前に書いた、「ひとりの夜を短歌と遊ぼう」に出てきた歌で、専門歌人の歌だと思う(有名な歌らしい)のだが、非常に気に入ったのが、大西民子という人の次の歌である。
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか
まるでヨーロッパ映画(と言えば、当然フランス映画だが、それも20世紀までのフランス映画だ。)を見るような、しみじみとした抒情性に溢れた歌である。
当然、別れた男女が再会し、その男のほうは今は妻を得てユトレヒトに住んでいる、ということを聞いた後、その男と別れてひとりになった女性が雨の降る窓景色を見ての述懐だが、雨がこの上ない舞台背景になっている。現代の文学や映画に欠けているのが、こうした詩情である。(もっとも、私は真面目な文学は読まないから知らないだけで、あるいは村上春樹などにはこの種の詩情があるのかもしれない。)
雨は昔から抒情的なものである。「雨の朝パリに死す」と聞いただけで、なるほど、美しい死に方だ、と思ってしまうのは私だけではないだろう。
「ユトレヒト」という地名も絶妙であり、この歌には「ユトレヒト」以外は合わないだろうな、と思う。「かそけき」印象を与える名前だ。そういう音調の印象を感じるのは日本人だけだろうが。
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか
まるでヨーロッパ映画(と言えば、当然フランス映画だが、それも20世紀までのフランス映画だ。)を見るような、しみじみとした抒情性に溢れた歌である。
当然、別れた男女が再会し、その男のほうは今は妻を得てユトレヒトに住んでいる、ということを聞いた後、その男と別れてひとりになった女性が雨の降る窓景色を見ての述懐だが、雨がこの上ない舞台背景になっている。現代の文学や映画に欠けているのが、こうした詩情である。(もっとも、私は真面目な文学は読まないから知らないだけで、あるいは村上春樹などにはこの種の詩情があるのかもしれない。)
雨は昔から抒情的なものである。「雨の朝パリに死す」と聞いただけで、なるほど、美しい死に方だ、と思ってしまうのは私だけではないだろう。
「ユトレヒト」という地名も絶妙であり、この歌には「ユトレヒト」以外は合わないだろうな、と思う。「かそけき」印象を与える名前だ。そういう音調の印象を感じるのは日本人だけだろうが。
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