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生と死についてのいくつかの想念

中学生向けの本である「死をみつめて」という哲学書というか、雑文集を読んでいて、いろいろと考えたので、メモだけしておく。これは、この本の内容ではなく、そこから触発された私の想念である。

1:「天上天下唯我独尊」は、釈迦の教義には反する困った作り話というかセリフだが、これが、釈迦が生まれたまさにその時に言われたことを考えると、「この世界で、(私という個人にとって)私という存在、私の生命こそが至上の価値である」という、誰にとっても当たり前の言葉になる。そして、それは「自分が生きているということが自分にとっては唯一の現実である。自分が存在しなければ世界は存在しない」という当たり前の認識になるだろう。人生とは自分の死という唯一の消失点に向かって歩いていくことであり、しかも生きている間、その消失点は(空想として以外)ほとんど見えないのである。

2:死が眼前に見えた時、人は恐怖に襲われ、生命の希少さと貴重さを意識する。これを「生命飢餓感」という言葉で言ってもいい。(岸本英夫という人の用語)

3:キリストが処女から生まれ、死から復活したという「崇高なインチキ」。(埴谷雄高)

そのほかに、地球の生命体の中で自分の同類を殺すのはほぼ人間だけである、ということ(「私は、私達人間ほど、他の生物をやたらにとって食い、そして娯楽のためだけにも殺す地上最凶悪の生物はいないと繰り返し述べてきていますが」埴谷雄高)、そしてそのことをほとんど誰も不思議に思わないということの不思議を考え、そこに政治や組織や権力の発生機序を少し考えたのだが、まだ思想的萌芽にすぎない。手塚治虫の「火の鳥」に、これに近い内容の話があったかと思うが、やはりこれは文章によってこそ明確になる思想だろう。

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「こがね丸」1

巌谷小波の「こがね丸」について調べていて、池の内孝という人の「黄金丸」現代語訳という労作を見つけたので、冒頭部分を紹介する。「池の内孝のブログ」というブログに載っている。
気が向いたら残りも随時転載する。全16回と少々になる。(1回がふたつに分かれたりする。)
明治文語文の現代語訳に著作権があるかどうかは知らないが、ネットに載せた時点で著作権は消滅しているというのが私の考えである。まあ、他人が転載することで読者数を増やしたとご寛恕願いたい。

(以下引用)

<朗読>



 
 むかしむかし、ある深山の奥に、一匹の大虎が住んでおった。この虎は長命で幾星霜を経たその体は仔牛よりも大きく、その目は磨きに磨いた鏡かと思われるような光を放ち、その髭は針の山のようであった。その咆哮もすさまじく、一旦吼えれば、その声は渓谷にとどろき渡り、梢に停まっている鳥もその恐ろしい声に気を失い地に落ちるほどであった。この虎はこれほどの力を持っていたので、山に住むあらゆる動物たちはこの虎を畏れ、その威に従わぬものなどいようはずもなかった。誰も刃向かうものがないこの大虎は、ますますその威を高め、自ら「黄金の目の大王=金眸(キンボウ)大王」と名乗り、その山に住むすべての獣を睥睨し、百獣の王ならぬ、万獣の王として君臨していた。



 それはちょうど一月の初めの頃のことであった。一月、初春とはいっても名ばかりで、寒さも厳しく、折しも一昨日からの大雪で野山も岩も木も冷たく深い綿帽子を被り、風が吹きすさび、その寒さといったらこらえようもないほどであった。その日、金眸大王は朝から棲処の洞に籠もって、あまりの寒さにうずくまっていた。



 そこへ普段から目をかけていた聴水(チョウスイ)という古狐が崖道を伝い、降り積もった雪をかき分けて金眸大王の洞穴の入り口までやってきた。聴水は体についた雪を払って、遠慮深く体をにじって洞に入ってきて、まず丁寧に前足を揃えて挨拶すると、こう切り出した。



 「大王様はおとといからの大雪で、お外にもお出にならず、この洞にじっとお籠もりになられ、さぞかし退屈でいらっしゃいましょう」



 金眸大王は横になっていた体を起こすと、



 「おお、誰かと思えば聴水ではないか、この雪の中、よく参ったな。お前が言うとおり、この大雪では外に出て何かするというのも難儀であるから、オレは退屈まぎれに、この洞で眠っておったがの。食い物の蓄えも次第に少なくなってきて、いくらか腹が減ったと思っていたところだ。何か良い獲物はないか。・・・・この大雪だ、獲物と言ってもなかなか手に入るものでもなかろう」



