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風邪で死ぬか貧困で死ぬか

何かがあることは証明できるが、何かが「ない」ことは証明できない。後者を「悪魔の証明」と言う(言ったと思う)が、先端医療のほとんどは後者を利用した疑似科学ではないか、というのは私も疑問に思っているところだ。ただし、「細菌(病原菌)」の存在自体を否定する気はない。実際に、細菌の存在を前提とした近代医学以降に多くの病気(感染症)が治療可能になったと思うからだ。
おそらく、ウィルスは「病気の原因」ではなく、「病気の結果」(細胞のウンコ)ではないか、というのが私の推理だが、下の記事のようにウィルスそのものが存在しない、という説も蓋然性は高いと思う。
なお、風邪やインフルエンザには「病原菌」も存在しないと私は思っている。というのは、誰とも接触しない生活をしていても、体に悪寒を感じ、そこから風邪が始まることはよくあることだからである。つまり、風邪は冷気に対する体の自動的反応だ、ということだ。これは「病気」ですらなく、むしろ、食べ物を口に入れたら唾液が自動的に出る類のものではないか。ただし、老人には風邪が命取りになることも多いはずで、それは、食べ物を喉に詰まらせれば死ぬこともあるのと同じことである。
要するに、冬は体を冷やさず、風邪の予感があったら家で寝ていればいいだけだ。問題は、そうすると生活費が稼げないという、日本の貧困状態にある。

(以下引用)

ウイルスは存在しない、なぜそれが重要なのか

マブハイさんのサイトより
https://memohitorigoto2030.blog.jp/archives/26692819.html
<転載開始>

ウイルスは存在しない、なぜそれが重要なのか



Viruses Don't Exist and Why It Matters - Dr Sam Bailey

私たちは現在、COVID-19詐欺に4年以上関わっており、多くのことが変化している一方で、混乱が依然として支配的なテーマとなっています。パンデミックは存在しなかったという認識を持つ人が増えている一方で、「生物兵器」や「機能獲得」に関する主張を強める人も数多くいます。また、この中には「ウイルスの存在は重要ではない」という新たな迂回的な主張も登場しています。

2020年、私たちはウイルスモデルの調査を開始し、SARS-CoV-2は存在しないという結論に達しました。実際、1800年代後半の文献や、いわゆるタバコモザイク「ウイルス」にまで遡っても、ウイルスが存在したという科学的証拠は何もありませんでした。ウイルス学を批判する人々は、ウイルスの説明に合致する実体が物理的に分離されたことは一度もないと指摘しています。この幻想を維持するために、ウイルス学者たちは「ウイルス論争の決着」声明で提案されているような、適切に管理された実験を行っていません。実際、ステファン・ランカ博士は、ウイルスの証拠として主張されているさまざまな間接的な発見は、実験方法自体によって生み出されていることを示しています。
2022年、マークは『A Farewell to Virology (Expert Edition)』「ウイルス学への別れ」(専門家版)を出版し、ウイルスモデルのほぼすべての側面を正式に否定しました。ウイルスなし」の支持者たちが発表した他の論文と同様に、この論文全体に対する直接的な反論は一切ありませんでした。代わりに、話題を変えようとしたり、確立された用語の定義を曖昧にしたり、反証不可能な新しい仮説を導入しようとする試みが見られただけです。

ウイルスの存在に関しては「第三の道」などなく、この詭弁は、いかなる種類の「病原体」も存在することが証明されていないという事実から目をそらすだけです。インフルエンザや風邪などの病気を引き起こす「感染性」の存在を証明しようとした現実世界での人間や動物を使った実験は、大失敗に終わりました。

このビデオでは、ウイルスが存在しないと認識することが、恐怖を軽減し、より良い社会を築くための重要なステップである理由を検証します。

メモと関連動画はこちらでご覧いただけます。

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解熱剤という馬鹿薬

昔から「馬鹿は風邪をひかない」と言われているが、私はあまり風邪をひいたことがなく、風邪をひいても風邪薬は飲まない。ただ、脳卒中の予防に降圧剤とアスピリンを飲んでいるが、アスピリンの副作用のことも知ってはいる。解熱剤として処方されることも知っているが、解熱剤として使用したことはない。風邪やインフルエンザの発熱は体の自己防衛機能だと思っているからだ。そもそも、風邪で体温を測ったことは、生まれてから一度もない。
まあ、冬場は体を冷やさないようにしていれば、風邪をひくこともほとんど無いと思う。人込みの中に出ることもなるべく避けたほうがいい。
電車の中で咳をしたら、咳恐怖症のお医者さんにアイスピックで脅されたという事件がこの前あったばかりであるwww アイスピックを持ち歩いているほうがキチガイだと思うが、まあ、世の中、いろんな人がいる。街中のほうがジャングルより危険かもしれない。

