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インフルエンザ詐欺

「大摩邇」から転載。
インフルエンザが大きく騒がれるのは製薬業界と医学界の陰謀であり、それに世界中の政府が協力しているのは99%確実だ、と私は思っているが、そもそも、インフルエンザなど、かかったところで2,3日も寝ていれば治るものなのに、何を大騒ぎするのか、とも思っている。風邪とインフルエンザを区別する必要も無い。症状が少し重く、少しつらいだけである。
まあ、入試の時にかかったら災難だが、そうなるのも運命だし、ワクチンを打ったところでかからない保障は無い。インフルエンザウィルスは毎年変化しているし、その年に作ったワクチンは前年のウィルスを対象にしているだろうから、それが効く確率はゼロに近いはずである。会社などなら、ワクチンを打っていることで「私はちゃんと自己管理しています」というアピールになるだけの話である。そもそも、その会社が「ワクチンを打て」と指示する例も多いだろう。迷惑な話である。上が馬鹿だと下が苦労する。


(以下引用)



17:02

補足資料 : 今季の季節性インフルエンザの「恐ろしい」致死率・・・それは 0.・・・

In Deepさんのサイトより
http://indeep.jp/a-diary-of-flu-death-japan-2017/
<転載開始>

   



 


今日、ふと目についたふたつの報道記事がありました。


それまで別の記事を書いていたのですが、何となく、今回はこのことだけを抜粋しておこうという気になりました。


どちらも変なニュース媒体ではなく、朝日新聞と Yahoo ! ニュース(オリジナル報道は、医療介護ニュースの CB News)のふたつのニュースです。


これは、数日前の、


永遠の拒絶への確信 : インフルエンザワクチンの予防接種の「是非」について個人的な結論を見た日(曖昧ではなく完全なる《非》へと)
 2017/01/30


という記事の内容について補強してくれるものであります。この記事のどの部分かと申しますと、


今回ご紹介する記事の中では、特に私がずっと疑問に思っていた「季節性インフルエンザでの世界での死者数」についての下りが私を安心させてくれました。


WHO などの発表統計を見るたびに「多すぎるのでは」と思っていたのですが、インフルエンザでの死者数の真実を見れば、高齢者、乳幼児、基礎疾患のある人などを除けば、


「インフルエンザは驚くほど死なない病気」


だということがわかります。


という部分です。



下は、それぞれのニュース報道からの一部抜粋です。


短く抜粋していますので、そこにある、それぞれの「数字」をご検討下さい。
太字はこちらで強調しています。

インフル、全国で警報レベルに-1週間の患者数は200万人超

医療介護CBニュース 2017/02/03


インフルエンザの全国の患者報告数が警報レベルを上回った。厚生労働省が3日公表した患者報告では、1月23日から29日までの間に200万人超が医療機関を受診したとみられる。


患者が急増している地域の自治体では、手洗いの徹底やマスクの着用に加え、人混みや繁華街への外出を控えるよう呼び掛けている。


この週に全国の医療機関を受診した推計患者数は、前週より約40万人増の約201万人で、年齢別では5-9歳が約35万人で最も多かった。今シーズン(昨年9月以降)の全国の累計患者数は約748万人となった。


 

インフル猛威、高齢者の重症化注意 集団感染で9人死亡

朝日新聞デジタル 2017/02/03


各地で検出されたウイルスは、A香港型(H3N2)が約9割を占める。A香港型は米国や欧州でも流行し、世界的に広がっている。1月に入り、千葉や静岡、香川、鹿児島などでは高齢者施設や病院で集団感染が起き、高齢者ら少なくとも9人が死亡した。施設内の感染拡大を防ぐため、面会を制限している病院や施設も出ている。


 


患者の累計数が 748万人で、死者が 9人。


この朝日新聞の数字は、集団感染の数字であり、一部ではあるでしょうけれど、一応の「目安」として使用させていただきますと、今の時点での、日本での季節性インフルエンザの「致死率」は(例えとして)、



