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「聖痕」1

ほったらかしにしていたフラッシュメモリーの内容を見ていたら、昔書きかけた「聖痕」という小説が出てきて、今読むとなかなか面白いので、10章あたりまで転載する。ただ、かなり前に書いたので、記述内容に既に古いところもある。たとえば今どき、CDなど、若い人には骨董品だろう。この後を書くにも、今では私は東京の地理なども忘れていたりするので、すべていい加減な空想だけで書くことになるわけだ。

(以下自己引用)


聖痕


 


プロローグ 黒い河


 


泥土の微粒子で濁った黒い河は、降り続く雨に川面を膨れ上がらせ、折れた木の枝や草を運びながら渦を巻いて流れていた。その川に沿った家の、開け放した窓から外の湿気とむっとするような樹々の匂いが入り込む。室内は蒸し暑く、羽虫が数匹飛んでいるが、部屋の中にいる二人の女にはそれが少しも気にならないようだ。


粗末な丸い木製テーブルに向かい合って座っている二人の女は、どちらも若く見えるが、その目の中を覗き込めば、外貌では誤魔化せない深い年輪が見て取れるだろう。


二人はぽつりぽつりと話している。


「でも、そりゃあ、あまりにも漠然としすぎてるねえ」


銀色の髪をした方の女が言った。話し方は婆さん臭いが、見かけは女優やタレントにも珍しいほどの美少女だ。ちょっと見では17歳くらいだろうか。


「私の杞憂ならいいんだけどねえ。なにしろ、あいつらに私たちのことを知られたら、何をされるかわからないからね」


こう言ったのは、日本風の顔立ちをした長い黒髪の美女である。こちらは25歳くらいに見える。白衣を着ているところを見ると、女医だろうか。


「あいつらときたら、世界中の金の半分を手に入れていながら、これ以上、何が欲しいのかね」


銀色の髪の少女がため息をついて言った。


「決まっているさ。私たちにあって、あいつらに無いものさ」


「馬鹿馬鹿しいねえ。多少、人より若く見え、長く生きられるからといって、それが何になるんだろう」


「それが羨ましくてならないという連中が多いんだよ。私も、ここに10年いて、そろそろ怪しまれそうだから、もうすぐここを引っ越すよ」


「やれやれ、私たちは世間に迷惑をかけていないのに、何でこんなにこそこそしなきゃあいけないんだろう。で、あんたの予知夢では、あいつらと私たちの間で、大きな戦いが始まるというんだね?」


「まあね。でも、戦うのは私たちじゃないよ。私たちのような婆さんじゃなく、もっと若い連中さ。夢では、名前まではわからなかったけど、7人いたね」


「7人の侍かい」


二人は笑った。


「男が五人、女が二人だ。7人の顔はこんな感じだね」


女医風の女はテーブルの隅にあった大学ノートに手早く絵を描いた。


「へえ、なかなか上手いじゃないか。あんた、女医より絵描きが向いているよ」


「道を間違えたかね。もしもあんたがこれから日本に行くなら、この7人に会ってみるのも一興だね」


女医はノートの1ページを破り取って相手に渡した。


「ふうん。こんな顔した連中か。こりゃあ、漫画かアニメの主人公たちの顔だね」


「アニメってのは良く知らないけど、みんななかなか可愛い顔した若者たちだよ」


「まあ、私たちだって、本当の年を知らなけりゃあ美女で通るけどね」


「あんたも、世界中を歩いていると、ずいぶん危ない目にあったんじゃないかい。見かけがそんなだから」


「まあね。手篭めにあわされそうになったのは数え切れないさ。そんな相手がどうなったか知りたいかい?」


「別に知りたかないよ。あんたのことだ。大怪我で済んだら幸いってとこだろう」


「さて、じゃあ、私はそろそろ行くよ。あんたがもし引っ越すなら、引越し先の手がかりくらいは残しておいておくれよ」


「わかってるさ。じゃあ、あんたも元気でね。気をつけるんだよ。下手をしたら私たちの一族全部が皆殺しになるかもしれないんだからね。一応、大槻の爺さんのところには連絡しておくよ」


二人は、顔を寄せ合って、軽く別れの挨拶をした。


「やれやれ、この雨はやまないねえ」


「あと一晩、泊まっていったらどうだい?」


「いいよ。雨に濡れるのは嫌いじゃないから」


銀色の髪の「少女」は、軽く手を上げて雨の中に出て行き、その姿はジャングルの道の中に消えていった。


 


第一章 「私立探偵」飛鳥二郎


 