(以下引用)

解熱剤アセトアミノフェンの「気づかない中で陥ってしまう過剰摂取」について米国の大学が警告を発する

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/acetaminophen-overdose-warning/
<転載開始>

medpagetoday.com

アセトアミノフェンの過剰摂取に陥るメカニズム

日本ではカロナールとしても知られる解熱鎮痛剤のアセトアミノフェンは、現在のように風邪やインフルエンザなどが流行している中では、解熱剤として一般的に処方されます。


「アセトアミノフェンは比較的安全」というような神話が広がっている中での話だと思いますが、先日、アメリカのラトガース大学当局が、


「知らないうちに多くの人たちがアセトアミノフェンの過剰摂取に陥っている」


ということを警告していました。


今回は、その記事をご紹介したいと思いますが、「なぜ過剰摂取になるのか?」ということに関しては、非常に単純な話であり、


「多くの一般的な風邪薬にもアセトアミノフェンが含まれているから」


です。



これは市販薬でも処方薬でもあまり変わらず、たとえば、風邪などの際によく処方される「 PL顆粒」という白い顆粒の薬がありますが、この PL顆粒にもアセトアミノフェンが含まれています。


それどころか、 PL顆粒には、アスピリンと同様の働きを持つ解熱効果のある成分(サリチルアミド)が含まれています。


PL顆粒の成分

kegg.jp


つまり、カロナールなどのアセトアミノフェンの解熱剤と、このような PL顆粒などを同時に飲むと、極端に書きますと、


「 2倍のアセトアミノフェンと、他に同時にアスピリンを服用したのと同じようなことになる」


わけです。


この時点で、すでに、やや過剰摂取なわけですが、しかし、市販の風邪薬の多くにもアセトアミノフェンが含まれています


カロナールを飲んで風邪薬を飲んで、ということを一日繰り返していると、自然と過剰摂取の傾向となるわけです。


このように、「知らないうちにアセトアミノフェンの過剰摂取」に陥る人が、少なくともアメリカでは大変に多いようです。


そのための大学からの警告です。


ちなみに、アセトアミノフェンは「インフルエンザ脳症・脳炎になりにくい」と言われていますが、まったく起こらないわけではなく、他よりやや率が低いというだけです。


以下は、名古屋大学医学部などによる 1999年の研究です。


解熱剤の種類による脳炎での死亡率

indeep.jp


結局のところ、発熱による何らかの緊急事態に陥っているのでなければ、できるだけ解熱剤は使わないのが最良と言えます。それが風邪なら、暖かくして寝ていれば、熱はおさまります。


ここからラトガース大学の警告についての記事です。

大学当局が、インフルエンザ流行期にアセトアミノフェンの過剰摂取について警告

University Officials Issue Warning on Acetaminophen Overdoses Amid Flu Season
Epoch Times 2025/01/14


「アセトアミノフェンが多くの医薬品に含まれていることを知らないため、アセトアミノフェンを過剰に摂取するリスクがあることにほとんどの人たちが気づいていない」と当局者は言う。



米ニュージャージー州のラトガース大学関係者たちは、インフルエンザのような症状の治療に使われるタイレノールの有効成分であるアセトアミノフェンの過剰摂取に関する中毒管理関連の通報が増加していると警告した。


ラトガース大学ニュージャージー医科大学のダイアン・カレロ氏は 1月10日の声明で以下のように述べた


「風邪やインフルエンザの季節は、インフルエンザのような症状を緩和するためにアセトアミノフェンを過剰に使用したという理由で中毒管理センターに寄せられる電話が増加する時期です」


「ほとんどの人は、アセトアミノフェンを過剰に使用しているリスクに気づいていません。なぜなら、この成分が多くの薬に含まれていることを知らないからです。市場にはアセトアミノフェンを含む製品が 600種類以上あります


同大学はニュースリリースで、同大学の医療センターが、症状を治療するために同薬を過剰摂取したニュージャージー州の住民数名を治療しなければならなかった事例が複数あったことを受けて、この警告を出したと述べた。同大学は、治療を受けている患者らは「肝不全や死亡を防ぐ」ためのケアを受けていると付け加えた。


