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損得と好き嫌いが人間を動かす最大の力

引用は「神戸だいすき」さんのブログ記事の一節だが、「あとは、損得と好き嫌いの感情だけ」という括り方は的を射ているのではないか。
結局、社会関係というのは、「損得と好き嫌い」で決まるのが大半だろう。議論などしても、べつにお互いが言葉の定義をした上での議論ではないのだから、相互理解にはほど遠い(気の強いのが勝って、小心な者や口下手な者が不満を心に溜めたまま引き下がる)のが常だろう。つまり、お互いが納得することなどほとんど無いのが社会の人間関係だ、ということだ。
夏目漱石が「智に働けば角が立つ。情けに棹させば流される。とかく人の世は住みにくい」と書いた時代と本質は変わっていないが、昔以上に、「情け」を出すと自分が流されて溺死するような時代になっているように思う。まあ、私自身は現在は社交関係がまったく無い人間なので、これはネットなどによる観察にすぎない。私の知っている人のなかには、どうして他人のためにここまでできるのか、と思うような、情愛の深い、義理を大切にする、仏様のような人も何人もいる。
だが、繰り返せば、社会関係(特に赤の他人同士の共同作業)というのは基本的には「損得と好き嫌い」でほとんど決まっている、と私も思う。要するに、PTAとか自治会というのはそういう人間たちの展覧会になるだろう、ということだ。

極論を言うなら、「構成員の8割がDQNである組織」を動かすのは「民主主義」では不可能だ、ということだ。民主主義を常に擁護する私だが、それは認めざるを得ない。では、日本国民の8割がDQNだとしたらどうなるか。当然、安倍政権のような、半キチガイの悪魔だらけの独裁的政権が跳梁跋扈することになるわけである。或る種の暴力(強制力)と狂信でしかDQNは動かせないし、DQNは上位DQN(強権的DQN)を尊崇するものなのだ。これも、「好き嫌い」が原動力だ。DQNは知的な人間が大嫌いで、DQN仲間が大好きなのである。



(以下引用)



最近ね、同じ日本人でも、言葉が通じない、内容が理解できない、心が届かない人が、たくさんいることがわかってきたの。

昔は、みんなが、同じ物差しをあてがわれていたから、少なくとも、感情を殺してでも「善悪是非のものさし」だけは同じだった。だから、言葉が通じたのだけど。

今は、もっている物差しが、全然違う。常識と言うモノ「通念」というものが、無くなったので、もう、話は通じないのよ、何をどこまですればいいのか、もう、共通項が存在しない。

あとは、損得と好き嫌いの感情だけ・・・


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