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「いじめ問題」は簡単に解決できる

「いじめ問題」について考察するが、先に某スレッドのコメントの一部を転載する。最初のコメントは半分冗談だろうが、真実性もある。
私の主張の中心はコメント68と同じで、前にもこのことは書いてある。考察はその妥当性の検討である。

(以下引用)

[22]
教育学部で「いじめは無くせない」って主張したら
「いじめは無くせる」派の人たちにいじめられたって話思い出した

[27]
>>22

いじめてきそうやなw

[68]
一番ええのはクラス分けとかせんのがええんやろな
取り敢えず社会に出るまではこれでかなり解消出来ると思うわ

[82]
なんでいじめることを楽しいと思う人おるんやろな
(引用終わり。以下考察)

学校におけるいじめを無くすのは簡単で、前に私も書き、コメント68でも言うように、「クラス分けをしなければいい」というだけの話である。というのは、いじめは普通の犯罪とは異なり「閉鎖集団」内で起こるという大原則があるからだ。だから刑務所でも起こるし会社でも起こる。また部活でも起こる。これらはすべて「閉鎖集団」なのである。(クラス分けによる「閉鎖集団化」がいじめの主原因だ、と推定できるのは、クラス分けの無い大学という場ではいじめはほとんど無いからだ。ただし、そこでは人間関係の希薄化による「人間の孤島化」も起こる。)
刑務所や会社や部活は閉鎖集団であることが原則だから仕方が無いとしても、学校の「クラス分け」はその気になれば即座に無くせるのである。では、なぜそれをしないのか。

それは第一に、「いじめは閉鎖集団の中で起こる」という認識が社会に浸透していないからであり、第二に「クラス分けを無くすことが、学校運営上不都合だと考える人々がいる」からである。この第二の理由はナンセンスなのだが、「子供⇒学級担任⇒学年担任⇒教頭⇒校長」という学校内ヒエラルキーを絶対的なものと考える連中がいるのだろう。ということは、この思想は主に校長とか教頭などの「支配階級」の思想だろうと推定できる。

ここでの問題の中心課題ではないが、いじめはなぜ起こるのか、という問題について言えば、第一に「学校という場と教育内容が子供に過度なストレスを与える」ことだろう。学校という場に適応している子供は基本的にいじめをしないはずだ。いじめをするのは学校という場に適応していない人間の中で暴力的傾向や残酷性のある子供だろうと私は推測する。要するに、現在の教育内容が子供にはまったく面白くないということだ。とすれば、1日6時間から8時間も椅子に座って面白くもない話を聞かされ、面白くもない問題を解かされ、それで評価されランク付けされるということがいかに不快なものか分かる。その授業内容が楽に理解でき、問題を解くのも楽しいという人間がいじめをするだろうか。
第二に、「現代社会はすべての場面でランク付けを行っている」ということだ。別の言い方をすれば、「競争と勝敗が当然視されている社会」なのである。その競争で勝った人間が自分を誇り、負けた相手を見下すのは当然すぎるほど当然の話だろう。いやそうではない、という偽善的な反論は私は相手にしない。
そして、学校とは絶え間ない競争とランク付けの場であるわけだ。そこでいじめが発生しないほうが不思議だろう。しかも、明確な競争が無い場面でもお互いのランク付けが常にあるのである。女生徒なら化粧が上手い、服装が洒落ているなど。男生徒なら喧嘩が強い(強そう)、話が面白いなど。概して陽性の人間(陽キャラ)はランクが高く、陰性の人間(陰キャラ)はランクが低い。そしていじめは高位のランクの者が低位のランクの者に行う「ストレス解消の遊び」なのである。「いじめが上手い」というのもクラス内ヒエラルキーの上位ポイントだろう。

以上に書いた「いじめの法則」は「閉鎖集団で起こる」という大原則がある。
とすれば、小学校・中学校・高校での「クラス分け」を無くす、というのがいじめを無くす最大最良の提案であるのは論じるまでもないと思う。ただし、小学校低学年まではクラス分けをしてもいいかもしれない。それもせいぜい3年くらいまでだ。



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