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沖縄の異常な寒さと「地球寒冷化論」

ここ沖縄では、3月終わりに近づいてもまったく気温が上がらない(15度以下の数字が連続している。例年なら20度以上が当たり前。)のだが、これはもはや「地球寒冷化」ではないか、とすら考えている。
もちろん、4月くらいからは気温も上がり始めるだろうが、それでも年間平均気温が2度以上下がるのではないか。年平均で2度の低下というのは恐るべき数字なのだが、今だに(毎度言うが「未だ(に)」は否定を伴うべき漢字表記である。)地球温暖化説を押し付けているDSやそれに唯々諾々と従っている科学者連中は寒冷化を認めないだろう。あるいは数字操作をして誤魔化すだろう。そもそも平均気温というのは「計算不可能」なはずだ。一日中変化している気温をどう平均すれば「一日の平均気温」になるのだ? その数字にどんな意味があるのだ? 日中は40度で夜は0度の土地の一日の平均気温は20度(?)だから「住むのに最適の気候的に天国的な土地」になるのか?

で、例によって妄想論だが、この寒冷化は、これまで私が言ってきた「地軸の傾きの変化」どころか、地球の公転軌道そのものが太陽から遠ざかりつつあるか、太陽自体の温度が低下しているのではないか、という考えも可能ではないか。

前者については、太陽という存在そのものが巨大なヘリウムの塊で、それ自身の燃焼で巨大な熱量を生み出している、というのが私の知識だが、それが事実なら、太陽は時間とともに消滅しつつあるわけだ。周囲の小天体(浮遊岩石含む)が太陽に落下して太陽の質量を維持しているとも読んだ記憶があるが、それも無限に存在しているわけではない。(なぜそれがヘリウムに「化ける」のかも疑問だが)いずれにしても太陽はいずれ消滅するということを否定する科学者はいないだろう。ただ、それがほとんど無限の先のことだと誰もが信じているにすぎない。
太陽の質量の縮小とともに起こるのは太陽の引力の減少であり、それは同時に地球が太陽から遠ざかること(地球寒冷化の必然性)を意味する。そもそも、ヘリウムの塊にすぎない太陽の引力が巨大な惑星たちを引き付け公転させるだけの引力があること自体が不思議だが、それは置いておく。

後者の、太陽の温度自体が低下している可能性については、単に太陽の燃焼によってそれ自身の温度の変化もあるのではないか、という話だ。燃料が減少すれば燃焼力も低下するのは理の当然だ。

まあ、春になっても家の中で重ね着をして暮らす不愉快さに上のような妄想論を書いてみただけである。

毎度言うが、「地球温暖化」が仮に正しいなら、それは地球にとってはむしろ恩恵なのである。暑さで死ぬ人はほとんどいないが、寒さで死ぬ人は毎年膨大に出る。「火を起こす」ことは人類の文明の出発点だったのである。そして地球が温暖化すれば人類の生存圏や生活圏が膨大に広がるだろう。二酸化炭素で地球が寒冷化するという愚論(「地球温暖化商売」のために意図的に広められた説)もいずれ撤回されるだろう。「あれ間違ってましたあ、テヘペロ」で終わりである。

(追記)「東海アマブログ」最新記事の一節で、岐阜(だと思うが)も気温が上がらないようだ。


 今朝は、起きてみると20センチ以上積もる大雪になっていた。おいおい、3月19日で、もう十日以上前にスタッドレスをノーマルに変えているのに……困った。
 3月の大雪といえば、桜田門外の変だが、あれもひな祭りだろ?
 そういえば、数日前に、激しい成層圏昇温が起きてたから、寒冷渦が南下したのかよ。
 やっぱり、マウンダー極小期が再来するんだな……。



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新コロ煽りへの志村けんの死の「功績」

新コロや新コロワクチンの話はもうウンザリするくらい書いたのだが、小池都知事の話などは少し面白いので、長い記事(画像多し)を半分ほど転載する。

(以下引用)

志村けんと松本人志

ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n0f5ef20f06e3
<転載開始>


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最初に結論から言うと、志村けんは完全に政治利用されたと思っています。


