だが、学校の先生すら、「経済問題から南北戦争は起こった」とは生徒に教えていないだろう。こうした(ある意味洗脳的な)教え方が「正しい戦争、正義の戦争もある」という意識を子供の頭に刷り込んでいる、と私は思う。まず教師が学校教科書以外の見方をよく自分自身で勉強したうえで、生徒に教えてほしいものだが、だが、そうすると生徒は入試で失敗することになるから、どうしようもない。教科書や教育というものは入試と連動するから厄介なのである。
さて、話は変わるが、「非正規社員」は聞こえが悪いから呼び方を変えよう、という声が自民党内部から上がっているようだが、下の記事がその参考になる。
南部の奴隷制度は「固定労働力」で、北部が奴隷制度廃止を求めたのは、「流動的労働力」、つまり「いつでも首にできる労働者」を求めたのだ、と書いてあるのだが、これはまさしく現在の日本の正社員と派遣社員に該当するではないか。会社が固定的に飼っている奴隷が正社員、会社が必要な時に雇用し、不要になれば首にできる奴隷が派遣社員だ。
というわけで、正社員は「固定奴隷」、派遣社員は「流動的奴隷」と呼ぶのはどうか。
(以下引用)
アメリカの南北戦争の起こった理由について。
アメリカの南北戦争の起こった理由について。
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北部と南部の奴隷問題で南北戦争が起こったと一説には定義されていますが
真実はもっと深い問題があったのではないでしょうか。 お願いします。
補足たいへん勉強になりました。 今後ともお願いします。
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ベストアンサーに選ばれた回答
南北戦争における奴隷問題とは、資本家(白人)にとっての労働者(黒人)の雇用形態の問題で、人道問題ではない。
実に切実な経済問題だったのだ。
南部は農業(綿花)中心だったが、機械化が進む前の大規模農業は沢山の人手が必要だった。
そして農業の場合、農地の大きさは基本的に変化しないから、毎年、同じ数の労働者が必要だった。
しかも綿花市場は、イギリスが産業革命で繊維産業を大きく成長させていたので、買い手には全く困っていなかった。
奴隷制とは、労働者を囲い込むことだ。毎年同じ数の労働者を確保するという意味で、奴隷制は最適だったのだ。
しかも奴隷には衣食住さえ与えていればよく、給料を払う必要はなかった。(少なくとも高額の給料は不要)
一方の北部は、イギリスとの戦争の結果、イギリスからの工業製品輸入がストップしたこともあり、自前で工業製品を造らざるをえなくなったため、急速に工業が発展していた。工業とは、最近の期間工や派遣切りでわかるように、景気の良いときは人手をより多く必要とするが、暇な時は出来ることなら労働者を解雇しなければやって行けない。
南北戦争前の北部は、急速に工業を発展させていたため、新たな労働力を必要としていたのだ。しかし、不景気の場合を考えると、労働力は欲しいが、何時でも首を切れる状態にしておきたかった。
これを労働力の流動化という。
前述の通り、奴隷制とは、労働力の固定化で、原則として奴隷の首は切れない。工業には不向きな雇用形態だったのだ。
なにしろ、奴隷には給料を払わなくて良いとはいえ、衣食住は与え続けなくてはいけない。
不景気な時にそんなことをしたらたちまち倒産しかねないのだ。
だから北部工業州の多くが奴隷解放に動いた。米国の奴隷解放とは、このように人道上の問題でも人種差別問題でもなかったのだ。
そして発展途上で、さらなる労働力を必要としていた北部は、南部の黒人奴隷を狙ったのだ。だから南部にも奴隷解放を迫った。
リンカーンが奴隷解放を訴えて大統領選に出馬したのは、そういう北部工業州の資本家の支持を得たいがためであるし、当選したのもリンカーンの思惑通り、彼等が後押ししたからだ。
そして、上院も奴隷解放派の議員が多数を占めることが確実になったとき、奴隷達が大挙して北部に移りかねないことに危機感を抱いた南部の大農園主たちが主導して合衆国離脱を図り、そうはさせずと立ち上がった北部とで南北戦争が勃発したわけだ。
このように奴隷問題には、非常に深い真実があったということだ。
結局、解放された黒人奴隷達は、景気の良い時には恐ろしく安い給料で働かされ、不景気の時には職を失って衣食住もままならないという、実態だけをみれば、奴隷時代に比べても悲惨な生活を送らざるを得ないはめに追い込まれてしまった。
黒人の犯罪率が激増したのも、そういう奴隷時代以上に悲惨な生活実態が原因なのだ。
ちなみにbpcbj848さんの自由・保護の話は逆だ。
イギリスに綿花を売りまくっていた南部が自由貿易を主張し、新興工業国でコスト高だった北部が、先進国でコスト安のイギリスに対し 保護貿易を主張していたのだ。