譲り合い、許しあい、支えあう・・・それしか、世界を救う道はない。
奪い合う限り滅びてしまう。
そのことを、地球上で一番長い歴史を持つ日本人は、体の中で知っている。
限られた土地と資源の中で、生き抜くには、日本方式しかないと、気づく西洋人が出始めた。
列に並び、分け合い、ともにいきぬく、周囲の人々をおもんばかる。
残念ながら、トランプのやり方は、その正反対。
だから、トランプ革命は、壮大なブーメランになると、私は思う。
大型船は、周囲を渦に巻き込んで沈む
気の赴くままにつれづれと。
ゲオポリティカ より
そういえば、このチャールズ・ヒュー・スミスさんの最近の記事は、最近、株価が暴落した頃のもので、4月に始まった関税問題を、
「関税地震」
と表現し、実際の大地震と比較して書かれていました。
全部ご紹介するようなものではないですが、簡単にいえば、
「大地震の後には、被害はしばしば隠れており、後になって初めて顕在化するが、今回の関税地震も同じだ」
と述べています。
一部を抜粋します。
「関税地震の後」より
発火した火はまだ目に見えていはない。
地震の後には不気味な静けさがある。倒壊した建物に閉じ込められた人々はその結果を認識しているが、大多数の人々はまるで世界が止まり、まだ再起動していないかのような静寂を体験している。完全な影響はまだ不明であるため、私たちは安堵のため息をつく。すべて大丈夫そうに思える。
しかし、この初期評価は的外れだ。被害の多くはすぐには目に見えないからだ。
…堅固で安全だと思われていたものが、よく理解されていない形で脆弱性を露呈する。公式の宣言にもかかわらず、公式に承認された構造物が崩壊する。健全で安全だと思われていたものが、応力が平均範囲を超えるとひび割れる。
関税地震はこれらと同じ特徴を多く示している。
被害の多くはまだ明らかになっておらず、混乱が広がるにつれて多くの不確実性が残る。地震と同様に、被害は体系的であり、インフラと家庭の両方が混乱している。二次的影響(地震のアナロジーで言えば火災)が予想以上に壊滅的となる可能性は高い。
…「関税地震」は世界中で経済反応を引き起こしており、それぞれの反応は、他のすべての動的な交点に直接的に、そして最初の動きによって生じる二次的影響を通じて影響を与えている。
「関税地震」の一次的および二次的影響をすべて予測できると主張する人がいるとすれば、それは間違いだ。
なぜなら、これほど多くの力が相互作用する結果を予見したり、まだ目に見えないすべての被害について十分な情報に基づいた評価を行うことは不可能だからだ。
発火した火はまだ目に見えない。
火はくすぶっているが、まだ警戒すべき状況ではない。そのため、すべてが制御されていると確信している観測者たちは、事態が制御不能に陥る可能性にまだ気づいていない。
ここまでです。
今は株式市場に多く目が向けられていますが、市場のさまざまな部分に「きしみ」が生じています。
先のことになるのかもしれないですが、事態が制御不能に陥る可能性は確かに進行しています。
トランプの価値観は、「貿易赤字はアメリカにとって悪である」。
レーガン大統領が掲げた「脱工業主義」が功を奏して今日のアメリカの経済体質は過剰需要、過少供給のインフレ体質である。
正反対に日本や中国の経済体質はデフレ体質である。
アメリカの貿易赤字はアメリカの経済体質に起因しているのである。
アメリカは需要に対して供給過少だから国民が生活するには輸入に頼らざるを得ないのである。
トランプが貿易赤字を目の敵にし、その原因を貿易相手国の責任として関税を課すのは見当違いなのである。
アメリカは、トランプ関税による輸入減でモノとサービスの供給が減少すると、供給力に余裕のないアメリカはインフレになる。
トランプ関税で輸出減になり、モノとサービスの供給がだぶつくと需要に限界がある日本や中国はデフレになる。
供給に限界があるアメリカは輸入コストが高くても必要最低限度の輸入をせざるを得ないが、十分供給を増やすことが出来ないのでインフレが加速する。
インフレを防ぎ、十分な供給を増やす為には海外の生産拠点をアメリカに移す必要がある。