もう5年前のことで、みなさんすっかり忘れたかもしれないけど、2020年当初、1月とか2月とか、テレビが「諸外国でコロナが猛威を振るっている!」「バタバタと人が死んでいる!」と恐怖を煽りまくっていた頃、まだコロナが流行っている実感なんて、みなさん全然持っていなかった。
それもそのはず。


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コロナ感染者数のデータを見ると、日本全体で1日数人~数十人程度の感染者しかいない。確率的に言って、ほとんどの人にとって「周りは誰もかかっていない。テレビは一体何を大騒ぎしてるんだ?」という感じだったはずです。




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高橋洋一さんが「この程度のさざ波で五輪中止とか、何だそれ(笑)」とツイートしたことで、つるし上げを食った。
狂気のコロナ禍では、真実を語った者にはすぐさま鉄槌が下されました。高橋さんもその例に漏れません。
2020年東京五輪中止は、日本の感染者数の多寡にかかわらず、既定路線だった。それは「コロナでオリンピック中止!」となれば、世界へのメッセージになるからです。「五輪を中止せざるを得ない、それぐらい大変な感染状況なんだ」と。
この既定路線に逆行するような言動をする人物を、要職に置いておくことはできない。
本当のことを言ったがためにメディアから袋叩きにあった高橋さんは気の毒です。
コロナがひと段落した今、改めてコロナの総括が必要だと思う。コロナの恐怖を煽りコロナワクチンを推進した人たちに対して責任追及が行われるべきだし、同時に、コロナ禍で真実を言ったがために迫害された人の名誉回復が行われるべきだと思う。


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さざ波程度の感染者数しかいなかったときに、志村けんがコロナにかかって死亡したというニュースが飛び込んできた。
これは衝撃でした。
志村けんといえば、日本人の誰もが知る超有名人です。彼がコロナにかかったことも大きなニュースだったけど、まさか、コロナで亡くなったというのだから、とんでもないショックです。

僕は、このときに初めて、日本人の意識の中で、本当のコロナが始まったと思う。それまでは、いわば絵空事でした。屋形船だとかダイヤモンドプリンセス号とか、いろいろメディアが騒いでるけど、「コロナが流行ってる?何の話をしてるんだ?」実感はまるでなかった。でも、テレビの中の見慣れた志村けんが死んだということで、コロナが一気に身近に迫ってきたように感じられました。
しかし、この一件について、今、冷静に考えてみましょう。

報道によると、志村さんは3月17日にコロナに罹患したとのこと。データによると、3月17日にコロナに罹患したのは、日本全国で45人だった。
その45人のなかに、志村けんが含まれる確率はいくつですか?高校数学レベルの『確率』の問題です。


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0.000000375です。0.0000375 %という、まず起こり得ないことが、起こったということになる。しかもこれはコロナに罹患する確率であって、コロナで死亡する確率ではありません。死亡となれば、もっと起こり得ない。
さらにいうと、志村けん逝去の1か月後くらいに、岡江久美子さんもコロナで亡くなったという報道があったけど、この確率も計算してみればいい。


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日本でコロナがほとんど流行していなかった時期に、芸能人がなぜかコロナで立て続けに亡くなった。どういうこと?芸能人はコロナに特別かかりやすく死にやすいってこと?そんなわけない。絶対あり得ないんです


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志村けんのお兄さんは、入院中の面会はもちろん、亡くなった後の顔を見ることも許されなかったという。本当、狂った時代でした。

誰もが知るスターの訃報ということで、当時の都知事もコメントを発表した。


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「コロナの危険性をみなさんに届けたという、最後の功績も大きい」
ここでは詳しく繰り返さないけれど、コロナは世界的なプランデミックだった。人工的に合成したウイルスを散布し、マスコミを通じて人々の不安を過大に煽り、ワクチン接種に走らせ、地球人口の削減をはかる。それがコロナ騒動の目的だった。
目的遂行にあたって、当然都知事にも指示が出ている。なんといっても、ジョージ・ソロス(DS幹部)と昵懇であることを隠そうともしない人なんだから。
「功績」という言葉を選択したあたりに、うっかり本音がこぼれているようだ。


(以下省略)

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再々再掲載「ウクライナ戦争の今後を易に問う」

易の過去記事を読んでみたら、なかなか的中していたようなので、再度載せる。易が的中したと言うより、解釈が適正だったようだ。

(以下引用)

