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抑圧された秩序と秩序無き自由(1)

抑圧された秩序と秩序無き自由


 


          目次


Ⅰ フラクタル天皇制


 1 国家構造としての天皇制


 2 地方の小天皇たち


 3 家庭の小天皇たち


 4 「封建的」と「アカ」


 5 観念的動物としての人間


 


Ⅱ 戦後民主主義のダブルバインド


 1 生き延びた官僚


 2 保守政治家の復活


 3 実態と表面~憲法の問題


 4 実態と表面~社会生活の問題


 5 引き裂かれた心~教育の問題


 


Ⅲ 抑圧された秩序と秩序無き自由


 1 抑圧された秩序の二つの意味


 2 秩序無き自由と自由からの逃走


 3 我々は何を選ぶのか?


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


   Ⅰ フラクタル天皇制


 


 フラクタル図形とは、全体の形が細部の形と相似形になっているような図形であるが、戦前の日本社会を一言で言うなら、フラクタル天皇制という言葉がぴったりであろう。つまり、国家構造としての天皇制と、地方行政、そして家庭がいずれも同一の構造を持ち、だからこそ社会権力と秩序の維持の上で比類の無い堅固さと安定性を保っていたのである。
 言うまでも無く、地方行政における天皇制的構造とは、県知事を筆頭にした地方官僚組織のことであり、彼らは末端の小役人に至るまで、天皇の御言葉を民に伝える者(ミコトモチ)として、天皇と等しい権威を民に対して保持し得た。家庭における父親は、家族の中での唯一の社会への窓口として、そして男権的社会における「家長」として家族に対する権威を振るっていた。官僚も小役人も家庭の父親も、天皇という説明不能・説明不要な権威の存在があったため、その類似性を暗黙の前提として、自らの権威を周囲の者に押し付けることが可能だったのである。もちろん、そこに至る過程として、教育勅語をはじめ、官僚たちによる様々な天皇の神格化があった。そして、いつのまにか様々な社会的権威というものは問答無用に従うべき存在、「言挙げ」すべきではないものとする心性が日本人の心の奥深く植え込まれていったのである。天皇制の最大の問題点は、こうした日本人の奴隷根性の根本原因が天皇制にあったことであり、また、天皇が、天皇を利用しようとする人々に巧妙に利用されてきたことにあるのである。天皇を単なる絶対君主的支配者として打倒の対象としようとする左翼的思想は、天皇制の真の問題を見据えていない議論である。


 さて、戦後の日本社会は、メーデーにおける天皇への痛烈な批判、あてこすり(「朕はたらふく食っておるぞ。汝臣民餓えて死ね。」)などに見られたように、まず社会的権威の喪失から始まった。戦争指導者や軍人などが白い目で見られ、かつての英雄たちは日陰者となったのである。しかし、権威の喪失はそれだけに留まらなかった。家庭内の父親の権威もまた同様に喪われたのである。もともと、家庭における父親の権威なるものは、その背後に有無を言わせない社会的権威が無い限り、個人的力量に拠らざるを得ないものだ。何の後ろ盾も無しに、妻に対し、あるいは子供に対し、人格的優越を主張できる父親が、果たしてどれくらいいるだろうか。さらに、個人の価値は幼児に至るまで同一に保障されるべきであるとする戦後の人権思想がここに加われば、家庭内の父親の権威喪失は当然の帰結となるだろう。その結果、家庭の秩序の崩壊となるのも自明の事である。しかし、私はそれによって戦前の社会の優越を主張するものではない。その一つの理由は、家庭内における父親の権威の存在は、他の家族への抑圧にほかならなかったことであるが、その他の理由は後に述べよう。


 私の主張は、現代日本社会の様々な病理は、良く見られる議論にあるように戦後民主主義に原因があるというのではなく、日本が戦前の日本社会を清算しなかった事から生じているというものだ。簡単に言えば、社会の表面だけは民主主義の形態をとりながら、社会の実権的部分になお天皇制的思考や構造を残しており、それが日本社会の二重規範となって、岸田秀流に言えば、社会が精神分裂病にかかっているというものである。


