「ギャラリー酔いどれ」から転載。
幾つか疑問なところもあるが、資本主義の本質を見事に剔抉している快文章だ。東海アマ氏の文章はいつも痛烈で力がある。
ただ、私は「利己主義」に対して「利他主義」という概念を置くことにはあまり賛成できない。それだと、社会の全員が聖人君子になることになる。それはありえないことだ。
自分自身の心を冷静に眺めるだけでもそれが不可能なことは誰でもわかるのではないか。
たとえば、ある異性を好きになったとして、自分と同じようにその人を好きになった者がいたら、あなたは「利他主義」で、その人に好きな相手を譲るのか? 餓死寸前の状態で、目の前に一人分の食い物があったとして、あなたは「利他主義」で他人にそれを譲るのか?
奪い合いや殺し合いの状況にならないようにするために、社会全体の制度を改革して全体の幸福水準を上げることを私は「社会主義」と言っている。
単純な話、「奪い合いのジャングル」から「共存共栄の社会」にすることである。
そして新自由主義における政治(安部政治がそれであるのは明白だ。)が「社会のジャングル化」であるのは言うまでもない。
(以下引用)
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-510.html
東海アマブログ 2018-10-15
◎「ビジネス チャンス」 という価値観
より抜粋、
いまどきの人々にとって「ビジネスチャンス」という言葉を聞けば、
人生の努力目標とか、世渡りの尺度とかに関係した、
価値観の根源に位置する言葉のように受け取っている人が
大部分ではないだろうか?
だが、半世紀前まで、人生をビジネスとしてのみ捉える、
この種の価値観は、「強欲」という区分に含まれて、
多くの人々から冷笑され、軽蔑されていたのである。
金儲けしか考えられない人間は、人として何の魅力もない、
愚かな人生を送る人物だという認識が共有されていた。
「ビジネスだけが人生じゃない。
もっと、はるかに大切な価値があるんだよ」
半世紀前に、「ビジネスチャンスを捉えて金儲けしろ」と
世の中で発信しようものなら、底辺の大衆の間では、
一斉にバッシングされた。
金儲けとは、人情世界を拒絶する金持ち、
強欲人種の価値だと思われていた。
「人生も社会も商売ではない、他人のために役立ち、
人を助けることを考えよ」
と説教されるのが普通であった。
人生にとって、もっとも大切な価値は、人の笑顔のために生きる
人情主義であり、すぐれていえば「利他主義」であったといえよう。
明治開国で、たくさんの欧米人が、日本に渡ってきて、
みんな一様に驚いたのが、識字率=教育水準の高さとともに、
道徳的価値観の高さであり、利他主義の浸透であった。
http://yukashikisekai.com/?p=7725
http://kenjya.org/nippon1.html
これは、地域社会の寺=鎌倉仏教が、
民衆を精神的に高く導くことを目標に、
寺子屋や講をはじめ、さまざまな機会で、仏教思想を教育し、
浸透しようとした努力の結果であった。
明治以来の、勤勉で心温かい日本人の価値観を育てたのは、
私は鎌倉仏教であると思う。
(日本の仏教の 9割は、比叡山から育った
法然・親鸞・道元・日蓮らが開いた鎌倉仏教システムの上にあった)
そうして、開国後やってきた外国人たちは、
日本人の道徳的高さ、人間性の気高さに驚き、賞賛した。
金儲け最優先の思想は、資本主義経済の必然であって、
ひとたび社会が 資本主義の原理で動き始めたなら、
必ず利他主義を見失って 利己主義に邁進し、最後には、
社会全体が金儲けしか考えられない、
ちょうど 今の中国式の発想に貶められ、やがてレミングの群れのように、
社会全体が、絶望の断崖に転落してゆく運命に至るのだ。
資本主義というのは、株主の金儲けだけを原理として、
拡大再生産しか許されない。
金儲けの勢いを失ったときが、その組織体の死を意味するのであって、
社会全体が金儲けから見放されたなら、
国ぐるみの集団で断崖から飛び降り自殺する運命しか
残されていないのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-77.html
それでは、何が間違っていたか?
といえば、最大の理由は、利他主義を見失ったことであり、
利己主義と金儲けだけが 人生最大の価値観であると
勘違いさせられてしまったことなのだ。
利己主義社会に「持続可能な 未来」は存在しない。
それは、必ず断崖絶壁での集団自殺に至るしかない。
その形態は、戦争であったり、
アメリカ社会のように、市民同士が殺し合う地獄社会であったり、
人が人を欺すことだけが正義と勘違いした中国のような社会であったり、
ウソをついても、どんな汚い手段でも勝てば官軍と考える韓国社会
であったりするのである。
我々は、中国・韓国・アメリカを見て、何が間違っているのか、
深く考える必要がある。
そうして、日本に「持続可能な 社会」を再生する思想を
再び復活しなければならない。
幾つか疑問なところもあるが、資本主義の本質を見事に剔抉している快文章だ。東海アマ氏の文章はいつも痛烈で力がある。
ただ、私は「利己主義」に対して「利他主義」という概念を置くことにはあまり賛成できない。それだと、社会の全員が聖人君子になることになる。それはありえないことだ。
自分自身の心を冷静に眺めるだけでもそれが不可能なことは誰でもわかるのではないか。
たとえば、ある異性を好きになったとして、自分と同じようにその人を好きになった者がいたら、あなたは「利他主義」で、その人に好きな相手を譲るのか? 餓死寸前の状態で、目の前に一人分の食い物があったとして、あなたは「利他主義」で他人にそれを譲るのか?