となるのではないでしょうか。


私は計算や数学が苦手ですので、間違っているかもしれないですが、仮に大きく間違っていても、おおよそはこのような天文学的に低いものだといえる気がします。


ものすごく大ざっぱにいって、(集団感染を例にとれば)「 700万人のうち 9人が死亡」ということですと、致死率は 70万人に 1人くらいということになるのでしょうか。


しかも、その死者の内訳は、朝日新聞によれば、以下のようになっています。


・1月16日 インフルエンザによる肺炎で死亡(80代・男性)
・1月20日 インフルエンザによる肺炎で死亡(87歳・女性)
・1月21日 インフルエンザによる肺炎で死亡(60代男性と70代男性)
・1月24日 インフルエンザによる肺炎で死亡(86歳・女性)
・1月25日 インフルエンザで死亡(60代男性と70代男性)
・1月26日 インフルエンザによる肺炎で死亡(80代と90代女性)


ほぼ全員が高齢者であり、また、ほとんどすべての方々が「集団感染」であったことから、何らかの理由で介護や入院となっていた方々で、健康状態的に完全であったとはいえない可能性が高いです。


どこまで拡大して考えても、10代から60代くらいまでの基礎疾患のんい人の死亡率は、やはりほぼゼロに近いのではないかと思うのです。


もちろん、この統計の他にも、様々な死者例はあるのでしょう。しかし、あったとしても、この 10倍というような誤差はないはずで・・・いや、仮に 10倍の誤差があっても、それでも致死率は 0.001%です。


他に、インフルエンザ脳症での若い方の死亡例も2例あることが報じられていたりもしまして、確かに、死は少ない数であろうと重大なことで、数が少ないから問題ないということではありません。


しかし、その死の恐怖を1億人を越える日本人すべてに「厳重に注意」と呼びかけて、ほとんど意味がないともいえる恐怖を煽る意味があるのでしょうか。


この問題は、もはやワクチンの効果があるとかないとか、そういう問題ではないです。


人々に恐怖を与えて、何の恩恵があるのか。


0.0001%とか、あるいは、その 100倍の 0.01%でもいいですが、そういう致死率の病気をリストアップして、それらすべてを「厳重注意」としているなら、それでもいいでしょうが、そうではない。


数値的には何の脅威も感じられないインフルエンザだけが別格の扱いとなって、恐ろしい存在で日本と世界に君臨している。


訳がわからないことが自分たちの生活圏で起きている。


もちろん、実際の数字はわからないです。しかし、現実的に健常者の生命が脅かされているとはどうしても考えられないのです。


ただ、これは、あくまで日本での今季の季節性インフルエンザのことであり、海外を含めたそれ以外のものについては、ちょっといろいろと起きていますが、それはそれとして、特に「数値」を冷静に見ていく必要があるとは思います。


しかし、高齢の方や基礎疾患などがある場合を除き、現状の日本で、インフルエンザを「厳重に注意する」必要があるとは思えないです。



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Mercy Pity Peace and Love

「マイケルと読書と、、」の過去記事の中に、ウィリアム・ブレイクの詩を自分で訳してみる、というのがあって、面白そうなので、管理人氏(女性らしい)の試訳はあまり読まないで、私も訳してみる。こうした英語の原詩に触れる機会は少ないし、頭と感性のいい体操である。
そもそも、私の英語力は中学レベルなのだが、短い文章の翻訳程度の頭脳労働は好きなのだ。
先に、原詩の部分だけをコピーしておく。と言うより、訳詩の部分をカットして載せておき、その一連ごとに私の試訳を挟む形で作業をする。

訳し終えて感じたのは、人類はウィリアム・ブレイクの時代より精神的に退化しているのではないか、ということである。この闘争と不幸に満ちた世界のどこに「慈悲、憐憫、平和、愛」があるだろうか。そして、キリスト教世界でブレイクのような言葉を出す人がどこにいるだろうか。



The Divine Image
(神のイメージ)

To Mercy Pity Peace and Love,
All pray in their distress :
And to these virtues of delight
Return their thankfulness.

