演劇に関しては、前回のエントリで書いた「受益者」の割合が、一部の演劇ファンに限られる、というのも、平田さんが叩かれやすい原因なのだと思います。
これは、以前に私が書いた記事の中で、世間の人間は演劇人にあまり好意的ではない、と見たのと同じことだろう。つまり、「人間(俗人)は自分が知らない物事を恐れ、警戒し、その関係者が『いい目』を見ていると嫉妬し憎悪する」のである。当然、私もその俗人のひとりだ。
なお、引用しなかった部分を含め、下の記事は全体が非常にいい。私も平田オリザという人間を少し理解し、高く評価するようになった。
(以下引用)
僕は演劇や舞台作品から「生きていてよかったな」という体験を何度ももらってきた人間なので、こういう体験を生んでくれる人たちを助けたいのです。
正確には、僕自身にはそれだけの力がないから、政治や多くの人に目を向けてもらって、サポートしてあげてほしい。
ゴールデンウィーク中、家でずっと本を読んだりDVDを観たりしていたのですが、昨年公開された『シティーハンター』の映画のDVDを観て、なんだか泣けてきたのです。「ラーメン屋に行ったら、ラーメンが出てきた感じ」と評されたこの作品なのですが、往年の『シティーハンター』ファンにとっては、懐かしいところだらけでした。90分の映画を観終えて、「ああ、この90分の幸せだけでも、とりあえず生きていて得したな」と思ったんですよ。
人間が生きていくのには、食糧や水、衣類、電気やガス、その他さまざまなインフラが必要です。それらがないと、生きていけない。
でも、それが「不要不急」であるとしても、エンターテインメントがない生活って、やっぱり寂しい。
平田オリザさんのことは嫌いでも、舞台演劇や役者さんたちのことは、嫌いにならないでほしい。
そして、今回の件での平田さんの発言はあまりにも不用意かつ不躾だけれど、平田さんのこれまでの活動が、それで全否定されるものではないと思うのです。
(ただ、こうなってしまうと、やっぱり「コミュニケーションの技術」とかを教える資格があるのか、と言いたくはなりますね……)
「上から目線」とか「貴族か」みたいな反応もありますが、僕はアートを生業にする人って、「ふつうじゃない」場合が多いのだと思うし、観客としては「ふつうじゃない発想や作品」を求めるのに、「常識人であること」を必要条件にするのは、ちょっと酷じゃなかろうか。
アートを支えてきた人には、本物の貴族や「野垂れ死にも辞さない人たち」が大勢いたのも歴史的な事実ですし。
この騒動で、これまで平田さんがずっと続けてきた「コミュニケーション論」が揺らいでしまうのは、僕にとっては、とても悲しいことなのです。
それこそ、「コミュニケーション能力と人格とは、イコールではない」のかもしれないけれど。