再々掲載「ウクライナ戦争の今後を易に問う」

2022年6月、つまり1年以上前の易占「ウクライナ戦争の今後を易に問う」を再掲載する。厳密には同年3月の易占の再々掲載であるが、見事に当たっているようだ。私の易占(占断)は、希望的観測が多いので、当たらないことも多いが、これは珍しく当たっていると思う。まあ、易占が当たっているというより、解釈が妥当だっただけである。ウクライナ戦争はもはやNATO対ロシアの戦争になっており、つまり東西の戦争なのだから「この戦争は世界に拡大する」という解釈は「当たり」だろう。

(以下引用)

再掲載「ウクライナ戦争の今後を易に問う」

ずっと前に書いた「ウクライナ戦争の今後を易に問う」(3月2日掲載)という記事だが、再読するとなかなか面白いので再掲載する。八割がた当たっているのではないか? 私は頑固な平和主義者だが、「この戦争は正しい戦争である」という意見は変わらない。ウクライナの人にとっても正しい戦争なのである。つまり、キエフ政権(ネオナチ政権)の暴政・悪政から国民を解放するための戦争なのだから。

(以下自己引用)

ウクライナ戦争の今後を易に問う

ウクライナ戦争は、下手をしたら全世界に影響を及ぼす可能性も高いので、易に問うてみた。すると、驚いたことに、易の卦の中で唯一「戦争の卦」である「地水師」が出たのである。
問いは「世界にとってのウクライナ戦争の今後」である。
本卦は、「師は貞(ただ)し。丈人に吉。咎なし」である。
つまり、「この戦争は正しい戦争であり、冷静な判断力のある者(丈人、長老)には吉で、咎はない」ということだ。
ただし三爻は、「師あるいは屍を載す、凶」である。つまり、この戦争では死者が出る、ということで、当たり前と言えば当たり前だが、「世界にとってのウクライナ戦争」を問うたのだから、この戦争は世界に拡大する、ということになるのではないだろうか。
救いは、伏卦が「天火同人」で、和睦の卦、三爻の変爻が「地風升」で、世界はこの後繁栄に向かう、と判断できることである。(升は「昇」と同じで上昇を表す。)
つまり、この戦争が「第三次世界大戦」となっても、それによってDSのグレートリセットが頓挫し、全世界が「人口削減」と「奴隷化」から救われるのではないか、と私は判断する。ある意味、「世界を救う戦争」である可能性がある、ということだ。少なくとも、これで新コロ詐欺はほとんど中止されているという現実がある。欧州のワクチンパスポート停止は、ウクライナ情勢を読んでのものだった、ということだ。日本は蚊帳の外だから、まだワクチン接種推進などやっているがwww

ついでに、「日本にとってのウクライナ戦争」を占ってみたら、「天地否5爻」であった。「否」は八方塞がり的な悪卦だが、5爻は、「否を休(や)む」で、その状態もまもなく終わる、ということである。伏卦は「地天泰」、5爻の変爻は「火地晋」で、どちらも良卦。まあ、安部菅時代の、いや、小泉以降の日本社会の悪化もまもなく終わる、と解釈しておく。ただし、ウクライナ戦争に関しては日本はアメリカの手下となるわけだから、当然被害も受けることになる、ということである。下手をしたら自衛隊の海外派兵もあるだろうし、経済的にも大出費を強制されるだろう。すると、増税や、年金支給の減額などがありそう
とりあえず、参議院選で自公維勢力をできるだけ減らし、改憲をストップするのが大事だろう。

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貧すれば鈍す

大分ハローキティ空港について、ヤフーコメントの最初が賛成意見しか載っていない(操作されていると思う)のでびっくりしたが、疑問視する意見をいくつか含む部分だけ転載する。公的企業が特定民間企業の後押しをする(利用する)のはおかしくないか?