当局は、偶発的な過剰摂取は肝臓毒性、肝臓損傷、あるいは不全を含む重大な健康問題につながる可能性があると付け加えた。


英国やその他の国ではパラセタモールと呼ばれるアセトアミノフェンを、すべての医薬品を合わせて 1日 4,000ミリグラムを超えて摂取しないよう勧告されている。


中毒管理当局は、過剰摂取や肝臓障害の可能性を軽減するために、アセトアミノフェンをあまり短い間隔で複数回服用すべきではないと述べている。


「過剰摂取は多くの人が考えるよりもずっと簡単に陥るもので、アセトアミノフェンを過剰に摂取すると、その結果はすぐに現れ、重度の肝臓障害や肝不全、腎不全、死亡などの生命を脅かす緊急事態につながる可能性があります」とニュージャージー州中毒管理センターのブルース・ラック所長は声明で述べた。


カレロ氏は、「ほとんどの人」はアセトアミノフェンの過剰摂取がもたらす害を認識しておらず、服用している薬の有効成分を確認するべきだと付け加えた。


アメリカ国立衛生研究所(NIH)は、アセトアミノフェン中毒の主な治療法は、NAC としても知られる市販のサプリメントである N-アセチルシステインを投与することだと述べている。NIH によると、アセトアミノフェンを摂取してから 8時間以内に NAC を投与すれば「ほぼ100%有効」だ。アメリカ食品医薬品局(FDA)は、アセトアミノフェンの過剰摂取の治療に NAC を承認している。


※ コメント / NAC については、このアメリカ国立衛生研究所のウェブサイトにある 2024年の論文をこちらで翻訳しています。


消費者ヘルスケア製品協会によると、アセトアミノフェンは米国の市販薬に最も多く含まれる薬剤成分だ


最新の政府データによると、先週、約 40州で呼吸器疾患の発生率が高水準、あるいは非常に高水準と報告されたことを受け、ラトガース大学は警告を発した。


「季節性インフルエンザの活動は引き続き増加しており、国内のほとんどの地域で上昇している」とアメリカ疾病対策センター(CDC)は今週初めの通知で述べた。


CDC の最新の入院データやその他の指標は、インフルエンザウイルスが他の病原体よりも増加傾向にあることを示していると、CDCの研究員キャリー・リード氏は今月初めに述べた。季節性インフルエンザの複数の株が感染者数を増加させているが、優勢なものはない、と同氏は述べた。


CDC の推計によると、今シーズンこれまでに少なくとも 530万人がインフルエンザに罹患し、6万3000人が入院し、少なくとも 11人の子供を含む 2700人が死亡した。

 

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多くの人は正しい立ち方も正しい歩き方も知らない

「神戸だいすき」ブログ記事だが、70数歳になるまで歩き方も立ち方も分からなかったという正直な告白が面白い。それは私も同じで、この件は何度もこのブログに書いている。
「土踏まずで立つ」というのは「意識の持ち方」であって、要は多くの人がやっている「踵で立つ(踵に重心を置く)」ことの戒めだろう。特に武道では、踵に重心を置くことが危険であることは私も指摘している。ちなみに、ボクシングでは試合の間じゅう踵はほとんどリングにつけないらしい。つまり、私が前に書いた、足底前部立ちである。(足底後部はいわゆる土踏まずで、これは現実には偏平足の人以外は着地不可能である。もっとも、人によっては足底後部を踵としている人もいるかもしれない。私は足底と踵を別としている。)

(以下引用)


私は、歩き方に自信がないのです。

それどころか、まっすぐ立つことも、定かではない


別にモンローウォークができないと言っているのではありません。

ちゃんと立つって、どうすることか、よくわからないのです。

猫背になるからと、胸を張ると、重心が後ろに傾いてしまう。だからといって前かがみになれば、重心は前に行きすぎる。

それどころか、「産後のゆがみ」を、直してもらうまでは、右肩が下がって、左腰があがって、傾いていた。

なので、あっちを訂正したり、こっちを訂正したりして、体はぎくしゃくして、すっきり立てなかった。

それがね、今回、ようやく、すっきりと、重心を垂直に落とす方法が、わかりました。

つま先立ちして、かかとを「どすん」と、落とす運動は、簡単すぎて、運動とも言えない、いくら、運動音痴の私でも、難なくできるから、大切な動作だと思っていなかった。

ところが、これを三回ドスンドスンドスンと、やると、いわば、紙袋に入った粉を平らにするときに、おしりをとんとんと、平面にたたきつけてやると、バランスがとれるように、

これで、そのまますとんと、立てば、まっすぐなのよね。

その際、重心は「土踏まず」に落とすんだって。
そして、頭のてっぺんを紐で釣り上げられているように、真上に引き上げると完璧なんだって。

土踏まずに落とすと言っても、土踏まずは、そもそも土についていないから、実際には、土踏まずは床につかないんだけど、その部位が床につくんだという気持ちで立つ。

77年も生きて、ついに、立ち方が分かった!!

