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残りの日々は熾のように消えていく

別ブログに書いたものだが、新春記念にここにも載せておく。あるいは、前にも転載したかもしれない。タイトルは「セプテンバーソング」による。


(以下自己引用)なお、一部省略。




現実世界と脳内世界

昔の人は生まれた村から一歩も出ずに毎日田畑を耕して一生を送った人も多いわけだが、そういう人生ははたして不幸なのだろうか。
仮に私が刑務所の独房に入れられて、残る生涯を、「カラマーゾフの兄弟」と「戦争と平和」の2冊を読むことしか娯楽が無いという状態で過ごすということになったとしても、それもなかなかいい人生だろうと思う。つまり、私の脳内ではドストエフスキーの頭脳とトルストイの頭脳が同居し、その宇宙と世界が展開されているわけで、これほどの素晴らしい人生はほかには無いとすら思うわけである。たとえば「戦争と平和」ならば、本当ならナポレオン戦争当時のロシア貴族にでも生まれなければ体験できなかった豪華で数奇な人生を平凡な日本人が味わえるのだから。
まあ、できれば読書に最適の環境(特に書見台と照明器具つきの安楽椅子)のある独房であってほしいのだが、実はそれを実現するのも本当は容易だと思う。
要するに、外部の世界より脳内の世界のほうがはるかに素晴らしいのだが、我々は現実人生の中でそれを粗末に扱っている、というのがここでの私の主張である。

なお、書見台と照明器具つきの安楽椅子というのは、起業するカネがあれば私自身で作って売り出してみたいのだが、買い手はかなりいると思う。まあ、歯医者で患者が掛けさせられる椅子にクッションをつけ、歯科医の道具を載せる台ではなく書見台や、飲み物やメモ帳や筆記具などを載せる台や、照明灯がついたものだ。リクライニングでき、寝たくなったらそのまま寝られる。
このアイデアは無料で提供するから、どこかの家具屋が作らないだろうか。10万円くらいならけっこう売れるのではないか。製造原価は2万円くらいと予測する。ただし、「一生もの」の家具として頑丈に作ってほしい。


老年という「リライフ」

これは、人生の残り時間を想定した時の私の考えたこととほぼ同じである。
基本的に、「やりたいこと以外はできるかぎりやらない」ということで、その「やりたいこと」というのは、これまでの人生で選んできた「自分にとっての優良品」をさらに良く味わう、ということである。つまり、急ぎ足で通過してきた「優良品」との付き合いを深めることだ。
要するに、自分の感覚や趣味に適合した芸術作品をじっくり味わいたい、ということである。
まあ、それだけだと飽きるから、多少は「未知との遭遇」も必要だろうが、基本的に、古典、あるいは現代の古典の中にこそ優良品はある、というのが私の考えだ。そして、新しいものの90パーセントはクズである。そんなものと真面目に付き合う時間など無い。その価値が確認されてから付き合えばいい。つまり、新しいものの中から世間と時間がクズを振るい落とし、価値あるものを古典として残してくれるわけだ。黒澤明も宮崎駿もそのようにして選別された現代の古典である。もちろん、手塚治虫など漫画の古典もたくさんある。
たとえば、手塚治虫の「W3」など、子供のころにはさほどいい作品とは思わなかったが、少し前に再読した時には、実にレベルの高い作品だと感じた。つまり、子供では分からないものもあるから、「過去の出会い」は再検討してみるべきなのである。
幸い、古典文学や古典的芸術を味わえる程度の教養は(もちろん、本物の教養人の足下にも及ばないが)蓄積されているから、死ぬまで古典が味わえるだろう。つまり、いつ死んでも、何かを楽しみ、満足した状態で死んでいけるということだ。
老年という時間において、これ以上の幸福は無いと私は思う。過去の人生はそのための準備期間であったとすら思う。そして、この幸福のためには必要以上のカネも地位も女も何も要らないのである。



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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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