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癌治療の怖さ

私がブログを書き始めた最初のころから、私は「癌治療のほうが癌そのものより危険だ」ということを何度も書いているが、それは、昔の仕事の同僚が、癌治療を始めてひと月かそこらでみるみる衰弱して死んだことがあったからだ。病名は「喉頭がん」であり、手術ではなく、おそらく抗癌剤治療か放射線治療だったと思う。最後に見た時は、棒につかまらないと歩けない状態で会社に(何かの都合で)来たが、会話はできたから、切除手術ではなかったと思う。まあ、治療法が何であれ、癌というのは治療のほうが怖いと心から思わされた。

(以下引用)

「このままでは確実に死ぬな」立てない、食べられない、水も飲めない…“余命4ヶ月の森永卓郎(67)”が直面した「がん治療トラブル」の正体


配信

文春オンライン

森永卓郎さんにいったい何が… ©時事通信社



史上最悪のお正月


#137 癌について(付・二種類の読書)



 



岡田節人と南伸坊の共著「生物学個人授業」も、学問を娯楽として楽しんでいる好著だが、その中に癌という病気は種としての人間にとってはたいした問題ではないという趣旨の、岡田先生(もと京都大学教授)の発言がある。というのは、癌は基本的に生殖年齢を過ぎた個体に発生するものであるから、種の存続には影響がないからだ。これを私が誤解を恐れずに言えば、「お前は生物としての使命は終わったから、もう死んでもいいよ」という自然のシグナルだとも言える。もちろん若年性の癌もあるが、それは若年性の高血圧や糖尿病と同様、例外に属する。



(私の読書には二つの傾向があって、純粋な娯楽のための読書と、多少は知識や考えのヒントを得ようとしての読書がある。後者の場合でも、娯楽性の無いものはとても読む気にはなれないのだが、公立図書館という奴は、探せば面白い本はいくらでもあるものだ。「生物学個人授業」も南伸坊という人間の知的咀嚼力によって、難しい生物学の話題が楽しく分かりやすく語られている。)



さて、癌とは実は成長細胞である。つまり、本来なら有用な細胞であるはずだが、成長期を過ぎて行き場を失った成長細胞が、大脳の誤作動によって(あるいは細胞のオートマティックな反応によって)無駄な肉腫となってしまったものだろう。だから癌になったからと言って大騒ぎをせず、さっさと切ってしまえばいい。しかし、放射線治療や薬物治療は癌そのものよりも大きな害を人体に与えるのである。というのが私の考えだ。



 



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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