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マスメディアがネットだけになることの危険性

「阿修羅」所載の「日刊ゲンダイ」記事(内田樹インタビュー)の一部である。
現在のマスコミというか、マスメディアはこの先ほとんどが滅びるだろう、ということは私も何度か書いた気がするが、当のマスメディア自身がそれを問題とした発言を見たことが無い、というのは内田樹の指摘で初めて気づいた気がする。それ(このマスメディアの姿勢)こそが、まさに滅亡の徴候だろう。
問題は「ネット(あるいはスマホ)さえあれば十分か」ということだ。紙の出版物(本や雑誌や新聞)も無くなり、テレビもラジオも無くなった時には、ネット配信元を支配しさえすれば、情報のすべてを操縦できるのである。そうした状態の危険性に一般人ももっと目を向け、意識的になる必要があるだろう。つまり、出版業やテレビやラジオは規模を縮小しても、絶対に残す必要がある、ということだ。「マスゴミ」と揶揄ばかりしていると、事態はもっと悪化すると私は予測する。

(以下引用)

 例えば、全国紙や民放テレビは、遠からずビジネスモデルとしては立ち行かなくなる。いくつもの新聞やテレビ局が消えるだろうが、その場合、これまでそういうメディアが果たしていた社会的機能は、何が代替するのか。重要な問いのはずだが、メディアはそれについては口をつぐんで語ろうとしない。「なぜ私たちは存在理由を失ったのでしょうか?」と自問するのがつらい仕事だということはわかる。

 だが、おのれ自身の足元が崩れている時に、それを報道することも分析することもできないほど知的に非力なメディアには、冷たいようだがもう存在理由がない。

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「純文学」とは何か

竹熊健太郎のツィートだが、「ファインアート」の定義を初めて見た。この定義は世界的に公認されたものだろうか。いや、公認ではなくとも、常識としてそう認識されているのか。
もちろん、私はこの定義にほとんど同意するが、他の定義も成り立ちそうな気もする。
ちなみに、私は「純文学」の定義を、「世界(あるいはその国)に人間性や精神などへの新しい思想や感覚や発見をもたらした文学」と思っている。その点ではSF作品の中には「純文学」的価値を持った作品が多いが、推理小説などは、いくら面白くても「純文学」にはならない。「なろう小説」の大半が「何かの亜流の亜流の亜流」であるに至っては、単なる「消費物」である。
私の「純文学」の定義を言い換えれば、「読む人の精神世界を拡大する小説や詩」である。たとえば、詩でいえば、アルチュール・ランボー、小説で言えば、スィフトやルィス・キャロル、ポー、ドストエフスキーなどである。或る種の「狂人性」がそこには必要な気がする。もちろん、読む人の感性や解釈能力によっては「ドン・キホーテ」なども純文学だ。

(以下引用)

こういう表現をなんと呼ぶべきか。「純文学」「純音楽」「ファイン・アート(純粋芸術)」という言葉があるが、これらは「娯楽」とか「商業芸術」に対比される言葉で、目的が「表現そのもの」にある表現を言う。言葉を替えれば「その表現手法でなければ表現できないもの」のことだ。

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雑煮を食べて体が鏡餅www

答えは簡単。「太るからだよ」
正月3が日雑煮を食べ続けた私は確実に3キロは太った実感が腹回りにあるwww
カレーライスも同じである。三日食べ続ければ3キロ太る。
ちなみに、1日絶食したら、ほぼ確実に1キロやせる。食べないこと以外のダイエットはほとんど効果が無いだろう。中年以降の運動などは食欲が増すので、ダイエットにはあまり意味が無いと思う。もちろん、若い間は大いに食べて大いに運動するのが健康体を作る最適解だろう。

(以下引用)

ええ・・・⁈ 年中、餅食べてる・・・ 餅好きだから・・・
引用ツイート
イナダシュンスケ
@inadashunsuke
·
正月に餅を食べると 「餅ってなんて素晴らしい食べ物なんだ! 正月に限らず年中フル活用するべきなのでは?」 と思うんですが、結局毎年、次の正月まで買わないのは何故なのかを考えている。 この件については本当に毎年考えている。

