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悩みも苦しみも人生のうち

これもある種の悟りであり、立派な生き方だと思う。
発言のすべてが立派だ。そして嘘や虚飾は無いと思える。坊主の説教より人生を教えてくれる。

(以下「大摩邇」から引用)

「元セクシー女優 延命治療を拒否して見つけた生きる意味」という記事から学ぶ「医療介入の意味」

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=24446
延命治療って新薬を投与されて治験されるようなものですよね。
うちの義父がそうでした。
で、亡くなったら研究の為解剖させてくださいときます。
もちろん断りましたが!
<転載開始>

> 余命1年という宣告からは、すでに4年の月日が流れている。


とありまして、医療介入がなければ、結構長く生きることを示してくれるものです。こういう方だとワクチンも接種していなそうですし、まだまだ長く活躍されると思います。人生とか死ぬことに対しての考え方が私と似ているなあとは思いました。

余命1年と宣告された元セクシー女優 延命治療を拒否して見つけた「生きる意味」

女性自身 2024/12/14


幼少期の壮絶な家庭環境や、撮影現場での暴力を経験しながらも、セクシー女優として活躍してきた元セクシー女優のピンク映画女優・風見京子(55)。ところが、’20年10月、50歳の時に突如肺腺癌と診断され、余命宣告を受けることになる。延命治療を拒否した理由、そしてその後の日々について聞いた。


「お仕事を続ける中で、いい年齢になってきたので、先のことを考えるようになりました。そこで映像のお仕事のかたわら、準社員として働くことにしたんですけど、その矢先に肺腺癌が見つかりました。そこで、余命宣告も受けたんです」(以下、カッコ内は風見の発言)


告げられた余命は、あと1年。もともと体調不良は感じていたという。


「映像のお仕事のかたわら、バイトをしていたんですけど、次第に体調不良で休むようになって。朝、目が覚めると人前に出られないくらいすごく目が腫れていたこともありましたね。救急で病院に行くことも増えていましたが、更年期にさしかかっていたので、あまり気に留めていなかったんです。余命宣告を受ける1年前にも実は病院でレントゲンを撮っているんですけど、何も言われなかったですし。多分、見落とされてたんでしょうね。


それで1年後に新入社員になり、その健診でひっかかって『余命1年です』と言われて。作り話みたいですよね(笑)」


自分の“命の期限”を告げられる、余命宣告。その時、風見はどんな気持ちだったのだろうか。


「正直に言うと、子供の頃からいろいろな経験をしてきて、傷をたくさん持っているんですね。多分、自分が意識していないところでも、心の奥底でもついてる傷もあって。その影響で『死にたい』という気持ちは、どうしてもずっと拭えないんです。こういう風に言うと、ネガティブだと思われるかもしれませんが……。


でも、大変なこともあったけれど、好きに生きてきて、大女優にはなれなかったけれども小さな夢は全部叶えたつもりでいます。もう、人生に満足しているんですよね。


ですから、余命宣告を受けた時の気持ちは、首を吊ったり飛び降りたりしなくても人生をやめられるんだとわかって、正直ホッとしたんです。『私、やっと死ねるんだ』といいますか。もちろん全然悩まなかったというと嘘になりますけれど、そういう気持ちのほうが大きかったんです」


延命治療を拒否して見つけた“夢”


そういった気持ちを裏付けるように、風見は“延命治療を受けない”という選択肢をとっている。そう決めたのは「自然に任せたい」と考えたからだという。


「子供の頃から『癌で死にそうになったら延命治療はしない』と決めていたんです。以前乳癌の疑いがあった時も、治療はしないと考えていました。肺腺癌だとわかったのは50歳の時で、先生にも『70歳や80歳のひとがいうならまだしも医学的には50歳でまだ若いから、治療を受けてみないか』と言われて。でも私は『50年生きられたらいい』って常々言っていたし、もう人生にも満足しているしで、『延命治療は受けません』と譲りませんでした」


余命1年という宣告からは、すでに4年の月日が流れている。それでも風見は今、日々を楽しく生きているという。「治療を受けても手術が成功するわけじゃないし、治療の影響でずっと寝続けなきゃいけない人もいると聞きます。結果的に、今の自分は元気。もちろん痛みや呼吸苦はあるので、それを緩和するために病院に通っています」


死は恐ろしくないのだろうか?