 とため息をついた。すると聴水は金眸大王の言葉を打ち消してこう言った。



 「いえいえ、大王様。大王様がもし本当にお腹がお空きで、何か食べ物が欲しいと思し召されるのであらば、私儀、大王様に良い獲物を進呈いたしましょう」



 「何、良い獲物があると?・・・で、お前はそれをどこに持参して来ておるのだ?」



 「いえ、大王様。ここにお持ちいたしたわけではございませぬが、大王様、大王様の威を以て、またそのお力を惜しまず、この雪道を少しばかりの労は厭わぬというお心づもりがございますれば、私儀、良い獲物のいる場所までご案内することができるのでございますが・・・、いかがなさります?」



 と聴水は言った。



 金眸大王は聴水の言上を聞いて、カラカラと高笑いをしてこう言った。



 「おい、聴水。いかにオレが年老いたといっても、どうしてこれしきの雪を苦にしたり、恐るることがあろうか。こうしてこの洞にしけ込んでいるのは、それは雪も深く寒さが厳しいゆえ、億劫で体を動かすのがイヤだという訳ではない。この雪では獲物になる方もじっとしているであろうから、無駄な外歩きをするほどのこともなかろう。大王として決然としておるだけだ。今、お前が言った良い獲物があるという話がウソでなければ、オレを今すぐにその獲物のおる処まで案内せよ。オレがそこに行って、お前の言うその良い獲物を手に入れよう。で、その獲物はいずこにおるのだ?」



 大王を乗り気にさせると、古狐の聴水はしてやったりという顔をしてこう言った。



 「大王様には、早速、私儀の申し出をお聞き届けいただきまして、身に余るほどありがたく存じます。では、これから仔細を言上させていただきます。大王様におかれましては、今すぐにでもその天を衝くお力をご発揮されようと奮い立たるる勇猛なお姿、いかにもご立派で、恐れ多いことでございますが、なにとぞ、今しばらくお心をお鎮め願いまして、私の話をお聞きたまわりたく存じます。どうぞ、今しばらくお心お静かに・・・。そもそも私が申し上げましたその獲物と申すは、この山の麓の里にございます庄屋の家に飼われている犬の奴のことでございます。何を隠しましょう、私はその犬に深い深い怨みがあるのでございます。今、大王様にお出ましいただき、その犬に天誅を加えていただけるのであれば、これこそ私の敵討ち、復讐の介添えを賜ったものと、我が喜びこれに勝ることはござりません」



 ここで金眸大王は、聴水の話を少し訝ってこう言った。



 「いや、その話、解せぬな。お前の今言った怨みというのはどういうことだ。苦しゅうない、構わぬから言って聞かせよ」



 「ありがたき幸せ。大王様、実は一昨日のことでございます。私が今申しあげました庄屋の家の際を通った時のことでございます。その時、その庄屋の納屋と思われるあたりで、ニワトリの鳴く声が聞こえました。お、これはいい獲物がおるな、と思いましたので、私、すぐに裏の垣根の隙より庄屋の邸内に忍び入って鶏小屋へ向かおうとした時でございます。あの憎き犬め、あの犬の奴めがめざとく私を見つけ、まっしぐらに飛びかかって来たのです。私もニワトリに目が行っておりましたので、恥ずかしながら不意のことで大いに慌てふためいて、このままでは命も危ないと思い、この窮地から逃れようと先の垣根の隙の穴に一心不乱に向かいました。そして今その穴を走り抜け逃れようとしたとき、あの犬の奴め、まだ垣根の中に残っていた私の尻尾を咬えて、私の体を中に引き戻そうとしたのでございます。私は、これで戻されたら一巻の終わり、と、その咬んだ尾を払って逃げようとしました。その勢いが余っていたため、私の尻尾の先を、あの犬の奴め、あの犬の奴めに少し噛み取られてしまったのでございます。私は尻尾を咬み切られて、命からがら逃げて参りました。切られた傷口の痛むこと甚だしく、今日のこの日まで五体満足に過ごして参りましたのに、残念なことに、この歳になってそれも儘ならぬことにあいなったのでございます。それもあのにっくき犬の奴めのおかげなのでございます。大切にして参りました私の尻尾も、年寄りの襟巻きにもならぬほど短くなってしまい、最早何の役にも立たぬ代物になってしまったのでございます。それはそれは私は気も折れ、今は目の前も暗くなり、残念で残念で、くやしくてくやしくて仕方がありません。とは申しても、奴は犬、私はキツネ。復讐しようにも奴にはとても歯が立ちませなんだ。仇を討ちたし、それもならず。ただただ怨みを飲み込んで日々を過ごしているのでございます。大王様、私、聴水を不憫だとお思いになられるのであれば、大王様、どうか私のためにあの犬の奴に仇を返してやっていただけませなんだでしょうか。大王様、先ほどは獲物を進呈すると申し上げましたのも、実を申しますと、この念叶わぬものか、願叶わぬものかの由でござります」



