「hatena blog」から転載。
私は、偽善というのは嫌いではない。というより、ある程度の偽善(子供に「嘘をついてはいけません」と教えるような。)はこの世界の秩序を保つためには必要なものだ、とすら思っているのだが、図々しい偽善、偽善によって自分が有利になるように振舞う人間は大嫌いであり、まして偽善をビジネスの世界に持ち込む人間は社会の害虫だと思っている。
たとえば、今でも漫画家や小説家の世界では、原稿料の金額を仕事に先立って決める習慣が無い、と聞いたことがある。つまり、「金の話をするのはみっともない」という感覚が何となく存在し、その事によって出版社有利の取引が永続的に続いているわけだろう。
この「金の話をするのはみっともない」に近いのが、「これこれの仕事は聖職だから、仕事をすべてに優先させ、私生活は犠牲にしても当然だ」という風潮だ。これが、その「聖職」を運営する経営者側にとって、いかに有利な風潮であるかはすぐに分かるだろう。だが、実際にその風潮に表立って文句を言える人間はほとんどいない。これが「空気に支配された社会」の姿である。某ワタミのように、おそらくブラック企業ほど、「滅私奉公」を美徳とする社内の空気があるのではないか。そして、ブラック企業の経営者は従業者をこき使い、使い捨てにするのだろうが、社内の人間はそれに文句も言えない、というのがこの日本社会だろう。
ブラック企業には限らない。
偽善は、いわば日本の「昼の世界のテンプレート(基本形式)」だとも言える。
「医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、
「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、
医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活のために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。
「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。」
滅私奉公する人間が職場にいると、それがその職場の標準とされ、他の人間が迷惑する、ということもある。日本人があまりに勤勉だったために、その影響で欧米の勤労者の仕事のハードルが上げられ、日本人が文句を言われた、ということもあった。どこまでが「適正な仕事」か、どこからが「やりすぎ」か、いつもいつも雇用者の側から考えるのではなく、被雇用者側の主張もするべきだろう。とは言っても、一億総非正規雇用時代に向かっている今となっては、既に遅すぎたのだろうが。
(以下引用)
水商売をしていました。看護師になりました。
2015-06-16
看護師になって2ヶ月半、水商売に戻りたいと思う理由
水商売を卒業し、総合病院の新人看護師となって2ヶ月半が経ちました。
そこそこ良好な人間関係の部署の中、厳しいながらも熱心なプリセプターさんに指導していただいて、理不尽に怒鳴られることなく、優しい先輩方がしょっちゅう「困ってることない?大丈夫?」と声をかけてくださって、楽しい同期達が休前日になると私の家に泊まりにくる、この上なく恵まれた社会人人生を送っています。
恵まれているのはよくよく分かっている生活の中、ついぼんやりと毎日のように考えてしまうのが、水商売への復帰だったり。
夜の仕事は好きではあったけど、あくまでお金が必要だから働いていただけの筈で、「大学卒業するまでだから」と自分に言い聞かせながら頑張っていた筈。
もう二度と指名数のノルマと売り上げに追われる必要もなければナンバー争いの女同士のごたごたで靴やドレスがなくなる心配もなければ某掲示板サイトで「枕しかできないブス」と書かれる不快さもなければ(枕営業はしない主義だった)気持ち悪いおじさんとキスする必要も無い今のシチュエーションはほぼ理想的な状態だというのに、
戻りたいなんてどうして思ってしまうのだろうかと考えた結果、今はまだ夜の世界と昼の世界のギャップに順応できていないから、馴染みの環境に逃避してしまいたいのだと感じたので、
昼の仕事に慣れて風化する前に書き留めておきたい今の感情。
