生徒A「『Sailing ships came up this river from the sea and anchored near the bridge.』」
生徒B「『Sailing ship』は帆船でいいんですか?」
先生「いいんじゃない?」
生徒B「『帆船がこの川を海から遡ってきては、この橋の近くに錨を下ろすのだった。』」
先生「いいねえ。『おろした』ではなく、『おろすのだった。』というところがいい。――日本語の困るのは複数表現がしにくいところだな。『帆船』を『帆船たち』とするわけにはいかないからねえ。もっとも、最近では、物にも『何々たち』という言い方をする表現者も多いようだけど、まだ日本語としては熟していない表現だな。次行こう」
生徒C「『I would sit on the river-wall with my feet dangling over the water and watch the sailors unloading the ships and listen to their songs until I too could sing them by heart.』」
生徒A「このwouldは習慣を表すのですね?」
先生「まあ、そうだろうね」
生徒A「『私はその川の壁に……』先生、川の壁って何ですか」
先生「堤だけど、挿絵で見ると、ブロック造りの、文字通りの壁だな。でも、どう訳そう。そのまま『川壁』としておいて。井伏先生だって、後に出てくる『cats-meet-man』を『猫肉屋』と訳していたからね」
生徒A「『私はその川壁に座って、足を水の上で『danglimg』させながら,水夫たちが船を『unloading』しながら歌うのを、それを私自身も覚えてしまうまで聞いていた。』」
先生「ここは辞書に頼らないで考えてみようか。こういうのも翻訳の楽しみだからね。A君、『dangling』はどういう動作だと思う?」
生徒A「挿絵から見て、『ぶらぶらさせる』ですかね」
先生「そうだろうね。挿絵のある本は、こういう時、本当に助かる。もっとも『川壁』に座って、足のできる動作と言えば、ぶらぶらさせるしかないけどね。でも、英訳の際に、その程度の頭さえも使わない生徒は結構いるよ。じゃあ、『unloading』は?」
生徒A「『荷下ろし』ですかね。loadigが『負担する』とか『負荷する』だし、それに否定の『un-』がついているわけだから」
先生「いいねえ。頭ってのは、そういう具合に使うんだ。ゲームをする人間なら、『now loading』という表示はおなじみだけど、そういう身近な英語も、ちゃんと意味を調べる生徒は少ないよ。これでこの段落は終わりだ。じゃあ、次の段落に行こう」
生徒B「『When they set sail again I longed to go with them and would sit dreaming of the wonderful lands I had never seen.』」
生徒C「『その船たちが再び出帆する時は、私は彼らと一緒に行きたいと心から願い、そして、私のまだ見たことのない素晴らしい世界を夢見ながら座っていたものだった。』」
先生「おっと、『物―たち』表現で来たね。まあ、それほど違和感もないからいいか。『wonderful』は、まあ、『素晴らしい』が一般的な訳だろうけど、ここは文字通り『wonder-ful』な、つまり、驚異に満ちた世界のイメージだろうね」
生徒A「次行きますよ」
先生「ちょっと待って。この段落は、この一文だけで一段落だ。つまり、ここでのトミー・スタビンスのこの述懐が、『ドリトル先生航海記』の、素晴らしい、『wonder―ful』な航海を予告していることに注意しておこうか。おっと、だいぶ、時間もたった。今日はここまでにしておこう。じゃあまた」