 と、古狐の聴水はいかにも哀れらしく金眸大王に訴えたのだった。金眸大王はこの話を聞いて、いかにもと頷いて、



 「その犬の振る舞いはまったくもって憎むべきものだ。よし、よし、オレが行って、その犬の奴を一つかみにして、目に物を見せてくれるから、お前は心安らかにしておれ」



 と大王は聴水を慰めつつ、犬の行いに憤慨したのだった。



 やがて金眸大王は聴水を先に立たせ、脛よりも深く降り積もった雪を踏み分けながら、山越え谷を渡り庄屋の家に向かった。ほどなく山の麓に出ようという時、先に立って歩いていた聴水は急に立ち止まるとこう言った。



 「大王様、あそこに見える森の陰、そら、今、あの煙が立ち上っている処が、お話いたしました庄屋の屋敷でございます。ただ、大王様、今、大王様が自ら先頭に立たれ、あの庄屋が屋敷に踏み込んでいただきますと、おそらく家の者たちは驚ろき腰を抜かすばかりで、あの憎き犬の奴め、いち早く逃げ出し、それでは却って仇を逃すことにあいなるかもしれません。ここに当たって、私、聴水、計略がございます」



 と言うと聴水は金眸大王の耳に口を寄せ、何やら耳元で小声でささやいた。



 すると、今度は金眸大王が先に立つや、大王はドヤ顔をして庄屋の家に向かって進み出した。




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東京都庁とはどのような場所か

「壺斎閑話」記事の一節で、東京都庁の内部がどういうものか、よく分かる。昔は「伏魔殿」と言われていたが、現在も似たりよったりのようだ。どのような組織も似たりよったりであるのが当然で、それを私は「組織悪」と言っている。「悪」というのも大袈裟かもしれない。
まあ、都の「外郭団体」が、定年公務員の有給暇つぶし場所であることも良く分かるし、壺斎氏自身、それに罪の意識は無い(無かった)ようだ。つまり、公務員はお武家様か。

