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2022年上半期(1月~6月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年2月20日)「させていただきます」という表現は敬語なのだろうか。法政大学文学部の椎名美智教授は「相手に敬意を向ける謙譲語ではなく、自分の丁寧さを示す丁重語として使われている。だから恩着せがましく感じるのだろう」という――。

※本稿は、椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)の一部を再編集したものです。

「させていただく」は関西発祥?

「させていただく」は関西と関係が深いと言われています。それが関東に、そして全国に広がったとされています。一向宗の信者であった近江商人が行商しながら全国に広めたという説もあります。


司馬遼太郎の『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』から関連箇所を引用します。


日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。


この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。(中略)「はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております」。


この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、(中略)絶対他力を想定してしか成立しない。(中略)「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。(※)


※司馬遼太郎(2009)『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』朝日新聞出版、引用は11~12頁からです。


この「おかげさまの精神」は、今でも「させていただく」に含まれているのでしょうか? すぐに「そうだ」と言えないのは、意識調査から「させていただく」の恩恵性を人々が意識しなくなっていることがわかったからです。

本当に込められているのは敬意ではない

私が行った意識調査では、「なぜ『させていただく』を使うのか?」と、使う理由を聞いています。実際の行動と自分の行動に対する自己認識は必ずしも一致するわけではありませんが、参考までに回答を見ると、人々は丁寧さと謙虚さを示すために「させていただく」を使うと答えています。こうした人々の認識は調査結果とほぼ一致しています。しかし、人々が「させていただく」に込めているのは敬意なのでしょうか?


本当に込められているのは、実際には聞き手意識だと私は考えています。あなたに直接向けるのではなく、自分の行為を表現することによって間接的に伝わるあなたへの配慮です。これは従来の敬語の敬意とはちょっと違います。


「させていただく」フレーズ全体は、「あなた認知」(近接化ストラテジー)を丁重に表現する(遠隔化ストラテジー)、遠近両方のストラテジーを用いた「新・丁重語」への変化過程にあります。謙譲語と丁重語は自分がへりくだる点は共通していますが、相違点があります。


謙譲語は自分の行為が相手に向かい、結果として敬意が相手に向かうのですが、丁重語は自分だけで完結する行為を示すので、敬意が相手に向かっていきません。その代わり、丁寧さが自分に向かうのです。つまり、丁重語は自分の丁寧さや謙虚さを示す品行の敬語なのです。

「~させていただきます」にイラっとするのはなぜ?

そのように考えると、「させていただく」はやはり、相手に敬意を向ける謙譲語ではなく、自分の丁寧さを示す丁重語として使われていると考えた方がよいわけです。こうした「させていただく」に含まれている意味合いは、敬意で説明するより、ポライトネスの概念を使って相手との距離感と捉えてそれを微妙に調節していると考えるとしっくりきます。


私が聞いた話として、講演会の入り口で「受講票を確認させていただきます」と言われて怒って出て行った男性の例があります。「させていただきます」と言われてなぜ怒るのかを考えたとき、じつは「いただく」は相手に触れないというまさにそのことにおいて(とりわけ言い切り形で使った場合に)相手に触れることなく結果だけを「もらっちゃうからね」と言われているような感覚を与えてしまう側面があります。それが、否定的な受け止め方を生じさせてしまう原因の一つなのではないかと考えられます。


意識調査では、このような例文に対して、中年層は比較的高い違和感を示していました。こういう場合の遠近両用ストラテジーは、必ずしもすべて人に好印象を与えているわけではないということです。「させていただく」文への違和感にはいくつかの要因が関与しているとはいえ、能動的コミュニケーション動詞が言い切り形で使用されること(たとえば「話させていただきます」や「質問させていただきます」など)は、聞き手が違和感を覚える原因の一つではないかと思います。

遠い相手にも寄り添っているように感じられる

つまり、「させていただく」使用への違和感は、単に使用頻度が高くなったことだけが原因ではなく、どんな動詞と使われているか、後ろがどんな形なのかにも関係しているということです。能動的コミュニケーション動詞の言い切り形に対して、人々は、自分の期待するコミュニケーションのあり方と違うと思っているようです。ここでは話し手の意図と聞き手の解釈の食い違いが起こっています。ここに年齢差も加わってきます。


これまで見てきたことを表でまとめておきます。表にすると、「させていただく」の現状分析と通時的変化の方向性が一致したことが見えてきます。


図表1を上下二層に分けて見ると、二つの調査結果が呼応していることがわかります。意識調査でわかった聞き手の存在・関与の重要性は、コーパス調査で「させていただく」の前にくる「話す」「質問する」など相手を必要とする能動的コミュニケーション動詞の種類が増加していたことと呼応。一方的言語行為への大きい違和感は、相手に交渉の余地を与えない「言い切り形」での使用が特に増えていることと呼応しています。