トランプ関税による輸出減で供給がだぶつく日本や中国は余剰供給を解消し、デフレを防ぐ為には内需拡大で需要を増やさなくてはならない。
日本や中国は自国の意志で内需拡大政策を採れるが、アメリカは自国の意志で海外の生産拠点をアメリカに移行させることは出来ない。
トランプ関税の狙いは海外生産拠点のアメリカへの移行を強制する為である。
計算上は海外の生産拠点がアメリカに移行された分だけ貿易赤字が減ることになるが、実際には「そうは問屋が卸さない」。
トランプの支持者である低所得者が必要としている3万ドル以下の大衆車は、トヨタのカローラを例外としてすべて輸入車である。
米国内のトヨタを除くいかなる自動車メーカーも又これからアメリカへ生産拠点が移るとされるメーカーもアメリカで製造すれば赤字が出ることが決まっているので3万ドル以下の自動車をアメリカでは製造することはない。
輸入車に高関税をかければ、関税前の3万ドル車は37,000ドルになり低所得者は買えなくなる。
カローラはアッと言う間に売り切れてアメリカに3万ドル以下の車が無くなる。
日本でもアメリカでも製造される自動車の75‐80%は約3万点の部品で出来ている。
日本でもアメリカでも自動車メーカーは部品のほとんどはいろんな国からの輸入に頼っている。
アメリカへの輸入車だけでなく輸入部品にも25%の関税をかけるのだから3万ドル以上の車のコストは上がり、米国車の競争力は落ち、消費者は必要な車が買えず泣く!
アメ車がアメリカで売れるには労働者の賃金を下げるしかなくなる。
トランプは関税で世界の首脳に頭を下げさせる為にアメリカの消費者と製造業を犠牲にしているのである。
「言うこととやることが正反対」、それがトランプである。
近代日本における戦争と宗教——―仏教界の視点から1.生存競争としての戦争協力 戦争と宗教。それは、もっとも遠いようでいて、もっとも近いテーマです。平和や共存・共生を願うはずの宗教が、紛争や戦争の原因となり、世界情勢の混乱要因とさえなっていることは、あらためて例を挙げるまでもない、近年の国際政治情勢でしょう。とりわけ、東西冷戦というイデオロギー対立が終焉して以降、紛争が地域レベルに拡散され、その主要因のひとつとして宗教の存在が注目されてきました。 その際、特に注目を浴びるのはイスラム教であり、その過激派や原理主義といった考え方や勢力でしょう。一方で、9・11テロ以降、中東での戦争を継続してきたアメリカの兵士たちも、自らの信仰するキリスト教の神に勝利や生存を祈り、戦い続けてきました。冷戦終結直後に刊行された『宗教から読む国際政治』(日本経済新聞社)はかつて、「新しい国際秩序が形成されるなかで宗教が重要な要素になるならば、今後世界は、非妥協的な紛争に少なからず直面するのではないか。冷戦構造のタガが緩むと共に世界で発生した民族紛争の多くが宗教対立を背景にする事実は、不安な兆候である1」と予言しましたが、不幸なことに、我々はこの予言が当たっていないことを確言できる現実のなかに暮らしていません。 では、日本人の多くが親しんでいる仏教はどうでしょうか2 。仏教では、その信者が守るべき戒めとされる五戒や八戒において、「不殺生戒」が第一に置かれています。その原理的・教義的観点からみるなら、明らかに戦争は殺戮行為であり、否定されなければなりません。しかし、近代日本の歴史を振り返ってみるとき、戊辰戦争から太平洋戦争まで、仏教勢力のほとんどは戦争に協力してきた、という歴史的事実が存在しています。戦争を行う国家に対し資金や人材、物資を提供し、従軍僧を派遣して布教や慰問に努め、戦争の正当性を僧侶が説いて回ったのです。 それは、なぜでしょうか。最初の経験であった戊辰戦争が勃発したとき、発足したばかりの薩長を中心とする新政府が「官軍」となり、これに敵対する旧幕府軍は「賊軍」となりました。よく知られている通り、江戸時代において、寺院は戸籍の管理という行政の一端を担っており、その意味で、幕府ときわめて近しい関係にありました。その幕府が倒れてしまう。