私立探偵という商売は、日本では成り立たない。刑事事件の捜査は警察の一手販売で、それに素人が手を出すことはできないのだ。本当は毛唐の国だって事情は同じなのだろうが、あちらの連中は格好をつけるのが上手だから、いかにも私立探偵が警察と同じくらいに活動できるという風を装っているのである。しかし、外国だろうが日本だろうが、警察に頼みたくない秘密の捜査というものはあり、それに使うのが興信所である。俺は、その興信所の所長兼所員兼お茶汲みその他もろもろである。つまり、俺一人でやっている。世間の皆さんが思うより興信所の需要は多いのである。結婚相手の素姓調査や夫婦間の浮気調査はもちろん、外資系の一流企業になると、社員の採用にまで興信所を利用する。身元の怪しい人物と深い関係を結ぶ前に、相手の素姓を確かめるのは、ある意味では当然だろう。


しかし、今回の調査は、俺がこれまでやってきた依頼とは大分違う内容のようだった。俺が依頼主と会ったのは、新宿駅西口に近い高級ホテルのティーラウンジだった。仕事の依頼をしたのは、大木茂と名乗る、まだ20歳そこそこの若僧で、ジョルジュ・アルマーニと思しき舶来の背広を着て、(「舶来」などと言うと、いったいお前は何歳だ、と言われそうだが、俺はまだ27歳である。言葉使いが古いのは、俺の癖だ。)立派な身なりの男だ。顔は、まあ普通だ。平凡だが、真面目そうで、そう悪い顔ではない。タレントで言えば、妻夫木某に似ている。腕時計も靴も、派手ではないが、すべて高級品である。かなりの金持ちのボンボンだろう。


挨拶を交わした後、俺は話を切り出した。


「それで、どのようなお話でしょうか?」


「ええ、実は人を探して欲しいんですよ」


「ああ、人探しですか。いいですよ」


人探しもよくある依頼だ。


「ただし、探す手がかりが非常に少ないんで、難しい仕事だと思います。それに、この仕事自体を秘密にして欲しいんですよ」


これもそう珍しいことではないが、確かに仕事は難しくなる。新聞などでの人探し広告ができなくなるわけだが、しかし、そういう手段を取るなら、興信所に依頼するまでもないとも言える。もちろん、同時並行で行うパターンも多い。


「わかりました。で、手がかりは?」


「これです」


男は、テーブルの上に紙切れを置いた。ノートの1ページを破り取った物だ。そこには、7人の男女の絵が描いてある。上手な絵だが、どことなく漫画風の趣もあって、リアルな絵とは言いがたい。それに、タッチが何となく古めかしい。手塚治虫か水野英子の時代のタッチだ。


「これは……実在の人物ですか?」


「ええ。そうです」


「それにしちゃあ……。みんな美男美女すぎますね。それに、このコスチュームは何ですか。まるで……テレビのゴレンジャーとかなんとかいった戦隊物のコスチュームじゃないですか」


「いや、服装はもちろん、そのままじゃないと思います」


「ほかに、手がかりは?」


「ありません」


俺は、この依頼は断ろうと思った。漫画みたいな絵1枚で、この広い日本中からそれと同じ人物を探すなど、不可能である。


「謝礼ですが、一人見つけるごとに500万円、掛かった費用は別に支払います」


俺は出かかった言葉を飲み込んだ。一人見つければ500万円! 7人なら3500万円だ。俺の年収が500万円くらいだから、1年かけて1人見つけても十分に引き合う。


「まあ、……難しい仕事ですが、やってみましょう」


俺は、心の底で、(こんな雲を掴むような仕事は、他の仕事の片手間に適当にやればいいさ。それでまぐれ当たりで一人でも見つかればそれで500万手に入るのだからな)と思っていた。


「そうですか。実は、条件が一つありまして、この仕事はある人と一緒にやって欲しいのですよ」


俺はまた、この仕事を断ろうと思った。監視付きの仕事など御免だからだ。しかし、その時、背後に人の気配を感じ、俺は振り返った。


俺は呆然となった。これほど美しい少女を見たのは初めてである。年齢は16,7くらいだろうか。髪はおそらく染めているのだと思うが、栗色で、肌が透き通るように白い。やや冷たい表情が高貴な雰囲気である。目は大きいが、それを細めて見る癖があるようだ。服は白いあっさりとしたミニのワンピースで、膝上まで出ているほっそりとした脚が悩ましい。