(以下引用)言うまでもないが、自分自身の過去を語る以上は自己美化や韜晦があるのは当たり前であるので、そういう姿勢で読むべきだろう。


都庁という組織はこれといった人事政策をもっていたわけではない。かなり行き当たりばったりなところがあった。特徴を強いてあげれば減点法がまかりとおっていたということくらいだろう。何らかの不祥事を犯した人間は、減点法の基準に従って減点される。その結果は以後の人事に反映される。不祥事の中には、議会との間に深刻なトラブルを起こしたとか、女性との間で不適切な行為があったとかいったものがある。そういう不祥事を起こすと、まず出世コースから外されるのである。病気休職はかならずしも不祥事とは言えぬが、しかし人事上の効果としては同じように扱われた。小生は長期の病気休養がもとで出世コースから外された人間を多数見てきたから、それとの対比で、自分も同じような憂き目を見るだろうということはわかった。じっさいその通りになった。復職後、小生は自分が通常コースから外され、いわゆる飼い殺しの境遇に陥ったと思い知らされたのである。
そんなわけで、再開発事務所副所長になって以来、六十歳で定年退職するまでの十年間、小生はどうでもいいようなポストをたらいまわしされた。それも忘れたころにそろそろ異動する頃合いだと言われて異動させられるのである。とはいえ小生は、仕事には手を抜かなかった。亀戸大島小松川地区は、そろそろ完了が視野に入ってきた時期に差し掛かっており、事業を終了させるためには、抵抗する者に対して収用の網をかけるとか、債務の返済を怠っている者に対して強制徴収をかけるといった措置を断固としてとった。そうした小生の姿勢を批判する者もあった。もっとやわらかなやり方はないのかね、と言うのである。そういう奴に限って、仕事の進行管理にはうるさかった。仕事はきちんとやれといいながら手荒なことはやるなと平気で言うそんな奴を見て小生は、猿山の猿みたいな奴らだと思った。上意を受け仕事の進行管理には厳しいが、仕事のやり方は微温的たれと言うのであるから、或る意味猿山の猿以上に猿的である。
建設局で六年過ごしたあと、最後の四年間を交通局で過ごした。一応交通局参事という処遇だが、実際には課長級の職である。南千住自動車営業所の所長という扱いになった。部長級の者が課長級の職を兼務するという位置づけだが、実際には懲罰人事と言ってよかった。なぜ小生が懲罰人事を受けねばならぬのか、その秘密はなんとなくわかった。交通局の幹部の中には、以前仕事のことで小生に意趣をもったものがあって、その腹いせをしてやろうという魂胆が見えてきたのである。交通局というのは、じつに閉鎖的な組織で、しかも陰湿なところがある。そんなところで長い間暮らしていると、性格が曲がってしまうらしい。交通局はいわゆる現業系の組織である。清掃局もそうだったが、現業系の局はしょっちゅう不祥事が起こる。交通局の場合は、料金の着服とか飲酒運転といったものが多かった。そうした不祥事は、幹部にとっては自分自身の命取りにつながるので、なんとか責任を逃れようとする。一番手っ取り早いのは、現場に責任をなすりつけて、自分らは責任逃れに集中することである。そういう幹部が多かった。そんな連中を見ると小生は、野良犬みたいな奴らだと思ったものである。
こんな具合で、小生の役人生活は、後半に至って不本意なものになったとはいえ、全体としてこれを見れば、なかなか変化に富み、屈託することのなかったものだったと総括できるのではないか。その意味で小生は、自分の役人人生に悔いはない。
定年退職した後二年ほど外郭団体に在職した。当時管理職は六十歳でやめることになっており、やめたあとは局から再雇用先を紹介されるというのが慣例になっていた。再就職先を世話するのは局の総務部長の仕事である。当時の総務部長は清掃局の後輩だった。その男に呼ばれて話をしたところ、やけに高圧的である。自分を上司として尊敬しろと言わんばかりなのである。小生はこの男におべっかを使ういわれはないから、自然な態度で接していたところ、それが気に食わぬようだった。それで小生に向かい、自分の再就職は自分で始末しろというような趣旨のことを言った。小生は、特にひるむ様子は見せず、淡々と接し続けた。この男は若い頃から裏表を感じさせるところがあり、相手によって態度を変えた。自分より弱いと思った者に対しては高圧的に振舞うのである。要領のいいところもあり、多摩地区のさる有力議員に取り入り、その議員の力で市長にさせてもらった。市長になると、持ち前の性格で好き勝手なことをやったようだ。そのうち、一女性職員から性的な暴行を受けたと訴えられた。当初はしらばくれていたが、形勢不利は避けられず、辞職に追い込まれた。
小生が外郭団体でついた仕事は、普通なら係長級の退職者がつくポストである。おそらく総務部長のいやがらせであろう。それについては、小生の仕事上の不始末が理由にされたらしい。その団体には労働組合の委員長をやった男がいて、その男がしきりに小生に同情してくれた。その不始末とは、労働組合の現職の書記長が不正に給与を受給しているというものであり、当時都の不正を暴くと豪語していたさる都議の追求するところであった。そんな問題は、基本的には労働組合と局幹部の間の問題なのであるが、それを書記長の職務上の上司たる小生が責任を擦り付けられたのである。そのいきさつを知っている元委員長は、小生を親方と呼びながら、親方には本当に申し訳ないと言うのであった。事情を知っている南千住営業所の管理係長も局の幹部の鼻をあかしてやりましょうよと言って憤慨していたが、小生は、余計なことはするなといって諫めたものである。ともあれ、交通局というのは、じつに魑魅魍魎な組織というべきものであった。
この外郭団体では例の豊饒たる熟女たちと仲良くなることができたし、また、仕事が全くないので、毎日好きなことができた。小生が当時始めたばかりのウェブサイトの運営は、この団体での余暇時間を活用して行ったものだ。しかし長い間やる気はなかった。二年ほどで辞表を出した。団体の幹部は、厄介者が始末出来て安心したに違いない。

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人生の「聖性」と「地獄性」

小説には娯楽小説と純文学があるというのが私の考えだが、西洋の小説の中にはその垣根を超えたものが多い。サマセット・モームの選んだ「世界の十大小説」はほとんどすべてそれだと言っていい。
すなわち

1:トム・ジョーンズ
2:高慢と偏見
3:赤と黒
4:ゴリオ爺さん
5:ディヴィッド・コパーフィールド
6:ボヴァリー夫人
7:モウビー・ディック
8:嵐が丘
9:カラマーゾフの兄弟
10:戦争と平和