 しかし、現代日本について論ずる前に、少しばかり戦前の社会について論じておこう。


 天皇制の特徴を丸山真男は「中空構造」つまり、責任の中枢が存在しない無責任体制だと見抜いたが、確かに社会的権威の根幹が「神聖ニシテ犯スベカラザル」ものとされれば、それに対する一切の批判は不可能となり、その権威の代行者たちが何の責任も無く、あらゆる権力を勝手気ままに振るえるようになるのも当然だろう。社会の上位にある人々にとってこれがどれほど居心地の良いものであるかは想像に余りある。そして、そうした人々から常に戦前の社会への郷愁や賛美の声が出てくるのも当たり前のことである。しかし、そこで忘れられているのは、その陰で抑圧されていた無数の人々の存在である。ただし、その抑圧はその本人たちには意識されてはいなかっただろうが、被害者が被害に気づいていないことは犯罪を正当化するものでは無いだろう。


 天皇制は、天皇自身にとってよりも天皇を神輿として担ぐ人々にとってはるかに有益であった。むしろ天皇自身にとっては、天皇であることは人間としてこの上ない重荷ではなかっただろうか。たとえば昭和天皇にとって天皇制という「国体」を維持することは自分の利益であるというよりは「皇祖皇宗」への義務として思われていたのではなかったかと思われる。天皇自身が自分を絶対君主だと考えていなかったことは、美濃部達吉の天皇機関説に対して昭和天皇自身が「それでよいのではないか」と述べていることからも分かるだろう。ただし、戦前の人間の心性には一つのパラダイム(無意識の枠)があり、それは戦後の人権意識からみると言語道断なものである。それはたとえば親のためには子を犠牲にしても良いという思想であり、そのことは親が子を慈しむこととは矛盾しない。同様に、天皇は確かに国民を慈しみ、国民の事を大事にはするが、それと同時に、天皇制維持のためには国民が犠牲になることも当然だと思うような心性が存在していたのである。すなわち、沖縄戦を始めとして、第二次世界大戦末期における日本国民の犠牲の大きな部分は、明らかに天皇制護持のために行われたのであり、その事は、昭和天皇の戦争への関わりを示したあらゆる記録が証明している。後に書かれた大戦回顧録の類に述べられた、天皇自身はあの戦争に反対の考えであったとする言葉は、やはり天皇の自己弁護以外の何物でもない。しかし、再度言うが、それは当時としてはそれ以外の考え方はできなかったのであり、今の人間の感覚であの戦争を理解しようとするのは限界があるのである。


 いずれにせよ、天皇制の問題点は、天皇を隠れ蓑として真の権力が力を振るうというその中空構造自体にあるのである。しかし、だからといって日本を君主制の国に戻し、天皇を真の権力者にしようという右翼的発想もまた国民が自らを奴隷にしようという愚劣な思想にすぎない。まして、天皇を現人神に戻そうなどという発想は、まったくのキチガイ沙汰である。現人神としての天皇など、明治中期頃から官僚どもによって作り上げられてきた官僚自身の権力維持のための装置にすぎないことは、当の官僚たちには良く分かっていたことなのである。


 さて、戦前の日本において、天皇という絶対の権威を背景にした小天皇たちは、それこそ自らの恣意的な権力発動を、さも天皇の意思を体現したものであるかのように振舞うことができ、自分の下位にいる人々に対して絶対的な権力を振るうことができた。たとえば旧日本陸軍における上官への理不尽な絶対服従は、それが軍隊の任務遂行のための条件であったからというばかりではなく、それが天皇の名において行われたために非人間的な残酷さにまで高められたと言っていいだろう。人間は、自らに責任が帰せられない限り、如何様にでも残酷になれるものである。天皇の軍隊の非人間性は、個々の構成員の非人間性に由来するものではなく、その無責任体制に由来するものであろう。しかし、再度繰り返すが、それは天皇自身の問題ではない。天皇がたとえ天皇であることをやめたいと思っても、それは不可能なのである。おそらく、天皇の名を利用した様々な悪行は、天皇の耳には届かなかっただろうし、知っていてもそれが天皇に対する至誠の気持ちから行ったのだと抗弁されたら、それ以上の追及はできなかっただろう。それを追及していけば、では天皇の権威や権力の正当性は何かという大問題に行き当たらざるを得ないからである。


 天皇制の最大の問題は、それが一切の批判や追及を許さない社会体制であり、それがひいては批判の精神までもいつのまにか眠り込ませるほど巧妙な体制だったところにあるのである。だから、今でも、戦前にはけっして上層階級ではなかった人間すら、戦前は良い社会だったと懐かしむ人々も多いのだ。そうした人々も、真剣に振り返って、今が過去より本当に悪くなったかと言われれば、高度経済成長の代償としての文化の低俗化と道徳の荒廃以外には、文句を言うべき部分は無いと分かるだろう。問題は、戦後の思想的変化よりも、むしろ敗戦によっても変わらなかった部分にあるのである。


