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「寄らば大樹の蔭」は本当か

私がこの後を補足して完成させようwww

「象のあとについて行く者はブッシュ(灌木)の露に濡れることはないが、象の糞を踏む」



さんがリツイート

「象のあとについて行く者はブッシュの露に濡れることはない」 西アフリカ










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死に方の選択

例の「人生会議」ポスターの件で、いい思考テーマを与えられたのでここで「死に方の選択」という問題を考えてみたい。
ほとんどの人間は「生き方の選択」は人生の節目節目で否応なしに考えさせられるが、「死に方の選択」は、これから自殺しようと思っている人間以外はあまり考えないだろう。だが、ここで言う「死に方の選択」とは、自殺方法の話ではない。自殺も含めて、「自分はどういう死に方をしたいか」ということを予め考えておくのもいいのではないかという、まさに前回記事で私が嘲笑した「人生会議」が提言していることそのものかもしれない。あのポスターは糞だし、厚労省が税金の無駄遣いをしているのも確かだが、その提言は悪くないし、ポスターやプロジェクトなど作らなくても提言だけで十分な話である。

あなたが、自分の死に方が選択できるなら、あなたはどんな死に方がいいか。

下級国民として一生奴隷暮らしで生きるくらいなら、戦場で討ち死に斬り死にしたいと、若者なら考えるだろうが、それには外国の傭兵になるか、日本が憲法改正して憲法九条を無効化する必要がある。自殺志望の若者のために国民全体を不幸のどん底に陥れるわけにはいかない。
まあ、ここでは、神か悪魔があなたの前に現れて、「お前は自分の死に方を自分で選んでいいぞ」と言ったという前提での空想だ。だが、それは自分の死を予め考える、なかなか貴重な思考実験だろう。
もちろん、一番いいのは突然死である。何の恐怖も不安も無いままに死ねるのだから、それが一番(当人にとっては)幸福な死に方だと多くの人が認めるのではないか。
そういう意味では、飛行機事故や電車事故や自動車事故の被害者になるというのは、案外「いい死に方」だと私は思う。ただ、周囲を巻き込むことが多いから、それよりむしろ、冬の凍った路上で滑って転んだ拍子に固い地面に頭を打って死ぬという間抜けな死に方も、「いい死に方」だろう。昔、職場の同僚が酔っ払って駅の階段から転落して死んだが、若い身空で死んだのは気の毒ではあるが、死に方としては、今にして思えば「いい死に方」である。ちなみに、死後の周囲の評価や迷惑云々はここでは問題外とする。あくまで、当人にとっての「幸せな死に方」である。
普通の人間は、ほとんどが病死する。老衰死(自然死)するまで生きられるのは稀だろう。老衰したあと、たいていは何かの病気で死ぬのである。そこで、あなたはどういう病気で死にたいか、というのを考えてみるのは、非常に現実的な問題かと思う。

1)疫病、あるいは急性疾患
2)慢性病

の2つに大別されるかと思う。(ただの思考実験なので、もちろんいい加減な分類だ。)
疫病や急性疾患で死ぬのは、ほとんどの場合は自分で選ぶものではないが、実は「慢性病で死ぬ」は自己選択できる(不養生をするか、治療を拒否する。)のである。これは神頼みや悪魔頼みしなくてもいい。
その中で、現代人に多いのは

1)癌
2)高血圧由来の「脳卒中」など
3)糖尿病(由来の臓器異常)

の3つではないか。私の父は2)で死に、母は3)で死んだが、どちらも急死である。つまり、病院での闘病生活はまったく無かった。これは本人たちにも家族にも幸福だったと思う。まあ、私以外の家族がどう思っているかは知らないが、本人たちにとっては「幸福な死に方」だったと私は思っている。つまり、死への不安や恐怖に苛まれることもなく「頓死」するのが「いい死に方」だという私の前提で考えれば当然そうなるわけである。
いや、もちろん、致死性の病気の長い闘病生活の中から、目の前の死を見つめ、精神の高みに上る人々もいるだろうが、それは非常にまれな例外だろうと私は思う。
どんなに生命の残りが少なくても、ベッドで寝た切りのまま数少ない日数を生きることで人生の幸福を実感する、という例もあるかもしれないが、そういうことなら、別に病人になる前に「何もなくても、何もできなくても、周囲に存在価値を認められなくても、自分は生きているだけで幸福なのだ」と思えばいいのである。つまり、闘病生活それ自体に何かのメリットがあるのではなく、一部の人間はそういうことを「機会」「機縁」として精神を高める可能性もある、ということだ。
だが、ほとんどの人にとっては「目の前の死」は直視しがたい、恐怖や不安の対象である。
ならば、即死が一番「いい死に方」だと私は思うわけで、それなら、「癌よりはうまく即死できる可能性が高い」脳卒中がいいかなあ、とだいたいは思っているのだが、時々、血圧が200を超えたりすると不安になるのが、まさに凡人の凡人たるゆえんだwww

