうして政界に寄生するウジ虫同士が喧嘩をしてくれると、お互いにボロがぼろぼろ出てきて、世間の認識是正に寄与してくれるだろう。
「赤勝て、白勝て」と無責任に応援させて貰う。
もちろん、願うことは『用心棒』の三船と同様に、対立する二大勢力とも滅びて町が大掃除されることである。




(以下引用)




「オーソドックスな能力がない三文弁護士」 飯島勲氏が罵倒した橋下市長にお返し




J-CASTニュース
2012年11月15日19時08分

コメント 60





小泉純一郎元首相のもとで首席秘書官を務めた飯島勲氏が、大阪市の橋下徹市長のツイッターの書き込みについて、雑誌の連載で「とことん検証することにした。ライフワークにさせてもらうからさ」と宣言した。

飯島氏が別の雑誌の連載で橋下氏の道州制構想を批判したところ、橋下氏はツイッターで猛批判。これに対して飯島氏が反撃した形だ。

発端は、飯島氏が「維新八策のゴール『道州制』は日本を滅ぼす」と題してプレジデント紙に寄稿した記事。飯島氏は、橋下氏が府知事時代に「臨時財政対策債」を大量に発行して府の借金を増やしたのに対して、平松邦夫前市長時代の大阪市は借金が減り続けたなどと指摘した。

飯島氏の記事を「典型的な反橋下の事実誤認主張」と批判

これに対して、橋下氏は11月4日、ツイッターで、

「これは典型的な反橋下の事実誤認主張。そしてこれは市長選のときに大阪市役所サイドが徹底して行ったキャンペーン」

と反発。大阪市よりも大阪府の財政状況の方が厳しかったことなど、25回以上にわたって反論をツイートした。その中には、

「要するに、飯島氏は必要な情報をきちんと分析もせず、ネットで出回っているような根拠薄弱な反橋下の主張を安易に引用して原稿を書き小金を稼いでいるだけ。首相秘書官まで務めたのに情けない」
「飯島氏は小泉氏から引退の美学を学ばなかったのだろうか?」

といった、飯島氏に対する個人攻撃に近いものもあった。

「血が騒ぐぜ!」と意気込む飯島氏

飯島氏は、週刊文春11月22日号(首都圏では11月15日)の連載「飯島勲の激辛インテリジェンス」で、一連のツイートに激しく反論した。

連載では、飯島氏も橋下氏のことを、

「弁護士弁護士って言うけれど正体見たり。法律論で条文と詳細に照らし合わせて論破していく、オーソドックスな能力がない三文弁護士だな」

と罵倒する一方、橋下氏と小泉氏が「敵をつくって攻撃し、人気を得る」という手法が共通していると理解されている点にも憤った。

「冗談じゃないぜ。小泉氏は郵政民営化などの自分の政策を全政党に披瀝し、一致するなら何党だろうが協力するという謙虚さがあった」
「一方的に罵倒の洪水を浴びせて蓋をし、物も言わせない橋下氏と小泉氏は似て非なるもの。あれを小泉流とは勘違いも甚だしいな」

と、両者の違いを強調した。

その上で、

「これもいい機会だ。俺との政策的な相違点、一致点がどこにあるのか、橋下氏のツイッターでの意見表明をとことん検証することにした。ライフワークにさせてもらうからさ」

と宣言。「血が騒ぐぜ!」と意気込んでいた。


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辺見庸の文章、浅井基文の発言


「横板に雨だれ」というブログから転載するのは二度目だと思うが、その筆者の知性と教養の深さは、文章に滲み出ている。私のように中学生レベルの知識と思考力で思いつきだけの放言を書き散らすブログとは大違いである。
しかし、私のような低レベルのブログも、こうした高級ブログを読むことで補完されるだろう。というのは、私は勘の良さには割と自信があるので、自分のブログにもそれなりの価値はあると自惚れているからだ。特に人間のレベルを見抜く力には自信がある。とは言っても、顔だけ見ると誠実そのものの科学者が「私はテレポーテーションを実体験した」などと真顔で語っているのを見ると、自分の鑑識力に自信を失いそうになるが(数日前の「つむじ風ブログ」の動画参照)、まあ、本物の善人か悪人かくらいの区別はつく。もちろん、ほとんどの人は善人でも悪人でもなく、状況に流されて行動するだけである。私が掛け値無しの悪人と見るのは橋下や石原、前原、仙石くらいのものだ。野田はほとんど自分の意思では行動していないと思う。まあ、動かしやすい道具程度の人間だろう。
さて、余談が長くなったが、下記記事にある中国観は非常に正鵠を射ていると思う。これほど冷静で客観的な中国観の書かれた文章を読むのは、今の日本では珍しい。私は文中に出てきた浅井基文という人物をたいして評価していなかったが、今の日本で言論の潮流に逆らってこれほどの事を言うのは立派である。
私はべつに中国には何の関係も無い人間だが、世の中に偏った言説が流布している状況が気持ち悪くてならないのである。(引用文中の辺見庸の文章などがその例だ。)日本と、他の東アジア諸国を仲違いさせるのは米国支配層の「分断統治」だ、とこの前まで言っていた人間が、今や中国批判、中国蔑視発言を平気でやる、そういう状況が気味が悪くてならない。
この「横板に雨だれ」の筆者のような人間が、世の中に多くいれば、日本の右傾化に歯止めがかかるのであるが。
右傾化とは、愛国的ファナティズムの勃興であり、戦争への道である。

ついでだが、文中に引用された辺見庸の文章には私も奇妙な印象を受けたが、その理由は、日本語という言葉が文の最後で肯定か否定かが決定されること、そして読んでいる最中にも書かれた言葉の連鎖で次々とイメージ自体は形成されるので、はなはだしい場合はそのイメージと、文の最後の「肯定・否定」に大きなギャップが生まれるからである。
これを文学的に利用すれば見事な効果を生むこともできる。
三島由紀夫のある文芸評論中にあるように、藤原定家(だったと思う)の
「見渡せば花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」
という歌は、花も紅葉も「無い」と言われているにも関わらず、その存在しない花と紅葉のイメージが読む者の心に生まれ、その幻想の情景と、荒涼たる「浦の苫屋の秋の夕暮れ」の現実の情景とが二重になって読む者の心に得(え)も言えぬ効果を生むのである。
そして辺見庸の文章は、その悪質な例である。
我々は執拗に並べられた「険、荒み、不逞、倣岸、倦怠、狡猾、強欲、猜疑、敵意、威圧、卑屈、皮肉、冷酷、癇癖、歓喜、暴力、磊落、邪曲……」によって、そのイメージを天皇に貼り付けることになる。その一連の言葉が「……の、いずれも、かけらもなさそうな」と否定された後でも、そのイメージは残るのである。それがこの文章の奇妙な印象の理由だ。それは続く「ただ、孤独と虚無の陰りのいかんについては、なにしろ瞬時であったので、読むことはできなかった。」でも同じである。我々に残るのは「孤独と虚無の陰り」が「あった」という印象なのだ。
この効果を辺見庸が意図していたかどうかは分からない。だが、言葉の「イメージと論理の乖離」については多くの人が知っておくべきだと思う。
今日のブログ内容は「中学生レベル」ではなく、「高校生レベルの国語力」が必要かもしれない。何しろ、元国語講師なので、こういう事にだけはうるさいのである。


