要は、
教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[5]。
自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[6]。
ということのようだ。日本人の自然尊重と、西洋人の自然破壊(収奪)の姿勢の違いの基点はこの辺にありそうだ。その自然破壊は、DNA改変として人体そのものにまで至ろうとしているわけだ。
(以下引用)
神道(しんとう、しんどう[4])は、日本の宗教。惟神道(かんながらのみち)ともいう。教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[5]。
自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた[6]。
概要[編集]
神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である[注 1]。伝統的な民俗信仰・自然信仰・祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[7][8]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[9]。
神道には確定した教祖、創始者がおらず[9]、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが[5]、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[10]。森羅万象に神が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[11]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神とともにあるの意)」であるといわれる[12]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる[要出典]。
神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。一方で、日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されていた側面もあり[13]、宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた[14]。明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた[15]。
神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[7]。
神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが[16]、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて氏子とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する[17]。