まず、夜の仕事の居心地の良さは、働いている人同士が余計なプライベートに突っ込んでこないところにありました。
看護師の方々の、昼休みの会話の中で先日出たのが「高校生の時に何をしていたか」という話。
「部活ばっかりだった」「初めて彼氏ができた」といった、ごくごくテンプレート的な思い出話が飛び交う中、ろくでもない高校生生活をしていた私は何と言えば良いかわからずにだいぶ居心地が悪かったり。
少なくとも私が夜の仕事をしていた時に、付き合いが長いわけでもないのにそんなことを聞いてくる女の子はいませんでした。
だって、目の前の女の子は高校時代は援助交際に生きていたかもしれないし、不登校だったかもしれないし、高校中退かもしれないし。
どんな人がいるか分からないことが前提の夜の世界で、デリケートな思春期の話題なんていう地雷をわざわざ踏み出す人はよっぽど空気が読めないか、お客様が青春時代の武勇伝を語りたがってる時くらいです。
昼の世界にだってどんな人がいるかわからないじゃない…と思うのですが、どうして彼女たちは、10代後半は学校に行って、部活や恋愛をする高校生生活を全ての人が送っていると思い込んでいるのでしょうか。
2つ目は、昼の世界の人達のコミュニケーションはとにかく無駄が多い。
部署の延々と続く飲み会やら旅行(しかも自分がお金払わなきゃいけない)やら、何のためにこれやってるの?と聞きたくなってしまいます。
水商売時代のお店の女の子達との飲み会は、「本当は仕事なんてせずに寝ていたいけれど生きてくためには稼がなきゃいけないんだよね」が前提のパートナーとしての関係だったので、別に誰が来ようと来まいと周りは気にしなかったし、そもそもそこまで他人のこと気にしていないし。お客さん取った取らないの争いの末にドレス捨てられたけど。
少なくとも私にとってお店の女の子と飲むことは、指名のお客様のヘルプ(自分がお客様の席につけない時や、お客様が初めてご来店の方を連れてきてくださった時に一緒に席に着く)の女の子がこれからも丁寧に接客してくれるよう普段のお礼を言ったり、逆に私の指名が少ない時にいつもヘルプとして呼んでくれていた先輩にもお礼を言って、また一緒に座らせていただけるように手配することでした。
それが今となってはどうだ。昔ながらの飲みにけーしょん?を否定する気は無くとも、「上司に誘われたなら一緒に飲みにいくべきだろう」をそのまま受け入れるのは賢くないというか、どうせ行くならせめて新人側であれば
「上司と飲む席で『自分は要領が良いわけじゃないから仕事はそんなにテキパキできないけど、決してやる気がないわけではないのよ』という可愛らしさを不自然じゃないくらいにアピールして周りに寛容になっていただくついでに質問しやすい先輩を増やす」
程度の目標を、上司側であれば
「新人の性格とキャパシティを掴んで効率よく覚えられるような仕事の振り方の参考にして、ついでにモチベーションも上げさせて多少給料が低くても辞めないように手配する」
くらいの目的を持っていた方がちょっとした緊張感でその場にいる方々への気遣いはしやすくなるし、効率的だし、ご自身にとってもだらだらと会話を繋げるよりずっと楽なんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。
「そんな下心だらけのコミュニケーションなんて不健全だ!」と怒られそうではありますが、全員が強烈な目的意識を持ってその部署に集まっているわけでもなく、多くの人が生活の手段として仕事をしているようなタイプの職場で無理に表面的に仲良しのフリして裏で悪口を言い合っている方がよっぽど不健全でしょうと思ってしまいます。それでも続く飲み会文化、誰が得をするのか本当に分かりません。
3つ目は、昼職全体がそうなのか医療業界に限った話かは分からないのですが、「お金のために働いている」と言えないこと。
今の病院に入職した時、「貴方達は看護師になったんだから、これからは人の命のために、休みの日も自分でお金を払ってでも学会へ行き、知識と経験を積み重ねるのです!」と偉い人が話していた時に真っ先に「いや出張扱いにしろよ」と心の中で突っ込んだのはきっと私だけでは無いはず。