(以下引用)


「辺見庸氏のインタビュー」への感想
いつのころからか私は現存作家の本はあまり読まなくなってしまったのだが、辺見庸さんの本は(本だけではないが)、わりあいによく読んでいる。このことは以前にも書いたことがある。読んで教えられたり、共感したりするところがあるからこそ買って読むわけだが、それでも作者と別の人間である以上、内容に違和感を持つこともある。たとえば、「永遠の不服従のために」(講談社文庫2005年、初出・毎日新聞社2002年)に収められている「不敬」という文章のなかの一節に対してがそうであった。この文章は、「不敬」という題が示すように、天皇制について述べられたものだが、まず中野重治の小説『五勺の酒』から、中学校長である主人公が天皇個人(特に裕仁天皇をイメージしてのことだと思われる)に対する感慨を綴った文章が引かれている。それは「……どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ。/羞恥を失ったものとしてしか行動できぬこと、これが彼らの最大のかなしみだ。/個人が絶対に個人としてありえぬ。/つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ。」(/は改行部分)というもので、次に作者が現在の天皇である昭仁天皇と街中で偶然遭遇したときのことが下記のように叙述されている。

「 たった一回だけれども、その人を、じかに見たことがある。何年も前に、横浜駅の西口近くで。銀行をでた私の前に、黒山の人だかりがあった。背中をぐいぐい押されて、私は結局、車道に面したコンクリートの大きな植栽ボックスの上に立つかっこうになった。眼の前に、黒塗りのリムジンの長い車列が、ゆっくりとやってきた。何台目かの車の後部座席の窓が開いていて、やや猫背ぎみの小柄の人物が、群衆に向かい、小刻みに手を振り、そうまでしなくてもと思われるほど丁寧に、首を上げ下げしている。政治家や芸能タレントたちの、いかにも悪ずれした愛想とはまったく異質の、こちらがたじろいでしまうほどの、痛々しい、剥きだしの善意のようなものを、彼の表情と所作は感じさせた。
 色浅黒いその横顔に見覚えがある、と思ったとき、彼と眼が合った。険、荒み、不逞、倣岸、倦怠、狡猾、強欲、猜疑、敵意、威圧、卑屈、皮肉、冷酷、癇癖、歓喜、暴力、磊落、邪曲……の、いずれも、かけらもなさそうな、これまでに見たことのない種類の、不思議な眼であった。ただ、孤独と虚無の陰りのいかんについては、なにしろ瞬時であったので、読むことはできなかった。天皇は、私から視線を移さずに、片手を軽くうち振り、「あっ、どうも」という調子で、首をこくりと小さく下げた。私も、つられて、こくりと会釈した。同時に、右手をズボンのポケットからそろりとだして、ベルトのあたりまでもちあげ、行きすぎる天皇の方向に、汗ばんだたなごころを開いて、ためらいつつ、一、二回左右に動かしてみたのであった。わざと曖昧に、お返しの挨拶を私はしようとしたようだ。だが、それに気づいて驚いて、右手を、まるで他人の手みたいに、こっそりとポケットに戻してしまった。なんにもなかったかのように。」
 と、たったこれだけのことを書くのに、いく度、胆嚢のあたりがヒリヒリしたことか。そう、これは、この国でこの種のことを描くときに避けられない、名状の難しいヒリヒリ感なのである。」

この後も文章はまだつづくのだが、私がちょっと違和感を持ったのは、「険、荒み、不逞、倣岸、倦怠、狡猾、強欲、猜疑、敵意、威圧、卑屈、皮肉、冷酷、癇癖、歓喜、暴力、磊落、邪曲……の、いずれも、かけらもなさそうな、これまでに見たことのない種類の、不思議な眼であった。」という箇所であった。険、荒み、不逞、倣岸、倦怠、狡猾、強欲――などの、どちらかといえば人間性にとってマイナスのものが現天皇にまったく備わっていない、もしくは欠けているかのように述べられている箇所は、類まれな無垢な人間を思わせるようでもあり、また人間離れした一種の怪物(?)のような人物像のようにも思われたが、ただそれは私にはいくら想像をめぐらしてみても現実的にはどうしてもピンとこないものだった。そのためだと思うが、こういう文章は日本国内のかなりの範囲に根強く存在しているように思える現天皇に対するある種の幻想を増幅させるだけのような気がしないでもなかった。

辺見さんの文章で違和感をもった例では上記のものが一番印象に残っているのだが、最近あるブログで偶然読んだ辺見さんの発言にもちょっと違和感をおぼえるところ、気になるところがあった。これは辺見さんのロング・インタビュー、「国策を問う ――沖縄と東北の40年」という題で2012年5月10日と11日に沖縄タイムスに掲載されたもののようだが、全体としては辺見さん特有の力のこもったインタビュー内容で、読みごたえのある文章であることは間違いないと思うのだが、違和感をおぼえたというのは次の一節であった。

「僕には長かった近代の思想というのはもう終わりに来ているんだという自覚がある。主権国家体制、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の発展とテクノロジー万能主義、国民国家の形成など、16世紀以降の欧州で誕生し、現代世界を価値づけてきた社会のあり方、枠組み、準則が崩れてきている。で、従来の帝国主義の実行主体の足場を奪う、新たな列強の覇権争奪が始まっている。何よりも中国。中国は革命の理想を完全にうち捨てた異様な軍事大国になった。途方もない貧富の格差、堕落した共産党の一党支配、公安警察の跋扈(ばっこ)と死刑の連発、人権弾圧…。一方でロシアの覇権主義、言論弾圧もますます露骨になった。チェチェンにはやりたい放題。そうした中で相対的に、米国の株が上がっていく。それと同時に、沖縄から発進して朝鮮、ベトナムであれほど人を殺した、あの米軍と今は違うんだみたいな錯覚がある。同じです。米軍は依然、世界最大の戦争マシーンです。アフガンでもイラクでも罪のない人をいっぱい殺している。 」