嬉しくて、防災訓練に行ったとき、そばにいた、老人会の会計さんに声をかけた。

「まっすぐ立てる?」すると84歳の彼は、「立てるよ」と、自信満々。

すっくと背筋を伸ばして「重心をまっすぐ下に下ろしたらええねん」

「まっすぐ下って、足のどこに下ろすの?」

「土踏まずや」

「え?え~?」なんで、知ってるの~

すると、その84歳は、手を刀のようにかまえて「太極拳やってたからね」と、ポーズをとった。

太極拳で一番基礎になるのが、この土踏まずに重心を落とす立ち方。

軽々と、体重なんかないように、飛ぶがごとくに動くためには、この重心の落とし方を身につけなければならない。


太極拳て、すごいね。ものすごい科学的、

ヨガもすごいよ。

東洋の哲理は優れていると思う。

西洋には、こういうすぐれた武芸はないよ。

この感覚はね「ほんもののお笑いは上方にしかない。東京ものの、漫才のしょうもないこと!!という感覚と似てるわ。


東京ボン太なんか、何が面白いのん?
私は今でも、東京の芸人なんか、芸人じゃないと思う。

そもそも、私は、重心が後ろに傾いて、かかとで、どすどす地面をたたいて歩く癖があります。
なので、友人から、足音であんたとわかるといつも言われていました。

思うに、私の骨密度が高いのは、この、一歩歩くごとに、どんどん!と、骨に刺激が行くからかもしれないわ

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怪奇SF?

私の別ブログ(娯楽記事中心)に書いた記事だが、馬鹿話としてわりと気に入ったので、ここにも載せておく。

(以下自己引用)


どうでもいい話だが、とある本を読んでいて驚いた話である。
いや、驚くような話ではないが、驚かされたので、書いておく。
ロバート・F・ヤング(「たんぽぽ娘」という名SF短編の作者)の「飛ぶフライパン」という変な題名の短編の中に、こういう一文があって、読んでいて驚いた。(「驚いた」がしつこいww)

マリアンの心臓は、エレベーターで六階へあがり、廊下を通って自分の部屋にたどりつくまで高鳴っていた。

何に驚いたかは言うまでもないだろう。私は「心臓がエレベーターで六階へあがった」ことに驚いたのである。まあ、SF小説のことだから、どんな奇想天外なことが起こってもおかしくはない。何しろ、フライパンが空を飛ぶ話のようだから、心臓だってエレベーターで六階まで上がっても不思議ではないだろうが、ここで思い直した。
いや、これは「心臓が六階まで上がった」のではなく、

マリアンの心臓は、彼女がエレベーターで六階へあがり廊下を通って自分の部屋にたどりつくまで高鳴っていた。

ということなのではないか。と気がついたのだが、自分が「心臓が六階までエレベーターで上がった」と勘違いしていたのが面白いので、今こうして書いているわけである。
誤読も、なかなか面白い。
訳者は伊藤典夫で。SFの翻訳者としては大御所である。
ちなみに、「トーマの心臓」は萩尾望都の名作漫画。

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これが医者と医療界の真実

医者のほとんどがいかに不勉強でいい加減かは、新コロ騒動と新コロワクチン被害で明白になったが、下の記事は、あまりに正直なために医療界を追放された医師による医療界の真実である。

今日の研究は、主に製薬業界によって制御されている。医師は疑問を抱かない。ほとんどの人は元の論文を読んでいない(そして、たとえ彼らが読んだとしても、行間を読めず、あるいh正確に論文を評価できない。) その大多数は、医薬品会社と政府という2つの偏見を持ち全く信頼できない情報源から情報の99%を得ている。

というのが厳然たる事実だろう。もちろん、身体各部の小さな不調や怪我に関しては医療は有益である。その反面、「医療に殺される」「無意味な(有害な)治療をされる」こともかなり多いはずだ。

(以下引用)

医学は科学ではない Dr Vernon Coleman

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/human%20beings/medicine%20is%20not%20a%20science
<転載開始>