慈悲、憐憫、平和、そして愛に向かい、
すべて人はその苦悩の中で祈る:
そしてこれらの嬉しき「良きもの」に対し
人は感謝で応える。

For Mercy Pity Peace and Love,
ls God our father dear :
And Mercy Pity Peace and Love,
ls Man his child and care.

なぜなら慈悲と憐憫と平和、そして愛は、
我らの親愛なる父である神だから:
そして慈悲と憐憫と平和、そして愛は、
その神の子なる人であり、人への神のいたわりなのだから。


For Mercy has a human heart
Pity, a human face :
And Love, the human form divine,
And Peace, the human dress.

なぜなら慈悲は人の心を持ち
憐憫は人の顔であるから:
そして愛は人格的な姿の神性であり、
平和は、人類の衣装であるから。

Then every man of every dime,
That prays in his distress,
Prays to the human form divine
Love Mercy Pity Peace.

この世の片隅にあって
その苦悩の中で祈るすべての人は、
人間的な姿を取った神性に祈るのであり
それが愛、慈悲、憐憫、平和である。

And all must love the human form,
In heathen, Turk or Jew.
Where Mercy, Love&Pity dwell,
There God is dwelling too.

だからすべて人は人の姿をしたものを愛さねばならない
異教徒も、トルコ人も、ユダヤ人も。
慈悲と愛と憐憫が住まうところには、
神もまた住まうのである。








(以下引用)






対訳 ブレイク詩集が疑問だったので自分で訳してみる[2]
f0134963_12293570.jpg


[1]の続き


下記は『無垢の経験の歌』の「無垢の歌」から、[1]で紹介した「人の姿(The Human Abstract)」に対比する

「神の姿(The Divine Image)」という詩です。

英文は、対訳ブレイク詩集(岩波文庫)から書き起しましたが、日本語訳は「私訳」なのでご注意くださいませ。
 
The Divine Image
神の姿


To Mercy Pity Peace and Love,
All pray in their distress :
And to these virtues of delight
Return their thankfulness.

憐れみ、同情、平和や、愛、
そういった苦悩から人は祈り
そして、それらの美徳の喜びに
人は感謝のきもちを返す

For Mercy Pity Peace and Love,
ls God our father dear :
And Mercy Pity Peace and Love,
ls Man his child and care.

憐れみや、同情、平和や、愛は、
親愛なる父である神からのもので
憐れみや、同情、平和や、愛によって
父の子である人間は受けとめられる

For Mercy has a human heart
Pity, a human face :
And Love, the human form divine,
And Peace, the human dress.

憐れみは、人の心臓であり
同情とは、人の顔
そして愛は、人の神聖をあらわし
平和は、人の衣装である

Then every man of every dime,
That prays in his distress,
Prays to the human form divine
Love Mercy Pity Peace.

誰もがあらゆる場所で
苦しいときに祈りを捧げている姿が
ひとの神聖であり
愛や、憐れみ、同情や、平和でもある

And all must love the human form,
In heathen, Turk or Jew.
Where Mercy, Love&Pity dwell,
There God is dwelling too.

