私の経験では天然の塩は甘みがあるようだ。まあ、その製品特有のものかもしれない。
現代の食品は味噌などにもあまり感心できない成分が入っている気がする。これは私個人の印象なので、詳しくは書かない。
コメも小麦も野菜も果物も肉も調味料も「農薬・除草剤・添加物だらけ」である。それでも長寿を保つ人も多いのだから、人間は本来は頑丈な生物ではある。つまり、気にしすぎるのも良し悪しだ。
(以下引用)
「2月下旬から塩水を飲み始めました。天然の塩を小さじ1杯お湯に溶いて、これを朝晩飲む。
最初、ひどい下痢をしました。塩分こんなに摂っちゃいけないのかなと思ったけど、この方法を教えてくれた娘が「下痢は悪いものが出ている証拠だから、ちゃんと出したほうがいい」というので、塩水を続けました。
今、2か月ほど続けているのですが、花粉症がすっかり治りました。この時期、いつもなら鼻水が出て、抗アレルギー薬が手放せないところ、今年は症状がないので、薬も飲んでいません。20年以上悩んできた花粉症が、2か月塩水を飲み続けて、治ってしまったんです。驚きました。こんなに効くのかと思って。
どんな塩を使ってるか?これです。
ちょっとにおいのある塩で、のどに引っかかるような感じがあるけど、効果を実感しているので、我慢して続けています。大阪に堀江発酵堂というのがあって、そこでこの塩を勧められて買いました。
それと、電車にも乗れるようになりました。
小麦をやめたのもよかったし、マグネシウムも効いたけど、どんなサプリよりも何よりも、私には塩が一番効きました。
もう治らないとあきらめていた花粉症やパニックが、ここ最近、まったく出ていない。健康ってこんなに快適なのか、と思います」
心の症状だから対話が必要かと思ったら、なんと、塩水を飲むというアプローチで、花粉症やパニック発作が治ってしまった。
この患者の治癒に際して、僕は何もしていない。経過フォローというか、2年ぶりに来られた人だから、正直顔も覚えていない。
でも、こうやって来院して、すばらしい治療経験を僕に教えてくれる。
僕はただ、観察者として、劇的な改善を記録する。こういう変化が見られるのも医者冥利に尽きます。
塩と水の効用を説く良書は多い。

上記のような症例を経験すると、塩の重要性を実感します。もちろんサプリも有効だけれども、より根本的には、塩と水。まずそこにこだわった上で、それでもなお症状改善が難しいときにサプリを検討する、という順番にすべきでしょうね。
塩の質には、ぜひこだわりましょう。僕が「塩」というとき、それは決して精製塩のことではありません。
塩と精製塩は、別ものです。この点は強調しておきたい。
海水をコップに入れて、そのまま放置すると、水が蒸発し、コップの底に白い粉が残る。これが塩です。
精製塩は化学的に作る。中学生のとき理科の授業で「酸とアルカリを混ぜると塩(えん)ができる」と習ったでしょう。たとえば、

のように、塩酸と水酸化ナトリウムの反応によって塩化ナトリウムができる。あるいは、イオン交換膜を使って塩化ナトリウムを作る方法もある。いずれにせよ、法律上、塩化ナトリウムの含有量が97%以上になれば食塩と呼んで差し支えない。
純度の高い塩化ナトリウムは、保存しておくと固化してしまう。こうなっては、消費者の印象が悪い。そこで、固化防止剤(anti-caking agent)が添加されることになる。具体的には、フェロシアン塩やアルミノケイ酸塩が用いられます。

厚労省はフェロシアン化ナトリウムを無害だとしているけれども、構造式を見ると、シアンがたっぷり含まれた鉄。本当に大丈夫なの?固まって「だま」になるのを防ぐため、精製塩にはこんな添加物が含まれています。
繰り返しますが、塩と精製塩は似て非なるものです。前者は自然の産物であり、後者は科学(化学)の産物です。ものが違えば、当然、体に対する作用も違う。しかし世間一般の人にとっては、いずれも「塩」で、わざわざ両者を区別しようとしない。「塩は高血圧の原因」「塩の摂取量は1日6g以下に」などというマスコミの声を真に受けて、現代の僕らは塩を「避けるべき憎っくき悪」だと思っている。
しかし江戸時代以前の人々は塩が命の源であることを知っていました。「敵に塩を送る」ということわざは、現代日本では成り立たない。塩が命の源だという前提がすでに崩れているのだから、「高血圧の原因物質を送り付けて敵軍の健康状態を弱体化させる狙い」などと解釈されかねない(笑)
かつて罪人に課される刑罰のひとつに「塩抜きの刑」というのがありました。普通に食事をとらせるが、ただ、塩っけだけは一切とらせない。そうすると、罪人はたちどころに音を上げる。体が衰弱して元気が出なくなる。この罪人が現代日本にタイムスリップして病院に行けば、「うつ病」と診断されるだろう。「塩不足によるエネルギー障害」と正しく診断できる医者はいない。