Medicine Is Not A Science  Dr Vernon Coleman


https://www.vernoncoleman.com/medicineisnot.htm 

正統派の医療従事者は、科学で病気を征服したという印象を与えるのが好きだが、保守的な推定では、18,000の既知の病気の領域では、まだ効果的な治療がない。治療が存在する場合でも、それらの有効性は多くの場合問題がある。最近の報告は、医療および外科的治療の85%が適切にテストされたことがないと結論付けた。

現代の臨床医は科学的技術を使用するかもしれないが、患者を治療する方法では、彼らはまだほら吹きやペテン師であり、利益になり、そして、証明され効果的である可能性のある新しい技巧と技術に抵抗性のある、既存の証明されていないアイデアに忠実である。



医師が自分の仕事で科学的な手段を使用する可能性があるという事実は、彼を科学者にするものではない--ワードプロセッサを使用するタイピストがコンピューター科学者であるという以上のものではない。医師が利用できる科学技術は壮大かもしれないが、問題は科学的技術の適用が粗く、テストされておらず、非科学的であることだ。



現代の医師と外科医は、人間の心と人体を単一の存在とは見ていない(そのため、医療専門家はホリスティック医学の原則を受け入れるのが遅く、そして、ストレス関連の障害に対処しようとする試みにおいて二重に無能である。) 彼らは、証拠や客観的な臨床経験よりも、希望と仮定により多く依存している。現代の臨床医は、2000年前の彼の先任者と同じように、了見が狭く、彼の個人的な経験と解釈の影響を受けている。



ほとんどの患者は、おそらく医師が疾患を征服するために確立された治療を使用することを提案する場合、彼は試験、検査、証明された治療を使用すると仮定している。しかし、そうではない。 199110月のThe British Medical Journalは、「おそらく世界には30,000の生物医学的雑誌があり、17世紀以来年間7%で着実に成長している」という編集上の報告を行っている。その論説はまた、「医学的介入の約15%のみが強固な科学的証拠によってサポートされている」、そして「医学雑誌の記事の1%だけが科学的に健全である」と報告している。それ以来、何も改善されていない。

それはどんな科学なのか? 7つの治療体制のうち6つが科学的証拠によってサポートされていない場合、そして臨床決定が基づいている記事の99%が科学的に不健全である場合、医師はどのように自分自身を科学を実践していると見なすことができるのか?親切で思いやりのある医師が、患者が彼の治療法によりよく反応するという理由だけで、彼のより無情な同僚よりも50%優れた癒しの速度を持つことができることが知られているとき、医師はどのように自分自身を科学者と見なすことができるのか?医師は、プラセボを与えられれば少なくとも3分の1の患者が良くなることが何度も証明されている場合、どのようにして医学を科学と見なすことができるのか?医師は、心臓手術を期待している患者の大部分が、単に胸に傷跡を与えられ、手術を受けたと言われた場合、より良くなることが知られている場合、どのようにして科学と見なすことができるのか?

医学は科学ではない。それは芸術である。神秘主義。


 


しかし、最近ではビジネスによって汚染されている。そしてお金。

野蛮な真実は、ほとんどの医学研究は、製薬業界から組織化され、支払われ、委託、または助成されているということである。このタイプの研究は、新製品が商業的価値のあることを示す証拠を見つけるために、非常に単純に、設計されている。そのような研究を委託する企業は、証拠についてひどく悩まされてはいない。彼らが探しているのは、彼らが自分たちの製品を販売できるようにする結論である。医薬品会社が後援する研究は、真実を見つけるよりも良いレビューを得るために行われている。



Journal of the American Medical Association
に掲載された調査では、ライフサイエンスの5人に1人が、企業との関係のために、結果の出版を遅らせたか、公開していないことが判明した。科学者が企業の給与支払担当者への忠誠心のために、偏見を抱き、「買われた」と私が非難したときはいつでも、答えは常に同じであった:「皆そうしています。世界には、企業のお金をもらっていない科学者はいません。」 これはおそらく真実である--そして、多くの申し立てによると独立した政府機関が、ほとんどの場合、政府機関が取り締まっていると仮定されている大企業のために働いている(または手数料をもらった)男女でいっぱいであるという事実の1つの説明である。

それはまた、医科学雑誌の記事、論文、レビューを書いている医師や科学者のほとんどが、製薬、化学、あるいは食品会社からお金、助成金、景品を受け取っているという事実である。 (また、多くのそう言われている、そして見かけ上独立したジャーナルが企業の広告を受け入れ、一部は記事を掲載する見返りに支払いを受け入れるということを覚えておく価値がある。)