(以下引用)






  • hir********

    大分県は温泉県、宇宙空港、そして今度はハローキティー空港、焦点が定まらずかえって何を目玉にしてアピールしたいのか迷走している印象ですね。欲張らずにポイントを絞って地道に売り込んだほうがいいですね。首都圏、関西圏、アジア各国からわざわざハーモニーランドを訪れる人はあまりいないでしょうし。九州各県はどこもアピール下手ですが、特に大分県、佐賀県、宮崎県は地味過ぎる。






  • GSR

    空港名で旅先を決めることはほとんどありません。空港名で奇をてらうのではなく、観光先の名所を充実させたり、アピールする方が正攻法だと思います。他のケースでも、実体ではなく、外側を取り繕おうとすることが多い現在の日本社会に不安を覚えることが多いので、そのように思いました。





  • rai********

    万博と関係ないと思うけど… キティちゃんだけでなく、 大分には温泉もあるし他にも観光する所があるのでサンリオ推しだけでなく色々アピールすれば良いと思う。 個人的には鉄輪温泉や湯布院好きです(*^^*)






  • lef********

    羽田空港は「江戸ゲートウェイ空港」、調布空港は「武蔵の国空港」、成田空港は「醤油と落花生が旨い東京空港」、茨城空港は「霞ヶ浦空港」が良い気がする。 羽田空港は江戸の入口という、そのままの意味。 調布は武蔵の大地に立地する空港という意味。 成田は日本の玄関口。日本の空港は外国人にとって「醤油の香りがする」というのが風説。そして名産であり外国人にとって受け入れされやすい落花生。 茨城は地元の象徴であり、空からよく見える霞ヶ浦。 空港の良さや個性が活かされる名称になって欲しい。






  • hir********

    別府や鉄輪等は好きだからネガティブな事は言いたくないんだが… 大分空港はアクセスが悪すぎる… 以前、羽田からの終着便で別府に渡るのに痛い目に遭ったから二度と利用しようとは思わない… 頼みの綱のホバークラフト便も最近はアクシデントが続いてたから心配だし… アクセスを改善したとの話も特に聞かない… 万博も関係ないし、アクセス改善してからじゃないと評判を更に下げるだけじゃないか?






  • ***taa***

    キティちゃんは、老若男女問わず知る方多いと思います。 キティ空港ってどこの空港?じゃなく、 しっかり大分ハローキティ空港で記憶されるよう期待しています。 沢山の人に愛される空港になりそうですね。






  • kak********

    ハローキティが海外セレブとかも大好きな有名猫であることは知ってるが、大分空港がハローキティ空港と聞いて「はあ?」としか思わなかった。 この記事だけでは何のことか分からないので、ヤフコメに書かれている内容を観て「ハーモニーランド」なる施設があるからだという事がやっと分かってきた。



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今こそ「農業(含む第一次産業)の国営化」も考えるべき

「大摩邇」から転載。政治というより生活に密着した話なので、このブログに載せるが、もちろん責任は政治にある。
記事末尾のコメの関税率が341%というのは凄い。しかも、それを支払っても輸入したほうが業者には利益が出るというのも凄い話である。
要は「農家保護(?)の方向性が根本から間違っている」のではないか、ということだ。農家を含めた国民全体の不利益である「減反政策」を延々と続けてきた無能さ、愚かさの結果だ。

私が前々から言うように、第一次産業は国家の土台であり、防衛基盤である。第一産業従事者は公務員にすべきだという提案もキチガイ政策ではないと思う。

(以下引用)

コメ高騰で外国産米の民間輸入が急増、高い関税払っても「十分に採算取れる」

ライブドアニュースより
https://news.livedoor.com/article/detail/28350705/
<転載開始>



価格が高騰するコメが並ぶスーパーの売り場(2月13日、東京都江東区で)=米山要撮影

写真拡大



 米不足を受け、外国産米の民間輸入が急増している。


 2024年度、政府に提出された輸入申請は、1月末時点で計991トンと過去最多を更新した。高額な関税を支払っても採算が取れるためだ。大手商社「兼松」(東京)は、過去に例がない1万トンもの外国産米を年内に輸入する方針を打ち出した。


 コメの輸入には、世界貿易機関(WTO)ルールに基づいて外国から一定量を義務的に買う政府輸入と、商社などが国に関税を支払って行う民間輸入の2種類がある。

 政府が輸入するコメは、最大10万トンが主食用として市場に出回る。民間輸入は記録が残る19年度以降、20年度の426トンが最多で、例年200~400トン程度だったが、24年度は昨年12月末時点で468トンと過去最多を更新。今年1月末時点でさらに倍以上になった。