その現実を前に、いわば新時代における「生存」を賭けた承認競争がはじまります。たとえば東西両本願寺では、もともと倒幕側に肩入れしてきた西本願寺は継続して新政府軍に協力し、莫大な人材や資金を提供しました。一方、徳川家康の寄進によって設立され、それ以降も幕府との関係が密接であり続けた東本願寺は後手に回ることになり、必死になって旧幕府との関係を断ち切り、新政府軍に協力することで、その「生存」を勝ち取ろうとします。仏教だけではありません。神道の神職たちもまた、新政府からの承認を得ようとして自ら武器を取って立ち上がり、新政府軍に参加しました。「生存」のための競争。それが、政治権力の交代という大変動期にあって、仏教者たちの戦争協力を支えた論理であり、心理でした。 2. 国家間戦争と戦争協力 戊辰戦争では新政府軍が勝利し、明治政府が以後、本格的な国家建設を進めていくことになります。目標としたのは西洋列強であり、対外的独立であり、近代化でした。そうした西洋化路線や、それを推し進める薩長藩閥政府への権限の集中、さらには、近代化のための改革によって特権が切り捨てられていく士族たちの間には不平が広がり1870年代、続々と不平士族の反乱が勃発していきます。 最大の士族反乱となった1877年の西南戦争では、反乱の勃発地点となった鹿児島が新政府発足以降も半独立国状態で中央政府の統治が十分に行き届いておらず、それまでの長い歴史を踏襲して、浄土真宗の信仰を禁じていました。武士の支配社会を横断する講組織や、年貢が本願寺への寄進に流れる、といった点を警戒したためだといわれています。その禁止が、戦争勃発の前年に大久保利通や西郷隆盛の尽力で解かれたことから、本願寺は積極的な布教攻勢に出ます。戦争がはじまったあとも、政府に不満を持つ人々を鎮める、という論理で政府からの公認を得て、布教を続けていきました。かくして、いまの真宗王国・鹿児島が形成されていきます。 「生存」から「拡大」へ。仏教勢力の視野がさらに広まった一幕でした。「拡大」の視野は、海外へも広がっていきます。明治の開国以降、日本の仏教は積極的な海外布教を展開していきますが、その重要な契機となったのが、日清・日露戦争でした。日清戦争では、不殺生戒という原理的課題に対して、あくまで戦争の廃滅を目標としながらも、日本がアジアの指導者として覚醒をはかるための「義戦」に参戦することは仏教の唱道するところである、などと解いて戦争協力を正当化しました。こうした姿勢の背景には、当時、布教や慈善事業・教育活動などを通して勢力を拡大してきていたキリスト教への対抗という意識もあったといわれています。そして、この戦争の勝利によって台湾を植民地化した日本側では、積極的に現地での仏教布教活動が展開されていくことになります。「生存」と「拡大」。その交差点に、戦争への協力が位置していました。 日露戦争の際も本願寺派は、帝国未曾有の事変に際して挙国一致で対処すべきであり、真宗門徒は兵役や軍資募集などに積極的に応じ、「国民」として「王法」を守るよう法主・大谷光瑞は宣言し、日清戦争をはるかに越える規模の従軍層の派遣、軍資献納、恤兵品の寄贈、軍事公債応募の奨励、出征・凱旋兵の送迎・慰問、出征軍人の留守家族の慰問・救護、傷病兵の慰問、戦死者の葬儀、戦死者遺族の慰問・救護などにありました。従軍僧は、宣戦詔勅や法主のことばを基準にして法話・説教を行い、たとえば、真宗門徒の多い石川・富山・福井の3県の連隊から構成される第9師団の従軍僧となった佐藤厳英は、前線出動を控えた師団将兵に対し、この戦争が仏教の殺生戒とは矛盾しないこと、平和のための戦いであること、慈悲の精神から捕虜や非戦闘員を助けるべきこと、そして恐怖心が湧いた時は南無阿弥陀仏を唱えよ、国家のために死ぬのは名誉であり、靖国神社にまつられるのは身に余る幸せである、などと語っています。そしてこの第9師団は、有名な旅順総攻撃で一斉に「南無阿弥陀仏」と唱えながら突貫したと伝えられています。当時第9師団の士官だった林銑十郎(のち首相)は、「第一回の総攻撃で第九師団はほとんど全滅と迄言いわれた。・・・真宗門徒の半死半生の兵士は皆口の中では称名を唱へて居る。