 戦後社会のアナーキーな風潮の大きな原因は、確かに天皇という絶対的権威の喪失にある。庶民が「お上」を恐れる社会では確かに社会秩序の維持は容易であろう。官僚や政治家が常に戦前の社会の良さを懐かしむのも当然である。しかし、秩序、すなわち社会が変化しないことが有利なのは、社会の恵まれた層にいる人々にとってだけである。社会の底辺にいる人々にとって、社会が変化しないことは、絶望以外は意味しないだろう。


いや、戦前の世の中だって、個人的努力によって社会の上位に上ることはできた、と言う人々もいるだろう。それは当然である。いかなる身分社会でも、能力ある人間は自らの力で社会の上位に上り詰めた。そのことと、その社会体制の当否とはまったく別の話である。要するに、社会の下層にいる大多数の人間にとって、固定身分社会である戦前はけっして良い時代ではなかったはずだと言っているのである。特に家庭内の被支配者であった女性にとって、戦前の社会はおぞましい社会だろう。もちろん、再度言うが、彼らがそうした自分の状態に意識的であった可能性は少ない。しかし、今の視点から見たら、戦前の女性の地位は恐るべき奴隷的状態であったと見えるはずである。


 社会のモラルについて言えば、長上への礼儀と絶対服従(すなわち忠と孝)を第一とする社会で、固い秩序が維持できないはずはない。また、逆に、個人の自由と平等を認める社会が無秩序に傾くのも当然だろう。しかし、そのどちらが、人間にとってより好ましい社会なのか。人間は目の前の現象に動かされ易いものだ。十四歳の少年が幼児の首を切って校門の上に飾るというような事件を見れば、現在の世の中の道徳的退廃に眉を顰め、戦前の社会の優越を信じたくもなるだろう。だが、結論を出すのはまだ早い。「抑圧された秩序と秩序無き自由」のいずれを選ぶべきか、あるいはこの二つを止揚する道があるか、結論を出す前に、もう少し寄り道をしておこう。


 


 我々の日常生活の大半は、論理的思考によってではなく、自動反応(もしくは感覚的反射作用)によって行われている。論理的作業は強靭な意志の支配、思考の統御作用を必要とするものであり、一般の人々には普通、論理的思考の習慣は無い。(これは、最近の国政選挙の結果などを見れば自明であろう。国民は、自分の利益になる政治家よりも、マスコミがもてはやす政治家に票を投じるものであり、マスコミは話題性のある政治家しか取り上げないのだから、つまりは政治家の内容よりも話題性だけが問題となるのである。)人間はいわば出来の悪いコンピューターのようなものであり、外部からの刺激に対し、持ち合わせの解答の中からその時の気分で一つを選んで間に合わせるのである。ということは、人間の(刺激―反応)の傾向を知りさえすれば、人々を支配し、操作するのも容易だということである。


 人間性の傾向とは次のようなものだ。第一に我々は、一つの物事に集中している時には、他の事は忘れている。これは奇術の基本原理であり、右手に観客の注意を向けている時、真のトリックは左手で行われているものである。第二に、人間の記憶力はあきれるほど短いものである。特に自分が見たくないものや忘れたいものは簡単に忘れてしまうものである。(マキァヴェリは、このことを「人は自分の親が殺された恨みは忘れても、金を奪われた恨みは忘れないものだ」と皮肉に言っている。)従って、為政者にとって都合の悪い事件も、半年も過ぎれば国民は忘れてくれるのであり、特に官僚の不祥事など、いつ処分が行われ、その後どうなったのかなど、誰も知りはしない。おそらく単に名目的な処分が行われ、半年もすれば前以上の役職に戻っていることだろう。第三に、人間は信じる根拠のあるものを信じるのではなく、信じたいものを信じるのである。これは新興宗教の信者などを見ればよく分かるだろう。彼らにとっては、その時、その神や教祖を信じることが必要だったのであり、外部の人間がその宗教のいかがわしさを言っても、彼らは聞く耳など持たないのである。