上のインタビューの内容に明確に指摘できる誤りがあると思ったわけではない。ここで指摘されていることはおそらく事実そのとおり存在することなのだろう。しかしそれでも、「現代世界を価値づけてきた社会のあり方、枠組み、準則が崩れてきている」なかで、「従来の帝国主義の実行主体の足場を奪う、新たな列強の覇権争奪が始まっている。何よりも中国。中国は革命の理想を完全にうち捨てた異様な軍事大国になった。」、その上「ロシアの覇権主義、言論弾圧」が拡大していくなかで、「相対的に、米国の株が上がっていく。それと同時に、沖縄から発進して朝鮮、ベトナムであれほど人を殺した、あの米軍と今は違うんだみたいな錯覚がある。同じです。米軍は依然、世界最大の戦争マシーンです。アフガンでもイラクでも罪のない人をいっぱい殺している。」という発言にはニュアンスもふくめてそのまま受けいれるのには躊躇をおぼえた。

辺見さんは中国、ソ連の堕落頽廃のなかで、「相対的に、米国の株が上がっていく」と述べているが、本当にそうなのだろうか。これでは、中国やロシアの内政・外交戦略があまりに酷いので、それに比べると米国はまだましだといろいろな国や個人がそのように考え、述べているかのように聞こえなくもないのだが、中国やロシアに比べるとアメリカという国はまだましであるという声がはたして現実にあるのだろうか? どうも私にはそうとは思えないのだが…。「米国の株が上がっていく」のではなく、日本や韓国を見れば分かると思うのだが、自分たちの思うがままに、あちこちに戦争をしかけて、あっさり一国を破滅させることのできるほどの超大国である米国と組み、その米国にしたがってさえいればまず安心だという幻想をもつ国や個人が数多く存在するということではないのだろうか。

「米軍は依然、世界最大の戦争マシーンです。アフガンでもイラクでも罪のない人をいっぱい殺している。」という発言にしても、その拠ってきたる発想のあり方のようなものに対して少し疑問がある。米国が「罪のない人をいっぱい殺している」のは、アフガンやイラクだけではない。「罪のない人」の殺戮はアフガンやイラクで終わってはいないということである。昨年、リビア中を目茶苦茶に破壊した大規模な空爆は米国の単独行動ではなくNATO軍の仕業だったが、米国が加担しなければあんなことはできなかったのではないだろうか。見せしめのごときカダフィ惨殺ははたして米国の意思と無関係だったのだろうか? 現在の凄惨なシリア情勢にしても米国の息がかかっていることは間違いないことだ。これらの攻撃は私にはアフガンやイラクの延長線上の出来事のように思えるのだが、インタビューにはリビアの名もシリアの名も出てこないところをみると、辺見さんはそうは思っていないようでもある。国連安保理で中国とロシアはリビアへの介入に対して拒否権こそ行使しなかったが採決を棄権した。両国はシリアへの軍事介入に対しては明確に拒否権を行使している。このことについて辺見さんはどう思っているのだろう。また何にもまして不気味に恐ろしいのが、繰り返される米軍の無人爆撃機による暗殺であろう。これは卑劣、卑怯というのもすでに通り越しているだろう。

「中国は革命の理想を完全にうち捨てた異様な軍事大国になった。」という発言からは、中国はさしたる理由も原因もないのに、自発的に覇権国家を目指して軍事力増強に乗り出したかのようなニュアンスが感じられる。しかし、本当にそうなのかどうか疑問がある。80年代に外務省で中国課長を務めていた浅井基文氏は、「尖閣「国有化」後の中国の対日観(7)」という記事のなかで中国の軍事力増強について、次のように述べている。(以下、強調はすべて引用者による)

「最近、小さな集会でお話ししたときにつくづく感じたのですが、多くのマス・メディアの報道・論調によって対中イメージを膨らませるしかない国民のなかにも、中国に対してはマイナス・イメージしか抱けず、中国の増大する軍事力を前にしては、日本の安全をアメリカとの同盟関係に依拠ずる以外にない、と信じ込まされている人は決して少なくないのです。そのことが、数々の世論調査の結果で示されているように、憲法も日米安保もという考えの人が国民の2/3を占めるという現実を生んでいるのでしょう。しかし、私たちが忘れてはならない事実は、中国の軍事力強化努力は、優れて変質強化が進み、中国を狙い撃ちする性格をますます強めている日米軍事同盟に対抗するための防衛的な性格のものであるということです。中国の軍事的脅威を言う前に、まずは強者である日米軍事力の削減、軍事同盟の解消を私たちは考えるべきなのです。」

「中国の軍事力強化は、…日米軍事同盟に対抗するための防衛的な性格のものである」という浅井氏の上記の発言が緻密な分析の上になされたものであることは、米国のブッシュ政権時のブッシュ演説やシンクタンク・ランド研究所の報告、またアーミテージ報告などを丁寧に読み解いて記述されている「集団的自衛権と日本国憲法」(集英社2001年12月)を読むとよく理解できると思う。このような経緯をたどって浅井氏は中国の軍事力増強は防御的なものであると述べているわけだが、ノーム・チョムスキーの「破綻するアメリカ 壊れゆく世界」(集英社2008年)には、米国の戦略アナリストのジョン・スタインブルナーとナンシー・ギャラガーによる、国連安保理の核保有国のなかでもっとも抑制的に軍事力を展開しているのは中国である、との発言が出ている。

この本の冒頭では、1955年7月、パートランド・ラッセルやアルバート・アインシュタインたちが世界の人々に向けて行なった「核兵器による世界の破滅の危険」についてのアピール文が掲げられている。「私たち人類が抱えるさまざまな問題にたいして、もっともな意見はあるだろうが、いまはそれを、「いったん脇において、すばらしい歴史をもつ生物学上の種の一員であることだけ」を自覚するよう」にとの呼びかけの言葉である。そしてジョン・スタインブルナーとナンシー・ギャラガーという米国のアナリストが米国学士院の機関誌のなかで行なった「ブッシュ政権の軍事計画とその侵略的な姿勢は「最終的な破滅の危険をかなりともなう」、「アメリカの政治システムがその危険を認識できず、その意味するところに対処できない」ならば、「アメリカの存続の可能性はきわめて疑わしくなるだろう」」との警告が出てくる。

