「我が回想賦」というブログから転載。
ディアボロの歌という、浅草オペラの曲をユーチューブで探しているうちに、脱線して、こういう超ナツメロに行き着いたのだが、私はAKBとか何とかいうのには全く関心が無いのだが、なぜか、昔の歌、それも大正や明治の頃の歌が大好きなのである。
ところで、私はそれほどの老人ではないが、なぜか田谷力三の実物を見たことがある、というのが自慢の一つだ。しかも、それは日劇ミュージックホールの最後のステージを、「黒テント」の演出家(名前は失念)が演出した、いわば昭和の最後を象徴するような舞台の上でのことだったのである。つまり、大正演芸の最後の生き残りが、昭和の最後の舞台に出た、という稀有なステージの目撃者となったわけだ。しかも、私は演劇にまったく興味が無い人間で、その時も日劇ミュージックホールがこれで最後だから、見ておこう、という友人の誘いに乗せられて、渋々見たのである。それが一生の精神的財産になるのだから、人生とは不可思議なものである。
なお、「世は夢か幻か」のネタである野口男三郎事件について書かれた、ある推理小説があって、これもなかなか面白いのだが、おそらく今では入手不可能だろう。そういうものだ。題名もおそらく「(ああ)世は夢か幻か」であったと思う。(今、調べてみたが、おそらく鮎川哲也の「ああ世は夢か」だと思う。なんとなく、鮎川哲也の名前が思い浮かんでいたのだが、ピッタシカンカン(死語)だったようだ。)
なお、こういう、自分の生まれていなかった時代へのノスタルジーについては、「春の港に生まれた鳥は」という漫画が、一番ツボを抑えていると思う。作者は高野文子。
なお、「美しき天然」は、きれいに歌った歌よりも、ソウルフラワー・モノノケ・サミットという得体の知れないグループの歌うそれが、チンドン屋(ジンタ)の哀愁を感じさせて、面白い。
一聴に値すると思う。
(以下引用)
「美しき天然」という唱歌のメロディーが好きである。
空にさえずる鳥の声
峰より落つる滝の音(後略)
しかし、この歌ほど悲惨な運命をたどった楽曲はない。まず、ジンタというサーカスの客寄せの宣伝の曲に使われた。
そして極め付きは、殺人者が獄中で作詞したのが巷に流れ、「美しき天然」の替え歌になってしまったことだ。
1902年というから明治の末期である。東京の麹町で、11歳の少年が圧殺され、臀部の肉がはぎ取られる事件がおこった。
犯人は、東京外語生だった野口男三郎といい、「男三郎事件」として有名になる。男三郎はある家の入り婿になったが、義兄はらい病患者だった。
らい病(レブラ)には人肉が効くという迷信があり、それを信じた男三郎は、少年の臀部の肉を煮て義兄に食わせ、スープを飲ませたのである。
逮捕された男三郎が、獄中で作った詞はこうである。
1,ああ世は夢か幻か
獄舎に独り思い寝の
夢より醒めて見廻せば
あたりは静かに夜は更けて
2.月影淡く窓を射す
ああこの月の澄む影は
梅雨いとけなき青山に
静かに眠る兄上の
3.その墳墓を照らすらん
また世を忍び夜を終夜
泣き明かす
愛しき妻の袂にも
このもの悲しい詞を、演歌師が「美しき天然」のメロディーで歌い、一世を風靡したのである。
少年時代にこの歌を歌い、私は父にひどく叱られた。
(去年の名月)


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