なお、通常血圧は「年齢+90」程度で安定しており、なぜか1か月に一回、2、3日ほど180を超える数値が出るのだが、その原因は不明だ。ある種の周期性があるのかもしれず、あるいは狼男が満月だと狼になるようなものかwww









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「人生会議」への懐疑

まあ、例によって税金の無駄遣いである。
ポスターの長々しいコピー(惹句)を全部読んだが、軽薄そのものであり、死を前にした人間が、自分の父と隣のベッドの病人との会話を「すべってる」と評し、それをとてつもなく恥ずかしいことのように感じるという、「何、これ、どこの世界の話?」という印象である。芸人の世界という特殊な世界を、このポスターを見た誰が実感し、同情し、我が身を振り返るだろうか。
プロのコピーライターの仕事か、役所の素人が書いたか知らないが、小藪何とかという芸人に忖度しただけのコピーである。
「人生会議」というネーミングも愚劣であり、「E電」の二の舞だろう。そもそも、自分の死に方を医者や周囲の人間と話し合うのは「会議」のイメージではない。また、「死」について話し合うのであり、「人生」を論じるわけでもない。「人生論」は思春期にでもしておけ。

こんな愚劣な仕事より、厚生労働省がやるべき仕事は、医療にも労働にも厚生保険関係にも膨大にあるだろう。

(以下引用)

小籔さん起用の「人生会議」ポスター、批判受け発送中止


厚生労働省が作った人生会議のポスター=同省ホームページから© 朝日新聞社 厚生労働省が作った人生会議のポスター=同省ホームページから

 人生の最終段階でどんな治療やケアを受けたいかを繰り返し家族や医師らと話し合っておく取り組みの普及啓発のために厚生労働省が作ったポスターに批判が多く寄せられている。厚労省は26日に予定していた自治体への発送をやめ、ホームページへのPR動画の掲載も見合わせた。


 この取り組みはアドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼ばれ、厚労省が昨年、愛称を「人生会議」に決めた。ポスターでは、愛称の選定委員を務めたお笑い芸人の小籔千豊(かずとよ)さんが、苦しそうな表情で自分の思いが正しく伝わっていなかった患者を演じている。「命の危機が迫った時、想(おも)いは正しく伝わらない。」と、もしもの時のために事前の話し合いを呼びかけている。


 ポスターが公表された25日から、SNSなどで「ふさわしくない」「不安をあおる」などの投稿が相次いだ。


 全国がん患者団体連合会の天野慎介理事長はフェイスブックに「これでは人生会議というよりは、死に方会議のポスターです。自分は死ぬとは思ってない人が考えたポスターではないでしょうか」と書き込んだ。天野さんは取材に、「ACPは必要だが、その内容を誤解させかねないし、脅しとも取れる内容で啓発として有効か疑問だ。関心がない人たちに『刺さる』ことを優先し過ぎて、当事者への配慮を欠いている」と話す。


 スキルス胃がんの患者や家族を支援する認定NPO法人希望の会の轟(とどろき)浩美理事長はツイッターで「これはACPへの誤解、そして遺族を傷つける可能性もある。家族に対し失礼でもある」とつぶやいた。厚労省に「不安をあおるもの」だとしてポスターの内容を見直すよう求める意見書も送った。


 一方、「賛否ありそうだが、ACPや緩和ケアの正しい知識が広く伝わってくれれば」と前向きな投稿もあった。厚労省は今後、患者団体など関係者の意見を聴いた上で、ポスターと動画の取り扱いを決めるという。(姫野直行)

