他の部署に配属された同期が「この前うちの師長、日勤の看護師集めて夕方5時からみんなで掃除し出して帰り夜8時だし残業代つかないの!信じらんない!『皆が働きやすいナースステーションにしましょう!これはボランティアです!』じゃねえよ!金払えよ!」とキレていたのは至極まっとうな感覚のはず。
医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、
「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、
医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活ために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。
「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。
それでも私が何やかんや看護師を辞めないのは、今の状況で夜の仕事に戻ったところで何のキャリアもなく35歳を超えてしまったら次に仕事に就くことができなくなるという危機感と、他人に言える仕事をしている安心感と、ろくでもない私が正規雇用で働けていることへの感動と、社会保障に守られていたいからと、そしてやっぱり看護師として患者様と関わるのが楽しいからです。
だらだらと書き連ねてみましたが、昼の世界の統率にはある程度共有する思想やコミュニケーションのテンプレートが必要で、それがただ単に夜の世界の情緒と噛み合わないというだけの話で、夜の世界が絶対的に素晴らしいとは思いません。あと数ヶ月もすれば私も昼の仕事の感覚に慣れて何も感じなくなるでしょう。
それでも、過去に自分が存在していたとてつもなく受け皿の広い世界の良い面の感覚を少しでも昼の世界で居心地の悪さを感じている誰かのために持ち込んでいくことができるよう、せめて今はまだ夜の感覚を忘れずにいたいなと椎名林檎を聞きながら思う次第です。
依里楓 (id:erikaede020) 5日前
私は、偽善というのは嫌いではない。というより、ある程度の偽善(子供に「嘘をついてはいけません」と教えるような。)はこの世界の秩序を保つためには必要なものだ、とすら思っているのだが、図々しい偽善、偽善によって自分が有利になるように振舞う人間は大嫌いであり、まして偽善をビジネスの世界に持ち込む人間は社会の害虫だと思っている。
たとえば、今でも漫画家や小説家の世界では、原稿料の金額を仕事に先立って決める習慣が無い、と聞いたことがある。つまり、「金の話をするのはみっともない」という感覚が何となく存在し、その事によって出版社有利の取引が永続的に続いているわけだろう。
この「金の話をするのはみっともない」に近いのが、「これこれの仕事は聖職だから、仕事をすべてに優先させ、私生活は犠牲にしても当然だ」という風潮だ。これが、その「聖職」を運営する経営者側にとって、いかに有利な風潮であるかはすぐに分かるだろう。だが、実際にその風潮に表立って文句を言える人間はほとんどいない。これが「空気に支配された社会」の姿である。某ワタミのように、おそらくブラック企業ほど、「滅私奉公」を美徳とする社内の空気があるのではないか。そして、ブラック企業の経営者は従業者をこき使い、使い捨てにするのだろうが、社内の人間はそれに文句も言えない、というのがこの日本社会だろう。
ブラック企業には限らない。
偽善は、いわば日本の「昼の世界のテンプレート(基本形式)」だとも言える。
「医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、
「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、
医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活のために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。
「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。」