医療行為を支持する科学的証拠の欠如は、医学のすべての分野で明らかである。

非常に少ない例外を除いて、医学には確実性はない。患者が受ける治療は、科学よりも偶然と医師の個人的な偏見に依存している。予期せぬことは非常に頻繁に起こっているように思われるので、それは本当に予期されるべきであり、医師が病気の結果を正確に予測する可能性は50:50以上ではない。

明らかにハイテクノロジーの医学の最近でも、異なる医師が好む治療にはほとんど無限の変動がある。医師は、まったく同じ症状に対して異なる処方箋を提供している。彼らは患者を非常に異なる時間の間病院に留め、明らかに同一の問題を抱える患者に対して異なる手術を行う。

確かに、医師を訪問するときに患者が得る治療の種類が、彼が説明する症状ではなく、彼が相談する医師とその医師が実践する場所に依存することを示すための十分な証拠がある。しかし、実際のほとんどの医師は、彼らの治療方法が疑いの余地がないと確信しているようだ。多くのGPたちや病院の医師は、まるで石に刻まれているかのように決定を発表する。

今日の研究は、主に製薬業界によって制御されている。医師は疑問を抱かない。ほとんどの人は元の論文を読んでいない(そして、たとえ彼らが読んだとしても、行間を読めず、あるいh正確に論文を評価できない。) その大多数は、医薬品会社と政府という2つの偏見を持ち全く信頼できない情報源から情報の99%を得ている。化学療法、放射線療法、ワクチン接種が実際に機能するという証拠をわざわざ探す人はいない。誰もいないので、これは幸運で好都合である。

若い医師は、彼らが教えられていることは事実だと言われている。そして、彼らは医学が科学であると教えられ(そして信じ)ている。解剖学室の外、そしておそらく生理学研究所の外では、医学には事実はない。体(健康と病気のとき)に関する私たちの知識のギャップは、私たちの知る程度よりもはるかに大きい。医学は科学ではない。それは技巧と技能である。ほんの少しの科学が横で立ち往生している。経済学、精神医学、心理学はすべて、実際の科学とは占星術や虹彩学より以上の関係はない擬似科学である。医学は、実際の科学と経済学の間のどこかにある。しかし、それは科学ではない。



医師は、科学者と考えられるのが好きである。なぜなら、それは彼らの絶対確実性のオーラに貢献しているからである。製薬会社は、医師が科学者であると考えるのが好きである。なぜなら、それは、患者が彼らが生産する治療法に信仰を持つことを奨励するからである。そして、研究医は、彼らが科学者であるふりをするのが好きである。なぜなら、彼らが助成金を手に入れ、説得力のある物語をメディアに伝えることを容易にするからである。現代の医学者は、商業的に受け入れられる解決策を決定し、選択した解決策をサポートする事実を選択している。それは科学ではない:それはプロパガンダである。

 

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クエン酸(ビタミンC)の効能の話

「大摩邇」所載の「donのブログ」記事の一部だが、まあ、書かれたすべてが事実かどうかはともかく、「クエン酸(ビタミンC)健康法」は、試してみても悪くないのではないか。ただし、記事に書かれているより、クエン酸ははるかに「不味い」ので、その味が我慢できるようにするのが難しい。糖分を加えて摂取すると、糖分の害(糖毒という言葉もあるらしい)もあるだろう。(ただし、激しい頭脳労働には糖分摂取が必須だという話もある。)

(以下引用)武見太郎が存命の「大昔」の会話を、医学素人がこれほど克明に覚えているのが、怪しいと言えば怪しい話だが、まあ、世間には記憶力抜群の人もいるから、私のような三歩歩けば忘れる鶏頭の者の嫉妬かwww


 元国際線乗務員黒木安馬 



21世紀だ!人生·農業リセット再出発231


 クエン酸



 日本医師会会長25年間、世界医師会会長でもあった"ケンカ太郎"。1904年の日露戦争時生まれで、医師会·薬剤師会·歯科医師会の三師会も牛耳る「天皇」と呼ばれた武見太郎。



その天皇と日本医師会がJAL機でブラジルを往復し、担当の乗務員として地球の反対側まで彼と長時間の会話の機会に恵まれた。 



黒木「戦線で兵隊が疫病でバタバタと倒れた中で、私の父など梅干を一日にひと粒ずつしゃぶっていた者たちは不思議と生き残ったそうです。私が米国留学する時に、その話をしながら父が持たせたのが梅干でした。そのお陰で風邪も引かずに帰国しましたが、今も乗務で持参しています。梅干って何が凄いんでしょうか?」