である。ただし、私はこの中で「ボヴァリー夫人」は読んでいない。たぶん、「娯楽性」がゼロだろうからだ。モーム自身も、この小説を「楽しくは読めない」と思っているらしいことがその筆致で分かる。しかし、「見事な小説」だから、高く評価したのだろう。
それ以外の九つは、すべて偉大な小説でありながら、娯楽性も抜群なのである。まさに、それこそが小説の目指すべきものだろう。
だから私は日本の「純文学」が嫌いなのである。そこには鋭い人間観察や人生への深い洞察はあるが、まったく「娯楽性」が無いからだ。読んでいて気が滅入る小説をなぜ書くのか。これが人間の真実だからと言って、美女の出した大便や無残な死体を目の前に置かれて嬉しいか。
と言うことで、私が読んで楽しくないだろうな、と見当をつけた小説を私はまったくと言っていいほど読まないが、それらが無価値だとは思わない。単に「私には」ほとんど無価値であるだけだ。

と書いたのは前置きで、先ほど読んだ中学生向けの名作短編集の中で、人間の聖性と地獄性について考え、そして、娯楽小説は概して人間の聖性を本質とし、日本の純文学は人間の地獄性を本質としているのではないか、と考えたからだ。というか、それは当たり前の話で、娯楽とは読んで楽しいということであり、地獄を見て楽しいという人間は稀だろう。そして聖性とは人間が天使的存在になることで、光に満ちているわけだ。

その意味では、この短編集「家族の物語」に載せられた向田邦子の「かわうそ」は日本的純文学で、井伏鱒二の「へんろう宿」や太宰治の「黄金風景」は娯楽小説だな、というのが私独自の評価である。遠藤周作の作品「夫婦の一日」も純文学だ。これらが一般的な「娯楽小説」と「純文学」の区別とは別の基準であることを注意しておく。遠藤周作が純文学と娯楽小説の二股をかけていたことは言うまでもないが、「夫婦の一日」は純文学であり、人間の生の地獄性を暗示していると思う。「へんろう宿」や「黄金風景」の背景は最底辺の庶民の生活や人生である。しかし、そこに聖性がある。つまり、光に溢れているのである。もちろん、庶民の生活がすべてそういうものであるはずはない。しかし、ここに描かれた生活は、人生の地獄を地獄とせず、明るく前を向いて生きている人々の生活だ。それを私は聖性と言うのである。つまり、人生を地獄にするか天国にするかはそれぞれの人次第である、という話だ。

なお、太宰治の「黄金風景」の冒頭に、プーシキンの詩の一節が置かれている。この作品を読んだ後で、この詩に戻ると、なぜそれが冒頭に置かれたか分かる。

「海の岸辺に緑なす樫の木、
その樫の木に黄金の細き鎖の結ばれて」

つまり、この「黄金の細き鎖」こそが人間の中の聖性である。



(注)人間の地獄性は、スィフトや筒井康隆のようにそれをブラックユーモアにした時に娯楽になるので、一応、注意しておく。これには高度な知能が必要なのであり、ネットのブラックジョークは、夜郎自大の下種たちの弱者叩きが大半で、笑えるものはほとんど無い。


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フジテレビ問題と上級国民問題

「戦闘教師ケン」氏のブログ記事だが、東京都民として生まれ育つだけでも上級国民やその周辺としての人生を送ることがよく分かる。
つまり、上級国民の私生活が身近であるから、一般国民の知らない秘密もここでは常識であるわけだ。
下に書かれていることがフジテレビだけの問題ではなく、「上級国民問題」だ、というのが私の説である。なぜなら、ケン氏を含め、彼ら全体が黙認してきたことだからだ。
なお、氏は現代日本を「帝政」だとするのが常だが、意味不明である。天皇には政治的実権は無いし、その事例もゼロであるはずだからだ。

(以下引用)

2025年02月07日

フジテレビは廃業または公職追放を!

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フジテレビの件では、社員から「そんなことが行われていたなんて知らなかった」旨の声が普通に上がっているのが、むしろ驚きだった。

私が通っていた高校は芸能関係者の子弟が多かった(先輩に浜木綿子の息子、後輩に松方弘樹の息子、後者は部活の後輩で顔も性格もイケメンで困った)。

その高校では、事情通が「フジテレビのアナウンサーは(性的)接待要員で、接待相手の格に応じて献納されちゃうんだぜ」旨の話を、さも自分が見てきたかのように話していて、聞いてる方も「フジテレビだからな、そんなもんだろ」「とんねるずが(仲介)やってるらしいよ」などと返していた。

私などは全く興味なかったクチではあるが、今から思えばジャニー問題含めて、同窓の噂話はかなり正確であった。同時に、「知らなかった」などと言ってる連中が「ナチに騙された」「ナチを信じていた」ドイツ人と同じ精神構造にあることが、よく理解できる。

