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日本人と「政治ドラマ」

前の記事で触れた「昇る太陽」の末尾である。わずか7章で、それぞれの章も短く、10分程度で読める作品だが、わりと出来がいいと自分では思っている。筆致が司馬遼太郎風であるのは、少し意識していたwww
なお、信長死後の秀吉の悪辣な天下取りの手腕については三谷幸喜が「清須会議」で見事に描いている。その映画版も小説版も非常に面白いのにまったく評判を聞かないのは残念である。
ほとんどの日本人はこういう「政治ドラマ」を好まないか、あるいは理解する能力が無いようだ。司馬作品のドラマ化でも一番面白い「関ヶ原」(TBS)は、大半が政治ドラマなので、こちらも傑作なのにまったく評判を聞かない。


昇る太陽 7

    七

 秀吉の凄みは、ここからの政治的手腕にある。あらゆる策謀によって自分を信長の後継者と周囲に認めさせ、それに従わぬ相手とは力で戦った。そして、彼は信長の事業を完成し、日本を統一した。彼は関白太政大臣となり、日本の支配者となった。
 乞食、浮浪者の身から日本の最高の地位に昇りつめた彼の一生は、人間の可能性というものについて、我々にある感慨と勇気を与える。もしも、人が望むなら、家柄や地位に最初から恵まれた人間でなくても、どこまでも昇っていけるのである。
 それは、長い歴史の中のある時期にのみ特有の現象だったかもしれない。しかし、秀吉は、ありとあらゆる社会の底辺にいる人間にとっての希望の象徴として輝き続けるだろう。
 天下人となってからの彼は、かつてのお市への恋慕の代償として、その娘のお茶々、後の淀君を側室に入れ、あらゆる漁色を尽くし、刀狩をして身分の固定化をはかり、意味不明の朝鮮出兵をするなど、後世から見れば批判の種となる様々な愚行をした。だが、人が権力を手に入れるのは、そういう好き勝手をする権利を手に入れるためだと考えるなら、そのような批判にはあまり意味はない。少なくとも、批判された当人は、ほんの僅かの痛痒も感じないだろう。
 とにかく、人は、本当に望むならどこまでも進めるものだということを示してみせただけでも、秀吉は讃えるべき存在だと言える。
 そして、彼があそこまで昇りつめたのは、実は、一つ一つの段階に於いて彼がいつも最善を尽くし、常に次の段階についての準備があったということを見落とすべきではない。
 秀吉が信長の草履取りをしていたということが事実かどうかはわからないが、その頃の彼が周囲の人間に次のような事を言っていたという伝説は、確かに彼の本質を示している。
「俺は、草履取りになるなら、日本一の草履取りになってみせる」

             「昇る太陽」完

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