だから、すべての人の姿を愛さなくてはならない
異教徒も、トルコ人も、ユダヤ人も
憐れみや、愛や、同情があるところには
神もまた住んでおられるのだ

(訳:yomodalite)

☆William Blake “A Divine Image”(『無垢の経験の歌』)に続く


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学者とは何か



本物の学者とは、その対象とするものを愛し、それをとことん学ぼうとする人間のことです。真の「学ぶ者」は、意識、無意識を問わず、四六時中、学びの対象を愛し、追い求め、選んだ対象についての知識を、真理を、求めて積み上げます。そうしたディープ・ラーニングを実行する頭脳の持ち主こそが、真の学者の名に値します。(藤永茂)


つまり、学者の本質とは、文字通り「学ぶ者」であり、職業や肩書や地位ではない、ということである。




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社員選考段階から正しい企業と間違っている企業

出版社の社員募集としては、実に正しいやり方だと思う。逆に、ほかの出版社はどんな募集の仕方をしているのか、興味がある。
ある種の職業(特に創造に関わる職業)の社員募集は、その職業に対する適性や嗜好や愛着というものが何より優先されるべきだが、単にその職業に付随するもの、たとえばカネが得られる、美女に縁が多い、恰好がいいなどの動機でその職業を志望する人間を簡単に受け入れると、その会社や業界は衰退する。これがかつて日本映画界に起こり、テレビ界に起こったことではないか。
もっとも、オタクだけ集めても衰退する、ということはある。





竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 3時間前

確かに。これで選考の九割はキマリだな。残りは履歴と面接の心証。


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祝「この世界の片隅に」キネ旬2冠獲得!

これで「この世界の片隅に」は批評家投票、読者投票どちらもベスト1になったわけで、これは素晴らしいことだ。映画にうるさい層にも一般大衆にも支持される、という作品は稀ではないか。あの黒澤でさえ、長い間、大衆からは支持されながら、日本の映画評論家からはけなされ続けていたのである。まあ、当時の映画評論家は、「本物」の数人を除いて、映画やくざとでも言うべき疑似インテリ(スノッブ)が多く、飲み仲間の三流監督を持ち上げるために、大物監督をけなすことが普通だった、と私は思っている。
キネマ旬報でも、読者投票と批評家投票では結果が大違いであることが多かった記憶がある。一般大衆(キネ旬読者)は爽やかな映画、面白い映画を好むが、評論家は深刻な、エロと暴力の描写が露骨な、文学思潮における「自然主義」的な映画を高く評価することが多かったのではなかったか。つまり、そちらを「文学的」だと思っていたのだろう。
まあ、御託を並べすぎた。要するに、「この世界の片隅に」は、文句の無い名作として日本映画史に名が刻みこまれた、ということである。
なお、日常生活の細部を淡々と描くことで人生の喜びや悲哀を見るものに感じさせる、という点で、小津安二郎の映画と「この世界の片隅に」はよく似ている、と思う。だが、その日常性の背後に常に戦争という最大の暴力が存在している、というのがこの映画の特異さである。そういう点ではルネ・クレマンの名作「禁じられた遊び」のほうが近いかもしれない。


(以下引用)

【映画】2016年キネマ旬報・読者ベスト10が発表!1位『この世界の片隅に』2位『シン・ゴジラ』、4位『君の名は。』

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読者ベスト・テン|2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テン

キネマ旬報 この世界の片隅に シン・ゴジラ 君の名は。に関連した画像-02

■読者ベスト・テン(日本映画)

1位 この世界の片隅に
2位 シン・ゴジラ
3位 怒り
4位 君の名は。
5位 リップヴァンウィンクルの花嫁
6位 64-ロクヨン- 前編
    64-ロクヨン- 後編
7位 湯を沸かすほどの熱い愛
8位 永い言い訳
9位 海よりもまだ深く
10位 淵に立つ

■読者ベスト・テン(外国映画)

1位 ハドソン川の奇跡
2位 キャロル
3位 スポットライト 世紀のスクープ
4位 ルーム
5位 レヴェナント:蘇えりし者
6位 オデッセイ
7位 ブリッジ・オブ・スパイ
8位 スター・ウォーズ/フォースの覚醒
9位 ブルックリン
10位 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

