「混沌堂主人雑記」から転載。
非常に示唆的な卦である。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
ただし、この九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても、上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて諂い媚びる者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)する。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
だから、其の右肱を折る、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。
上六がEU会議支配層か、それともロスチャイルドか、エリザベス女王か、そのどれでも当てはまりそうである。(易の一般的解釈では六五が明示的な君主だからこちらがエリザベス女王やイギリス総理大臣に相当するか。上九とは、隠れた支配者のようなものだ。英王室や英女王は上六とも六五とも言える。)九三はイギリスそのものと考えていいかと思う。
大雑把に解すれば、離脱派への攻撃がこれからしばらく続き、イギリスそのものもさまざまな打撃を受けるが、大局的長期的には「豊」に至るから、離脱は正解であった、となるのではないだろうか。
(以下引用)
非常に示唆的な卦である。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
ただし、この九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても、上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて諂い媚びる者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)する。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
だから、其の右肱を折る、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。
上六がEU会議支配層か、それともロスチャイルドか、エリザベス女王か、そのどれでも当てはまりそうである。(易の一般的解釈では六五が明示的な君主だからこちらがエリザベス女王やイギリス総理大臣に相当するか。上九とは、隠れた支配者のようなものだ。英王室や英女王は上六とも六五とも言える。)九三はイギリスそのものと考えていいかと思う。
大雑把に解すれば、離脱派への攻撃がこれからしばらく続き、イギリスそのものもさまざまな打撃を受けるが、大局的長期的には「豊」に至るから、離脱は正解であった、となるのではないだろうか。
(以下引用)
イギリスのEU離脱の件。
イギリスのEU離脱の件。
あとどうでしょうね。
雷火豊 3爻
参考 1
上記文抜粋
・・・・・・
三爻 爻辞 豊其沛。日中見沫。折其右肱。无咎。
(そのはいをおおいにす。にっちゅうまいをみる。そのゆうこうをおる。とがなし。)
対処法 「沛」は天幕。「沫」は星くず。「右肱」は右ひじのこと。「天幕を更に大きくかけた。暗黒の中、まるで日中に星くずを見るようだ。右 ひじを折って不便であるが、問題はない」。実力が発揮できなかったり、右腕と信じていた者に裏切られたりする危険性のある時ですが、相手は小物で問題あり ません。しかし、安全第一に考える時です。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
参考 2
上記文抜粋
・・・・・・
豊とは、大、盛大、という意。
この卦は離を明とし、震を動とすれば、明らかにして動く様子である。
明らかでないときは通暁するところなく、動かざるときには何事も為し得ない。
とすれば、逆にこの卦のように、明らかにして動くときには、その事は盛んにして大なるに至るはずである。
だから豊と名付けられた。
また、震を雷とし、離を電(雷光=稲妻)とすれば、雷電相合うときには、その勢いが最も盛大なときである。
だから豊と名付けられた。
また、離を太陽とし、震を動くとすれば、太陽が動きながら天下を照らし臨み、その光明盛大な様子である。
だから豊と名付けられた。
また、離を明とし智とし、震を威とし勇とすれば、智勇兼ね備わっている様子である。
智勇兼ね備わっていれば、その威明は盛んに大なるものである。
だから豊と名付けられた。
卦辞
豊亨、王*假之、勿憂、宜日中、
豊は亨(とお)る、王(おう)之(これ)に*假(いた)る、憂(うれ)うる勿(なか)れ、日中(にっちゅう)に宜(よろ)し、
*假の字は、沢地萃と同様に、通本では仮の正字体の假としているが、中州はイ(ニンベン)では誤りであって正しくは彳(ギョウニンベン)だと指摘している。
しかし、JISにもユニコードにもその字はないので、*假で代用しておく。
豊は勢いが盛んで大なることだが、そうであれば何事も亨通するものである。
だから、豊は亨る、という。
また、明らかにして動くときには、事に臨んで疑い惑い優柔不断になることはなく、そうであるのなら、何事も遂げられないことはない。
だから、亨る、という。
次の文節の王とは、一般的に言う王者のことであり、至尊の称号にして、絶大な勢力を保ち、巨万の富とともに君臨している者である。
この卦は、このように隆盛を誇っているときであり、とすれば王は、このときすでに豊に至っていることになる。
だから、王、之に*假る、という。
この場合の之は、豊の時を指す。
しかし、天地陰陽の法則では、永遠長久に豊大であることはない。
豊盛も極まれば、次には必ず衰える。
とすれば、その衰えるときが来ることを、予め憂い、あれこれ画策しようと慮りたくもなるが、徒に憂いても、それでどうにかなるわけではない。
豊盛を保ちたいのであれば、そんなふうに憂いて右往左往するよりも、まずは日月が下土を照臨するように、施策に偏りがないのが、重要である。
もし、依怙贔屓などがあるときには、凶衰の道が忽ちに至るものである。
これは、王者の最も慎み深く戒めることである。
日中すれば則ち日は傾き、月満ちれば則ち欠ける。
王者の盛衰もまたこの如くである。
なんとかその中を保持するよう心がけないといけない。
だから、憂うる勿れ、日中に宜し、という。
なお、日中というのは、遍く照らして依怙贔屓ないことと、盈虚消息を警戒することの、両方の意を兼ねている。
・・・・・中略・・・・