 兼松が1万トンの輸入を打ち出したのは2月。牛丼チェーンなど外食産業からの需要が高まっていたためだ。


 流通関係者によると、米国産の中粒種「カルローズ」なら輸送費なども含めて仕入れ値は1キロ150円程度で、関税を上乗せしても1キロ500円ほど。国産の店頭価格は現在、1キロ900円前後に高騰しており、利益分を乗せても十分に採算が取れるという。


 食品スーパー「オーケー」(横浜市)は今月7日からカルローズの販売を10店舗限定で始めた。価格は5キロ3335円(税込み)で、売れ行き次第で販売拡大など今後の展開を決める。


 一方、政府がコメを輸入する仕組みは、ミニマムアクセス制度と呼ばれる。1993年の多角的貿易交渉「ウルグアイ・ラウンド」を受け、95年度から始まった。


 現在の輸入枠77万トンのうち、主食用の一般米は10万トン以下に制限されている。近年は入札で売れ残りが常態化していたが、2024年度は国内産が不作だった17年度以来、7年ぶりに完売した。


 入札では、政府が受け取る差益「マークアップ」(上限1キロ292円)を業者が提示し、金額が大きい業者が落札する。過去の一般米のマークアップの平均値を年度別で算出すると、15~23年度は43~87円だったが、24年度は240円。11、12月の入札では、史上初めて上限の292円に達した。


 コメの流通に詳しい昭和女子大の八代尚宏・特命教授(日本経済論)の話「現在の価格高騰と輸入拡大の要因は、実質的な減反で高価格を維持してきた政策の行き過ぎにある。生産量を増やし、国内消費を超えれば、その部分は輸出に回すべきだ。日本食ブームで海外需要はあり、農村の振興策にもなる」


 ◆民間輸入=個人や事業者が関税を支払って海外からコメを買うこと。1999年度のコメの関税化で始まった。税額は1キロ341円と従量制で、1キロ100円のコメを輸入すれば、関税率は341%となる。

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「ミカド」の作者はギルバート・オサリバンではない

私の別ブログから転載。

ところで、「ヤムヤム」は「美味い美味い」ではなかったか?

(以下引用)

ギルバートとサリバンのオペレッタ「ミカド」の粗筋が下のものだが、これを優れたナンセンスユーモア感覚のある作家に肉付けしてもらったら面白いものになりそうだ。(帝が、「近頃は死刑執行が少ない」と怒るあたり、面白い。)昔なら筒井康隆がベストだろうが、今は誰がいるか。女性漫画家には案外ナンセンスユーモアのセンスのいい人が多いのだが、現在の小説家や劇作家ならば、三谷幸喜とか宮藤官九郎あたりか。
「ミカド」が欧米で長い人気があるのには、何か大衆の心に訴えるものがこの作品にはあるからだろう。いわば、現代版「物語原型」的なものがあると考えれば、これをリメイクするのは、かなり成功する確率が高いのではないか。



(以下、引用)

ストーリー[編集]

日本の都ティティプーの死刑執行大臣ココの屋敷に一人の見知らぬ旅芸人がやってきた。彼の名はナンキ・プー。身分を隠しているが、実は日本の若くハンサムな皇太子である。彼は父の帝(みかど)が決めた年増で醜女のカティーシャとの結婚から逃れるため、家出して流しの旅芸人に身をやつしていたのだった。そこで皇太子は美しい娘ヤムヤムと出会い恋に落ちる。しかし、ヤムヤムは彼女の後見人であるココと婚約していることを知り、大いに落胆する。ココはもともと服の仕立て屋で身分が低かったのだが、貴族のピシュ・タッシュへの賄賂が功を奏し死刑執行大臣に昇進したばかりであった。




ここで事件が起きる。ココとヤムヤムが「いちゃつきの罪」で死刑を宣告されてしまう。しかしココは自身が死刑執行大臣であるため死刑執行は不可能である。この法律は代わりに死刑になる者が見つかれば助かるというものであった。そんな折、皇太子ナンキ・プーはあの美しいヤムヤムが死刑になると聞き、絶望のあまり自殺を考える。それを聞いたココは、しめたとばかりにナンキ・プーに死刑の代役を依頼する。ナンキ・プーが死刑の代役を引き受ければヤムヤムは命が助かるが、それでは同時にココも助かってしまう。そうなるとナンキ・プーとしては、自分の死後に二人が結婚するのが面白くない。そこでナンキ・プーはココに条件を一つ出す。「1ヶ月間はヤムヤムを自分の花嫁にすること」という条件である。ココは自分が助かるので大喜びで受諾する。