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馬鹿は自分からボロを出すから安心www

例のネトウヨ脳の東大准教授の件だが、臨時職員みたいなもので、「東大准教授」という肩書で呼んでいいものかどうか、あやふやな感じだ。まあ、肩書がどうであれ、人の上に立って物を教えていい人間ではないだろう。当人がアホなために早めに正体が知れてかえって良かったのではないか。
もっとも、最近は「子供が好き」なので小学校教師になるという怪しい人間もいるようだから、教師というのはもともとあまり信頼しないほうがいいのかもしれないwww

なお、記事タイトルがなぜか切れているが、面倒なのでそのまま載せる。

(以下「JBプレス」から引用)

のお詫び

教養の欠如、人材育成の偏りへの大反省
2019.11.25(月) 伊東 乾
時事・社会教育

 この青年は30歳を過ぎており、本学最年少の准教授であるかどうか、全く定かでありません。


 法学部などでは20代で助教授就任も普通にあるので、学内のことを知らない人間の書き込みとすぐに分かります。


 事実この青年は博士課程からの編入生で、学内事情など何も知らず、夜郎自大のラッパを吹いたように見えます。


 さて、この青年が書き込んだ多数の書き込みは、冒頭にも引用しましたが、明確に「ヘイト」ないし「国立大学法人教員として明確に不適切」と判別される性質のものです。

 一言で断じるなら、人文・社会科学におけるこの青年の「学力不足」と判断して構わない、非常にレベルの低いものです。

 国立大学法人は本質的に官費によって支えられており、国民の収める税を主要な原資として研究教育活動に当たっています。


 そこで守るべき最低限のルールをそもそも認識していない、言語道断の落書きで、どのような初任者研修を施したのか、学内でも確認しなければと痛感しました。


 一つひとつに、ここで触れることはしません。一通り「問題書き込み」とされるものに目を通すようにしましたが、あまりの判断力不足、教養力の欠如に言葉もありません。


 基礎教育を授けそこなったとしか言いようのない表現のオンパレードとなっていました。本当に申し訳ありません。


 この青年と面識は一切ありませんが、当該部署のスタッフとして、率直にお詫び申し上げます。


 もし「この人物の<この特定の書き込み>について、どう思うか」といったご質問がありましたら、編集部までご連絡をいただけましたら、誠意をもってお答えしたいと思います。


 この青年は企業からの寄付講座で作られたポストに短時間勤務する特任教員で、通常の意味での教員ではありません。


 また指定国立大学法人東京大学での勤務のほかに、自分のベンチャー企業を持っているようです。










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喫煙者は大幅に減少しながら肺癌死亡者が毎年増えていく怪

別ブログに書いた記事だが転載しておく。
私はそのブログで「高血圧は癌と相剋関係にあるのではないか」という仮説を書いているのだが、戦後ほぼ一貫して減少したものと言えば、塩の使用量だろう。塩分摂取は確かに血圧を上げるだろうが、仮に高い血圧が癌の予防になっていたとしたら、「高血圧罪悪視」こそが癌患者を増やし続けていたということになるわけだ。
まあ、これは仮説にすぎないが、癌罹患者と血圧の関係は研究する価値はあると思う。だが、高血圧症患者と降圧剤で大儲けをしている医学界と製薬業界がこんな研究を許すわけがないwww
もちろん、脳卒中より癌のほうがマシと思うかどうかは人それぞれだろう。私は前者がマシという意見だが、現時点での意見にすぎない。
なお、肺癌だけが突出して伸びているのは、また別の原因があるはずで、それは喫煙者が激減している事実を見れば、煙草以外の原因を探す必要があるだろう。



愛煙家は消滅しつつあるのに肺癌死亡者は毎年増える怪



今では愛煙家というのは稀少種なのだから、「煙草=肺がんの原因」説は完全に息の根を止められたのではないか。また、自動車の排ガスもかなりクリーンになっており、工場の排ガスも同様だ。とすると、肺がんの毎年の増加の原因は何なのか。大きな視点の転換(たとえば、何が増えたかではなく何が社会から消えたのかを考えるなど)が必要だろう。
なお、その他の癌(の死亡者)も胃癌を除き着実に増えている。これは食生活の欧風化は戦後一貫しており、それが原因かと思われるが、それ以外の原因もあるかもしれない。たとえば、水が自然の水から水道に替わったこととか。(つまり、消毒剤が原因かもしれない)
胃癌の「死亡者」の減少、あるいは増加が止まったのは、胃癌は切除手術の成功率が比較的高いためかと思う。何しろ、全摘手術すらあると言うから、人間の身体はもともと強靭であるのだろう。別の見方をすれば、口から肛門までの空洞は外界と直接に接触する部位だからダメージ修復力が強いのかもしれない。