滅私奉公する人間が職場にいると、それがその職場の標準とされ、他の人間が迷惑する、ということもある。日本人があまりに勤勉だったために、その影響で欧米の勤労者の仕事のハードルが上げられ、日本人が文句を言われた、ということもあった。どこまでが「適正な仕事」か、どこからが「やりすぎ」か、いつもいつも雇用者の側から考えるのではなく、被雇用者側の主張もするべきだろう。とは言っても、一億総非正規雇用時代に向かっている今となっては、既に遅すぎたのだろうが。
(以下引用)
水商売をしていました。看護師になりました。
2015-06-16
看護師になって2ヶ月半、水商売に戻りたいと思う理由
水商売を卒業し、総合病院の新人看護師となって2ヶ月半が経ちました。
そこそこ良好な人間関係の部署の中、厳しいながらも熱心なプリセプターさんに指導していただいて、理不尽に怒鳴られることなく、優しい先輩方がしょっちゅう「困ってることない?大丈夫?」と声をかけてくださって、楽しい同期達が休前日になると私の家に泊まりにくる、この上なく恵まれた社会人人生を送っています。
恵まれているのはよくよく分かっている生活の中、ついぼんやりと毎日のように考えてしまうのが、水商売への復帰だったり。
夜の仕事は好きではあったけど、あくまでお金が必要だから働いていただけの筈で、「大学卒業するまでだから」と自分に言い聞かせながら頑張っていた筈。
もう二度と指名数のノルマと売り上げに追われる必要もなければナンバー争いの女同士のごたごたで靴やドレスがなくなる心配もなければ某掲示板サイトで「枕しかできないブス」と書かれる不快さもなければ(枕営業はしない主義だった)気持ち悪いおじさんとキスする必要も無い今のシチュエーションはほぼ理想的な状態だというのに、
戻りたいなんてどうして思ってしまうのだろうかと考えた結果、今はまだ夜の世界と昼の世界のギャップに順応できていないから、馴染みの環境に逃避してしまいたいのだと感じたので、
昼の仕事に慣れて風化する前に書き留めておきたい今の感情。
まず、夜の仕事の居心地の良さは、働いている人同士が余計なプライベートに突っ込んでこないところにありました。
看護師の方々の、昼休みの会話の中で先日出たのが「高校生の時に何をしていたか」という話。
「部活ばっかりだった」「初めて彼氏ができた」といった、ごくごくテンプレート的な思い出話が飛び交う中、ろくでもない高校生生活をしていた私は何と言えば良いかわからずにだいぶ居心地が悪かったり。
少なくとも私が夜の仕事をしていた時に、付き合いが長いわけでもないのにそんなことを聞いてくる女の子はいませんでした。
だって、目の前の女の子は高校時代は援助交際に生きていたかもしれないし、不登校だったかもしれないし、高校中退かもしれないし。
どんな人がいるか分からないことが前提の夜の世界で、デリケートな思春期の話題なんていう地雷をわざわざ踏み出す人はよっぽど空気が読めないか、お客様が青春時代の武勇伝を語りたがってる時くらいです。
昼の世界にだってどんな人がいるかわからないじゃない…と思うのですが、どうして彼女たちは、10代後半は学校に行って、部活や恋愛をする高校生生活を全ての人が送っていると思い込んでいるのでしょうか。
2つ目は、昼の世界の人達のコミュニケーションはとにかく無駄が多い。
部署の延々と続く飲み会やら旅行(しかも自分がお金払わなきゃいけない)やら、何のためにこれやってるの?と聞きたくなってしまいます。
水商売時代のお店の女の子達との飲み会は、「本当は仕事なんてせずに寝ていたいけれど生きてくためには稼がなきゃいけないんだよね」が前提のパートナーとしての関係だったので、別に誰が来ようと来まいと周りは気にしなかったし、そもそもそこまで他人のこと気にしていないし。お客さん取った取らないの争いの末にドレス捨てられたけど。
少なくとも私にとってお店の女の子と飲むことは、指名のお客様のヘルプ(自分がお客様の席につけない時や、お客様が初めてご来店の方を連れてきてくださった時に一緒に席に着く)の女の子がこれからも丁寧に接客してくれるよう普段のお礼を言ったり、逆に私の指名が少ない時にいつもヘルプとして呼んでくれていた先輩にもお礼を言って、また一緒に座らせていただけるように手配することでした。
それが今となってはどうだ。昔ながらの飲みにけーしょん?を否定する気は無くとも、「上司に誘われたなら一緒に飲みにいくべきだろう」をそのまま受け入れるのは賢くないというか、どうせ行くならせめて新人側であれば
