◎様態・推量・推定
「明日は雨だろう。」の「う」、
「明日は雨になりそうだ。」の「そうだ」、
「明日は雨らしい。」の「らしい」
は、それぞれ「う=推量」、「そうだ=様態」、「らしい=推定」と文法上は区別されているが、その違いが分かるだろうか。
そもそも、これらの文法用語の意味が分からん、という人のために説明すれば、「推量」は「推し量る」ことで、「推測、推察」とほとんど同じ意味だが、文法用語としては「推量」を用いる。「様態」は「そのように見える」ということで、見えた様子の表現である。推量の要素もあるが、見えた様子を表現することに重点がある言い回しだ。「推定」は、「根拠のある推測」と考えればよい。
推量と推定の違いを分かりやすい形で示すと、
「明日は雨だろう」「何で?」「いや、何となく」
「明日は雨らしい」「何で?」「天気予報がそう言っていた」
という感じだ。つまり、推量は、根拠がどうであるかはあまり気にしない、無責任な推測とでも思えばいい。
なぜ「様態」が分かりにくく、間違いやすいかというと、「~そうだ」というあやふやな感じに我々は「推量」の印象を受けるからである。「そのように見える」という発言は、即座の断定とは異なり、見たものとその言語化の間にタイムラグがある。それが推察めいた印象になっているのだろう。しかし、
「雨になりそうだ」という発話の重点は、発話者の見た情景の説明にあり、発話者がそれを推察したことが言いたいわけではない。つまり、「この空模様は、雨になりそうだ」という趣旨を「雨になりそうだ」で表したのである。
「そうだ」が推量ではなく様態であることが明らかになるのは、たとえば
「彼は恥ずかしそうだ」という例文である。これは形容詞「恥ずかしい」の語幹に助動詞「そうだ」が付いたものだが、これを推量と思う人はいないだろう。明らかにこれは「彼は恥ずかしげに見える」ということだ。これを様態と言うのである。
「雨になりそうだ」の「そうだ」は様態であるから、これが「明日は雨になりそうだ」と未来のことを述べても推量にはならず、やはり「様態」として捉えることになる。つまり、「今見えている空模様は、明日が雨であることを示していると判断される」というのが「明日は雨になりそうだ」の意味なのであって、ここでも中心は、実は表面には出ていない現在の空模様の表現なのである。
「明日は雨だろう」の場合は、「う」という言葉で、発話内容が発話者の推量であることが示される。つまり、発話者がそう考えただけで、それが事実になるかどうかは分からない、ということだ。「明日は雨だ」と断定せずに「雨だろう」と言うことで、事実の記述ではない、ということが示されたわけだ。学生なら、ここで、「だろ」までが断定の助動詞「だ」の活用形であり、「だろ・う」と単語に分かれることに注意しておこう。
「明日は雨らしい」の場合は、明日は雨だと考えたことに何かの根拠があると前に書いたが、その根拠が書かれていない単独の文でもそれは成り立つ。たとえば、
「あいつは女だと思われていたが、どうやら男らしい」
という例文では、「あいつ」が男だと判断される事実が見つかっていることが、この一文の中に含意されているわけである。
もちろん「あいつは男らしい奴だ」の場合の「らしい」は「男らしい」という形容詞の語尾であり、これが推定の「らしい」でない事は明らかだろう。「あいつは男かもしれない奴だ」とか「あいつは男だと推定される奴だ」と解釈されたのでは、彼の男らしさが泣こうというものだ。