悲劇のヒロインとなったヤムヤムだが気を取り直し、ナンキ・プーとの1ヶ月間の新婚生活を徹底的に楽しむことにする。しかしその矢先、帝の定めた法律では「夫が死刑になった場合は妻は生きたまま埋葬される」という条項があることを知る。それだけは御免こうむりたいヤムヤムはナンキ・プーとの結婚に躊躇する。




一方、帝は近ごろ死刑執行が少ないと怒り、早く死刑を執行するようココ大臣に命じる。そこにナンキ・プーの許婚であるカティーシャが彼を追ってやってくる。カティーシャは死刑名簿の中にナンキ・プーの名前を見つけたので止めに入る。しかしヤムヤムとの色恋沙汰を知り憤慨したカティーシャは、今度は逆にナンキ・プーを死刑にしようと画策するが、ティティプーの民衆から追い出されてしまう。




プーバーとココは死刑をするのがいやなので、「既にナンキ・プーを死刑に処した」と嘘をつくことにした。そこへ帝がティティプーの街を来訪。ココ、プーバー、ピッティ・シングの三人は死刑執行の話をでっちあげて帝を納得させる。カティーシャから皇太子が街に来ていると聞いていた帝は皆に尋ねる。その皇太子の名がナンキ・プーであることを初めて知り、民衆は驚く。皇太子が死刑になったと聞いた帝は怒り心頭に発し、ティティプー市民全員を死刑にすると宣告する。街はパニックと化す。




ココはナンキ・プーに1ヶ月後に死ぬのはやめてほしいと頼む。しかしナンキ・プーはカティーシャと結婚するのがいやなので、生きることを躊躇する。するとピッティ・シングがココとカティーシャとの結婚を提案する。ココ以外が全員賛成する。しかしその後ココもカティーシャを好きになる。ココは帝にナンキ・プーの生存を報告し、自分とカティーシャの結婚のお伺いを立てて許可される。めでたし、めでたしのハッピーエンディング。


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「予定説」という奇怪な思想

吉田拓郎の歌で岡本おさみ作詞の「祭りの後」という歌があるが、その中に「日々を慰安が吹き荒れて」というフレーズがある。早朝散歩の間というか、歩き始めになぜかそのフレーズとメロディが頭の中を浮遊していたのだが、なぜ「慰安」に「吹き荒れる」というマイナスイメージの言葉が続くのだろうか、と考え、それは「慰安の前」には「不幸、苦しみ、悩み」があるからだ、という結論になった。つまり、「吹き荒れて」いるのは実は我々の人生の不幸なのである。
そこから、どういう経路でか、「宗教というのも、我々の間で吹き荒れている慰安なのではないか」という思考に至ったのだが、つまりはそれが宗教の「現世利益」であり、それは決して馬鹿にできるものではない。来世に天国に行けるかどうかではなく、その宗教を信じることによる慰安こそが宗教の価値なのだ、というわけだ。
というのは、キリスト教には「死んで天国(神の国)に行けるかどうかは最初から定められている」という恐ろしい思想の宗派があるからだ。とすると、現世で善行をしようが悪行をしようが、無関係だ、ということになる。あるいは、我々の行為は最初から決定されており、自由意志などない、という思想になる。そのどちらも現世の道徳を無化する恐ろしい思想だが、案外、平気で悪行をする宗教者や宗教信者はそういう思想かもしれない。
つまり、宗教が道徳的かどうかは、その宗教と無関係だ、という思想になり、たとえばオウム真理教も、信者に「生きる意味」を与えたとすれば、宗教としての存在意義はあった、となるかもしれない。

「予定説」について、ウィキペディアから引用する。


予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教神学思想。カルヴァンによれば、救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。


予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である(後述)。

内容

[編集]

予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。


救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる[1]。これは、聖徒の堅忍信仰後退者の教理である。[2][3]

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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