谷間の百合さんのご希望に沿って、原寸大(と言っても、ブログに載せられるサイズに縮小はしてあるが)で写真を載せることにした。ここ(前回)までの写真はサムネイル表示と言って、写真をクリックすると拡大されるはずなので、それもお試しいただきたい。
さて、下の写真は、ロンドンのナショナルギャラリー所蔵の(だったと思う。あまりに多くの美術館や博物館に行ったので、頭も混乱しているが)、ダビンチの絵である。「ダビンチのカートゥーン」とか題されていた。この絵だけで小さな一室を取ってあり、あまり人の気づかない場所にあった。だが、これは「モナ・リザ」以上の名画ではないか、と私は思う。多分、聖母マリアと、その母と、幼児キリストと精霊の絵だと思うが下の写真はその一部を切り取ったもので、聖母マリアだと思う。この表情が、実にいい。モナ・リザの微笑がさらに聖化したようで、天上的な微笑ではないか。
「カートゥーン」というと「漫画」と訳されることが多いと思うが、ここでは「素描」くらいの意味かと思う。まだ本格的な彩色がされていないから、そう言ったのだろう。だが、彩色されないままで、これは「完成品」だと思う。
ダビンチが(本当は、「ビンチ村のレオナルド」とかいう意味で、「レオナルド・ダ・ビンチ」らしいが、「ダビンチ」と表記しておく。)天才的な画家だという世評を私はあまり信じていなかったが、実物を見ると、やはり心が動かされる。そういう力がある。ダビンチの作品だけでなくルーブル美術館所蔵の「サモトラケのニケ」や「ミロのビーナス」(や「モナ・リザ」)にもそういう力があった。やはり、名作とされる古典は、そう言われるだけのものがあるようだ。
なお、泰西名画(なぜ、「泰西」などと言うのか、実は私は知らない)の数々は、英国を含めた欧州のあちこちの美術館に分散しているようで、各地を訪れる楽しみの一つになる。それぞれ「そこ」でしか見られない作品があるわけだ。
美術館に比べると、「博物館」は、私にはあまり面白くはなかった。大英博物館の「ロゼッタストーン」など、黒山の観衆だったが、あんなもののどこが面白いのか、さっぱり、である。
さて、下の写真は、ロンドンのナショナルギャラリー所蔵の(だったと思う。あまりに多くの美術館や博物館に行ったので、頭も混乱しているが)、ダビンチの絵である。「ダビンチのカートゥーン」とか題されていた。この絵だけで小さな一室を取ってあり、あまり人の気づかない場所にあった。だが、これは「モナ・リザ」以上の名画ではないか、と私は思う。多分、聖母マリアと、その母と、幼児キリストと精霊の絵だと思うが下の写真はその一部を切り取ったもので、聖母マリアだと思う。この表情が、実にいい。モナ・リザの微笑がさらに聖化したようで、天上的な微笑ではないか。
「カートゥーン」というと「漫画」と訳されることが多いと思うが、ここでは「素描」くらいの意味かと思う。まだ本格的な彩色がされていないから、そう言ったのだろう。だが、彩色されないままで、これは「完成品」だと思う。
ダビンチが(本当は、「ビンチ村のレオナルド」とかいう意味で、「レオナルド・ダ・ビンチ」らしいが、「ダビンチ」と表記しておく。)天才的な画家だという世評を私はあまり信じていなかったが、実物を見ると、やはり心が動かされる。そういう力がある。ダビンチの作品だけでなくルーブル美術館所蔵の「サモトラケのニケ」や「ミロのビーナス」(や「モナ・リザ」)にもそういう力があった。やはり、名作とされる古典は、そう言われるだけのものがあるようだ。
なお、泰西名画(なぜ、「泰西」などと言うのか、実は私は知らない)の数々は、英国を含めた欧州のあちこちの美術館に分散しているようで、各地を訪れる楽しみの一つになる。それぞれ「そこ」でしか見られない作品があるわけだ。
美術館に比べると、「博物館」は、私にはあまり面白くはなかった。大英博物館の「ロゼッタストーン」など、黒山の観衆だったが、あんなもののどこが面白いのか、さっぱり、である。
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