そのような警告につづいて、「アメリカ政府がみずからの国民と世界に脅しをかけても、平和を愛する諸国の連合がその脅しに対抗するだろう、とスタインブルナーとギャラガーは希望を表明する。その連合を率いるのは、なんと中国だ! 支配層の中枢がこのような考えを表明するのは、大変な事態である。」、「スタインブルナーとギャラガーが中国の名を挙げたのは、すべての核保有国のなかで、中国が「明らかに最も抑制のきいたやり方で軍事力を展開している」からだ。さらに、中国は宇宙の利用を平和目的に限定しようとする取り組みを、国連で率先して進めているから。この点で中国はアメリカと相いれない。アメリカは、イスラエルとともに、宇宙における軍拡競争を防ごうとする動きをことごとく邪魔をしているのだから。」とチョムスキーは記述している。

辺見さんのインタビュー記事が「沖縄タイムス」に載ったのは石原慎太郎東京都知事の尖閣諸島(釣魚島)購入事件の後である。そういう微妙なときに中国について「従来の帝国主義の実行主体の足場を奪う、新たな列強の覇権争奪が始まっている。何よりも中国。中国は革命の理想を完全にうち捨てた異様な軍事大国になった。」というような明白に批判的発言をする場合は、上述したようなまったく異なる中国についての見方も現実に存在するのだから(中国自身も、中国は決して覇権国家にはならない、宇宙の軍事利用には徹底して反対する、と明言している)、「異様な軍事大国になった」ことの背景についてもきちんと言及した上での発言であってほしかったと思う。辺見さんの講演(死刑の問題など)には、大勢の聴衆が集まることでも分かるように、発言に影響力があるのだから、いっそうそう思う。中国が発信する記事や学術論文を読むと(翻訳でではあるが)、無知・無学な私でも中国の人々の間に蓄積されている知性は相当なものだとつよく感じずにいられないし、こういう人々に対しては、とりわけ相手の主張をよく聞き、こちらも必ず根拠をともなった発言をすることが個人の姿勢としても大切であり、また実際にあらゆる面で有効な働きをするとも思う。浅井基文氏が4月以来ずっと中国発表の文章を折にふれ翻訳して読者に披露されているのは、そのようなことを願ってのことでもあるのではないだろうか。

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日本の韓国化は進行中

「2ちゃんねる」まとめブログから転載。
私は民族差別というものは大嫌いなのだが、ここ数年のマスコミの「韓国ステマ」(ステルスマーケット=見えない宣伝・洗脳広告)はあまりにひどすぎて、韓国嫌いになりそうである。去年だか一昨年だったか忘れたが、「キムチ鍋」が全年齢層で人気ナンバーワン、というフジの某番組アンケートにもあきれたが、韓国ドラマは今やテレビ番組表のかなりな割合を占めているし、韓国語でやる韓国ミュージカルやらをラジオで宣伝していたりする。
もともと、日本の芸能界は在日朝鮮人(韓国人)の吸収先であったのだが、もはややりたい放題である。
政界官界実業界も彼らが実質支配しているという井口博士などの言は正しいのかもしれない。だからといって、一般人に何ができる、ということも無いのだが。まあ、文化的受容を主体的に拒否するくらいはできるか。

昔から日本は中国や韓国の文化を輸入してきてはいたが、それをアレンジして日本文化にしてきた。それがナマのままで毎日、視聴覚情報として溢れている状況は、国粋主義者でなくても「日本崩壊」と思わざるをえない。
何より、そのステルスぶりが気味が悪い。こういう洗脳は私がもっとも嫌悪するものだ。
私もそのうち右翼になるかもしれない。


(以下引用)


見えない何かがサムゲタンを流行らせようとしている


2012年11月14日 コメント(135) ネタ 雑談


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1 サーバル(秋田県) 2012/11/13(火) 22:25:34.38 ID:Ky6EPjfB0 ?PLT(12001) ポイント特典

 なんか知らないけど、サムゲタン超流行ってる。平野綾とか道重さゆみとか高橋名人とかワタミの会長もなぜか一斉にサムゲタン食ってるしなんか流行りそう。

 アニメ「さくら荘のペットな彼女」でもおかゆが勝手にサムゲタンに変わっちゃってるしサムゲタン流行ってる。辻ちゃんも市井沙耶香もサムゲタン作ってるしハロプロサムゲタン食いすぎだし確実に流行りそう。

 日テレなんてZIP!でもヒルナンデスでもサムゲタン特集してるしテレ東でもサムゲタンやってるし任天堂なんて3DSのどうぶつの森でもサムゲタン出しちゃったし流行りそう。

 なんかサムゲタンの毒電波が凄すぎちゃってサムゲタン食いに韓国料理店行っちゃってサムゲタン食べちゃったけど、薄味な水炊きみたいな味がしたけど流行りそう。

 あれ、なんで俺サムゲタン食ってたんだっけ……正気に戻ってもサムゲタンばっかり……今年はキムチ鍋じゃなくてサムゲタンばっかり冬にテレビで放送されるのかな……
サムゲたんとかいう萌えキャラとかも作られちゃうのかな…サム・ゲタンとかいうイケメンキャラとかもできちゃったりして。

 ていうか、俺ホントにサムゲタン食いたかったんだっけ……?どうでもいいけど明日は水炊き食うことにしよう。

 写真:ロケットニュース24

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1113&f=column_1113_052.shtml


2 アムールヤマネコ(滋賀県) 2012/11/13(火) 22:26:37.25 ID:JLWtWEyy0

確かになんか怖い


5 茶トラ(岩手県) 2012/11/13(火) 22:28:18.84 ID:sY6/h/9I0

サムゲタン美味いよね

見た事も食った事もねえけど


6 アジアゴールデンキャット(大阪府) 2012/11/13(火) 22:28:26.13 ID:EL64xyUI0

韓国料理っぽくなくて食べやすいのは確かだけどまたステマなのか?


