第三十章 功績と褒賞
前章を読んで、「何だ、『漁夫の利』そのままじゃねえか」とお思いになった方は鋭い。
しかし、現実というものはこのようなものであり、もっとも働いた人間が報われるとは限らない。戦で死んだ人間には何も報いはなく、生き残った卑怯者たち(生き残った事自体、彼らが卑怯者であったことを示している。あるいは、幸運なだけ、かもしれないが、卑怯者であった可能性は高いだろう。特に先の戦争で、自分は戦にも出ないで若い兵士たちが死んでいくのを平気で眺めていた老人連中は、極悪人の、人間のクズどもである)が戦争の利得は分け合うものなのである。死んだ人間には、メダルか何かを贈ればそれで済む。要するに、死んだ人間は働き損ということだ。死人に口無し、である。
仕事の功績というものは、その現場が多くの人の目で目撃されていない場合には、実際に働いた人間よりも、後で自分の働きを積極的に言いふらす、口のうまい人間の物とされることが多い。だから、昔の武士たちでも、自分の功績をいかにアピールするかに腐心したものである。「男は黙って……」などというのは、確かに美的行為かもしれないが、それでは本人の自己満足しか得られはしない。
ともあれ、ほとんど何もしなかったフリードは、エルマニア国との戦いの武勲第一とされ、フランシア宮廷で、皇太子をもしのぐ実力者となったのであった。
フランシア国はこの勝利でエルマニア国を手に入れたが、残念ながらエルマニア国を統治するための兵力はほとんど残っていなかった。成り行きとして、フランシア国王マルタンの娘婿のフリードが手持ちの軍を引き連れて、エルマニア国を統治することになったのである。つまり、彼はエルマニア国の国王ということになった。
わずか一年前には素寒貧の猟師だった若者が、ヨーロッパ最大の国の国王となったわけで、いくらお話とはいえ都合が良すぎるが、成り行きというものはこんなものである。ナポレオンだろうが、シーザーだろうが、偶然に恵まれなければあれほどの存在にはならなかったはずで、我々が個人の能力を過大評価するのは、その栄光のはなばなしさに目が眩まされるからである。世の中の出来事の多くは偶然に支配されており、人間の能力と結果とは、半分くらいしか結びつかないものである。また、栄光なるものは、大体は誇大宣伝によるもので、半分は眉唾物と思っていい。
人間は、事が終わった後では、必ず自分や関係者を美化するものであり、その結果、世の中には自称他称の嘘っぱちの偉人伝が満ち溢れることになる。トルストイの「戦争と平和」に描かれたナポレオンとクツーゾフの姿は、現実に近いと思われるが、世の中の人間の大半は、ナポレオンを偉大な英雄とし、クツーゾフなど覚えている人もいない。ナポレオンには、彼を美化する崇拝者が多かったが、クツーゾフにはトルストイ以外に弁護者がいなかったからだ。だから、昔から権力者たちは、自分の宣伝者を周到に手配したものである。
偉大な結果が、その当人たちの能力や判断とは無関係な場合もある。たとえば、日本海海戦の大勝利で、東郷平八郎は名将とされ、作戦参謀の秋山真之は名参謀とされたが、秋山による敵の行動予測は大外れしており、戦の間、彼は何一つしていない。また、東郷の判断による敵前大回頭など愚劣極まる作戦であり、自軍の被害を大きくしただけである。もちろん、そうしなければ敵を逃していたわけだから、止むを得ない行動だったわけだが、それが名将の理由にはならない。結果的には、長い航海で疲弊し、訓練不足の敵を打ち破って名を高めたわけだが、この勝利の「神話」が、その後の日本の軍隊を誇大妄想狂にし、将軍よりも参謀が大きい顔をするような、馬鹿げた参謀信仰を高めたのである。