haigan

1: 風吹けば名無し 2019/11/22(金) 21:22:41.90 ID:xkml1h4I0
なんでなん?
no title







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大韓民国国旗を易として見る

大韓民国の国旗の四方にあるのは易の卦(陰陽の爻が三つ集まったもの)だよな、と思っていたが、どういう卦なのかは詳しく見たことが無いので、調べてみた。
まあ、乾と坤の二つはあるだろうという想像通りだったが、残る二つは「水」と「火」のようだ。これをどう組み合わせるかで意味が違う。
「乾(天)」と「坤(地)」は常識的に上を乾(天)、下を坤(地)としたくなるが、実はそういう上下関係だと、「天地否」という悪卦になる。つまり、天は上へ上る、地は下に沈む卦なので、これは「背き合う」ことを意味することになる。まあ、北朝鮮と韓国の仲の悪さをまさに象徴しているとも言えそうだwww
「水」と「火」を、どちらを上にするかでも意味が違ってくる。水が上で火が下なら「水火既済」で、物事がすべて終わったという、これもあまり良くない卦である。(分かりやすい比喩を使えば、火が水で消されたイメージか。)完成の後には何もすることが無いのであり、完成はけっして喜ぶべきではない、というのが易の知恵だ。逆なら「火水未済」で「終わったように見えて、実はこれからが本当の始まりだ」という感じである。
なお、「乾坤水火」の他の組み合わせもあるが、長くなるのでここで終わる。



大韓民国の国旗
だいかんみんこくのこっき

説明

大韓民国の国旗は、太極旗という名称の旗である。白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「陰陽」で「太極」を表し、その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。太極旗の名称・デザイン・用法は大韓民国の法令によって定められている。 ウィキペディア

















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山本太郎には「大衆心理アドバイザー」が必要

「大衆心理学」と言うか、世間一般の人がふつうどのように思うか、ということへの洞察は社会改善を考える人間にとっては一番大事なことであり、たとえばヒトラーはその政治的悪行のために評判は最悪だが、大衆心理への洞察力は古今無双だろう。ある意味では「シオン長老の議定書(ユダヤプロトコル)」の完璧な実行者だ。ヒトラーが実はユダヤ人だったという説があるのも、このあたりに原因があるのかもしれない。

というのは前置きで、下のツィートでの竹熊健太郎の指摘はまったく正しいと思う。さすがに編集者としても有能な竹熊氏の指摘である。
私がいくら山本太郎の賛同者であっても、書店でこの本を見つけてカウンターに持っていく勇気はない。あまりにみっともない外観と題名の本である。
本の外観というのは、「他人に自分を見せるお洒落」なのである。汚いボロを着た垢だらけの人間に初対面で惚れる、あるいは近づきたいと思う女性はあまりいないだろうwww
もともと山本太郎を馬鹿にしている馬鹿が世間には多い。彼の芸能界への登場時を覚えていて、今でも彼を「メロリンキュー」(私はその当時を知らないので意味不明だが)と嘲笑するネット民は多い。また、彼が高校中退(学歴は「中卒」となる)であることを馬鹿にする連中も多い。
山本太郎をその程度しか知らない世間の人間が、この本の表紙を見てどう思うか。牛の胴体に山本太郎の顔がくっついているわけで、つまり、「自分は牛程度の知能の人間です」と言っているようなものではないか。しかも題名が「僕にもできた! 国会議員」では、中卒の芸能人でも国会議員になれたことを自慢している本か、と思うのがほとんどではないか。
大衆は、ほとんど感覚で判断するのである。
中味が何ひとつ理解できなくても、東大教授か助教授だかの書いた難しそうな本が売れていると聞けば、自分もその本を買って電車の中で広げ、格好をつけるものだ。そうしてベストセラーになったりする。
つまり、「人にウケたい(重んじられたい)なら、ウケる外観を作る必要がある」わけで、上級国民がカネのかかる服装をするのも、その威力を知っているからである。
その意味では下の本は完全に落第である。

(以下引用)




は今年出した著作「僕にもできた国会議員」が売れてないと嘆いているが、ひとつには表紙デザインのセンスに問題があると思う。またブルー系の表紙は売れないというジンクスがある出版社も知っている。






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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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