仮想教室:「ドリトル先生航海記」を読む 2006年3月12日開始
序
私の夢は、英語の原書をすらすら読めるようになることであるが、これはまさしく夢であり、ろくに勉強もしていないのだから、その夢は50歳を過ぎた今でも実現していない。兼好法師は、「齢40になるまでに物にならない技芸は捨てよ」と言っているから、そろそろあきらめてもいい頃ではある。それに、ほとんどの本は日本語訳で読めるのだから、無理して今さら英語の勉強をする必要も、本当は無いのである。しかし、今でも「英語で」読むこと自体は嫌いではないから、楽しみのための勉強(「勉強」とは、「勉め、強いる」ことだから、これは矛盾だが)として英語の本を読むことは少しはやっている。古本屋に行けば、面白そうな英語の本が良く見つかるから、それを少しずつ読むのが私の趣味の一つだ。そうした本の一つにヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」があった。
この「ドリトル先生航海記」は、おそらく現在の大人の多くが、子供の頃に夢中になって読んだ本の一つだろう。動物と会話が出来る人間の話というアイデアも素晴らしいが、ストーリーの細部に見られるドリトル先生の温かな人間性の魅力は、凡百の児童文学には見られないものである。もう一つ、この作品が日本で迎えられたのは、井伏鱒二の名訳のおかげもあると思う。これは石井桃子が戦争中に、井伏鱒二に頼み込んでやらせた仕事らしい。私の考えでは、井伏鱒二の仕事の中で、一番長い生命を持つのは、「山椒魚」以外では、この翻訳ではないかと思う。
さて、これから私がやろうとしているのは、この「ドリトル先生航海記」を教材とした架空授業である。授業というよりは、セミナーというか、雑談形式あるいは、輪読のような感じで、原書を読み解いていこうという趣向だ。それを架空授業の形で文章化していけば、私自身が飽きないでできるのではないかという狙いである。原書を読みながら、私自身が疑問に思ったことを記録し、それを後で井伏鱒二の訳と対照すれば、私は井伏鱒二から英訳の授業を習うという、素晴らしい体験ができることになる。これは英語の学習法としても、相当に面白い趣向ではないだろうか。もちろん、私の英語の学力は高卒レベルだから、とんでもない間違いを人前にさらすことになるが、この年になれば、恥をさらすことへの恐れはあまり無い。それが年をとることの一つのメリットだ。では、始めよう。
第一回目の授業 ( 第一章 The cobbler‘s son )
先生「まず、第一章の題名からして、分からないね。Cobbler って何だろう。辞書を引いてごらん」
生徒A「靴の修繕屋ですね。靴直し。ついでに言うと、Cobbleには舗道の丸い敷石の意味があります」
先生「そういえば、確か、サイモンとガーファンクルの歌の何かに、cobble stoneってのが出てきたな。第一章の題名は、そうすると、『靴屋の息子』かな」
生徒A「『靴屋』と『靴の修繕屋』は違うでしょう。靴の修繕屋の方が、より貧しい感じではないですか?」
先生「そうだな。井伏先生がどう訳しているかは後で見ることにして、ここは『靴直しの息子』にしよう。では、とりあえず本文を、一文ずつ読んでいこうか。B君、読んでごらん」
生徒B「First of all I must tell you something about myself.」
先生「特に問題は無いね。A君、訳してごらん」
生徒A「『まず最初に、私は自分自身について何かを言わねばならない。』」
先生「うーん、間違いじゃないけど、硬いね。いちいち、原文に忠実に訳すと、かえって原文のニュアンスが失われてしまうこともあると思うよ。このmustは、それほど重々しい感じは無いと思う。単に、語り手が読み手に、物語の進行のために必要な情報を語っておこう、というだけだろう。B君、訳し直して」
生徒B「『まずはじめに、私は自分自身のことを語っておこう。』くらいのものですかね」
先生「『まず』と『はじめに』は同じ意味だから、いわゆる『馬から落馬した』式の重言になるけど、これは日常的によくでてくる言い方だし、細かいことにこだわりすぎても話が長くなるから、あまり細かいことは言わないで先に進もう。Cさん、次を読んで」
生徒C「My name is Tommy Stabbins,son of Jacob Stabbins,the cobbler of Puddleby-on-the-Marsh;and I was nine and a half years old when I first met the famous Doctor Dolittle.」
先生「A君、訳してごらん」
生徒A「ええと、『私の名前はトミー・スタビンス、パドルビー・オン・ザ・マーシュという町の、ジェイコブ・スタビンスの息子で、あの有名なドリトル先生に最初に会った時は九歳半であった。』」
先生「なかなかいいね。井伏先生はこの町の名前を『沼の上のパドルビー』と訳していたけど、Marshを一応調べてみようか。Cさん、辞書を引いてごらん」
生徒C「『低湿地、沼地』とありますね」
先生「じゃあ、やはり『沼の上のパドルビー』だ。でも、ここで『上』というのは、『ほとり』の意味だから気をつけてね。それから、トミーの父親の名前は、ジェイコブでもいいけど、ヤコブと読めば、この家族が多分ユダヤ系だということがわかりやすい。ユダヤ人というと、我々は、ロスチャイルドみたいな金持ちを想像しがちだけど、一般のユダヤ人は、この家族のような貧しい人々が多かったのではないかと思われるね。ここで第一段落は終わりだ。では、第二段落の第一文をB君、読んでごらん」
生徒C「先生、ちょっといいですか」
先生「何かな、Cさん」
生徒C「セミコロンにはどういう意味があるんですか。コンマやコロンとの違いが良く分からないんですけど」
先生「難しいことを聞くなあ。ぼくがそんなの知ってるわけはないでしょう。とりあえず、推測で言うけど、コンマは短い句を並列する場合、セミコロンは、長めの句を並列する場合って感じじゃない? コロンは文章の区切り目というよりは、時刻の時と分の区切り目とか、算数の比の何対何の対の記号に使うんじゃないのかな」
生徒C「……」(疑惑の眼差し)
先生「先に行こう。B君、読んで」
生徒B「At that time Puddleby was only quite a small town.」
先生「問題ないな。『その当時、パドルビィはただの、とても小さな町だった。』。A君、次を読んで」
生徒A「A river ran through the middle of it ; and over this river there was a very old stone bridge,called Kingsbridge.」
先生「Cさん、訳してごらん」
生徒C「『一本の川がその間を流れていた。そして、その川の上にはとても古い石の橋がかかっており、それはキングスブリッジと呼ばれていた。』」
先生「いいね。でも、『その間を』というところは、『町の中を』としたほうがいいかもしれない」
生徒C「先生、私、やっぱりセミコロンが気になるんですけど、ここ、2文に分けていいんでしょうか」
先生「いいんじゃないの。まあ、1文でも訳せそうだけどね。細かいことは気にせず、次にいこう。次は第三段落だな。面倒だから、もう、いちいち指示はしないよ。A君B君Cさんの順に一文ずつ読んで訳してもらおうか。次はA君が読んで、B君が訳す番だ」