■キネマ旬報ベスト・テンとは

『キネマ旬報』は、1919(大正8)年に創刊され、現在まで続いている映画雑誌として、日本では最も古い歴史を誇ります。

以下、全文を読む




<この記事への反応>

読者ベストテンでも2位だった『シン・ゴジラ』。永遠の2位w 一方、気になっていた『君の名は。』は4位。キネマ旬報の読者層的にはこんなもんなんだろうか (´・ω・`)

う~ん、やはり読者ベストテンはわかりやすい結果だなぁ。キネ旬ベストテンでベストテン外だった「君の名は。」が4位にランクインしてる代わりに、8位の「クリーピー 偽りの隣人」が入ってない。

キネマ旬報読者ベストテンも発表に。こっちの方が自分が予想したのに近いな

1位は納得として、「シン・ゴジラ」が「君の名は。」より上になったのがうれしかったり。

読者が選ぶほうのベストテンでは圏外だった君の名は。が4位か。






『この世界の片隅に』おめでとう!
審査員が選ぶ方のキネ旬でも1位で今回の読者が選ぶのも1位とかすごいお
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『シン・ゴジラ』もおめでろう!
これも審査員も読者が選ぶのも同じく2位って十分凄くないか
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『君の名は。』が入ってるけどまさか『怒り』に負けるとは・・・
映画のランキングは奥が深いお
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嘘つきを見分ける方法

面白い記事である。人を見る目の無い人間でも企業のトップにはなれるが、そんな企業は長続きはしないだろう。人間の本性など、少し観察すれば分かるはずだが、忙しい人間はそうした観察をしている暇が無いから、人間の口先と本性の区別がつかない。だから、自己アピールの上手い口先人間がどんどん出世する。で、組織は腐敗していく。
誠実な人間なら、自分の言う内容が全面的に正確かどうか気にするのが当然なのだから、自信たっぷりな発言などできるはずはない。自信たっぷりな発言をする人間は嘘つきだと考えて、9割は当たっているだろう。
もちろん、正直なだけが取り柄の、無能な人間もまたたくさんいるwww
私の場合を言うならば、うまく嘘をつける自信が無いから、しかたなしに正直でいるだけである。嘘をつくにが苦手な人間は職人(研究者もその一つ)になるか肉体労働者になるのが一番だ。



(以下引用)

会社の有望な若手が次々に辞めていきます。食い止める方法は?


会社の有望な若手が次々に辞めていきます。食い止める方法は?© PRESIDENT 会社の有望な若手が次々に辞めていきます。食い止める方法は?

――せっかく育ってきた若手が辞めてしまうので、会社の未来が心配です。

事業の将来性がそれほどなくても、楽しくて毎日、笑い声があふれるような職場なら辞めないと思います。風通しのいい職場ですか?

――それほど悪くはないと思います。給料も平均以上ですし……。

それでしたら、原因は明確です。辞めてしまった若手の上司に問題があるのではないでしょうか。

――確かに、この前辞めた子は、直属の上司にパワハラを受けていたそうです。そういった場合は、黙っていないで声をあげたほうがいいのでしょうか。

ガンガン言ったほうがいいです。管理職は忙しいので、細かな人間関係まで目が届かないものです。ゴマすりをしてくる人が、よく見えてしまう。


僕自身の話をすると、昔に直属の優秀な部下3人と飲みに行ったとき、つい気を許して「隣の部のA君、なかなかいいヤツやな」と話してしまいました。「僕が何かを頼んだら、走ってくるんだよ」と言ったら、部下が「出口さんは人を見る目が甘いし、アホな上司と思っていましたが、ここまでアホとは思っていませんでした。明日から僕ら仕事をしませんよ」って。

――出口さんにも、そんな過去があったんですね。

「なんで?」と尋ねたら「Aさんは、出口さんが偉くなると思っているからゴマすりをしているんです。僕らが頼んだって何もしてくれませんよ」と。


自分の目で確かめようと思い、次の日からA君を注意深く観察したら、部下の言う通りでした。管理職は忙しくて目が届かない。そういう意味で、会社で一番アホなのはトップでしょうね。

