遍照飛龍(「竜」の字だったら失礼。田中芳樹は「竜」が正字だと言っていたようだが、字のバランスは「龍」のほうが良い気がする。いかにもドラゴンらしい。)さんのNOTE記事である、「世界と日本の2022年を占う」での卦である。
「地山謙上爻」と出たらしい。その解説は後で引用する。
易というのは面白いもので、たとえば「地の上に山がある」という「正常な」状態より「山の上に地がある」という「異常な状態」のほうが悪そうだが、正反対で、前者は「山地剥」という「剥落の象」つまり、これから事態がどんどん悪化していくのに対し、後者は「地山謙」という、好ましい象なのである。「山」という、高さを誇る、高慢さが、地にどっしり抑えられているわけだ。そして「謙遜」は中国、あるいは東洋の最高の美徳なのである。だから貴族や王族や大富豪も庶民の嫉妬や憎悪を恐れて華美な暮らしをしなかったわけだ。つまり、「見えない民主主義」が東洋にはもともとあったとも言える。(だから戦争には弱い。民主主義組織で戦争ができないのは自明である。王道こそが正道で、覇道は邪道なのである。)
さて、地山謙の伏卦は「天沢履」で、「履」は「(正道を)履み行う」意味だと私は解釈するので、やがて世界や日本の異常な状態(新自由主義世界)は終わり、まともな道義や常識が通用する世界になる日は近い、と見る。それは、引用文にある「用いて師をやり、邑国を征するに利ろし」の卦辞からの判断でもある。つまり、この場合の「邑国」がDSとその手下だろう、というのが私の希望的観測だ。
さらに上爻が陽に変わった変爻では「艮為山」で、停滞の卦だが、悪事が終わった状態での停滞とは平和安定状態だと私は判断する。ただし、「その背に艮(とど)まりてその身を獲ず、その庭に行きてその人を見ず」だから、DS自体は上手く逃れ去るだろう。あれだけの金力と権力を持っているのだから、そうなるのが当然だ。庶民は、彼らの悪の手から免れられそうだというだけでも喜べばいい。
まあ、希望の持てる卦が出たのではないか。
蛇足だが、「地山謙」の彖(たん)伝の後半は人生訓としても有益なので、参考までに載せておく。
「天道は盈(みつ)るを欠きて謙に益し、地道は盈るを変じて謙に流(し)き、鬼人は盈るを害して謙に福(さいわい)し、人道は盈るを悪(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰(こ)ゆべからず。君子の終わりなり」
「君子の終わり」とは、最終的な到達点ということだろう。つまり「有終の美」だ。君子は庶民(卑くして)であっても、「踰ゆべからず」である。ソロモンの栄華も野の百合に如かず、だ。自分の今の状態に満足していれば、乞食でも王侯以上の幸福である。征服欲という欲望の奴隷だったアレクサンダー大王ははたして乞食哲学者のディオゲネスより自由で幸福だったか。
(以下記事内の某解説より引用)図は一番下の陰爻が欠けている。
「地山謙上爻」と出たらしい。その解説は後で引用する。
易というのは面白いもので、たとえば「地の上に山がある」という「正常な」状態より「山の上に地がある」という「異常な状態」のほうが悪そうだが、正反対で、前者は「山地剥」という「剥落の象」つまり、これから事態がどんどん悪化していくのに対し、後者は「地山謙」という、好ましい象なのである。「山」という、高さを誇る、高慢さが、地にどっしり抑えられているわけだ。そして「謙遜」は中国、あるいは東洋の最高の美徳なのである。だから貴族や王族や大富豪も庶民の嫉妬や憎悪を恐れて華美な暮らしをしなかったわけだ。つまり、「見えない民主主義」が東洋にはもともとあったとも言える。(だから戦争には弱い。民主主義組織で戦争ができないのは自明である。王道こそが正道で、覇道は邪道なのである。)
さて、地山謙の伏卦は「天沢履」で、「履」は「(正道を)履み行う」意味だと私は解釈するので、やがて世界や日本の異常な状態(新自由主義世界)は終わり、まともな道義や常識が通用する世界になる日は近い、と見る。それは、引用文にある「用いて師をやり、邑国を征するに利ろし」の卦辞からの判断でもある。つまり、この場合の「邑国」がDSとその手下だろう、というのが私の希望的観測だ。
さらに上爻が陽に変わった変爻では「艮為山」で、停滞の卦だが、悪事が終わった状態での停滞とは平和安定状態だと私は判断する。ただし、「その背に艮(とど)まりてその身を獲ず、その庭に行きてその人を見ず」だから、DS自体は上手く逃れ去るだろう。あれだけの金力と権力を持っているのだから、そうなるのが当然だ。庶民は、彼らの悪の手から免れられそうだというだけでも喜べばいい。
まあ、希望の持てる卦が出たのではないか。
蛇足だが、「地山謙」の彖(たん)伝の後半は人生訓としても有益なので、参考までに載せておく。
「天道は盈(みつ)るを欠きて謙に益し、地道は盈るを変じて謙に流(し)き、鬼人は盈るを害して謙に福(さいわい)し、人道は盈るを悪(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰(こ)ゆべからず。君子の終わりなり」
「君子の終わり」とは、最終的な到達点ということだろう。つまり「有終の美」だ。君子は庶民(卑くして)であっても、「踰ゆべからず」である。ソロモンの栄華も野の百合に如かず、だ。自分の今の状態に満足していれば、乞食でも王侯以上の幸福である。征服欲という欲望の奴隷だったアレクサンダー大王ははたして乞食哲学者のディオゲネスより自由で幸福だったか。
(以下記事内の某解説より引用)図は一番下の陰爻が欠けている。
地山謙 上爻
ちざんけん じょうこうまずは、やさしい解説から
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<爻辞>
「鳴謙。用いて師を行り邑国を征するに利ろし」
<読み方>
めいけん。もちいて しを やり ゆうこくを せいするに よろし。
<爻辞の意味>
「謙虚である人を見て、それに習う。領地内の服従しない者について、これを征伐する」
「地山謙」とは、謙遜するという意味の卦(か)です。
そんな中この上爻は、自分の領地内にいながら服従しない者を征伐します。
謙遜の卦の中にある「征伐」なので、あくまでも不遜な者をこらしめるのが目的であり、決して自分の領地を広げようなどとするものではありません。
そのような挙兵であれば、よろしいと言っています。
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