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自然の中で迷子になった人間

「ギャラリー酔いどれ」から転載。
私は、「ギャラリー酔いどれ」に、見慣れたタッチだが初見の絵が出ていると、誰の作品か、名前を見る前に推理する、ということをよくやるのだが、この絵の風景の不穏な感じが、「酔いどれ」ブログにしばしば出てくるアーロン・ウィーセンフェルドとか何とかいう画家の感じだなあ、と思っていたら、大間違いで、有名画家のシスレーであった。まあ、シスレーの絵を熟視したことは無いので、こんな画風だったか、と初めて知った。

なぜ、この風景画が不安感を与えるのか、と言えば、風景の中に描かれた人間の姿が、「異物感」があるせいではないだろうか。何のために、この人物がそこにいるのか、という感じだ。自然を楽しむとか、自然と一体化している、という感じではない。ただ、そこに放り出されているだけ、偶然そこにいるだけ、という感じ。さらに言えば、その途方に暮れたようなポーズのせいか、迷子になったような感じ。もちろん、風景画の中の点描人物は本来、偶然的にそこにいるだけではあるのだが、シスレーのこの絵では人物が単独である(よく見るとその人物の後方に二人いるようだが、人間に見えない。)から、その「異物性」が目につくのではないか。
木の枝が四方八方に気ままに手を伸ばしているのも、「人間は自然の中心ではない」と主張しているかのようだし、空の雲の流れも同様だ。
つまり、人間存在の本来的な孤独、というものが、この絵には感じられるような気がする。



 画は Alfred Sisley アルフレッド・シスレー

 1839~1899 / イギリス(フランスで活動) / 印象派     作


  「春の小さな草地―ビィ」です。



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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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