11 ジャガーネコ(やわらか銀行) 2012/11/13(火) 22:30:49.92 ID:8BjDpsLv0

おかゆがこれには無理やりすぎますよ












7 猫又(埼玉県) 2012/11/13(火) 22:30:00.53 ID:O13Tg56g0

毎年冬の恒例行事になってんな韓国料理のごり押し


9 ボルネオウンピョウ(福島県) 2012/11/13(火) 22:30:30.84 ID:tHKojAhH0

サムゲたんハァハァ(;´Д`)


10 猫又(新疆ウイグル自治区) 2012/11/13(火) 22:30:48.17 ID:+h/MegAs0

そろそろ冷やし韓国の季節かな


13 ジャパニーズボブテイル(大阪府) 2012/11/13(火) 22:31:11.88 ID:MrVgTzmr0

粥 うま


15 ブリティッシュショートヘア(大阪府) 2012/11/13(火) 22:31:32.68 ID:KbJdE0s10

ぶつ森にも出てたの?
ゲハ民の反応が気になる


20 ボンベイ(東京都) 2012/11/13(火) 22:33:16.49 ID:B65ZibgD0

どんなスゲェ料理かと思ったら、ただの鳥の水炊き(味付けなし)だったでござる。


21 ジョフロイネコ(北海道) 2012/11/13(火) 22:33:56.39 ID:Re2W7B0J0

893が何者かに頼まれてごり押ししてるんだろ。

何者かは流行ったら儲かる奴...おっとこんな時間に誰かが来たみたいだ


23 ベンガルヤマネコ(やわらか銀行) 2012/11/13(火) 22:34:04.51 ID:U0JXka1s0

凄い気味悪いな、特撮漫画の世界みたい。裏で誰かが世相を操ってるって・・・


25 カラカル(東京都) 2012/11/13(火) 22:35:02.86 ID:beIs4kKw0

参鶏湯は普通に美味いじゃん
日本で料理されて食う参鶏湯ね
韓国は行った事ないからわからん


26 ハイイロネコ(WiMAX) 2012/11/13(火) 22:35:03.13 ID:PnY6gQwI0

サムゲタンて夏場の夏バテ防止に食うんだってな

冬にあったまるために食うもんじゃねーんだってよ
端から無理があんのよ、はい終了


31 ブリティッシュショートヘア(大阪府) 2012/11/13(火) 22:36:56.67 ID:KbJdE0s10

実際どういう味なんだろ
見た目あんまり辛くなさそうだが


33 ジャガーネコ(内モンゴル自治区) 2012/11/13(火) 22:37:19.93 ID:jAstowbEO

バカウヨがサムゲタン陰謀論www


34 ヨーロッパヤマネコ(北海道) 2012/11/13(火) 22:37:45.07 ID:0zKrNsML0

一回食ってみたい
食べたことある人教えて
なに味?塩?


36 トラ(やわらか銀行) 2012/11/13(火) 22:39:09.58 ID:k7eMANrG0

朝鮮料理の中ではかなりマトモ。
手間かかってるし、赤くないし。
美味い方だと思うよ。
朝鮮料理の中ではな。

つーか、数年前にも流行らそうとして失敗してなかったか?


41 スペインオオヤマネコ(千葉県) 2012/11/13(火) 22:40:48.64 ID:btvgGcK80

サムゲたん

何?萌えキャラ?


42 ヨーロッパヤマネコ(関東・甲信越) 2012/11/13(火) 22:41:30.17 ID:I6UWjfqJ0

あーそういうこと
こないだスーパーの店員に参鶏湯ないのここ?ないの?ってイラついてるジーサンいたわ
カップスープは売ってたよw


45 ブリティッシュショートヘア(大阪府) 2012/11/13(火) 22:42:42.38 ID:KbJdE0s10

今彼女に聞いてみたんだが
漢方の味がして、食べれなくはないけど、
リピートしたくなるほどのものではないらしい
やっぱ薬膳料理の風味が強いのかな


48 ジャガー(東京都) 2012/11/13(火) 22:43:23.73 ID:Hp7HQpP60

食ったことないけどトウガラシに頼りがちな韓国の料理の中では
スポットライトが当たっても良い料理だと思う


49 オセロット(大阪府) 2012/11/13(火) 22:43:37.24 ID:KiDfXyhL0

例えばブログに参鶏湯の記事書くと、頼んだ誰かが金くれるの?
特定の商品名ならともかく、参鶏湯って料理名じゃん


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被災地は闇金頼り

「アサ芸プラス」から転載。
下記記事で語っているのは闇金に勤める男である。
闇金と言えば、ヤクザ、暴力団の同類のようなものだが、その闇金でさえ政府や東電の遣り口に比べれば天使である。政府の棄民政策で生きる手段を失った被災地住民は、闇金に手を出すわけで、当座の生活費を融通してくれる闇金業者は、彼らにとってまさしく神様、天使だろう。もちろん、その後には高利返済の地獄が待っているのだが。

[追記] 話はまったく別だが、「山科恭介のブログ」(正式名は「夢想ロウカン(漢字はワードでは簡単に出せないので、カタカナで失礼する)」)がとうとう終わるようだ。残念である。別の場所で新しくブログを始めるとか書いていたので、どういう理由によるブログ終了なのか、よく分からない。ブログなど、書きたい時に書けばいいし、コメント等にいちいち返事する義務もない、と私なんかは思っているのだが、それは読者数の少ないブログの特権なのかもしれない。私にとってはブログとは基本的に「浮遊思考のメモ」でしかない。紙に書くより手早いから電子的にメモし、自分のパソコン内に保存するとほとんど死蔵するだけで見直しすらしないから、ブログに載せておくだけだ。もちろん、読む人も少しはいるだろうから、「読者サービス」的なつまらないジョークを挟んだりもするが、基本は思考メモである。そのように考えれば、ブログなど気楽なものだ、と思うのだが、まあ人にはそれぞれの悩みもあるのだろう。これまで楽しませてくれた山科恭介氏に感謝する。




(以下引用)


