「世に倦む日々」のマルキシズム礼賛の記事だが、「資本論」を1ページも読んだことのない私にはこれを読んでもマルキシズムとは何か、そのどこが賞賛すべきところなのか、ひとつも分からない。つまり、無学な大衆を動かす力がまったく無い文章だろう。世に倦む氏のアカデミズムファン思想しか匂わない。かえって「象牙の塔」の虚妄性が漂っている。何となくphony(phoney)という言葉を思い出した。
(以下引用)
キリストは2000年の歴史を超えて生き、ヨーロッパの政党に名前を冠されている。マルクスは175年の歴史しかない。共産党とはマルクス党の代名詞である。ブログで何度も論じてきたように、社会主義の理念や思想が簡単に地上から消えないのは、資本主義が消えないからである。資本主義が生き続ける限り、資本主義を否定し、超克し、改造しようとする営みを人類は止むことなく続けざるを得ない。資本主義(新自由主義)の矛盾を解決する方策と展望を求めて真剣に模索する。そのとき、最も核心を衝く理論と哲学を与えているのがマルクスで、今までのところマルクス以上によく資本主義のシステムを分析し批判した知識人はいない。だからマルクスが選ばれる。学ばざるを得ない。不滅なのだ。鈴木元や松竹伸幸が言うように、既成政党が生き残りのためにマルクスの共産主義を捨てるのは簡単だが、捨てればきっと拾う者が出る。
■ 資本主義が繁栄するかぎりマルクスは不滅
資本主義が地上を支配し続けるかぎり、マルクスは永久に古くならない。格差と貧困と環境破壊の矛盾が拡大し続けるかぎり、人はマルクスを手に取り、根本的な問題解決の知恵と示唆を得ようとする。資本主義批判の概念を学び、資本主義を転覆した理想の地平を夢見た19世紀ヨーロッパの革命的ロマンティシズムに接近する。近代市民革命の情熱と精神に触れて興奮する。この理論的所産と思想的挑戦をどうやって21世紀の世界で生かせるか、モディファイし工夫を凝らせるかを考える。アメリカの大学で、マルクスをプラトンの次に重要な古典に位置づけて学ばせているのは、マルクスが西洋政治思想史の準嫡流だからであり、自分たちの大事な思想資産だからである。20世紀の世界史を作った思想的主役がマルクスだからだ。マルクスを読まないと何も分からない。アーレントを読んでも意味が分からない。
鈴木元や松竹伸幸の話を聞いていると、志位和夫や執行部もそうだが、目先の選挙でどうやって票を増やすかという問題意識でしか党の課題を考えてない。商品が売れなくなり経営が苦しくなった会社が、どうやって潰れずに生き残るかに夢中になり、ああだこうだと責任転嫁しているのと同じで、近視眼的にしか問題を見ていない。右傾化し痴呆化し隷米化する大衆世論とマスコミに迎合し、そこに阿諛して目先の票をもらうことしか考えてない。鈴木元と松竹伸幸は、さらにそれを私的な稼ぎと一儲けのネタにしようとしているから悪質だ。自分たちの政党の理念が、現状の社会の原理を根本から否定しているのだという基本的立場を忘れている。体制と価値観が違うということ、価値観の対立と競争で勝たないといけないということを忘れている。つまり、党員たる者の信念が失われている。キリストの弟子たちのように非転向で殉教して斃れた伊藤千代子や高橋とみ子を忘れている。
■ 米国と英国の Marxism の学生たち
ネットを検索すると、アメリカの若い社会主義者や共産主義者が集会し活動している写真が出現する。英国で Marxist Student Federation という横断幕を掲げて行進している大学生の姿がある。全英各地でイベントを開き、研究と交流を活発にやっている。アメリカの若者も同じだが、彼らの表情が明るいのが目立つ。アメリカも英国も、事情は日本と同じだろうから、社会主義・共産主義を取り巻く空気は重く厳しいだろう。アメリカは中国と戦争間際の状況にあり、尚の事、反動と監視の締めつけは強いに違いない。この思想に共鳴すると後ろ指をさされる環境にあるだろう。就職に不利になるだろう。けれども、日本と違って彼らの顔が前向きで明るい。堂々と顔を出して示威表現している。175年前の30歳のマルクスと同じ意気軒高な顔をしている。世界を根底から変革し、弱者を解放するぞという純粋な意気が漂っている。
同時に、一人一人がインテリ青年に見える。『資本論』を読んでいる学生だ。マルクスは難しい。『資本論』だけでなく『経済学哲学草稿』も『ドイツ・イデオロギー』も難しい。彼らは難解な理論体系の習得に取り組んで消化の途上にあり、その知的な自信なり満足感が顔に出ている。マルクス青年というのはこんな感じだ。昔の日本もこうだった。今の日本には、英国の Marxist Student Federation やアメリカの International Marxist Tendency のような若者の絵がない。こうした写真を見ると、日本で共産党の周辺で野良犬のようにうろつき、毎日毎晩、誹謗中傷と罵倒と恫喝と詭弁ばかり垂れている薄汚いしばき隊と対比され、何と風景が違うのだろうと思う。日本の左翼は愚劣で野蛮な連中しかおらず、暴力しか能のないしばき隊が左翼の主役のように振る舞っている。「学者」の肩書の者もいるが、マルクスの著作など1ページも読んだことはないだろう。鈴木元や松竹伸幸の跳梁もむべなるかなだ。