――だから日本は、「ヒラメ」のように上ばかり見ている社員が可愛がられるのでしょうか。

それは全世界共通です。よほど目の届く人であれば、細かな人間関係まで汲み取ってくれると思いますが、そのような有能な人はごく一部です。

――トップに直訴してもいいでしょうか。

はい。それでも状況が改善されなければ、その職場には未来がないので辞めていいと思います。


大体、立派な指導者は一番下の人の意見をよく聞きますね。後藤田正晴さんが官房長官時代に言われていました。「お茶汲みのおばさんに愛されないような人間は偉くなろうと思うな」と。


昔の官僚の世界では、女性はお茶汲みの仕事くらいしかなかった。彼女たちは失うものが何もないので、男たちのことを素直に見ている。失うものが何もない人間に愛されなかったら、人格に欠陥があるということです。いくら仕事ができても偉くなったら国のためになりません。


Answer:辞める原因はほぼ直属の上司にあります。不満があったら上層部に直訴しましょう



出口治明(でぐち・はるあき)


ライフネット生命保険会長 






1948年、三重県生まれ。京都大学卒。日本生命ロンドン現法社長などを経て2013年より現職。経済界屈指の読書家。




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人種差別より大きな差別の問題

リツィート数が凄いが、このツィートに激しく同感するオランウータン諸嬢が半分、そして、正義感からそうした差別の存在を苦々しく思いながら、ツィートの文面の素晴らしいユーモア感覚に拍手を送るリツィートが半分だろう。
何しろ、あの夏目漱石ですら、明治のウーマンリブ運動というかフェミニスト運動の連中に対して、「どんなに頭が良かろうが、御面相が良くなけりゃあ、男は惚れやしないよ」という趣旨のことを言っているくらいで、これは人類永遠の、解決困難な問題だろう。芸能人のように、整形手術に何ら罪悪感を持たないで実行する、というのも一つの賢明な解決策かもしれない。ただし、韓国のように庶民の多くがそれを実行すると、生まれた子供の顔を見て、夫婦がお互いにがっかりすることになるwww
女性の側も男性を見かけで差別するのだから、これは女性差別の問題ではなく、「美醜差別(容貌差別)」というジャンルとでもするべきだろう。もっとも、美の基準など時代と流行で変わるのだから、馬鹿げた差別なのだが、差別のほとんどは馬鹿げているのだから、(つまり、論理で解決できないから)かえって厄介なのである。
真面目に言うと、下に書かれた出来事に抗議するなら「美醜差別」の問題にするのは戦法として良くないと思う。オランウータンの嫉妬として笑われるだけだろう。そうではなく、同じ問題(クレーマー問題)に関して、以前に何度も報告したのに無視され、今回だけ聞き入れられたという、「部下待遇差別」の問題として組合(があればだが)が扱うべきである。今どき、組合のある職場や会社がどれだけ存在するか分からないが。まあ、木の枝を揺らして威嚇する、というのも案外効果的かもしれない。最低でも、その上司への対応を女子全員で結束して冷たくするべきだろう。職場の居心地が悪い、というのは、その上司にとっても大問題だから、効果はあるかと思う。 
問題の「可愛い子」にオランウータン諸嬢が冷たくするのは悪手だろう。むしろ、今回、その「可愛い子」の報告によってクレーマー問題が上司に取り上げられたのだから、これはその子の「功績」なのである。そうした子をうまく利用して、職場改善をしていくのが賢明な策士の取るべき手段である。




            

職場の新人で元ミスの可愛い子がいるんだけど、その子がクレーマーの件を上に報告したら「ストーカーになるかもしれないから警察に相談しよう!」とか上司が言い出して、今まで散々クレーマー報告してたのに無視されていた私たちオランウータンは木の枝を揺らすなど激しい威嚇行動をとった


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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