夜になると全部が『南無阿弥陀仏』をやるので囂囂と聞こえる位である。助けて呉れなどと言ふ者は一人もない。それに依つて私は北国に於ける仏教の力は茲だと云ふことを感じたのであります」と回想しています3 。 こうした協力的姿勢、そして兵士への影響は、他宗派においても同様であり、一部の僧侶からは非戦・反戦の声はあがったものの、それは教団から非正当な主張として退けられていきました。 3.国家行為と宗教行為 「生存」と「拡大」。前者がほぼ保証された状況の中で、仏教者をさらに後押ししたのが後者でした。アジアへの日本仏教の拡大という課題が、アジアへの勢力を拡大する日本の国家行為と連動して捉えられていたわけです。 この国家行為と宗教行為との連動を考える上で、重要なキーワードがあります。それは、「布教権」です。もし、中国大陸で日本仏教が自由に布教する権利を獲得していたなら、日本政府や日本軍のアジア戦略とは自立した形での布教活動が、可能だったかもしれません。実際、日露戦争に続く第一次世界大戦の際、日本政府は有名な対華二十一箇条の要求を中国側に突きつけ、日本仏教の布教権の獲得をその一項目に盛り込みました。すでに欧米諸国のキリスト教の布教権を中国側は承認しており、日本仏教もこれと同等の権限を保有すべきである、というのが、日本仏教側の主張でした4 。しかし、中国側はこれを含むいわゆる第5号要求の削除をもとめて日本政府もこれを受諾し、結局、布教権は設定されませんでした。それ以降中国では、終戦まで、結局自立した布教権が確立されることはありませんでした5。 このため、日本仏教の活動領域は、日本軍が公式・非公式に制圧した実効支配地域に限られることになり、必然的に布教をはじめとする宗教行為は戦争という国家行為と連動し続けることになります。実際、アジアに急速に勢力を拡大していった昭和期、仏教界は各戦争に積極的に協力し、そして敗戦によってアジアの支配権を失った瞬間に、日本の寺院も神社も、一斉にアジアから消えてなくなることになったのです。 もとより、昭和の戦争期において、「生存」を考えるとき、非戦や反戦の声を上げることは簡単ではありませんでした。実際、日中戦争期に「戦争は罪悪である」などと発言した結果、陸軍刑法によって有罪判決を受けた真宗大谷派明泉寺の住職・竹中彰元は、法要座次を最下位に降格されました。宗教者個人としては国家的・社会的制裁と教団的制裁を覚悟しなければならない、そして教団としては国家的・社会的制裁を覚悟しなければならない、すなわち、「生存」を賭けなければならない、それが戦争協力をめぐる態度の是非を決定付けました。 竹中彰元は2008年に大谷派によって名誉を回復されていますし、いま、仏教各派では戦争協力に対する反省や、戦争反対の声を上げた人々の名誉回復が進められています。それはたしかに必要なプロセスでしょう。ただ、なぜ、不殺生戒を掲げる仏教界が戦争に協力したのか、その「生存」と「拡大」をめぐる当時の状況や意欲はいかなるものであったのか、そうした実態の実証的分析なくして、反省を踏まえた次の一歩は踏み出せないのも事実です。現代に平和や共生を呼びかける資格、それは平和や共生をおびやかしてしまった過去の精算からしか生まれてこない。宗教学でも仏教学でもなく、政治学という門外漢の立場からあえて宗教界の歴史と現状をみつめてきた者として、そのことを痛感しています。 |
覚えたくても覚えてないことも多い
西山耕一郎さん/西山耳鼻咽喉科医院・院長
「病気とは無縁だった父が高熱を出し、呼吸困難で救急搬送されたのは今年3月のこと。『誤嚥性肺炎』と診断され入院治療を行ないましたが病状は改善せず、約1か月後に他界しました」
そう話すのは、70代の父を誤嚥性肺炎で亡くした遺族の男性だ。
「倒れる前々日まで友人と釣りに行くなど元気な様子だったので、突然、肺炎で命を落とすなど思いもしませんでした。1年ほど前から食事中にむせる、食べ物が飲み込みにくい、声がかすれるなどの症状はあったものの、本人も『年のせいだろう』とさほど気にしていなかった。誤嚥性肺炎の徴候に気づけなかったことが悔やまれます」