次に、「させていただく」が持つ矛盾に目を向けてみましょう。元来、「させていただく」は話し手が主語で聞き手に言及しなくてよいという敬避性を備えているので遠隔化ストラテジーが作用します。しかし実際の用法では、相手の存在や関与が意識される動詞と一緒に使われると、違和感が小さく受容度が高いことがわかりました。これは共感性、つまり近接化ストラテジーの効果が加わったからです。


「させていただく」は人との距離をとる意味では敬語と同じ働きをしていますが、運用において近接化を帯びている点が従来の敬語とは異なります。ここでは、そうした遠近両方の性質を持つ「させていただく」を「新・丁重語」と名づけました。「新」を付けることによって、距離をとるだけの「丁重語」と差別化したかったからです。

気遣いのつもりが慇懃無礼になってきている

後ろの形が言い切り形に定型化すると使いやすくなり、私たちの注意は前にくる動詞にシフトします。そして、便利に使えると思って色々な動詞と一緒に使ってきたわけです。でも、ふと後ろを見ると、コミュニケーションが固定化していることに気がつきます。対人配慮が「合理化」されて多様性を失い、「させていただく」フレーズ全体がコミュニカティブな意味合いを失っているのです。


これはコミュニケーションにおける矛盾です。すなわち、コミュニケーションは近接化を図ろうとする行為であるにもかかわらず、そこで最も遠隔化効果の高い「させていただく」を交渉の余地のない言い切り形で使用しているからです。これはコミュニケーションにおいて、アクセルとブレーキとを同時に踏み込むような行為です。「させていただきます」には、ここにも相反する方向性が内在しています。そのことは「させていただく」が人々によく使われていると同時に、人々が違和感を抱く要因の一つになっていました。


ものごとには良い面と悪い面があります。「させていただく」を使うと絶妙な距離感が取れるので若年層に好まれているようです。しかし、アクセルとブレーキを使って微妙な距離感が調節できて便利だと思って使っているうちに使いすぎて、気遣いをやりとりしていたはずが、慇懃無礼になってきているのかもしれません。日本語は文の後ろの方で話し手の態度を示すので、終わり方にもバリエーションが必要だということです。

語尾のテンプレ化が気になってしまう

これを現在の日本語のコミュニケーション状況として眺めると、表面的な配慮は多様化しているにもかかわらず、実際の対人的側面における交渉的配慮は後退し、コミュニケーション全体としては貧弱化していると見ることができます。その意味で、「させていただく」をめぐる問題は、使う側の便利さというメリットが、受け取る側への不快感というデメリットになる矛盾を孕んでいます。そのことは、図表2のように図式化できます。


前にくる動詞の選択肢が多様化して距離感が調節できることは、話し手のインセンティブになっています。使う側は「させていただく」を敬意マーカーとして自分の丁寧さを演出するために使います。しかし、聞き手が気になるのはそこではなく、後ろの活用部分の固定化です。聞き手は「させていただきます」という言い切り形のために、コミュニケーションが自分に開かれていない印象を持つわけです。

「聞き手がどう感じるか」も考慮すること

ここでも話し手の意図と聞き手の解釈が食い違っています。実際のコミュニケーションでは、そこに年齢差や社会的役割が関わってくるのですから、意味合いはもっと複雑になっているはずです。


ここで考えているのは、話し手は丁寧に言ったつもりなのに、相手が失礼だと思うような場合のことです。ポライトネスのはずがインポライトネスになっています。ポライトネスを考える際には、話し手側の意図だけでなく聞き手側の捉え方も考慮に入れなければならないというのが、最近の考え方です。ここで示した「させていただく」をめぐる矛盾は、そのこととも呼応しています。「させていただく」表現に対する矛盾した印象は、こうした話し手側と聞き手側の視点の違いに関係しているのかもしれません。


---------- 椎名 美智(しいな・みち) 法政大学文学部 教授 宮崎県生まれ。言語学者。お茶の水女子大学卒業、エジンバラ大学大学院修士課程修了、お茶の水大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph. D.)、放送大学大学院博士課程修了〔博士(学術)〕。専門は歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。『歴史語用論入門』(共編著、大修館書店)、『歴史語用論の世界』(共編著、ひつじ書房)、『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)など著書多数。近著に『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)がある。 ----------