「上司と飲む席で『自分は要領が良いわけじゃないから仕事はそんなにテキパキできないけど、決してやる気がないわけではないのよ』という可愛らしさを不自然じゃないくらいにアピールして周りに寛容になっていただくついでに質問しやすい先輩を増やす」
程度の目標を、上司側であれば
「新人の性格とキャパシティを掴んで効率よく覚えられるような仕事の振り方の参考にして、ついでにモチベーションも上げさせて多少給料が低くても辞めないように手配する」
くらいの目的を持っていた方がちょっとした緊張感でその場にいる方々への気遣いはしやすくなるし、効率的だし、ご自身にとってもだらだらと会話を繋げるよりずっと楽なんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。
「そんな下心だらけのコミュニケーションなんて不健全だ!」と怒られそうではありますが、全員が強烈な目的意識を持ってその部署に集まっているわけでもなく、多くの人が生活の手段として仕事をしているようなタイプの職場で無理に表面的に仲良しのフリして裏で悪口を言い合っている方がよっぽど不健全でしょうと思ってしまいます。それでも続く飲み会文化、誰が得をするのか本当に分かりません。
3つ目は、昼職全体がそうなのか医療業界に限った話かは分からないのですが、「お金のために働いている」と言えないこと。
今の病院に入職した時、「貴方達は看護師になったんだから、これからは人の命のために、休みの日も自分でお金を払ってでも学会へ行き、知識と経験を積み重ねるのです!」と偉い人が話していた時に真っ先に「いや出張扱いにしろよ」と心の中で突っ込んだのはきっと私だけでは無いはず。
他の部署に配属された同期が「この前うちの師長、日勤の看護師集めて夕方5時からみんなで掃除し出して帰り夜8時だし残業代つかないの!信じらんない!『皆が働きやすいナースステーションにしましょう!これはボランティアです!』じゃねえよ!金払えよ!」とキレていたのは至極まっとうな感覚のはず。
医療という現場で、オンオフが見えなくなるくらい夢中になって人の命と向き合うのは素晴らしいことだと思いますし、私自身考え始めると夢の中まで患者様が出てくるタイプではあるのですが、
「人の命」というざっくりと大きなものと毎日接しているからといってその考え方がさも崇高なものであるように感じるのは勘違いも甚だしいというか、
医療なんて大きな業界なのだから自分自身や家庭の生活ために、心の中では嫌々ながら働いている人もきっといるであろうに、そういった人達に対して排除的なのは、この万年人手不足の業界では自分達の首を絞めることに繋がる気がします。おカネのために働いているからといって仕事ができない・やる気がないなんていうものでも無いですし。
「皆で病棟にだらだらと居座って疲れ目をこすって勉強して患者様のために頑張りましょう」が「今日も定時で帰れるようきっちり情報共有してきっちり仕事こなしていきましょう」より美しく響く社会、いまいち理解できません。
それでも私が何やかんや看護師を辞めないのは、今の状況で夜の仕事に戻ったところで何のキャリアもなく35歳を超えてしまったら次に仕事に就くことができなくなるという危機感と、他人に言える仕事をしている安心感と、ろくでもない私が正規雇用で働けていることへの感動と、社会保障に守られていたいからと、そしてやっぱり看護師として患者様と関わるのが楽しいからです。
だらだらと書き連ねてみましたが、昼の世界の統率にはある程度共有する思想やコミュニケーションのテンプレートが必要で、それがただ単に夜の世界の情緒と噛み合わないというだけの話で、夜の世界が絶対的に素晴らしいとは思いません。あと数ヶ月もすれば私も昼の仕事の感覚に慣れて何も感じなくなるでしょう。
それでも、過去に自分が存在していたとてつもなく受け皿の広い世界の良い面の感覚を少しでも昼の世界で居心地の悪さを感じている誰かのために持ち込んでいくことができるよう、せめて今はまだ夜の感覚を忘れずにいたいなと椎名林檎を聞きながら思う次第です。
依里楓 (id:erikaede020) 5日前
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