「こちらは、月村静さん。この方と一緒に探してほしいのです」


俺は想像上の尻尾を振りながら表面上は冷静に言った。


「まあ、それが仕事の条件なら仕方ないですね。あまり仕事の邪魔になるようだと困りますが」


少女はくすりと笑った。それが、なんだかこちらの心を見透かしたみたいで、俺は口を閉じた。


「本当に、手がかりはこの紙切れ一枚、相手の名前も何も知らないんですね?」


「そうです。でも、月村さんは、その人たちに会えば多分分かるはずです」


なるほど、だから一緒に探さねばならないわけだ。そして、俺は、この美少女と長い捜査の旅をするわけで、その間には当然ああなったり、こうなったり……。


俺の妄想は少女の発言で破られた。


「当然ですが、この仕事の間は、他の仕事はやめてこの仕事に専念していただきます。高い料金をお支払いするんですから」


少女の話し方は、思ったより大人びていて低い声だったが、悪くない声である。しかし、言った内容は問題だ。俺はもういっぺんこの依頼を断ろうかと思ったが、俺の中のスケベ心はそれを許さなかった。なにしろ、この美少女と一日の大半をご一緒できるのだ。金が手に入らなくても、やる価値はある。


「わかりました。その条件で働きましょう。別に期日は無いんでしょうね?」


「できるだけ早く見つけてほしい、ということだけです」


「いいでしょう。難しい仕事ですが、全力を尽くします」


俺はリップサービスを言って、相手と握手した。心の中では、早くこの美少女と二人きりで話したいので、こいつを追っ払おうと思っていたのである。


 


「さて、どこから始めましょうかね」


俺は美少女月村に向かって言った。相手は、ラウンジ特有の低いソファに腰をおろしていて、そのミニスカートの奥があわや、という感じであり、俺の喉はからからだった。いやまあ、女の子のパンツを見て嬉しがる年ではないが、やはり、これほどの美少女だと、そのう……。


「まず、自己紹介をしておきましょう。それをあなたが信じるかどうかは別として、後であなたに恨まれないように」


「自己紹介? お名前は、確か、月村静さんですよね。それ以外に何が必要なんですか」


「私の年が、175歳だということ」


「へ?」


「まあ、冗談だと思ってもらってもいいですよ。とにかく、私は、あなたのお祖母さん以上の年齢だということを覚えておいてください。それともう一つ。私は、人の心が読めます」


俺はこれに対して何と答えていいか分からなかった。この女、大変な美少女だが、頭がおかしいらしい。


「はあ、そうですか。そりゃあ便利ですね。私もそんな能力があればいいと思いますよ」


「……あなた、SF小説を読んだことは?」


「あまり無いですね」


「筒井康隆の七瀬物など、知らないんでしょうね」


「はあ、残念ながら」


相手は肩をすくめた。


「まあ、いいです。とにかく、私に対して、妙な気持ちは持たない方がいいと思いますよ。あなた自身のために」


「いやあ、私は、仕事一筋ですから、大丈夫ですよ。けっしてあなたに失礼な真似はしません」


「……では、仕事の話をしましょう。私たちが探している相手は、特殊な人間たちです。非常に長命で、見かけはとても若く見えます」


「あなたのように?」


「そうです。私もその仲間です」


「そりゃあ、羨ましいな。若いままで長生きするってのは、人類の永遠の夢だ」


「ところで、あなた、この世界が、ごく少数の世界的財閥によって支配されていることは知っていますか?」


「まあ、そんな風に考えている人々もいるようですね。いわゆる陰謀論者ですか」


「その大財閥の筆頭が、ローゼンタール一族です。彼らは、ヨーロッパとアメリカの富の7割を所有しています。世界のほぼ5割の富と言ってもいいです。その彼らにもけっして手に入らないものが、長命と若さなのです」


俺は、何となくこの話の先が読めた。


「それで、あなたたちを彼らが狙っていると?」


「そうです。先日、私たちの仲間が一人殺されました。仲間とは言っても、亜種なのですが」


「亜種?」


「ええ。私たちの仲間には純粋種と亜種がいるのです。亜種は、普通より少々長命というだけで、せいぜい150歳くらいまでしか生きられませんし、若さもどんどん失います」


「それでも、150歳まで生きればギネス物でしょう」


相手は肩をすくめた。


「亜種は、普通、寿命が来る前に自ら命を断ちます。肉体も精神もどんどん劣化しながら、生命だけを維持していても仕方がないですからね。普通、100歳くらいで自決します」