日本の近代の「偉大な」軍人の戦績を詳しく見れば、その大半は失敗の連続であり、その栄光はたった一度の偶然の大当たりによるものであることが分かるだろう。いかに優れたリーダーでも、その場の状況では味方を全滅させることもあり、いかに無能なリーダーでも、(たとえば弱敵に遭遇するといった)偶然に恵まれて素晴らしい戦績を挙げることもある。それが戦争というものだが、日本の官僚や上級軍人たちは、自分たちの能力こそが勝利の鍵を握っていると信じていた。太平洋戦争における日本の敗北は、日露戦争以降に「システム化された」愚劣さによるものなのである。
さて、フリードは自分の腹心の部下たちをエルマニア国のそれぞれの郡の領主とし、自分はそれらの封建領主の上に立って国を統治した。
仲間たちは皆喜んでそれぞれの郡の領主となったが、ジグムントだけはそれを断った。領主の仕事で頭を悩ますより、気楽に生きていきたいというわけである。そして、彼は何処へとも無く去っていった。
(注)日本海海戦における東郷平八郎への作者の評価は、現在は異なるが、面倒なので、書いた当時のままにしておく。とにかく私は、軍人や軍事専門家というものへの過大評価にこれを書いた当時はいらいらしていたのである。もっとも、東郷の勝利は、ロジェストヴェンスキーの無謀な長距離遠征による疲弊と相手側の訓練不足にその大きな原因があり、東郷が名将であるとすれば、決戦に備えてきちんと自軍の訓練をしていたことにある。つまり、平常の場での準備がこの戦史上のパーフェクトゲームを生んだのである。そして、もちろん下瀬火薬の威力は、敵側の記録にも残されており、こうしたテクノロジー上での優位さも、すべてがうまく作用したのであって、東郷が運のいい男だというのは確かであったようだ。そして、東郷を連合艦隊司令官に選ぶのにその運のよさを判断根拠とした山本権兵衛の判断も結果的には正しかったということになる。さらに、この戦闘の結果で日本が歴史上初めて白人国家を破った有色民族となり、世界の一流国への足がかりを作ったのも確かだが、それは日本の国民性を夜郎自大なものにもしたのである。
前章を読んで、「何だ、『漁夫の利』そのままじゃねえか」とお思いになった方は鋭い。
しかし、現実というものはこのようなものであり、もっとも働いた人間が報われるとは限らない。戦で死んだ人間には何も報いはなく、生き残った卑怯者たち(生き残った事自体、彼らが卑怯者であったことを示している。あるいは、幸運なだけ、かもしれないが、卑怯者であった可能性は高いだろう。特に先の戦争で、自分は戦にも出ないで若い兵士たちが死んでいくのを平気で眺めていた老人連中は、極悪人の、人間のクズどもである)が戦争の利得は分け合うものなのである。死んだ人間には、メダルか何かを贈ればそれで済む。要するに、死んだ人間は働き損ということだ。死人に口無し、である。
仕事の功績というものは、その現場が多くの人の目で目撃されていない場合には、実際に働いた人間よりも、後で自分の働きを積極的に言いふらす、口のうまい人間の物とされることが多い。だから、昔の武士たちでも、自分の功績をいかにアピールするかに腐心したものである。「男は黙って……」などというのは、確かに美的行為かもしれないが、それでは本人の自己満足しか得られはしない。
ともあれ、ほとんど何もしなかったフリードは、エルマニア国との戦いの武勲第一とされ、フランシア宮廷で、皇太子をもしのぐ実力者となったのであった。
フランシア国はこの勝利でエルマニア国を手に入れたが、残念ながらエルマニア国を統治するための兵力はほとんど残っていなかった。成り行きとして、フランシア国王マルタンの娘婿のフリードが手持ちの軍を引き連れて、エルマニア国を統治することになったのである。つまり、彼はエルマニア国の国王ということになった。
