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言葉によって事象が単純化される危険性

最近の人間(特に若者)が、「人前で怒りを示すこと」をすべて「キレる」で表すことを疑問視したツィートに反応したツィートの一部だが、私も、これは良くない傾向だと思う。いや、そのツィートによって初めて意識したのだから偉そうなことは言えないが、たとえば、若いころの流行語で、それを耳にするたびに腹が立った「ウザい」という言葉も、今の私はさほど気にならなくなった(まあ、さすがに、自分が「ウザい」と言われる対象になると、その言葉に殺意が湧くが、他人にはこの感覚は理解できないかもしれない。)ように、言葉というのは慣れてしまうものだが、その慣れてしまうこと自体が良くないのではないか。
話を「キレる」に戻すと、怒りというのは理性でコントロールできる段階とコントロールできない段階があり、「キレる」はその後者を意味したはずだ。ところが、例のテレビ番組での若一氏の怒りは(音声無しの動画でしか見ていないが)十分に抑制されたものだったと思う。つまり、怒ってはいたが「キレて」はいない。ただ、周囲の人間が凍り付いた空気は無声の動画でも感じられた。それは「オンエア中のテレビ番組生放送」の中で有りうべからざる事態が現出したからだろう。つまり、プロデューサーその他、偉い人たちがGOサインを出した番組内容が目の前で批判されているという驚天動地の事態に為す術を知らないという状態だったのではないか。
まあ、それはともかく、「怒りの表出」は必ずしも「キレる」と単純に言えるものばかりではない、ということだ。映画やドラマなどに毒されて、怒った人間は周囲の物をぶっ壊すような行動を取るものだ、と思っている若者は多いと思うが、冷静で理性的な人間は物に当たったりはしない。だが、その怒りが、「キレた」人間の怒りより小さいわけではない。そもそも、その手の行動(物体破壊行為や大声での威嚇)は、周囲の人間に見せるための「お芝居」なのだから、むしろ「本当はキレてはいない」のだ。


  1. さんがリツイート
  1. あの場で若一さんの批判に応答しなかった(できなかった)諸氏は、批判の趣旨を理解する以前に(あるいは内心おかしいと感じたかもしれないが)、TV番組を滞りなく進行する、という暗黙の「空気」に殉じたのだろう。ある特定の場の「空気」に同調することは時にそれ以上のなにかを失うことにつながる。
  2. 2件の返信 113件のリツイート 247 いいね
  1. 報道番組での若一光司さんの激烈な批判(これは「キレた」のではなく、正当な「批判」である)。ある特定の場において、時に「空気を読まない」ことがいかに重要であるかを端的にあらわした事例ではなかろうか。
  2. 2件の返信 218件のリツイート 544 いいね
    1. さんがリツイート
    1. ああ、俺も似た感覚で受け取っています。周囲とは違う何らかの感情表出に関して“キレる”って使っている感じすかね。世代もそうだけどネットに多く見られる印象。


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