俺は、この馬鹿話にどこまで付き合えばいいのか、と、ちらと考えた。


「やっぱり信じてもらえないようですね。まあ、その方が自然な反応ですし、私たちにとっても一般人がそう思ってくれている方がいいのですが」


「いや、信じないなんて、そんなことありませんよ。で、先ほど言っていた、殺された仲間はローゼンタールに殺されたのですか?」


亜麻色の髪の少女は俺の顔をじっと見た。その眼は、深い湖の色をしていた。


「そうです。彼らは、私たちを探しています。私たちを捕まえて研究材料にするつもりなのです。遺伝子操作技術によって、自分たちも長命と若さを手に入れようとしているのです」


「しかし、先ほど、あなた方の仲間が一人殺されたと言いましたが、遺伝子研究のために、何も研究材料を殺す必要は無いでしょう」


「おそらく、捕まえた相手が亜種であったことに気付かず、間違いをしたと思って処理したのでしょう」


「処理?」


「そう、彼らがよく使う言葉です。殺せ、と言う代わりに、処理せよ、処置せよ、処分せよと言うのです」


「ところで、そろそろ本題に入りませんか。私たちが探す相手の特徴が、長命と若さというだけでは探しようが無い。異常な長命なら、周囲の人に分かって評判になるはずですがね」


少女は頷いた。


「そうです。だから、我々の一族は、25歳前後に失踪することが多いのです。そして、あちこちの土地に数年住んでは引っ越すことを繰り返すか、あるいは、人間が住まない山奥で暮らすことを選びます」


「どちらが多いのですか。つまり、ジプシーみたいに移動するのと、山奥に住むのと」


「若いうちは移動生活をし、年を取ると山奥に定住することが多いようです」


「ふむ。じゃあ、山奥の定住者から探しましょう。移動生活者の行方を捜すのは大変ですから」


「残念ながら、私たちが探している相手は、皆、実際にも若いのです。生まれたのが1980年から90年頃ですから、見かけと実年齢も一致しています。ですから、山奥に住む必要は無く、移動生活をする必要も無いのです」


「じゃあ、お手上げだ。ほかに特徴は無いのですか?」


少女は考える表情になった。


「おそらく、彼らは特殊な能力を持っています。一般にESPと呼ばれる精神的超能力です。私のテレパシーもその一つです」


「テレパシー?」


「精神感応力、相手の心を感じ取る力です。よろしいですか。いま、私たちの右の奥の方に、40歳くらいのサラリーマン風の男がいます。あの人は、友人とここで待ち合わせをしていましたが、今、携帯電話に、約束の時間に来られないと連絡があったので、すぐにここから出て行くはずです。あ、その前に、残ったコーヒーを飲みます」


俺は右奥の方を見た。確かに、月村静の言う通りサラリーマン風の男がいて、静の言葉が終わると同時にコーヒーカップを上げて中身を飲み干した。そして、レシートを掴んで立ち上がり、レジに向かった。


俺はあっけに取られたが、まだ彼女の言葉を完全には信じていなかった。人を待っている人間は、相手が来なければいらいらした様子をするだろうし、やがて出て行こうとする気配はあるものだ。それをタイミング良く指摘すれば、まるで心を読んだように見せかけることもできるだろう。それとも、そうした推理も本当に心を読んだことになるのか?


「そのESPには、ほかにどんな能力があるのですか?」


「テレキネシスというのがあります。これは、考えることで物体を動かす力です。しかし、これまでは数ミリ程度移動させた例しか知られてません」


「数ミリでも、パチンコになら使えるな」


静はおかしそうに笑った。


「私たちは、よくやりますよ。今からお見せしましょうか」


俺は頷いた。


30分後、俺はパチンコ屋で、ドル箱を回りに7つも積み重ねた月村静を呆然と見ていた。


「これくらいにしましょう。時間の無駄です」


まだ開きっぱなしの台から立ち上がって静は言った。


「お、おい、この球はどうする」


「あなたの好きにしてください」


俺は店員に球を運ばせ、換金商品に換えると、それを裏の換金所で金に換えた。


俺はその金を月村静に渡そうとしたが、彼女はそれを押し返した。


「取っておいてください。あなたは、今月の家賃もまだ払っていないじゃないですか」


俺がその金を返そうとしながら考えていたのが、まさにそのことだった。この金があれば、家賃を払って美味い物が食えるなあ、と。


「まもなく夜になります。あなたのアパートへ行きましょう」


月村静は黄色く暮れかかった空を見上げて言った。俺はその言葉にどぎまぎした。


「勘違いしないでください。あなたのアパートに行くのは、あなたに私たち一族の印を見て貰うためです。聖痕を」


「聖痕?」


俺は聞き返した。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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