付言すれば、フジテレビは組織自体が数十年にわたって(現代の倫理に基づけば)邪悪な精神とシステムに則って運営されており、幹部はその精神とシステムに忠実であるがゆえに昇進してきたわけだから、トップを交替させただけでは何も変わらないだろう。
例えば、1947年に戦犯等を公職から追放した「公職追放」は実質的に3年で終わったが、その結果、鳩山~岸内閣では閣僚のうち6割以上が元戦犯ないし公職追放経験者という有様になった。

フジテレビは存在自体が邪悪なメディアであるとして廃業を求めるべきであろう。

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風邪薬の危険性

おそらく今現在多くの人が直面している風邪についての話で、引用する記事に書かれた内容の半分には賛成、半分には反対だが、参考記事として載せる。

要するに「風邪には風邪薬は不要どころか有害。寝ていればすぐに治る」という部分だけ賛成で、風邪の機序などについては不賛成である。風邪が伝染性ではないという証拠に、一人暮らしでまったく外出しない時でも体を冷やすと風邪をひくという明白な事実がある。インフルエンザは別の病気と見るのがいいだろう。(以前には風邪とインフルエンザは同じという考えだったが、新コロ以降は考えを変えた。明らかに、インフルエンザは「人工的に作れる」のである。)

咳に関しても、「異物を体外に出す」だけの咳とは異なり、神経(おそらく副交感神経)の作用で咳が出始め、出始めると大きな苦痛と不便さ(止められない)になることもある。これは咳の発作が宿病である人間なら誰でも知っているだろう。眠りに入る、まさにその時に咳の発作が起こるのである。軽く咳払いをしたらそれがどんどん大きな発作になったりもする。これは風邪の咳とは別の問題だ。
そして、これが神経によるものであることは、咳止め薬が大きな効果があり、それらはほとんどが「覚醒剤」代用品に使われたりすることでも分かる。つまり、神経(脳神経)に作用するのである。だから「売人」対策として、一度に大量に買うことはできない。なお、タミフルによる幻覚が問題視されたこともある。風邪薬の成分にも神経に作用するものがあるのだろう。
ちなみに、脳神経に作用する薬物は珍しいものではない。酒も煙草もそうである。砂糖類もそうだろう。つまり、快感を与えるものはすべて麻薬である、という珍説を述べておくwww ただし、思考(美しいものを見たり聞いたりすることも含め、「思念」と言っておく)の快感だけは別。

(以下引用)

「風邪に対する特効薬」が発明されない納得理由〜症状は抑えられてもウイルス退治はできない〜

みのり先生の診察室さんのサイトより
https://ameblo.jp/drminori/entry-12883590565.html
<転載開始>

「風邪」についてのめっちゃ納得できる記事をご紹介。


 


東洋経済オンラインの記事です↓↓


 

 


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「風邪に対する特効薬」が発明されない納得理由
 


症状は抑えられてもウイルス退治はできない
 


鈴木 素邦 : 有限会社クラヤ代表取締役 城西大学薬学部非常勤講師
 


2025/01/22 14:00

「熱が出たから風邪薬か解熱剤を飲もう」「便秘で苦しいときには下剤を飲まないと」など、体調が悪くなると手っ取り早く薬に頼る人が少なくありません。


 


ただ、薬は症状を緩和する効果がある一方で、副作用による悪影響を体に与えてしまうものです。


 


そんな薬の飲み方や副作用にいたるまでをわかりやすく解説した薬剤師の鈴木素邦さんの著書『その一錠があなたの寿命を縮める 薬の裏側』より一部抜粋・再構成してお届けします。



世の中に「風邪を退治できる薬」は存在しない
 


風邪をひくと、医療機関に行こうとされる方が多いのですが、実は、風邪を退治できる薬は存在しません。


 


まず簡単に、「風邪」について説明しましょう。


 


風邪の原因の80〜90%は、ウイルスの感染によって引き起こされます。


 


一般的に風邪の症状を引き起こすウイルスの種類は200種類を超えます。


 


これだけ種類が多いウイルスのある種類に効く、薬を開発するのは、ほぼ不可能です。

薬を開発するためのターゲットのウイルスを見極めるだけでも、膨大な時間がかかりますし、せっかく薬を開発しても、そのウイルスがもはや存在しない、なんてこともあります。

新型コロナウイルスのパンデミックで、多くの新薬が開発されましたが、その多くは実際に市販されずに開発が断念されたものが数多くあります。


 


