このブログは私の日記や備忘録のようなものであり、ノートに書くより書きやすいし、公開しておけば、まったく未知の他人に読まれ、その脳の中の賛否のフィルターを通って、かすかな影響を与える可能性も少しはある。まあ、ネットで袖すりあった人々との一方的なお喋りでもあるわけだ。これも多生の縁ならぬ多少の縁だろう。誰にも読まさないで机の中に隠すような日記よりいい。そもそも、誰にも読まれたくないような思想なら、未来の自分が読んでも恥ずかしく思うだけだろう。いわゆる、青春の黒歴史としての日記はそれである。
現在の私は感性がかなり鈍麻し、思考力も一部低下している代わり、考えたとおりのことを書いても恥ずかしくない(心の欲するところに従えども矩を超えず、である。)ので、だいたいは正直に書いている。政治的な発言のために小林多喜二のような末路になっても、まあいいか、と思っている。ヨブではないが、どうせ裸で泣きながら生まれてきた身であるから、死ぬ時も裸で泣きながら死んでもいい。
と、ここまで書いたのは、自分の見た夢の話を書くのを少しためらっているだが、それは、他人の見た夢の話ほどつまらないものはない、という例の言葉があるからだ。これはかなり人口に膾炙した言葉だが、誰の言葉かは知らない。だが、これほど知られているのは、多くの人が同じように感じているのだろう。夢が当人に与える切実感と、他人がその話に感じる馬鹿馬鹿しさの落差は相当に大きい。だが、このブログは日記だ、と考えれば、ここに記録して悪いはずはないだろう、と自分を納得させるのが、長い前置きを書いた理由だ。
さて、夢の大半は覚えていないので、覚えている部分だけを書く。
私(20代かと思うが、後で年齢設定が変わるようだ。)は何かの会社のアルバイトとして勤め、あるプロジェクトが終わったその打ち上げパーティらしきものに出席しているようだ。しかし、そのパーティがなぜか小さな観光旅行の一行(これも「パーティ」であるww)になり、どこだか知らない、景色のいい田舎(後で見る風景は、沖縄のどこかにありそうなものだ。)までバスで移動する。その時に2台のバス(商用バスではなく、映画のロケなどに使うようなものだ)に分乗したのだが、私が乗ろうとしたバスに後から乗り込んできたのが、何と仲代達矢なのである。まだ40代くらいの精悍な顔で、どうやらこの会社(会社ではなく病院だった気もする)の中堅幹部らしい。あるいは、私たちは映画のロケをしていたのかもしれない。と言うのは、仲代達矢がバスに乗り込んだ後、若い娘たちが同じバスにどっと乗り込んできて、座席が足りなくなった時、私は彼に「仲代さんがこのバスに乗るもんだから、こんなことになった」と責めるようなゴマをするようなことを言って、他の人に座席を譲って別のバスに乗ったからだ。その後、バスは観光の目的地まで行き、そこで降りたのだが、海の見える小高い丘といった趣の場所で、そこで人々は展望塔に上って景色を眺めることになった。その最上階らしきところに行くには、なぜか途中に階段が無い場所をロッククライミングのように壁をよじのぼり、さらに頭上に突き出た水平の壁の小さな穴をくぐりぬけないといけないのだが、ここにフロイド的な解釈をされても困る。そもそもフロイドは天才だが、夢のすべてを性的意味に還元するのは間違いだ、というのが私の意見である。で、その難関を通り抜けた人々が展望塔の高い階のパーティ会場にたくさんいる。つまり、「打ち上げパーティ」は最初からここで行う予定だったようだ。薄暗いその会場にいた若い「正社員」たちがアルバイトの私に侮蔑的な言葉を何か言ったようにも思うが、よく覚えていない。で、仲代達矢がここでまた登場して、「今回のプロジェクトに関して、アルバイトの立場から意見や批判の言葉が聞きたい」というようなことを言う。私は、それに対して、「批判の言葉は、下の人間の立場を危うくするだけだから、言う気はない」というようなことを言った気がする。
つまり、アルバイトの人間が接するのは下っ端の人間だけだから、その批判の対象もまた下っ端の人間だけになるわけで、彼らの言動に不満があろうと、それを言えば彼らがワリを食うだけの話だ、ということである。仲代氏は納得したような不満なような表情だった。
その後、なぜかそこに私の古い知人である女性が現れて、昔話などをするのだが、その顔がなぜか堀北真希であったような気がする。私はこの女性とは単なる友人関係であり、堀北真希のファンでもない。で、このパーティのカラオケ大会で私も何か歌おうとして曲のメニューを探しても、「仮面ライダー」的なお子様特撮映画主題歌ばかりで、ロクなものが見つからずカラオケ本のページをめくっているところで目が覚めたのである。