 こうした人間性の弱点が我々の社会をどう動かしているか見てみよう。


 人間が刺激にたいして単純な反応しかしないことを良く示すのは、「レッテル的言葉」である。たとえば「戦後民主主義」という言葉もその一つだ。この言葉が右寄りの思想家によって用いられる場合は、戦後の社会の様々な悪の根本原因というニュアンスをこめて用いており、それはまるで説明不要の、アプリオリな前提であるかのごとくである。「嘘も百回言えば本当になる」とはナチスの宣伝相ゲッペルスの言葉だが、人々も今では右翼的評論家のレッテル的言葉を信じるようになっている。しかし、戦後の様々な悪現象と民主主義との間にいかなる関連があるのか、彼らははたして論証できるのだろうか。後で論証するように、民主主義と社会悪とは結びついてないというのが私の考えである。


 我々はこうしたレッテル的言葉を用いた瞬間に、その内容について問う事をしなくなる。これが実は最も重大な人間性の欠陥であり、世の中が改善されない第一の原因であるが、それに気づいている人間は少ない。小林秀雄は、その有名なエッセイの中で「人はある物を言葉で表現した瞬間に、その物自体を見なくなる」という意味の事を言っているが、これは政治の文脈でこそ重大な意味を持つ言葉である。そもそも、たとえば人々が「民主主義」と言う時、何をその意味として用いているか、一概には言えないだろう。


 私がここで特に取り上げたいのは、「封建的」という言葉と「アカ」という言葉である。前者は主として政治的革新派が保守派に対して用いた悪口であり、後者は逆に保守派が革新派に対して用いた悪口だ。


 私の主張は、日本の戦後政治における革新派の敗北は、言語に対する無神経さと宣伝能力の無さによるものだったというものである。その代表例として、前記の二つの言葉を取り上げてみよう。


 この二つの言葉を比べた場合、後者の圧倒的な存在感、迫力に比べて前者が悪口としてほとんど機能していないことが分かるだろう。それが分からない人間は、自分が「封建的な奴だ」と言われた場合と、「あいつはアカだ」と言われた場合を想像してみればよい。明らかに、後者の場合は、自分が社会全体から抹殺されかねない恐怖と不安を覚えるだろう。「封建的」の代わりに「ブルジョワ的」とか、「プチブル」を持ってきても同じである。あるいは「米帝の手先」と呼ばれようが、そう呼ばれた人間は痛くも痒くも無いだろう。しかし、一度でも「アカ」と呼ばれたら、もうこの社会では生きていけないという恐怖感を、「アカ」という言葉は呼び覚ます。それは過去に共産主義が弾圧されてきた恐怖の歴史のためだけではない。この、「アカ」という言葉自体の持つ迫力があるのである。そして、そういう言葉の感覚に敏感であったために保守派は勝利し、鈍感であったために革新派は敗北していったのである。


 革新派の言語感覚の鈍感さは、彼らの論文に一度でも目を通してみれば一目瞭然である。まず、そこには一般人に理解可能な言辞は一つも無いと言っていい。ほとんどがその教祖マルクスの用語を撒き散らした意味不明の文章であり、しかもわざと理解されまいとするかのごとき破壊的日本語で書かれている。こうした文章や発言がまったく一般人の共感を呼ばなかったのは勿論だが、問題は、彼ら左翼人(「左翼」という言葉自体、レッテル性の高い言葉であり、私はわざと「左翼人」などという奇妙な言葉を使ってみた。)がそのことに一度も気がつかなかったことである。


 社会を変えるものは思想である。しかし、思想を伝えるものは言葉である。人々の心に伝わらない言葉が世の中を変えるはずはない。このことになぜ左翼陣営の誰一人として気づかなかったのか。それは、彼ら知識人の発言は大衆にではなく、常に自分と同レベルの知識人階級に向けられていたからである。つまりは彼ら自身の論壇における評価だけが彼らの関心の中心だったからであり、その不誠実さを人々は鋭く見抜いていたからである。


 もちろん、仮に誠実な発言をしていたところで一般人の賛同が得られたかどうかは分からない。前に書いたように、人々は理性や論理によって判断するよりも、むしろ雰囲気や直感で判断するものだから、ヒトラーのような巧妙なアジテーターによって人民が扇動されていく可能性は非常に高い。しかし、どのような形であれ、人民の意志が国家の意思を決定していくのが真の民主主義である。知識人のなすべきことは、その決定を誤らないように人々に呼びかけること以外にはない。