奪い合いや殺し合いの状況にならないようにするために、社会全体の制度を改革して全体の幸福水準を上げることを私は「社会主義」と言っている。
単純な話、「奪い合いのジャングル」から「共存共栄の社会」にすることである。
そして新自由主義における政治(安部政治がそれであるのは明白だ。)が「社会のジャングル化」であるのは言うまでもない。
(以下引用)
◆http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-510.html
東海アマブログ 2018-10-15
◎「ビジネス チャンス」 という価値観
より抜粋、
いまどきの人々にとって「ビジネスチャンス」という言葉を聞けば、
人生の努力目標とか、世渡りの尺度とかに関係した、
価値観の根源に位置する言葉のように受け取っている人が
大部分ではないだろうか?
だが、半世紀前まで、人生をビジネスとしてのみ捉える、
この種の価値観は、「強欲」という区分に含まれて、
多くの人々から冷笑され、軽蔑されていたのである。
金儲けしか考えられない人間は、人として何の魅力もない、
愚かな人生を送る人物だという認識が共有されていた。
「ビジネスだけが人生じゃない。
もっと、はるかに大切な価値があるんだよ」
半世紀前に、「ビジネスチャンスを捉えて金儲けしろ」と
世の中で発信しようものなら、底辺の大衆の間では、
一斉にバッシングされた。
金儲けとは、人情世界を拒絶する金持ち、
強欲人種の価値だと思われていた。
「人生も社会も商売ではない、他人のために役立ち、
人を助けることを考えよ」
と説教されるのが普通であった。
人生にとって、もっとも大切な価値は、人の笑顔のために生きる
人情主義であり、すぐれていえば「利他主義」であったといえよう。
明治開国で、たくさんの欧米人が、日本に渡ってきて、
みんな一様に驚いたのが、識字率=教育水準の高さとともに、
道徳的価値観の高さであり、利他主義の浸透であった。
http://yukashikisekai.com/?p=7725
http://kenjya.org/nippon1.html
これは、地域社会の寺=鎌倉仏教が、
民衆を精神的に高く導くことを目標に、
寺子屋や講をはじめ、さまざまな機会で、仏教思想を教育し、
浸透しようとした努力の結果であった。
明治以来の、勤勉で心温かい日本人の価値観を育てたのは、
私は鎌倉仏教であると思う。
(日本の仏教の 9割は、比叡山から育った
法然・親鸞・道元・日蓮らが開いた鎌倉仏教システムの上にあった)
そうして、開国後やってきた外国人たちは、
日本人の道徳的高さ、人間性の気高さに驚き、賞賛した。
金儲け最優先の思想は、資本主義経済の必然であって、
ひとたび社会が 資本主義の原理で動き始めたなら、
必ず利他主義を見失って 利己主義に邁進し、最後には、
社会全体が金儲けしか考えられない、
ちょうど 今の中国式の発想に貶められ、やがてレミングの群れのように、
社会全体が、絶望の断崖に転落してゆく運命に至るのだ。
資本主義というのは、株主の金儲けだけを原理として、
拡大再生産しか許されない。
金儲けの勢いを失ったときが、その組織体の死を意味するのであって、
社会全体が金儲けから見放されたなら、
国ぐるみの集団で断崖から飛び降り自殺する運命しか
残されていないのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-77.html
それでは、何が間違っていたか?
といえば、最大の理由は、利他主義を見失ったことであり、
利己主義と金儲けだけが 人生最大の価値観であると
勘違いさせられてしまったことなのだ。
利己主義社会に「持続可能な 未来」は存在しない。
それは、必ず断崖絶壁での集団自殺に至るしかない。
その形態は、戦争であったり、
アメリカ社会のように、市民同士が殺し合う地獄社会であったり、
人が人を欺すことだけが正義と勘違いした中国のような社会であったり、
ウソをついても、どんな汚い手段でも勝てば官軍と考える韓国社会
であったりするのである。
我々は、中国・韓国・アメリカを見て、何が間違っているのか、
深く考える必要がある。
そうして、日本に「持続可能な 社会」を再生する思想を
再び復活しなければならない。
PR