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遍照飛龍氏による「2022年を占う」の考察

遍照飛龍(「竜」の字だったら失礼。田中芳樹は「竜」が正字だと言っていたようだが、字のバランスは「龍」のほうが良い気がする。いかにもドラゴンらしい。)さんのNOTE記事である、「世界と日本の2022年を占う」での卦である。
「地山謙上爻」と出たらしい。その解説は後で引用する。
易というのは面白いもので、たとえば「地の上に山がある」という「正常な」状態より「山の上に地がある」という「異常な状態」のほうが悪そうだが、正反対で、前者は「山地剥」という「剥落の象」つまり、これから事態がどんどん悪化していくのに対し、後者は「地山謙」という、好ましい象なのである。「山」という、高さを誇る、高慢さが、地にどっしり抑えられているわけだ。そして「謙遜」は中国、あるいは東洋の最高の美徳なのである。だから貴族や王族や大富豪も庶民の嫉妬や憎悪を恐れて華美な暮らしをしなかったわけだ。つまり、「見えない民主主義」が東洋にはもともとあったとも言える。(だから戦争には弱い。民主主義組織で戦争ができないのは自明である。王道こそが正道で、覇道は邪道なのである。)
さて、地山謙の伏卦は「天沢履」で、「履」は「(正道を)履み行う」意味だと私は解釈するので、やがて世界や日本の異常な状態(新自由主義世界)は終わり、まともな道義や常識が通用する世界になる日は近い、と見る。それは、引用文にある「用いて師をやり、邑国を征するに利ろし」の卦辞からの判断でもある。つまり、この場合の「邑国」がDSとその手下だろう、というのが私の希望的観測だ。
さらに上爻が陽に変わった変爻では「艮為山」で、停滞の卦だが、悪事が終わった状態での停滞とは平和安定状態だと私は判断する。ただし、「その背に艮(とど)まりてその身を獲ず、その庭に行きてその人を見ず」だから、DS自体は上手く逃れ去るだろう。あれだけの金力と権力を持っているのだから、そうなるのが当然だ。庶民は、彼らの悪の手から免れられそうだというだけでも喜べばいい。
まあ、希望の持てる卦が出たのではないか。
蛇足だが、「地山謙」の彖(たん)伝の後半は人生訓としても有益なので、参考までに載せておく。
「天道は盈(みつ)るを欠きて謙に益し、地道は盈るを変じて謙に流(し)き、鬼人は盈るを害して謙に福(さいわい)し、人道は盈るを悪(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰(こ)ゆべからず。君子の終わりなり」
「君子の終わり」とは、最終的な到達点ということだろう。つまり「有終の美」だ。君子は庶民(卑くして)であっても、「踰ゆべからず」である。ソロモンの栄華も野の百合に如かず、だ。自分の今の状態に満足していれば、乞食でも王侯以上の幸福である。征服欲という欲望の奴隷だったアレクサンダー大王ははたして乞食哲学者のディオゲネスより自由で幸福だったか。



(以下記事内の某解説より引用)図は一番下の陰爻が欠けている。

地山謙 上爻

ちざんけん じょうこう
まずは、やさしい解説から

━  ━○
━  ━
━  ━
━━━
━  ━


<爻辞>
「鳴謙。用いて師を行り邑国を征するに利ろし」


<読み方>
めいけん。もちいて しを やり ゆうこくを せいするに よろし。


<爻辞の意味>
「謙虚である人を見て、それに習う。領地内の服従しない者について、これを征伐する」


「地山謙」とは、謙遜するという意味の卦(か)です。


そんな中この上爻は、自分の領地内にいながら服従しない者を征伐します。


謙遜の卦の中にある「征伐」なので、あくまでも不遜な者をこらしめるのが目的であり、決して自分の領地を広げようなどとするものではありません。


そのような挙兵であれば、よろしいと言っています。


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世界環境問題運動の背後に世界原発村

これが「SDGs」という看板の最初からの目的だろwww 脱炭素以外の他の項目はカモフラージュ。で、世界中の馬鹿な鴨が全部捕獲される。
ちなみに、アルファベット略語に弱い私が「SDGs」を覚えていられるのは、誰かが書いた「セックス大好きガールズ」という覚え方によるwww 「水兵リーベ」より有能だ。

(以下引用)

U-ichi Abe (kamex)@鬱治療中/お仕事募集中
@kamex
"脱炭素社会の実現を目標に掲げるEU=ヨーロッパ連合は、原子力発電についても「持続可能な経済活動」として、投資を促す方針を明らかにしました。 これに対して脱原発を進めるドイツは反発するなど、加盟国の中でも意見が分かれていて、今後議論が活発になりそうです"
引用ツイート
U-ichi Abe (kamex)@鬱治療中/お仕事募集中
@kamex
·
EU 原子力発電は「持続可能な経済活動」 加盟国 意見分かれる | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2022
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キチガイの「正義」

某ツィートだが、言い得て妙である。(念のために言うが「妙」は誉め言葉である。「妙(たえ)なる」とか「神妙」「妙好人」の類。)魔女狩りをした連中やナチスの協賛者とかは、現在の「ポリコレ」グループとまったく同質である。


(以下引用)

魔女狩りやらナチスの暴虐やら、今の時代から考えると信じられないことのように思うかもしれないが、 今の欧米のポリコレバカを見ていると、「ああ、確かにコイツらがそれを行ったんだな」と確信できるから面白いよな この300年、全く成長していなかったわけだ

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沖縄県の今年を占う

まあ、沖縄ローカルの話だから他県の人には興味も無いだろうが、馬鹿の妄想として読めばいい。

1:沖縄県の年運:雷風恒初爻(伏卦:風雷益)
「ほぼ無難な一年だが、おそらく新コロ関係での自粛強制は続き、経済活動は停滞する。然し、伏卦が「風雷益」なので、来年は経済的に絶好調になる。雌伏の一年になりそうだ。初六の変爻も「雷天大壮」つまり「大いに壮(さか)ん」で、最高である。

2:玉城県政の年運:天火同人6爻(伏卦:地水師)
「同人野に求む。通る。大川を渉るに利(よろ)し。君子の貞に利し」という卦で、在野の賢人(私などかwww)に知恵を借りれば大きな仕事も成し遂げられる。伏卦の「師」は戦を意味するので、政府との闘争も表面化するか。だが、「師」は大人数の意味もあり、味方も多いだろう。しかし、成果そのものは6爻の変爻である「沢火革」の時、つまり玉城県政の跡継ぎの人物の時代になるだろう。それが仮に鳩山由紀夫だったりしたら、米軍基地の全面返還という奇跡も起こるかもしれない。まずは、玉城知事は山本太郎と鳩山由紀夫に援助を求めることだ。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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