その理由は、ウイルスの変異の速さと種類の多さです。それに薬の開発が対応できないのです。


また風邪に対して、抗生物質を処方する医師もいますが、前述したとおり、風邪の8〜9割はウイルスによる感染です。


 


抗生物質は、細胞を持つ細菌には効きますが、それよりも数百分の1程度しかない小さい微生物であるウイルスには効きません。


 


だから、風邪に対する特効薬は存在せず、そのことを知っている薬剤師は医療機関に行かないという選択をする人も少なくないのです。


風邪の症状に対応する薬は存在する

 


ちなみに、解熱剤咳止め薬など風邪の症状に対応する薬はあります。


 


薬では症状を抑えることしかできませんが、症状を抑えることが、逆効果を生むこともあります。


 


風邪の症状の感染の状況をちょっと見てみましょう。

まず、風邪のような症状を持つ人のくしゃみなどで、飛び散ったウイルスや細菌などが、粘膜の中で悪さをして、発熱、鼻水・鼻詰まり・くしゃみ、喉の痛み、身体中のダルさ、頭痛症状などを引き起こします。

なお、一般的な風邪症状は、鼻水・鼻詰まりが95%、咳が80%、喉の痛みが70%程度で起こります。


 


しかし、鼻の症状がなく、「咳だけ」「喉の痛みだけ」が突出して強い場合は、風邪ではなく、緊急性が高い病気、例えば、肺炎など細菌性感染症である可能性があるため、すぐに医療機関を受診する必要があります。


 


ウイルスなどの悪さに対して、私たちの身体は免疫細胞が働きシグナルを全身に送りします。

ざっくり言うと、免疫細胞が出すシグナルの影響で体の節々が痛くなったり、発熱などが起こります。


 


私たちは、発熱や咳などに対して、日常生活を妨げる原因となる嫌なイメージしかありませんが、実はより強力な免疫細胞の助けを借りるための、シグナルであったり、免疫細胞の戦いを有利に進めるための、手段であったりします。

やがて、身体がウイルス量を減らして戦いが終われば、風邪であれば熱が下がるのが一般的です。


 


そして大多数の風邪は、免疫力が働いてウイルスを除去し、2〜3日程度で回復するのが一般的です。


 


ただし、一部例外として厄介な細菌などに侵されると、1週間〜10日ぐらい症状が続く場合があります。


なぜ風邪の特効薬が存在しないのか?

 


風邪の原因の80〜90%を占めるウイルスはとても単純なDNAやRNAを持っていて、増殖し、簡単に変異する存在です。


 


またウイルスは人間などの宿主の細胞に入り込んで、大量に自分の遺伝情報をコピーします。


 


この時にウイルスの自身の部品も細胞に作らせて、その細胞から飛び出すことで、増殖します。

皆さんも新型コロナウイルスの流行でご存じのように、簡単に変異してしまうからこそ、何度も感染することになるのです。


 


このように驚異的なスピードで変異しやすいウイルスに対しては特効薬を開発するのはとても難しいとされています。

ですから、医療機関に行っても特効薬はもらえません。


 


さらに、つらい熱を下げるための解熱薬は、「侵入したウイルスの増殖を抑えて排除しよう」とする発熱作用にブレーキをかけてしまいます。


 


つまり「根本を治す風邪ウイルスの治療薬は存在しない」「解熱薬、総合感冒薬(発熱、頭痛、喉の痛み、咳、鼻水などを和らげる薬)」などは、風邪の治りを遅くする可能性があるのです。


さらに、風邪の症状を治すために、医療機関に行く方も多いと思います。


 


しかし、医療機関には体調が悪い方も多いので、病原菌に感染しやすくなります。

薬では風邪の症状を抑えることができても、ウイルスを退治することはできません。


 


結局、免疫細胞がウイルスを退治するまで、待つしかないのです。


 


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久しぶりに納得できる医療記事に出会えました。


 


風邪をひくと薬を求めて受診される患者さんが多いですが、ウイルスに効く薬はありません。


 


細菌に効く抗生剤はあっても、風邪のウイルスに効く薬はないのです。


 


タミフルやイナビルだって、症状を1日だけ短くしてくれるだけ。


 


 


熱が出たら解熱剤


 


咳には咳止め


 


 


でもちょっと待って。


 


熱が出てるのは体が侵入してきたウイルスと闘っている証拠。


 


そこで下げてしまうとかえって症状がダラダラと長引いてスッキリ治らないということもあります。


 


 


咳も同じ。


 


異物を排出する行為なのに、それを無理矢理「中枢性に」止める。


 