何やら、自分の人生への心の奥底の不満がこういう夢になったような気もするが、まあ、単に、夢は小僧の使い、じゃない、五臓の疲れだろう。(ここに書いていないことが一つあるが、書くと痛くもない腹を探られそうなのが嫌だから、書かない。メモだけしておく。あるイベントに関わる、アルバムと料理のことである。)
現在の私は感性がかなり鈍麻し、思考力も一部低下している代わり、考えたとおりのことを書いても恥ずかしくない(心の欲するところに従えども矩を超えず、である。)ので、だいたいは正直に書いている。政治的な発言のために小林多喜二のような末路になっても、まあいいか、と思っている。ヨブではないが、どうせ裸で泣きながら生まれてきた身であるから、死ぬ時も裸で泣きながら死んでもいい。
と、ここまで書いたのは、自分の見た夢の話を書くのを少しためらっているだが、それは、他人の見た夢の話ほどつまらないものはない、という例の言葉があるからだ。これはかなり人口に膾炙した言葉だが、誰の言葉かは知らない。だが、これほど知られているのは、多くの人が同じように感じているのだろう。夢が当人に与える切実感と、他人がその話に感じる馬鹿馬鹿しさの落差は相当に大きい。だが、このブログは日記だ、と考えれば、ここに記録して悪いはずはないだろう、と自分を納得させるのが、長い前置きを書いた理由だ。
さて、夢の大半は覚えていないので、覚えている部分だけを書く。
私(20代かと思うが、後で年齢設定が変わるようだ。)は何かの会社のアルバイトとして勤め、あるプロジェクトが終わったその打ち上げパーティらしきものに出席しているようだ。しかし、そのパーティがなぜか小さな観光旅行の一行(これも「パーティ」であるww)になり、どこだか知らない、景色のいい田舎(後で見る風景は、沖縄のどこかにありそうなものだ。)までバスで移動する。その時に2台のバス(商用バスではなく、映画のロケなどに使うようなものだ)に分乗したのだが、私が乗ろうとしたバスに後から乗り込んできたのが、何と仲代達矢なのである。まだ40代くらいの精悍な顔で、どうやらこの会社(会社ではなく病院だった気もする)の中堅幹部らしい。あるいは、私たちは映画のロケをしていたのかもしれない。と言うのは、仲代達矢がバスに乗り込んだ後、若い娘たちが同じバスにどっと乗り込んできて、座席が足りなくなった時、私は彼に「仲代さんがこのバスに乗るもんだから、こんなことになった」と責めるようなゴマをするようなことを言って、他の人に座席を譲って別のバスに乗ったからだ。その後、バスは観光の目的地まで行き、そこで降りたのだが、海の見える小高い丘といった趣の場所で、そこで人々は展望塔に上って景色を眺めることになった。その最上階らしきところに行くには、なぜか途中に階段が無い場所をロッククライミングのように壁をよじのぼり、さらに頭上に突き出た水平の壁の小さな穴をくぐりぬけないといけないのだが、ここにフロイド的な解釈をされても困る。そもそもフロイドは天才だが、夢のすべてを性的意味に還元するのは間違いだ、というのが私の意見である。で、その難関を通り抜けた人々が展望塔の高い階のパーティ会場にたくさんいる。つまり、「打ち上げパーティ」は最初からここで行う予定だったようだ。薄暗いその会場にいた若い「正社員」たちがアルバイトの私に侮蔑的な言葉を何か言ったようにも思うが、よく覚えていない。で、仲代達矢がここでまた登場して、「今回のプロジェクトに関して、アルバイトの立場から意見や批判の言葉が聞きたい」というようなことを言う。私は、それに対して、「批判の言葉は、下の人間の立場を危うくするだけだから、言う気はない」というようなことを言った気がする。
つまり、アルバイトの人間が接するのは下っ端の人間だけだから、その批判の対象もまた下っ端の人間だけになるわけで、彼らの言動に不満があろうと、それを言えば彼らがワリを食うだけの話だ、ということである。仲代氏は納得したような不満なような表情だった。
その後、なぜかそこに私の古い知人である女性が現れて、昔話などをするのだが、その顔がなぜか堀北真希であったような気がする。私はこの女性とは単なる友人関係であり、堀北真希のファンでもない。で、このパーティのカラオケ大会で私も何か歌おうとして曲のメニューを探しても、「仮面ライダー」的なお子様特撮映画主題歌ばかりで、ロクなものが見つからずカラオケ本のページをめくっているところで目が覚めたのである。
何やら、自分の人生への心の奥底の不満がこういう夢になったような気もするが、まあ、単に、夢は小僧の使い、じゃない、五臓の疲れだろう。(ここに書いていないことが一つあるが、書くと痛くもない腹を探られそうなのが嫌だから、書かない。メモだけしておく。あるイベントに関わる、アルバムと料理のことである。)
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