九三、豊其沛、日中見沫、折其右肱、无咎、
九三(きゅうさん)、其(そ)の沛(とばり)を豊(おお)いにす、日中(にっちゅう)に沫(ばい)を見(み)る、其(そ)の右肱(うこう)を折(たお)る、咎(とが)无(な)し、
沛とは、幕の類にして、その覆い暗ますことが蔀よりもさらに深いことの喩えである。
沫とは、北斗星などとは違う名も無い小さく弱々しく光る星のことである。
暗まされることが愈々甚だしく、日中に小さく弱々しく光る星さへも見える、ということである。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
だから、其の沛を豊いにす、日中に沫を見る、という。
右肱とは、右の腕を指す。
右は利き手にして、有用の股肱の臣という義である。
ただし、この九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても、上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて諂い媚びる者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)する。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
だから、其の右肱を折る、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。
あとどうでしょうね。
雷火豊 3爻
参考 1
上記文抜粋
・・・・・・
三爻 爻辞 豊其沛。日中見沫。折其右肱。无咎。
(そのはいをおおいにす。にっちゅうまいをみる。そのゆうこうをおる。とがなし。)
対処法 「沛」は天幕。「沫」は星くず。「右肱」は右ひじのこと。「天幕を更に大きくかけた。暗黒の中、まるで日中に星くずを見るようだ。右 ひじを折って不便であるが、問題はない」。実力が発揮できなかったり、右腕と信じていた者に裏切られたりする危険性のある時ですが、相手は小物で問題あり ません。しかし、安全第一に考える時です。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
参考 2
上記文抜粋
・・・・・・
豊とは、大、盛大、という意。
この卦は離を明とし、震を動とすれば、明らかにして動く様子である。
明らかでないときは通暁するところなく、動かざるときには何事も為し得ない。
とすれば、逆にこの卦のように、明らかにして動くときには、その事は盛んにして大なるに至るはずである。
だから豊と名付けられた。
また、震を雷とし、離を電(雷光=稲妻)とすれば、雷電相合うときには、その勢いが最も盛大なときである。
だから豊と名付けられた。
また、離を太陽とし、震を動くとすれば、太陽が動きながら天下を照らし臨み、その光明盛大な様子である。
だから豊と名付けられた。
また、離を明とし智とし、震を威とし勇とすれば、智勇兼ね備わっている様子である。
智勇兼ね備わっていれば、その威明は盛んに大なるものである。
だから豊と名付けられた。
卦辞
豊亨、王*假之、勿憂、宜日中、
豊は亨(とお)る、王(おう)之(これ)に*假(いた)る、憂(うれ)うる勿(なか)れ、日中(にっちゅう)に宜(よろ)し、
*假の字は、沢地萃と同様に、通本では仮の正字体の假としているが、中州はイ(ニンベン)では誤りであって正しくは彳(ギョウニンベン)だと指摘している。
しかし、JISにもユニコードにもその字はないので、*假で代用しておく。
豊は勢いが盛んで大なることだが、そうであれば何事も亨通するものである。
だから、豊は亨る、という。
また、明らかにして動くときには、事に臨んで疑い惑い優柔不断になることはなく、そうであるのなら、何事も遂げられないことはない。
だから、亨る、という。
次の文節の王とは、一般的に言う王者のことであり、至尊の称号にして、絶大な勢力を保ち、巨万の富とともに君臨している者である。
この卦は、このように隆盛を誇っているときであり、とすれば王は、このときすでに豊に至っていることになる。
だから、王、之に*假る、という。
この場合の之は、豊の時を指す。
しかし、天地陰陽の法則では、永遠長久に豊大であることはない。
豊盛も極まれば、次には必ず衰える。
とすれば、その衰えるときが来ることを、予め憂い、あれこれ画策しようと慮りたくもなるが、徒に憂いても、それでどうにかなるわけではない。
豊盛を保ちたいのであれば、そんなふうに憂いて右往左往するよりも、まずは日月が下土を照臨するように、施策に偏りがないのが、重要である。
もし、依怙贔屓などがあるときには、凶衰の道が忽ちに至るものである。
これは、王者の最も慎み深く戒めることである。
日中すれば則ち日は傾き、月満ちれば則ち欠ける。
王者の盛衰もまたこの如くである。
なんとかその中を保持するよう心がけないといけない。
だから、憂うる勿れ、日中に宜し、という。
なお、日中というのは、遍く照らして依怙贔屓ないことと、盈虚消息を警戒することの、両方の意を兼ねている。
・・・・・中略・・・・
九三、豊其沛、日中見沫、折其右肱、无咎、
九三(きゅうさん)、其(そ)の沛(とばり)を豊(おお)いにす、日中(にっちゅう)に沫(ばい)を見(み)る、其(そ)の右肱(うこう)を折(たお)る、咎(とが)无(な)し、
沛とは、幕の類にして、その覆い暗ますことが蔀よりもさらに深いことの喩えである。
沫とは、北斗星などとは違う名も無い小さく弱々しく光る星のことである。
暗まされることが愈々甚だしく、日中に小さく弱々しく光る星さへも見える、ということである。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
だから、其の沛を豊いにす、日中に沫を見る、という。
右肱とは、右の腕を指す。
右は利き手にして、有用の股肱の臣という義である。
ただし、この九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても、上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて諂い媚びる者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)する。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
だから、其の右肱を折る、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。
PR