異物を出せなくなるので安易に飲むのも考えもの。


 


 


だから熱出して、いっぱい汗かいて治すのが一番。


 


そのほうがスッキリ治ります。


 


 


ただ、風邪をひいて熱があっても仕事をしなければならない場合は薬に頼って、無理矢理、症状を抑えてあげるしかない。


 


本当はそんなことせずに家で寝てるほうがいいに決まってる。


 


でもそれができない職業の人もいるでしょう。


 


私もそうです。


 


外来に穴をあけられないので、薬を飲んで症状を抑えて仕事を続けました。


 


だから37度台の熱がダラダラ続き、症状もダラダラ長引きました。


 


1日だけ休んだのですが、休んだらすぐに症状が改善しました。


 


 


だからやっぱり風邪には休養です。


 


寝ることが一番。


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電気自動車と「電池」自動車

電気自動車の根本的改善点を書いている貴重なスレッドだが、自動車業界は、まあ、改善しないだろうな。単一電池で走れる自動車を作れ。(って、オモチャか)

(以下引用)コメントに「日本語の不自由な人」が多いが、そのままにする。

電気自動車ってバッテリーをカートリッジ式にしないと今後も確実に売れないよな

haberdoedas-NSdqRCe4fQc-unsplash
1: 2025/02/07(金) 13:21:05.847 ID:1DX9m/Ba0
普通に不便すぎる
2: 2025/02/07(金) 13:21:36.272 ID:S0oYMBgq0
高速走ると地獄をみる
4: 2025/02/07(金) 13:23:19.166 ID:rMZxzn3Q0
割と見るけど売れてないのか
5: 2025/02/07(金) 13:24:19.976 ID:0l6gL2ll0
5分満充電のEV作れ
7: 2025/02/07(金) 13:24:52.815 ID:LaB78VPj0
>>5
爆発しそう


6: 2025/02/07(金) 13:24:29.548 ID:N/6wq7G00
多分バッテリーがデカすぎて交換大変だと思う
9: 2025/02/07(金) 13:25:34.019 ID:1DX9m/Ba0
>>6
分割すればいいだけだぞ
個人じゃできないようにしてガソスタで出来るようなシステムにすればいい
11: 2025/02/07(金) 13:27:56.307 ID:N/6wq7G00
>>9
でもそしたら人件費もかかるし電気自動車を選ぶ側も提供する側もデメリット増えるんじゃないか?
33: 2025/02/07(金) 14:00:01.360 ID:hRUnYTPnd
>>11
ガソスタで車止めたら底が開いてロボアームが勝手に交換してくれればいいよね
12: 2025/02/07(金) 13:29:33.913 ID:QJHjcDb+0
>>9
何分割だよ
それに分割したとこで重くて運べないかと
8: 2025/02/07(金) 13:25:04.241 ID:c2y0k9M00
充電事業でちゃんと儲けられるようにしないと充電設備壊れてても放置される
10: 2025/02/07(金) 13:26:40.645 ID:df0r6/gY0
リーフで450kgとのこと
無理じゃね
14: 2025/02/07(金) 13:33:00.956 ID:N/6wq7G00
>>10
人が運ぶと考えたら1個10キロ前後が現実的だろうから45個か
外す作業もあるから時間かかるな
それに人数も必要だから人件費馬鹿にならないだろうし電気代も跳ね上がるだろうな
13: 2025/02/07(金) 13:29:48.339 ID:df0r6/gY0
目安として、1kWhで10kgの重さがあって6km走れる
100kg走るのに160kgのバッテリーが必要
15: 2025/02/07(金) 13:34:03.608 ID:vc3XLLuDM
一番問題なのは充電時間だ
ガソリン給油で10時間待つバカいねえだろ
ガソリンと並べられる時間で運用プラン立てろよ

毎日給油すんのとかほざく真性バカは口縫っとけよな
16: 2025/02/07(金) 13:35:27.479 ID:WZQePy12H
簡単に外せると転用やロクなことにしか使わないから
17: 2025/02/07(金) 13:35:37.683 ID:jAoTTFJW0
リチウムイオンバッテリーは落下の衝撃とかで壊れて炎上の原因になったりするからカートリッジ式は絶対危ない
18: 2025/02/07(金) 13:35:44.150 ID:MFCyfcx+0
規格統一されれば脱着用の機械とか台車が開発されるっしょ
メーカー独自規格だと車種ごとに用意する手間があるからデカい整備工場のあるディーラーのみ対応とかになるのかな

規格統一の問題は互換バッテリーを許容することにな

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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