 武見「あの酸っぱさは「クエン酸」といって


柑橘系のレモンやユズがそうだが、身体に良いことは間違いないね。


クエン酸は人体に一日に必要な摂取量が2~5g、


レモンだと最低1個、梅干で4個分かな、


ほとんどの病気はミトコンドリアにとって毒素になる乳酸が溜まって血液や細胞、体液が酸性になっていくのが原因だから、これを弱アルカリ性に変えることができれば予防と治療にはかなり効果的なんだよ。それができるのはクエン酸だけで、自然界の万能薬だね」



 黒木「それはいいことを聞きました! では、予防医学と健康維持にはJAL乗務員もクエン酸を多めに摂取するようにすれば良いのですね。さっそく社内報で流しましょう」 



ドン武見は即座に手を横に振って話を遮った。 



「いやいや、それはダメ! クエン酸が世に広まったら我々医者や病院、製薬会社も廃業だよ。クエン酸が一番良いのはわかっているが、どこでも手に入る上に安すぎて······商売にならない。医者が要らなくなって、とんでもないことになるからね!」 



あらあら手軽に病気が治る方法を世間に流布されたら困るってか!ドンは付け加えた。 



「クエン酸を小さじ半分ボトルに入れて溶かし、トイレや風呂、鏡を掃除すると凄い効果で殺菌消毒にもなり、炭酸カルシウムを溶かすから、尿石·浴室·電気ポット水垢の洗浄に役立つ。漬物をビニール袋に入れて岩塩とクエン酸を一つまみまぶしてもみ込むと実に美味いよ!ジュース、炭酸水、酒や焼酎、ハイボールに一つまみで味がガラッと変わる。クエン酸効果で一番なのは疲労回復。運動やストレスで溜まった疲労物質の乳酸を炭酸ガスに分解して尿として体外に出す効果があるし、乳酸は筋肉痛の原因になるので予防にもなる。クエン酸が足りなくなってくると糖質や脂質がエネルギーに変換されなくて乳酸として溜まる。クエン酸には血液をサラサラにして血流を良くする効果があるので新陳代謝が促されて疲労回復効果になる。血液がドロドロ状態は酸性に傾いている時で、健全でサラサラな血液は弱アルカリ性状態。クエン酸は身体の中でアルカリ性として働き、血液のpH値を高めて弱アルカリ性のサラサラな血液へと変える。血液がドロドロになると、高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、動脈硬化、腎臓病になる。サラサラだと新陳代謝を促して冷え性を改善し、生理痛予防、美肌効果、集中カアップになる。クエン酸には、ミネラルの吸収を促す「キレート作用」があるが、ミネラルは身体が健康·美容をキーブするのに重要な栄養素、老化防止·アンチエイジング効果と癌の予防。老化の原因は細胞の酸化。クエン酸のキレート作用で摂取した金属ミネラルが酸化される前にミネラルを取り除いてくれるため、酸化防止、老化防止になって細胞を酸化させる活性酸素を取り除く効果もある。クエン酸を洗顔や入浴剤に使うことで、身体の外側から肌を綺麗にする効果もある。クエン酸洗顔は『ピーリング」といわれる皮膚治療、古い角質を剥がして新しい肌に再生する方法だが、肌荒れ、肌のくすみ、小皺、毛穴の角栓、ニキビ、乾燥肌、シミに効果があり、クエン酸の入浴剤は美肌、体臭予防効果がある。尿酸は尿の老廃物、尿酸値が高くなると痛風、クエン酸は尿酸値を下げて痛風を予防するから治療薬に使う······。



 今、思い出すだけでもかなりの情報を無料で直伝してもらった機内だった。今回の“武漢CORONA-VIRUS風邪”騒動で、とっさに思い出したのが、そのクエン酸だ。ネット通販で取り寄せたら、鹿児島サツマイモ澱粉原料、純度99.5%の純白粉末1kg 袋が、なんと送料込で¥1,080!さっそく紅茶に入れて飲んでみて、サラダに味噌汁、漬物に一つまみ振りかけて······なんだこりゃあ、どえりゃあウミャアでえ。しかも、健康増進どころか、花粉症やアトビー、老化防止など万病対策にもってこいの凄い救世主だと実感しきりである。死んでもいいから、健康でいたいものだ。


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松岡正剛と「日本文化の核心」

松岡正剛が去年亡くなっていたとは初めて知ったが、惜しい人ではある。硬軟入り混じった膨大な本を読破し咀嚼しただけでも偉いものだが、「知の巨人」というよりは「読解の巨人」「知識人としての巨人」なのではないか。まあ、南方熊楠のように、社会的にはまったく影響力の無かった博学な人間も「知の巨人」だろうから、特に、その言い方に文句をつけるまでもないことだが。
なお、私は「しつらい」という言葉を、何の気なしに「しつらえる」の名詞形かと思っていたが、引用文に書かれているように「室礼」なのだろうか。礼法なのか? まあ、客の気に入るように「相手を迎える場」をしつらえることも礼法だと言えば、そうではあるだろうが、「室」内のことに限定される話なのかどうか、気になる。なお、「礼」を「らい」と読むのは中国古典の「礼記」以外では私は聞いたことがない。もちろん、私が無知なためだろう。
引用文の中の「和漢朗詠集」の話は非常に面白い。

(以下引用)



「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?


昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。


2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。


※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。

『和漢朗詠集』の「なぞらえ」

貫之につづいて、藤原公任による『和漢朗詠集』が出現します。『古今集』のような勅撰和歌集ではなくて、私撰の詞花集です。プライベート・エディションです。


平安時代の王朝文化で流行した漢詩と和歌のヒットソングを集めたベストアンソロジー・アルバムだと見ればわかりやすいと思いますが、公任は漢詩1詩に和歌3首、あるいは和歌2首に漢詩3詩などといろいろ対比させて、漢詩と和歌を両方、非対称に収録しました。


これは「なぞらえ」(準え)という方法です。私は「なぞらえ」をみごとにはたしてみせた『和漢朗詠集』を、日本の歴代の詞花集の中でもとくに重要なポジションに位置づけています。


公任はこれを娘の婚姻記念の引き出物としてつくり、紅・藍・黄・茶の薄目の唐紙に唐花文をあしらった雲母刷りにして、名筆家で鳴る藤原行成の草仮名の書で仕上げました。目も綾な粘葉本です。

中国人も衝撃…平安時代に生み出された「日本文化の本質」と言える「3つのコンセプト」© 現代ビジネス

部立もすばらしい。上巻は春夏秋冬で、春21、夏12、秋24、冬9を配当し、下巻は「風・雲・松・猿・古京・眺望・祝……」というふうに組み立てた。これをしかも漢詩と和歌の両方のコンテキストでつなぐ。


結局、漢詩が588詩、和歌が216首になったのですが、まさに「和」と「漢」が意識的に混ぜられているのです。部立はチャプター・エディティングのことです。王朝文化は「部立の文化」でもありました。


こうしたスタイルはのちにまとめて「和魂漢才の妙」というふうに呼ばれます。「和魂」と「漢才」というふうに、あえて「魂」と「才」を振り分けたのも独特です。

「しつらい」「もてなし」「ふるまい」

このように日本人は、舶来の文字としての漢字に自分たち固有の読み方を適用し、そこからオリジナルの日本文字をつくりだしました。


そうすると、その日本文字をまじえた和歌を書にするときの書き方が柔らかく変化していきます。「和様の書」が誕生したのです。そして、漢字をちゃんと書く楷書に対して、漢字をくずす和様の行書が工夫され、さらに草仮名をメインとした草書が書かれるようになったのです。


「真・行・草」の誕生です。これは王朝のカリグラフィックな表現革命でした。


しかしそれだけではなく、その草書を美しい和紙(料紙)にさらさらと「分かち書き」や「散らし書き」にするというデザイン革命も、もたらした。小野道風、藤原佐理、藤原行成らがすばらしい和様書を書いた。これらは中国にも運ばれて展観されたのですが、中国の書人たちはその柔らかさに驚きました。


住居や生活のための素材を木と紙に替え、室内のインテリアに和風のセンスをとりこむということも工夫されます。屏風や壁代や御簾や几帳などが「調度」として登場し、そこに王朝風の「しつらい」(室礼)の文化がつくりだされたのです。そして、この「しつらい」に応じて「もてなし」と「ふるまい」が整えられていきました。

photo by iStock© 現代ビジネス

私は日本の生活文化の基本に、この「しつらい」「もてなし」「ふるまい」の三位一体があると確信しています。私はかつて平安建都1200年のフォーラムのディレクターを担当したことがあるのですが、このときはまさに「しつらい・もてなし・ふるまい」をコンセプトにしてみました。


信仰上の「和漢の境」をまたぐということもおこった。中国からやってきた儒学と仏教を学びながらも、同時にかつてから日本にあった神奈備や神祇の感覚をそこに加えていったのです。このへんのことについては第4講の「神と仏の習合」で説明します。


さらに連載記事<日本史上「最初で最大の文明的事件」…日本文化の起源とも言える「ある出来事」の「衝撃度」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。





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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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