「神州の泉」から転載。
「神州の泉」にたまに載る、あまりお堅くない記事だが、そういう記事にも書き手の鋭い知性と感性が現われていて、私は好きだ。大所高所から世間を叱咤する硬派な政治記事より好きかもしれない。
世間的常識(というより、現在の科学に押し付けられた見解)に囚われない柔軟性が、下の記事にはある。話の内容が複数の猫の眠る姿勢のシンクロという、どうでもいいような話なので、多くの人にスルーされる可能性が高いが、面白い問題である。
もちろん、精神感応(テレパシー)ではなく、ただ、同じ姿勢で寝る方が何となく安心する、という「猫文化」である、という解釈もできるが、そういう一見些細な問題を研究することから人類史を一変させる大発見が生まれる可能性も無いともかぎらないだろう。
まあ、私は猫の眠る姿は好きだし、彼らのシンクロした眠りポーズは、非常に漫画的で面白いので、これは彼らの人間へのサービス行為なのではないか、とすら思っている。彼らが人間の言うことを聞かないのも、あれは犬とは違った形でのサービスだろう。そのうち猫の思考を解読できる時代が来たら、ぜひ、彼らの思考を知りたいものである。
上記タイトルの「猫の下僕」とは、言うまでもなく私(人間)のことである。普段、下僕として扱っている人間に、眠るポーズで面白がらせるくらいのサービスはしてやろう、という有難いお志が、あの眠りポーズではないか、というのが私の推理だ。
(以下引用)
2013年11月 5日 (火)
眠りネコたちの奇妙な相似(ニャンコのシンクロナイズド・スリーピング)について
Photo_3
(画像はhttp://labaq.com/archives/51758746.htmlからお借りした。)
「眠り猫」といえば、日光東照宮にある左甚五郎(ひだり じんごろう)の彫刻作品を思い浮かべる方も多いだろう。
だから何だと言われても、それにちなんだことを書くつもりは全くない。(笑)
自分の飼いネコたちが、いつの間にか冒頭写真のポーズをとって相似形に寝ている光景をしばしば目にしている全国の飼い主さんたちも多いだろう。
さて、2匹のネコが、ほぼ同じ姿勢で寝ることであるが、これは特に珍しいものではない。
神州の泉は子どものころから、多くのネコを飼ってきたが、2匹のネコが同じ姿勢で寝ているところは何回も見てきた。
あるときは3匹のネコが全く同じ姿勢で寝ているのも見ている。
眠りネコたちの不思議な光景を見るたびに、これは何だろうか、どういうことがらがこのネコたちに同時に作用しているのだろうかと考えるのだが、全く分からないし手がかりもない。
同床異夢(どうしょういむ)という言葉はあるが、無邪気に寝入っている2匹のニャンコは同床同形、あるいは同床同期となっている。
このニャンコ・シンクロについては、決して偶然の産物ではなく、世界的にも広く見られ、しかもかなり頻繁な再現性がある。
だから、何らかの科学的な説明があっても然るべきであろう。
神州の泉は寡聞にして、これを的確に説明したものをまだ目にしていない。
この現象をまっとうに説明したものがどこかにあるのだろうか!?
では、不遜にも自分で仮説を立ててみる。
いきなり核心部に入る(笑)が、もしかしたら、ネコ同士には、非言語的なコミュニケーション通路が身体的にできあがっているのではないだろうか。
その通路は睡眠時にも開いていて、2匹(複数)のニャンコの身体が共有された状態にあるのではないだろうか。
こういうニャンコ・スリープのシンクロは、その手の仮説を設定しないと説明がつかない。
これは仲のよい犬とネコの間にも起きているようなので、動物には種を越える、何か共通の連携通路があると考えたほうがいいだろう。
まあ、むずかしく考えずとも、この現象は人間で言えばテレパシー (Telepathy) の一種だろう。
ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接他人に伝達される。
電話コールを耳にして、ある人物を思い浮かべたとき、当の本人からかかっていたなどということはよくあることだ。
超感覚的知覚 (ESP Extra-Sensory Perception) の一種。
人間界は、自然と乖離した人工環境なので、この原初的な伝達方式は衰えてしまっている。
だからこの手のテレパシックな情報共有を、超自然とか超能力と位置付けてしまっているのだが、案外、動物界では常態的にこの手段を使用している可能性は高い。
だから、スリーピング・ニャンコのシンクロ姿形は、睡眠時無意識の同時的な相互転写(そうごてんしゃ)ではないだろうか。
ネコ同士が眠りの状態を身体的にも共有する事実は、考えてみるとじつに不思議なことだが、動物たちにとってはそれがごく普通の“社会性”なのかもしれないのだ。
大胆なことを言うなら、動物たちは睡眠時に同種同属の動物や他の種類の動物たちとコミュニケーションを取っている可能性がある。
意外と、インターネットが発達するはるかな古代から、動物たちは、世界中に散在する動物たちによって形成された、情報のネットワークを共有していたのかもしれない。
この自然界には、人間が観察しているにもかかわらず、いまだに解明されていないことがかなり多いと思う。
と、以上のような神州の与太話はどうでもいいのだが、話の帰着点として、同じ格好になっているスリーピング・ニャンコはほんとうに可愛い。