 僕は、都内で仕事をしているんですけど、今は被災地からの問い合わせがいちばん多いですね。でも、返す手段が薄いので、なるべく貸さないようにしているんです。たぶん、一般的に今の闇金のほとんどは、被災地からの電話が多いと思いますよ。
1位福島県
2位岩手県
3位宮城県
 の順番だと思います。ただ、うちの店は今ではほとんど貸さないようにしています。被災者は条件が悪すぎます。仕事もないし、被災地へ派遣されている作業員の人も問い合わせが多い。仮設住宅の人も多い。
 借りたいという人の大半は給料日までの生活費。みんな、贅沢をしたからとかではないんです。
 落ち着いた口調で語りだしたのは、現在30代の栗本源太郎さん=仮名=。これまで長年、都内で闇金を含める金融関係の仕事を10年以上続けてきた。しかし、震災以降、借り手はもっぱら東北地方の被災地からのSOSになってしまっているという。
 まず、普通の金融機関は金を貸してくれないですよ。たぶん、「東北」でなおかつ被災者ってだけで、パスされちゃうんだと思います。だからオレらみたいな暴利な金利を取るいわゆる闇金「スピード出資」にしかたなく電話してくるんですよね。みんな口をそろえて言いますよ。
「あと何日かあとにはお金が入る。それまでのつなぎがなければ家族が生活できない」
 って。みんな小口(小額)で1万、2万円とかの小さな金額ですよ。正直、うちらみたいなのがいうのもヘンですけど、国が被災者を見捨てすぎ。現実を甘く見すぎなんですよ。明日、食べるものに苦労してる人がどれだけ多いか。家がなくなって仕事がなくなって、でも、ローンという借金だけが残って‥‥。
 実は、今の闇金業者は過当競争になっていて、借りるほうも知恵つけてるから平気で「飛ぶ」(行方をくらませる)んです。だから貸すほうもリスキーです。
 こっちは普通に返済の期限の話をしてるのに、被災者でも素人ほど、すぐに「警察」の言葉を出す。こっちは信用してすぐにお金を貸すんですけど、何か詐欺よりタチが悪い。ボランティアでやってるんじゃないんだから。完璧に人間不信ですよね。
 でも、ちゃんと返済してくれた人たちは、最後にみんな「ありがとう」と言ってくれるんです。オレら闇金業者ですよ。そんなヤツらに感謝の言葉をくれる。まぁ、その感謝の言葉がなければこんな仕事やっていけないですよ。
 あと最近目立つのが、「お金を借りる必要がないのに電話してくる」人たち。要は、寂しくて誰かと話をしたいんですよ。被災で家族を亡くした方、高齢者が多いですかね。誰かと話をしたいから、悩みを聞いてほしい。ついでにお金も借りる。もう事務所はテレクラ状態。いや、お金のかからないホストかも(笑)。一度話をすると相手は「孫」「息子」「彼氏」扱いですよ(苦笑)。
 顔を合わせたこともなく、話をしただけなのに、中には「従業員にさせてください」とか「息子を雇ってくれないか」って‥‥。完済してもずっと電話をかけてくる。「東京は物価が高いでしょう」「ちゃんと野菜食べてるかい?」「何もお礼できないからせめてうちで採れたものを」とかで、産地の野菜、果物とかを送ってくださる人も多いですね。

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誰もが苦しみながら誰も言わないこと

「志村建世のブログ」から転載。
連続性のある内容なので二回分の記事をまとめて転載する。
高齢者にどの程度の医療が必要なのか、終末期患者にどこまでの延命治療が必要なのか、という問題は現代社会の大問題の一つだと私は思うのだが、それについて多くの人は声を上げない。
人々が無関心だとは思わない。自分の家族が要介護者になれば、それまでの生活が一変し、大きく窮乏化するのは目に見えているし、実際にそういう経験を今している人は膨大に存在するはずだ。だが、「高齢者への延命治療は不要だ」という声はほとんど聞かない。
医療関係者の側から聞かないのは当然だ。彼らにはそれが稼ぎの種なのだから。
家族の側から聞かないのも当然だ。「お前は自分の家族が死ぬことを望んでいるのか」「家族の命よりも金が大事なのか」という世間の非難が来るのは目に見えているからだ。
したがって、この問題は、医療関係者でもなく、患者家族でもない第三者が論じるしかない。すると、「当事者でもなく、専門知識も無い人間に何が分かる」となる。
ジレンマならぬトリレンマの中にこの問題はあり、だからこそいつまでも解決の道が見えず、無数の人々を不幸に陥れているのである。


(以下引用)


2010.9.28
患者からの意思表明の試み
[ 医療・健康 ]

 手術への準備が進んでいて、病院側からさまざまな説明を受け、同意書に署名することが多くなりました。定着してきているインフォームド・コンセント(正しい情報を得た上での同意)の実践でしょう。今日は麻酔についてでしたが、直前には手術そのものについての詳細な説明がある筈です。起こり得る危険についても患者側に知らせておいて、最善は尽くすが場合によっては結果が良くなくてもトラブルにならないように、病院側を守る効果も含まれているでしょう。
 かつては医師は患者の生命を守る聖職者と思われていましたから、医師が失敗しても、患者が医師を訴えるなどということは考えられませんでした。町の名医として尊敬されていた私の叔父も、「医者は失敗して何人も殺しながら一人前になるものだ」と語っていました。しかし今は契約社会であり、医療の選択肢は増えています。医師も失敗は許されません。患者が医師と対等になれるのは、基本的に良いことです。
 でも、事前の同意は、医療側から求められるものが圧倒的に多くて、患者側からの説明や意思表明は、あまり問題にされていないように感じます。特に「自分はどんな人間で、どのように扱われたいか」という人生観・死生観といった精神的な部分については、患者側から事前に積極的な意思表明があることは、医療側にも有益ではないでしょうか。全身麻酔の状態で危機に陥っても、患者は意思の表明ができないのですから。
 そこで「医療についての意思表明書」の文案を考えてみました。
①私は基本認識として、人は口元まで食料を差し出されても摂取できなくなった時点で、自然死するものであると考えています。
②したがって、短時間の使用で顕著な生命力の回復が見込まれる場合を除き、経管栄養(胃ろうを含む)、人工呼吸器の装着など、延命の医療を希望しません。
③以上は終末医療を意識した考えですが、通常の医療においても準用されることを望みます。
④もし脳死状態に陥った場合は、有用な臓器等を提供することに異存ありません。
⑤上記は私の自由な意思によるものであり、これにより発生する事態についての責任は、すべて私にあります。
 年 月 日  署名(印)
 こんなものを用意して、説明の場で医療側の同意書と交換しておこうかと思っています。
Posted by 志村 建世 at 00:04:47 | コメント (15) | トラックバック (1) | リンク (0)


2010.9.27
「枯れるように死にたい」の著者からコメント
[ 医療・健康 ]

