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東海アマ氏の夢想

「東海アマブログ」記事後半で、内容的には私にはまったく肯定できない部分が多々あるが、一応後半を全部載せておく。どうやら氏も「資本主義否定論者」のようだ。
私自身資本主義否定論者だが、共産主義は妄想だとしか思っていない。社会主義は「官僚主義をいかに毒抜きするか」という運用次第だろう。一番いいのは「資本主義と社会主義の結婚」であり、高度成長期の日本はまさに「世界で一番成功した『社会主義』国」と言われていたのである。その冗談は、まさに正鵠を射ていたのだが、単なる冗談と思った人のほうが多いだろう。

まあ、しかし、利他主義をこれほど強調しながら、ご自分の人生には後悔しかない、というのは何とも奇妙な論理である。「他人の笑顔」が見たければ、相手にカネを100万円くらいもやればいい。よほどの大富豪以外は大喜びするだろう。一緒に辛い労働をして誰もが笑顔である、というのは、ご当人の共産主義嫌悪と裏腹に、昔の共産主義プロパガンダにでも毒されているのではないか。

言うまでもないが、私は東海アマ氏の「反原発活動」その他の社会的活動を尊敬し、その行動力は凄いと思っている。しかし、妄想と現実の区別がつかない人間に私には思える。一種の「宗教的人間」だろう。素晴らしい記憶力を持ちながら、その頭脳は感情が理性を支配している印象だ。まあ、多くの「学問のある馬鹿」よりははるかに上等な人間だと思うから、そのブログもいつも読むのである。ただ、毎度毎度同じ話の繰り返しが多すぎる。一種の偏執狂とも言える。
どうでもいい話だがユーモア感覚が欠如しているのがキチガイの特徴らしい。とは言っても、人間としてキチガイに劣る「健常者」は膨大にいる。

(以下引用)

ここまでは、事情があって働けない人を攻撃することが、どれほど愚かなことかを説明したかった。
 だが、それでは、一生懸命働くことに、どんな意味があるのか、命令や社会的圧力に従って働くことに、どんな意味があるのかについて考えてみたい。

 資本主義の金儲けメカニズムが存在しない社会で、我々が本当に必要なものはどれくらいなのか? についてきちんと考えている人は非常に少ない。
 たとえば、家賃とか食品、とか衣料品には、資本主義経済による金儲け利益が乗っている。それが、どの程度のものなのか? 
 つまり、資本主義による搾取がない場合、我々は、どれだけ労働をすれば生きてゆけるのか?

 ネット上を調べてみても、搾取のメカニズムについて説明しているサイトでも、きちんと計算しているデータは見当たらない。
 https://okane-madoguchi.com/capitalism-exploitation-get-out/

 はっきりしたデータは確認できないが、私が若い頃調べた試算では、現在週五日労働を強いられている労働者が、同等の生活水準で搾取がなければ、週2~3日程度働けば十分だという資料を見た記憶がある。
 残りは資本家が吸い上げてゆくわけだ。それが世界中の投機、投資マネー、つまり金融博打に使われて、虚構経済を作っている。また、それが戦争を引き起こしている。

 搾取がない場合の内容は、食料生産のために週一日、住処や衣類生産のために週一日というところだ。
 だが、資本主義は金儲けが至上命題なので、どんどん合理化・効率化を繰り返し、搾取のせいで生産性が大きく高まるという面もある。
 もしも、搾取がなければ、合理化、効率化の必要もなくなるので、生産性は悪化するにちがいない。

 西欧的な資本主義の合理化思想では、生産性が第一義に問題にされる。これに対し、職人国家の伝統を持つ日本では、「人々に満足と幸せをもたらす」職人的満足が重視される。だから三井高利のような「三方よし」思想が登場してくる。
 https://nbc.ieflea.market/2055/

 まあ、日本社会は資本主義による効率化一辺倒ではなく、職人的満足を遺した社会でもあった。その結実が、トヨタのハイブリッドやスズキアルトという芸術的商品だと私は思う。
 職人的芸術の最高峰は、東芝創業者の田中久重かもしれない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B9%85%E9%87%8D

 職人社会である日本は、資本主義国家群のなかでも別格なのだが、それでも、搾取のない場合、人々が普通の生活を送るのに必要な労働日数は、週2~3日である。
 だから、もしこれから第三次世界大戦で、世界の虚構経済が根底から崩壊し、わずかに生き残った人々が産み出す「搾取のない」社会では、週2日を自分のために、週一日を社会のために、残りは人生と健康のために過ごせば良いことになる。

 新しい社会では、竹中平蔵のように90歳まで働かせる権力者は出てこない。もちろん竹中に薫陶され、「年金は80歳から」と表明した小泉進次郎も必要がない。
 戦争後は、たくさんの弱者が産み出されるだろうが、弱者も強者も手を取り合い、助け合って生き抜く社会になるだろう。
 だいたい、縄文、弥生時代のライフスタイルに戻るのではないかと予想している。

 世界大殺戮後の新しい社会では、たぶん物質的欲求よりも、精神的欲求が圧倒的に重視されると思う。
 モノではなく心の社会がやってくる。もう金儲けや他人を見下す競争意識など、存在理由がない。
 人々は、他人の笑顔だけを心の拠り所として生きようとするのだ。

 なんで、こんなことを書いているのかというと、中東情勢を見ていると、もうハルマゲドンが目の前に迫ってきていて、世界中が戦火に包まれて、大半の人々が生きられない可能性が強いと思わざるを得ないからだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B2%E3%83%89%E3%83%B3

 もう資本主義が人類の生殺与奪を握る社会が終わりに近づいている。
 人々は「金を儲けて他人を見下す」という価値観から自由になる。最低限、生きるだけで必死になり、生きていることの本当の意味は、「他人の笑顔を見ること」だと知るようになる。

 そんな時代が、かつて日本にもあった。1945年の敗戦後だ。それから20年間の日本社会は、生活はひどく貧しかったが、心は極楽だったかもしれない。
 みんなが、他人の笑顔を心の拠りどころにして生きていたからだ。

 我々は肉体を失うかもしれないが、心配しなくてもいい。心=魂は、いくらでも再生する。再び新しい肉体を得て、究極の真理を獲得するための人生を始めるのだ。
 これが輪廻転生の本質であり、それは因果応報の原理によって定められる。
 死を恐れる必要はない。次の人生が待っているからだ。
 それは、人生のカルマを少しずつ還してゆく人生だ。私自身も恥ずかしい、この人生での失敗を、次の人生で回復したいと熱望している。

 

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