こういう「いじめ」が「冗談」で済まされる小社会はどこにでもある。まず、家庭がそうだったりする。
そこにあるのは、大げさに言えば、「権力と支配」の構造だ。力のある人間が力の無い人間に権力をふるい、自分の思うままに支配しようとする、そういう関係である。兄や姉の立場にいる人で、弟や妹に「権力」をふるったことのない人は少ないだろう。まともな精神なら、幼い者(弱い者)は守るべきもの、と考えるはずだが、家庭でも学校でも現実はそうなってはいない。幼い者や弱い者が被支配者になっている。まして、その他の集団ではなおさらだ。
社会関係は「助け合い(もしくは保護と被保護)」の関係になるか、「支配と被支配」の関係になるかのどちらかだ。前者なら天国、後者なら地獄となる。(戦闘集団の内部では必ず支配と被支配の関係になる。そういう戦闘集団が存在すること自体が、その社会の地獄性を示している。)
「暴力」の前兆として「冗談としての暴力」がある、という指摘はかなり貴重だと思う。
「本気じゃなかった」や「本心ではないから」が犯罪や悪行に関して何の弁解にも免責事項にもならないということを社会全体の共通認識とする必要があるのではないか。
(以下引用)
DVをする人の特徴と、すぐに暴力が出る子の特徴が似ている話冗談のつもりでも相手が嫌がったらやめましょう
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