 今月12日から14日まで、3日間にわたって当ブログで紹介しました「枯れるように死にたい」の著者、田中奈保美さんから、ご丁寧な長文のコメントをいただきました。記事に対するコメントにとどまらず、これとして独立したメッセージでもあると思いましたので、オモテの記事として、以下に掲載させていただきます。
 このたびは志村様のブログに拙著を取り上げてくださり、過分なご高評を頂戴しましたこと、本当にありがたく、心より感謝申し上げます。われわれ夫婦は志村さんのおっしゃる通り『自然な死に方』を復活させたいと願う者です。ところが、多くの人たちが『自然な死』とはどういうものかすっかりわからなくなっているという現実がありました。とりわけ、医療従事者でさえよくわかっていないらしいと知ったときは、とんでもない事態が起きていると思ったものです。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのか。私の素朴な疑問でした。そして、夫の仕事場(老人福祉施設)での出来事を聞けば聞くほど、疑問が次々と湧いてきました。人が高齢となって、老衰で死ぬとはどうなっていくことなのか。なぜ、今『自然な死に方』ができなくなってしまったのか……。そうした疑問についてひとつひとつ考え、夫の協力を得ながらその謎解きをするプロセスを記録した結果が、今回の本になったのだと思っています。
 こうした疑問を解くにあたって、私はこの上なく好条件の元にいました。一番身近な夫が経験豊かな医者だったこと。老人福祉施設の現場にいたこと。しかも、夫は子どもの頃から動植物など自然界のことについて関心が強く、人間も自然界の一員であるという揺るぎない基本的な視点があります。そのため、医療技術への過信がなかった点が幸いでした。
 拙著では『自然な死』が大きなテーマとなっていますが、テーマはもうひとつあります。『人が生きているとは』という問いかけでした。取材しながらずっと考え続けてきたことです。それは胃ろうを置かれ、寝たきりで、生きている実感もないまま医療の力で強制的に生かされ続けている高齢者を見て、改めて浮かび上がった問いかけです。
 医療技術は長足の進歩を遂げています。私たちはよりよく生きる上でその恩恵にあずからなければなりません。医療の役割とはそういうものなはずです。ところが、高齢者の終末期においては、医療が無惨な結果を作りだしているという事実。それが見過ごされている現実がありました。この高齢者の姿が無惨かどうかの判断は、いったいだれがしなければならないのでしょうか。医師なのでしょうか。家族なのでしょうか。また、その判断の基準となるのはなんなのでしょうか。
 そのとき、私たちにつきつけられているのは「人が生きるとは」という根源的な問いかけではないかと思いました。そして、現場ではそうした高齢者の無残な状況に対して、あまり疑問を持たれず受け入れられている、というのが不思議でした。そこにかかわっている医療従事者や介護士の方たちは見て見ぬふりなのか、思考停止状態なのか、当然のことと考えているのか・・・全国には胃ろうを造設されて、寝たきりのお年寄りが20万人とか30万人いるとか言われています。
 まさに、志村さんのご指摘にある、「誰の喜びにもならない医療資源と労力奉仕の浪費は、大きな社会的損失でもあります」ということです。対策は急がなければなりません。みじめな高齢者のためにも、社会的な損失のためにも。ただ、胃ろうを置かれて寝たきりで、ほとんど意識がない高齢者の状態を、ただ否定するものでないことはいうまでもありません。そのことも訴えたく、友人のヨウコさんの体験をご紹介しました。
 ヨウコさんは植物状態になった母親を胃ろうで3年余り延命し、その間、献身的な介護を続けました。現代医療の技術がなければありえない母娘の濃密な歳月を、医療の力を借りて持ったわけです。ヨウコさんにとっては価値ある時間でした。母親はヨウコさんの母親として最後まで大事にされ続け、人間としての尊厳は最期の瞬間まで守られていたと思います。ヨウコさんの体験を伺って、人間はつくづく人との関係性の中で生かされるものだと改めて教えられました。そのことも忘れてはならない大事な視点だということも。
 胃ろうの問題はその後の夫婦の会話にものぼっているのですが、まだまだ書かなければならないことがいっぱいあります。あと2冊くらいは・・・と思っているところです。このたびの拙著については、ありがたいことに一般の読者の方々からは思った以上の良好な反応がありましたが、医師たちからの反応はとても鈍く、ちょっとがっかりしています。
 ただ、今回の本の目的はひとりでも多くの人が、高齢者の死、及び自分自身の死について関心を持ち、考えるきっかけをつくる一助になれれば、ということです。なので、今私がなすべきは自ら拙著の広報活動に励むことと肝に命じています。そうした中での志村様のブログは本当にうれしく、私にとって仕事が報われる思いがいたしましたし、また今後の仕事への大きな励ましにもなります。今一度、本当にありがとうございました。
 2010年9月26日 田中奈保美
Posted by 志村 建世 at 01:15:57 | コメント (1) | トラックバック (2) | リンク (0)

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田中真紀子「ちゃぶ台返し」の深層と真相

「陽光堂主人の読書日記」から転載。
べつに田中真紀子を庇う気は無いが、あのヒステリックな行動にもそれなりの理由はあったということを知っておくのはいいことだろう。ただ、手続き無視の強権的行為をしたのはやはりマズイな。そのあたりがお嬢様育ちの欠点だ。顔はお嬢様ではなく市井のオバサン顔だが、まあ、女性の顔をとやかく言うのは品が悪いので言わないことにする。もう言ったけど。


(以下引用)



田中文部科学大臣「ちゃぶ台返し」の真相
 秋田公立美術大(秋田市)など3大学の設置不認可の問題で、田中真紀子文部科学大臣は昨日記者会見を行い、事実上撤回しました。近日中に新しい大学設置認可の審議会を立ち上げ、新基準を設けることを表明しましたが、予定通り認可される見込みです。

 意地を張ってもっと揉めると思いましたが、あっさりと撤回しました。野田などから要請を受けたとしても簡単に引っ込むとは思えないので、学校側の訴訟に持ち込まんばかりの勢いに恐れをなしたのでしょうか? 単なる「お騒がせオバサン」で終わってしまいました。

 前原の八ッ場ダム中止を彷彿させるパフォーマンスですが、岡田副総理は「大臣が許可する前に大学の建築工事がされている方がおかしい」と田中氏を述べて庇っています。しかし、民主党は既に3年も政権の座にあるのですから、この件は歴代の民主党の文部科学大臣も関わっているはずです。前任者が認めていたのであれば、暴走と言われても仕方ありません。

 板垣英憲氏は昨日付のブログの中で、田中文部科学大臣はが暴走した理由について説明してます。これは参考になりますので、以下一部引用します。(http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/34cf4b982575dd38da8193cb410ec6bf)

◆なぜ、こんな事態が起きたのか。事態が起きた根本には、3つの問題がある。

1つは、「学校屋」あるいは「大学屋」と言われる「学校経営」を商売にしているプロのビジネス集団の「大学新設利権」である。

この利権集団と結託しているのが、文部科学省の大学設置・学校法人審議会である。利権集団からの大学新設申請があると、文部科学相の諮問を受けて、検討するのだが、大体、諮問通りに答申し、文部科学相は、認可する。

私学運営には、毎年、巨額の助成金が国から支出されるので、こんな美味しい商売はない。新設大学の経営者である理事長以下理事のポストは、「利権屋」が独占し、文部科学省官僚の天下り先ともなる。教授以下の教職関係者には、マスメディアの記者、アナウンサーらの再就職先として確保される。利権に群がるのだ。