わずか一年前には素寒貧の猟師だった若者が、ヨーロッパ最大の国の国王となったわけで、いくらお話とはいえ都合が良すぎるが、成り行きというものはこんなものである。ナポレオンだろうが、シーザーだろうが、偶然に恵まれなければあれほどの存在にはならなかったはずで、我々が個人の能力を過大評価するのは、その栄光のはなばなしさに目が眩まされるからである。世の中の出来事の多くは偶然に支配されており、人間の能力と結果とは、半分くらいしか結びつかないものである。また、栄光なるものは、大体は誇大宣伝によるもので、半分は眉唾物と思っていい。
人間は、事が終わった後では、必ず自分や関係者を美化するものであり、その結果、世の中には自称他称の嘘っぱちの偉人伝が満ち溢れることになる。トルストイの「戦争と平和」に描かれたナポレオンとクツーゾフの姿は、現実に近いと思われるが、世の中の人間の大半は、ナポレオンを偉大な英雄とし、クツーゾフなど覚えている人もいない。ナポレオンには、彼を美化する崇拝者が多かったが、クツーゾフにはトルストイ以外に弁護者がいなかったからだ。だから、昔から権力者たちは、自分の宣伝者を周到に手配したものである。
偉大な結果が、その当人たちの能力や判断とは無関係な場合もある。たとえば、日本海海戦の大勝利で、東郷平八郎は名将とされ、作戦参謀の秋山真之は名参謀とされたが、秋山による敵の行動予測は大外れしており、戦の間、彼は何一つしていない。また、東郷の判断による敵前大回頭など愚劣極まる作戦であり、自軍の被害を大きくしただけである。もちろん、そうしなければ敵を逃していたわけだから、止むを得ない行動だったわけだが、それが名将の理由にはならない。結果的には、長い航海で疲弊し、訓練不足の敵を打ち破って名を高めたわけだが、この勝利の「神話」が、その後の日本の軍隊を誇大妄想狂にし、将軍よりも参謀が大きい顔をするような、馬鹿げた参謀信仰を高めたのである。
日本の近代の「偉大な」軍人の戦績を詳しく見れば、その大半は失敗の連続であり、その栄光はたった一度の偶然の大当たりによるものであることが分かるだろう。いかに優れたリーダーでも、その場の状況では味方を全滅させることもあり、いかに無能なリーダーでも、(たとえば弱敵に遭遇するといった)偶然に恵まれて素晴らしい戦績を挙げることもある。それが戦争というものだが、日本の官僚や上級軍人たちは、自分たちの能力こそが勝利の鍵を握っていると信じていた。太平洋戦争における日本の敗北は、日露戦争以降に「システム化された」愚劣さによるものなのである。
さて、フリードは自分の腹心の部下たちをエルマニア国のそれぞれの郡の領主とし、自分はそれらの封建領主の上に立って国を統治した。
仲間たちは皆喜んでそれぞれの郡の領主となったが、ジグムントだけはそれを断った。領主の仕事で頭を悩ますより、気楽に生きていきたいというわけである。そして、彼は何処へとも無く去っていった。
(注)日本海海戦における東郷平八郎への作者の評価は、現在は異なるが、面倒なので、書いた当時のままにしておく。とにかく私は、軍人や軍事専門家というものへの過大評価にこれを書いた当時はいらいらしていたのである。もっとも、東郷の勝利は、ロジェストヴェンスキーの無謀な長距離遠征による疲弊と相手側の訓練不足にその大きな原因があり、東郷が名将であるとすれば、決戦に備えてきちんと自軍の訓練をしていたことにある。つまり、平常の場での準備がこの戦史上のパーフェクトゲームを生んだのである。そして、もちろん下瀬火薬の威力は、敵側の記録にも残されており、こうしたテクノロジー上での優位さも、すべてがうまく作用したのであって、東郷が運のいい男だというのは確かであったようだ。そして、東郷を連合艦隊司令官に選ぶのにその運のよさを判断根拠とした山本権兵衛の判断も結果的には正しかったということになる。さらに、この戦闘の結果で日本が歴史上初めて白人国家を破った有色民族となり、世界の一流国への足がかりを作ったのも確かだが、それは日本の国民性を夜郎自大なものにもしたのである。
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