 左翼活動家たちは、言葉に対する鈍感さと不誠実さのために敗れていった。しかし、その事は、保守派の思想が彼らの思想より正しかったことは意味しない。事は単なる技術的問題だったのである。


 もう一度、「アカ」という言葉がいかに巧妙なものであったかを示しておこう。


 この言葉の持つ異様な迫力は、「赤」が死と破壊の色、殺戮の色であることから来ている。言うまでもなく、共産主義は現体制を破壊するものであり、それが赤色を自らの象徴として選ぶことは当を得ている。しかし、それが人々に与える心理的イメージに対し、共産主義者はあまりに鈍感である。赤とは何よりも血のイメージであり、火事、危険、災厄のイメージである。共産主義という正体不明の「破壊的存在」に対し、相手を「アカ」と呼ぶことほど効果的に相手への嫌悪感や忌避感情を煽り立てるものはないだろう。この感覚は人間の生理に根ざした感覚であるため、聞く者に直截的な恐怖を呼び覚ます。人々は自ら災厄に近づこうとは思わないものだ。こうして「アカ」に対する嫌悪感、忌避感は人々の間に醸成されていったのである。


 私は、人々が共産主義を理解した上でそれを忌避したとは思わない。なぜなら、彼らのほとんどは、「鎖のほかには失う物も無い労働者」だったからである。現体制が変わることによって何らの不利益も被らないはずの、そのプロレタリアートの支持さえも得られなかった所に共産主義の敗北の根本原因があったのである。


 おそらく人々のほとんどは、共産主義と社会主義の区別もつかず、また社会主義とは必ずしもマルキシズムだけの専売特許でもないことも知らないだろう。バーナード・ショーやH.G.ウェルズら、当時の一流知識人の賛同を集めたウェッブ夫妻らのフェビアン協会のような穏健な漸進的社会主義の存在も知らず、社会主義者とアナーキスト、テロリストを混同している人間がほとんどであるはずだ。そうでないと思うのは、自らは象牙の塔の中にいるおめでたい学者先生くらいのものだ。


 人民の知的レベルを買いかぶってはならない。しかしまた、人民の直感的理解を過小評価してもならない。人民が社会主義にノーと言ったのは、マルクスの唱える「科学的社会主義」こそが空想的社会主義であり、現実に即さないものであることを本能的に見抜いていたからかもしれないのである。もっとも、ソ連にせよ中国にせよ、マルクスの社会主義でもレーニンの社会主義でもなく、その時その時の国情に合わせた土着的社会主義であっただろうが。


 ともあれ、人間は理性や論理よりも直感や本能で判断し、行動するものであり、ある種のアメーバーのようなものである。その本能的部分に訴えることができた為政者が人民を思いのままに動かしてきたのであろう。その良い方の一例を挙げれば、アメリカの独立戦争(これは米植民地のイギリスに対する革命であったが、この戦争を革命として捉えている人間は少ない。なぜなら、革命が正義であることを認めることは、為政者や支配階級にとって都合の悪いことなので、アメリカの歴史の中ですらこの独立戦争は非常に軽視され、ハリウッド映画などが独立戦争をテーマにした映画を作ることも滅多に無いのである。これまで一本か二本くらいしか無いのではないだろうか。同様に、フランス革命もハリウッド映画では取り上げられない。)の時の、パトリック・ヘンリーの「我に自由を与えよ。しからずんば死を与えよ」という言葉である。この言葉は、あるいはそれ以外の無数の物理的条件以上に、アメリカの勝利に貢献した言葉かもしれないのだ。


 一つの言葉は、時には人間を死地に飛び込ませる力を持つものだ。つまり、人間は本能に動かされるばかりでなく、観念のためにでも死ねる奇妙な存在だが、しかし人を動かすその観念なるものは、通常はごく単純な一言なのである。天草のキリシタン一揆にせよ、信長がてこずった石山本願寺の戦いにせよ、信徒たちは宗教の教義や来世の観念について深く知っていたわけではないだろう。今、パレスチナで戦っているイスラム教徒やユダヤ教徒を動かす力も、この人間の奇妙な単純さを考えなければ理解はできない。


 もう一度確認しておこう。人間は論理よりも感覚的、直感的判断で行動するものである。そして、その判断は、些細な言葉の持つイメージによって大きく左右されるものである。世の中のレッテル的言葉というものは我々の行動を決定する大きな働きを持つものであり、我々はそういう言葉の存在に常に気をつけなければならない。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



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