2つ目の問題は、この「大学利権」は、自民党文教族議員が、支配、掌握してきた。旧文部省時代から文部大臣は、概ね、福田派、三木派、中曽根派の3派閥から送り込まれてきた経緯があり、田中派や大平派からの配置は、少なかった。この結果、自民党国会議員の族議員化が進み、森喜朗元首相(元文相)が、「文教族のドン」と言われて、幼稚園から大学までの「私学助成利権」、日本体育協会を頂点とする「スポーツ振興利権」などを壟断し続けてきた。森喜朗元首相は建設相の経験もあり、大学施設やスポーツ施設建設・増設について、建設業界などと政治資金面で深い関係を築いている。これは、3年前に自民党が野党に転落してからも変わらなかった。

この森喜朗元首相の利権の牙城に、田中角栄元首相の長女・田中眞紀子が文部科学相として送り込まれたのである。田中眞紀子文部科学相が外務大臣のとき、その座から引きずり下ろすよう当時の小泉純一郎首相に進言し、辞任に追い込んだのが、森喜朗元首相だった。いわば、憎っくき宿敵、政敵である。

野田佳彦首相が、この関係を熟知していなかったとしたら、迂闊であった。田中眞紀子文部科学相は、森喜朗元首相の「私学利権」の支配、掌握下にある「新設大学認可問題」に直面して、過激反応してしまったのである。

3つ目の問題は、秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大の3大学が、正式認可も下りていないのに、先走って、学生募集や施設拡充建設などを進めていたことだ。従来通りのやり方で、すべてうまく行くと思い込んできた点は、軽率だった。国家財政が、破綻しているという状況のなかで、大学新設は、控えるべきであった。文部科学省の官僚たちも、安易であった。 (下線は引用者による)

 大学関係者は、学生を出しにして血相を変えて怒っていましたが、欲につられて彼らも暴走していたのですから、田中大臣を一方的に責めることはできません。少子化が進んでいるので、認可されてもその内淘汰されてしまうと思いますが、助成金が出る内に貰っておこうという魂胆なのでしょうか。

 最近の日本人は公金にたかる体質が染み付いているようで、こんな調子では国家破産は免れません。これは教育関係にかぎらず、他の産業でも同じで、エコカー補助金などはその代表例です。国が援助しなければ、車すら売れなくなっているのです。説教臭くなりますが、もっと地道に仕事をする必要があるのではないでしょうか。

 これまでのように役所と結託して利権を漁るなど最低で、教育者の資格はありません。大学などが乱立して学生が不足し、留学生と称する中国人などが押し寄せてきて不法就労や犯罪を助長しているという現実もあり、今回は手続き上致し方ないとは言え、安易な認可はすべきではありません。

 記事の中に森喜朗が出てきますが、悪い話になると必ずといってよいほど登場する男です。この男が文教の利権を牛耳っていたわけで、息子がまともに育たなかったのは当然と言えましょう。

 田中氏にとって文部科学大臣の就任は、森喜朗の利権を崩すチャンス到来でした。それが今回吹き出したわけですが、利権を漁っている大学関係者は自業自得として、気の毒なのは入学を希望していた若者たちです。こうした大人にならないよう、良い教師について自己陶冶と研鑽を重ねて欲しいものです。

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警察と犯罪

「ネットゲリラ」管理人野次馬氏のコメントである。
尼崎事件については、表マスコミよりこういうネット記事の方が信頼できる。
というのは、表マスコミでは下記コメント中の

「実は、今回事件化するに至った経緯というのは、一家を壊滅させられた生き残りのオヤジが、警察がとり合ってくれないので、自分が名前を変えて、新聞配達しながら張り込んでいて、手がかりを見つけたというんだが、警察とヤクザの癒着が背後にあって、今まで事件化しなかったようだ。」

といったような部分は書けないからだ。もちろん、週刊誌なら書ける場合もあるが、エロ記事混じりの男性週刊誌、エロ記事と芸能記事とダイエット記事が8割を占める女性週刊誌など、「良識的」な一般人は買わないだろうし、信じる人も少ないだろう。
ネット上の情報は、もちろん、信頼できないものがほとんどだが、合理的な判断力を持っていればその中で何が信頼でき、何が捏造かはだいたいわかるものである。

しかし、今回の事件での一番の問題は、事件そのものよりも、この事実がこれまで公然化しなかったことだろう。つまり、警察がこれを黙認していたと思われることだ。もしも「知らなかった」のならあまりに無能だし、黙認していたなら、それこそ警察そのものが犯罪に加担していたことになる。ひどすぎる話である。
まあ、「警察の裏金作り」や「身内かばいのための冤罪作り、証拠捏造」など、誰でも知っているように、警察自体が犯罪を行うことはありふれた事ではあるが、今回のように死体がごろごろという犯罪が長い間闇の中にあったことは珍しい。
まず、尼崎警察自体から捜索しなければならないのではないか?



(以下引用)


月岡美代子で検索した方がおもしろい

野次馬 (2012年11月 8日 16:04) | コメント(7)





ネトウヨの巣窟であるニュー速では、主犯の婆ぁまでがすっかり朝鮮人扱いなんだが、今のところ、角田美代子に関しては日本人らしい。ガキの頃からワルだったので、指紋とか大量に残っている。なので、この人物が途中で「背乗り」されたとは考えにくい。もっとも親の世代に背乗りされていたら判らないがw 弟は、グリコ森永事件で「キツネ目の男」と呼ばれた人物ではないか、と疑われて、何度か警察の取り調べを受けていたという話もある。弟は現在刑務所なんだが、弁護士から10億円脅し取ったらしい。角田美代子が色々と毟ったカネの総額が10億とも言われているので、姉弟で20億。捕まった時にはマンションの管理費を払えないほどだったというから、カネはどこに消えたのか。ミヨコが従えていた「暴力装置」は朝鮮ヤクザで、今でも尼崎では力を持っているので、警察も手出し出来なかった、という話もある。実は、今回事件化するに至った経緯というのは、一家を壊滅させられた生き残りのオヤジが、警察がとり合ってくれないので、自分が名前を変えて、新聞配達しながら張り込んでいて、手がかりを見つけたというんだが、警察とヤクザの癒着が背後にあって、今まで事件化しなかったようだ。また、週刊誌の取材によれば、尼崎にはまだ、同種の組織がいくつかある、という事。ミヨコの亭主は、元タクシー運転手の在日だが、仲間を引き連れてパチンコ屋に出没する「開店屋」として知られていて、2ちゃんねるのパチンコ板では事件前からスレが立っていた。と、今のところ、そんな感じです。


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酔生夢人
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男性
職業:
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趣味:
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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