厚労省「人口動態統計」によると、2023年の肺炎による死者は約13万6000人(うち約6万人が誤嚥性肺炎)で、がん、心疾患、老衰に次ぐ死因の第4位となった。なかでも誤嚥性肺炎による死者は急増しており、2030年には現在の2倍に達するとの予測(2018年、東京都健康安全研究センター年報)もある。
『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』(飛鳥新社)をはじめ数多くのベストセラー著書を持ち、これまで1万人以上の嚥下障害患者を診てきた誤嚥性肺炎予防の第一人者・西山耕一郎医師(西山耳鼻咽喉科医院・院長)が解説する(以下、西山医師)。
「誤嚥性肺炎は、食べ物や飲み物、唾液など本来食道に入るべきものが、誤って気管から肺に入り細菌が増殖、炎症が起こる疾患です。通常はのどの入り口にある『喉頭蓋(こうとうがい)』というフタのような器官が防波堤となり、瞬時に喉頭を覆って気管への異物侵入を阻止しますが、加齢や病気でのど仏まわりの筋肉が衰えると、この動作が上手くいかなくなり誤嚥を起こしやすくなるのです。また、脳卒中などの病気が原因で、誤嚥時に咳をして異物を押し出そうとする反射機能が低下することがあります。そうなると、一段と誤嚥性肺炎のリスクが高まります」
のどの筋肉は40〜50代から衰え始めるが、60代以降の男性は特に注意が必要という。
「定年後は人と話す機会も減り、通勤時の歩行など日常的な運動習慣が無くなることで全身の筋力が低下しがちです。のどの筋力も低下し、嚥下機能が急激に衰え始めます。男性は見た目でも分かるほど、のど仏が大きく下がってくるケースが目立つので、鏡を見てのど仏が首の中心より下がっていたら、嚥下機能低下の徴候と考えたほうがよいでしょう」
そのほか「水を飲むと咳が出る」「錠剤が飲みにくくなる」「声がかすれる」など、チェックリスト(下記参照)でひとつでも該当する症状があれば、のどの老化が始まり「飲み込む力」が低下していることを疑うべきだという。
「嚥下機能は体力に相関するので、年を重ねれば機能の低下は避けられません。『肺炎は老人の悪友』と言われるほど身近な病気で、75才以上の高齢者の肺炎は約8割が誤嚥性肺炎という報告もあります。治療が遅れ回復が困難なケースも少なくありませんが、嚥下機能を鍛えることで誤嚥のリスクを低下させることは可能です」
<1>食事中、むせたり咳き込むことが増えた
<2>水を飲む時もむせることがある
<3>大きい錠剤が飲みにくくなった
<4>「ごっくん」したとき喉仏が上がりにくい
<5>食中、食後に咳や痰が出る
<6>食事のスピードが落ちた
<7>声がかすれる
<8>以前より声が小さくなった
西山医師が推奨するトレーニングは、大きく2パターンに分類される。まずは、のど周りの筋肉を鍛え、「飲み込む力」を総合的に高める「のどトレ」から見ていこう(下の図解参照)。
<1>顎の下に小さめのゴムボール(直径6cm程度)をはさむ
<2>息を止めず、うなずくように顎で軽くボールを押しつぶし5秒間キープ(手でボールを支えてもOK)
ものを「ごっくん」と飲み込む動きを意識したもので、のどだけでなく首の筋肉を鍛える効果があるという。
「100円ショップで売っているようなゴムボールを使い、のどに適度な負荷を与えるトレーニングです。食事前に行なうことで誤嚥をしにくくする効果もあります。ボールが無ければ、軟らかめのペットボトルでも代用可能です」
<1>足首を立て仰向けに寝転がり、力を抜きリラックス
<2>両肩を床につけたまま、頭だけを持ち上げつま先をみる姿勢をキープする
米国のシャキア医師が考案したもので、のどの筋肉を刺激する基礎運動として、世界各国で行なわれている。
「のどと首の筋肉全体に力が入り、喉頭挙上筋群(のど仏を上げる筋肉)が効率よく鍛えられます。ただし負荷が強いので、頸椎や首に疾患がある人、高血圧症の人は無理に行なわない。不調が出たらすぐに中断してください」
写真/PIXTA
※週刊ポスト2024年11月8・15日号