人間は、ITによってきれいに整序されるような、合理的で効率的な存在ではないと思っていますので…
という部分は、非常に本質的な部分を突いている気がする。
IT社会の代表みたいな拝金主義の化け物ホリエモンが、スマホがあれば社員は要らない、みたいなことを言っていたが、それと通底するのではないか。
極端なことを言えば(あるいはIT音痴の我田引水的なことを言えば)、合理性から逸脱するところに人間の或る種の価値があるのではないか。
そうでなければ、「何でこんな素晴らしい女性が何でこんな糞みたいな男とくっつくのか」(逆も当然ある)という、恋愛の不思議さも起こらず、他者のために我が身を犠牲にするような「非合理的」な英雄的行為も起こらず、みんながみんな理性的に法に従えば、世間には事件も起こらないだろう。つまり、善においても悪においてもドラマ(あるいは人間が人間の限界を超えること)が無くなるわけである。
つまり、「合理性」だけの社会というのは、社会の全員が或る種のロボットになる、ということだ。その目的がカネ儲けなら、それに障害になる存在は殲滅される。
(以下引用)
アナログ志向といえば聞こえはいいですが、全くIT関連が駄目な私は、
もう随分前から最新の情報機器の操作についていけず、完全にその取得努力を放擲しています。
数年前に買ったPCも電源を入れた後から画面が進まず、今では埃を被っています。
携帯もガラケーのままで、もう修理できませんと案内が来ても、ギリギリまでスマートフォンに変える気はありません。
幸い仕事は律令制時代からある手仕事力仕事がメインの絶滅危惧種の職人仕事ですので、
工作機械内蔵のROM基盤を除けば、すべて肉体アナログ方式でやっています。
手足に痛風発作が出なければ、とりあえず何とかなります。
(もっとも、コロナ騒動以前に最近は仕事の依頼自体がめっきり減ってきていて、今はくだらないコメントを入力するのが日常業務です。そろそろ生活保護の申請準備を考えなければいけない時期にきています)
そんなことで、自分が極度のIT音痴なのをいいことに、
私はむしろ、日本は積極的にデジタルの流れから遅れるほうがいいんじゃないかとも考えています。
外国からFAX使用を嗤われようと、アメリカ標準仕様(思考)のWindowsやMacオペレーションを基軸としたデジタル覇権に対しては、私は何故か本能的にそれを忌避する感覚があります。
まぁ、和製OSのトロンとか汎用性のあるLinuxとかならやる気も出るでしょうが、なにせ知能不足でスキルが付いてきません。
どうせやるなら、自家サーバーのシステム構築・運用くらいまでいかないと満足できませんので…
前にも少し書きましたが、私は一時期、NECのM式(森田式)キーボード入力に凝っていたことがあって、
思考と言語が直結する、パソコン等の入力インターフェイス部分にはちょっと関心があります。
キーボードは楽器のようなもので、習熟しないと思考レベル(速度)では操れません。
かといって、今どきのスマートフォンのフリック入力などは完全にダメですので、思考がダイレクトに言葉に変換できないとイラつきを感じます。
さらに、今まではアナログの非効率的な部分で飯を食ってきた人々が、ITデジタルの効率化という社会的要求によって、多くの部分で淘汰されて仕事を失ってきた状況を見てきました。
私の基本的な考えは「人にできることはまず人にやらせ、機械はその補助的・補佐的なもの」という感じですので、
効率優先の一方的なIT(AI)推進社会は、結果として人間そのものを非効率なものとして排除・排斥・疎外する方向に進んでいくと考えています。
ということで、
人間は、ITによってきれいに整序されるような、合理的で効率的な存在ではないと思っていますので…
デジタル社会にすっかり遅れて、もはやとても追いつけないご老体としては、
もともとIT(デジタル)の全面推進には批判的という無理くりの理由をこじつけて、
アリゾナの爆弾魔・ユナボマーまでとはいきませんが、
気分は「ネオ・ラッダイド」ということになっております。
電磁兵器一発で、IT機器も産業機器も家電も、電気もガスも水道も交通などの他のインフラも、そのすべて壊滅ようなシステムに、軸足の体重をすべて掛ける気にはなりません。