「神州の泉」にたまに載る、あまりお堅くない記事だが、そういう記事にも書き手の鋭い知性と感性が現われていて、私は好きだ。大所高所から世間を叱咤する硬派な政治記事より好きかもしれない。
世間的常識(というより、現在の科学に押し付けられた見解)に囚われない柔軟性が、下の記事にはある。話の内容が複数の猫の眠る姿勢のシンクロという、どうでもいいような話なので、多くの人にスルーされる可能性が高いが、面白い問題である。
もちろん、精神感応(テレパシー)ではなく、ただ、同じ姿勢で寝る方が何となく安心する、という「猫文化」である、という解釈もできるが、そういう一見些細な問題を研究することから人類史を一変させる大発見が生まれる可能性も無いともかぎらないだろう。
まあ、私は猫の眠る姿は好きだし、彼らのシンクロした眠りポーズは、非常に漫画的で面白いので、これは彼らの人間へのサービス行為なのではないか、とすら思っている。彼らが人間の言うことを聞かないのも、あれは犬とは違った形でのサービスだろう。そのうち猫の思考を解読できる時代が来たら、ぜひ、彼らの思考を知りたいものである。
上記タイトルの「猫の下僕」とは、言うまでもなく私(人間)のことである。普段、下僕として扱っている人間に、眠るポーズで面白がらせるくらいのサービスはしてやろう、という有難いお志が、あの眠りポーズではないか、というのが私の推理だ。
(以下引用)
2013年11月 5日 (火)
眠りネコたちの奇妙な相似(ニャンコのシンクロナイズド・スリーピング)について
Photo_3
(画像はhttp://labaq.com/archives/51758746.htmlからお借りした。)
「眠り猫」といえば、日光東照宮にある左甚五郎(ひだり じんごろう)の彫刻作品を思い浮かべる方も多いだろう。
だから何だと言われても、それにちなんだことを書くつもりは全くない。(笑)
自分の飼いネコたちが、いつの間にか冒頭写真のポーズをとって相似形に寝ている光景をしばしば目にしている全国の飼い主さんたちも多いだろう。
さて、2匹のネコが、ほぼ同じ姿勢で寝ることであるが、これは特に珍しいものではない。
神州の泉は子どものころから、多くのネコを飼ってきたが、2匹のネコが同じ姿勢で寝ているところは何回も見てきた。
あるときは3匹のネコが全く同じ姿勢で寝ているのも見ている。
眠りネコたちの不思議な光景を見るたびに、これは何だろうか、どういうことがらがこのネコたちに同時に作用しているのだろうかと考えるのだが、全く分からないし手がかりもない。
同床異夢(どうしょういむ)という言葉はあるが、無邪気に寝入っている2匹のニャンコは同床同形、あるいは同床同期となっている。
このニャンコ・シンクロについては、決して偶然の産物ではなく、世界的にも広く見られ、しかもかなり頻繁な再現性がある。
だから、何らかの科学的な説明があっても然るべきであろう。
神州の泉は寡聞にして、これを的確に説明したものをまだ目にしていない。
この現象をまっとうに説明したものがどこかにあるのだろうか!?
では、不遜にも自分で仮説を立ててみる。
いきなり核心部に入る(笑)が、もしかしたら、ネコ同士には、非言語的なコミュニケーション通路が身体的にできあがっているのではないだろうか。
その通路は睡眠時にも開いていて、2匹(複数)のニャンコの身体が共有された状態にあるのではないだろうか。
こういうニャンコ・スリープのシンクロは、その手の仮説を設定しないと説明がつかない。
これは仲のよい犬とネコの間にも起きているようなので、動物には種を越える、何か共通の連携通路があると考えたほうがいいだろう。
まあ、むずかしく考えずとも、この現象は人間で言えばテレパシー (Telepathy) の一種だろう。
ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接他人に伝達される。
電話コールを耳にして、ある人物を思い浮かべたとき、当の本人からかかっていたなどということはよくあることだ。
超感覚的知覚 (ESP Extra-Sensory Perception) の一種。
人間界は、自然と乖離した人工環境なので、この原初的な伝達方式は衰えてしまっている。
だからこの手のテレパシックな情報共有を、超自然とか超能力と位置付けてしまっているのだが、案外、動物界では常態的にこの手段を使用している可能性は高い。
だから、スリーピング・ニャンコのシンクロ姿形は、睡眠時無意識の同時的な相互転写(そうごてんしゃ)ではないだろうか。
ネコ同士が眠りの状態を身体的にも共有する事実は、考えてみるとじつに不思議なことだが、動物たちにとってはそれがごく普通の“社会性”なのかもしれないのだ。
大胆なことを言うなら、動物たちは睡眠時に同種同属の動物や他の種類の動物たちとコミュニケーションを取っている可能性がある。
意外と、インターネットが発達するはるかな古代から、動物たちは、世界中に散在する動物たちによって形成された、情報のネットワークを共有していたのかもしれない。
この自然界には、人間が観察しているにもかかわらず、いまだに解明されていないことがかなり多いと思う。
と、以上のような神州の与太話はどうでもいいのだが、話の帰着点として、同じ格好になっているスリーピング・ニャンコはほんとうに可愛い。
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