「死ぬこと自体は怖くないんです。むしろ安らぎだと思ってます。人間って修行のために生まれてきてるって言うじゃないですか。だから、私はもう十分に生きたし、神様の元に行けるんだなって思ってるんです。


でも、肺癌って苦しむ病気のトップスリーに入るらしくて、死に際が辛いって聞くんですよ。肺が塞がれていくと、生きたまま溺れるような状態になるっていうし、全身に転移しやすいから、脳とか腰に行くと動けなくなるかもしれないって。


それはやっぱり怖いんです。だから、脳と骨だけは勘弁してほしいし、痛みや苦しむ期間がどれくらいなのかは心配です。死が怖いんじゃなくて、生きて苦しむのが怖い。だから、緩和ケアをしてほしいと思って病院に通ってるんです」


風見は「正直、死にたかった私からすると長生きすることは、別にいいことではない。でも元気にしてると周りの人が喜んでくれる。結局、これで良かったんだと思います」と話す。そして、こう続ける。


「生きてる限りは人を楽しませたり、役に立つことをしたりして生きていきたいなと考えています。ですから、今はボランティアをしています。また、ありがたいことにピンク映画の撮影を今年8月に行っていて、来年公開予定でもあります。それに身体は元気なので、いつか就職できたらいいなと思って動いています。生活の基盤を立てた上で、女優としてやっていきたいなと考えていて、今はそれが夢ですね」


風見はまた、子供の頃の夢を追い続ける。

 

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もはや政治や人間を「レッテル」で判断する時代ではない

新型コロナワクチン問題は、「政治問題」であり、ほとんどの国での「リベラル政権」が新コロ詐欺に加担し、ワクチンによる膨大な薬害を引き起こしたことで、「リベラルへの不信」を招き、それはほとんど「リベラル派そのものの政治的敗北」でもあった。
下の記事の現イタリア政権も「右派政権」だったと記憶する。
だが、言うまでもなく、右派だから正しい、左派だから間違っている、という結論にはならない。それはDSがこれまで「リベラル派=自由主義=民主主義」という刷り込みを各国国民に与えてきたことの反転にすぎない。各国の「リベラル政権」の新コロへの態度こそ、自由主義や民主主義どころか独裁的政治であり強権政治だった。
私のような保守主義者から見れば「革新思想」とは軽薄そのものであり、よく考えもせず「現状をただ否定すれば何とかなる」という馬鹿思想がほとんどその実体だが、その「現状否定戦法」を今は日本の維新政治家など多くの場所で新自由主義政治家が利用しているのである。だが、維新を「左翼」だと言う若者はおそらくいない。「左翼は悪い革新、維新は良い革新」というわけである。ドイツ国民がヒトラーを支持したようなものだ。いや、「ような」ではなく、まったく同じだろう。
要するに、これまでの左派・右派とか左翼・右翼とか革新・保守という分類自体が時代遅れで、個々の政治家や政党の良識や誠実さや知性をその発言と行動で判断するしかないということだ。
などと言いながら、私も維新という政党にレッテル貼りをしているのだが、私の目にはあまりに明白な政治詐欺集団としか思えないので、やむをえないのである。
つまり、これまでの利権構造を変えて、新しい層に新しい利権を与えるだけで「改革」になるのだから、改革者面するのは簡単なのである。そして新しい利権集団は彼らを支持するわけだ。問題はその政治家や政治家集団の品性だ。

(「徽宗皇帝ブログ」過去記事自己引用)

メモ日記「政治・社会」40
#266 お祭り騒ぎの若者たち

「長いナイフの夜」事件でヒトラーが逮捕・殺害した一人が突撃隊長レームであるが、この突撃隊はいわばヒトラーの私兵集団である。つまり、ナチスに反対し、批判する人々をテロで脅し、押しつぶすのが彼らの役割であった。ヒトラーがただの浮浪者から権力の頂点に上るまでは、彼らの働きが絶大だった。
ナチスとは「国家社会主義」という全体主義思想の集団であるが、ナチスという怪物を作り上げた原動力である突撃隊に、なぜ多くの若者が参加したかというと、ナチスが彼らにパンと遊び(生きがい)を与えたからである。第一次大戦での敗戦で困難な生活を強いられた若者たちにとって、突撃隊は一つの職場であり、しかも敵との戦いという生きがいを与えてくれる楽しい職場であった。仲間との集団生活も、スポーツの合宿のようなものであり、「アカ」や「ユダ公」をやっつけるのは楽しいスポーツであったのである。レームは、チームスポーツの監督のような存在であり、いわば彼らの「親父」であった。
正しい歴史的認識も無く、社会の病因を正しく認識する力も無い若者は、邪悪な人間に容易に利用される。彼らは「資本主義は自分たちに何も提供してくれないと確信しながら、しかもマルクス主義を不倶戴天の敵と見なす、階級のはざまに陥った人々」(ノルベルト・フライ)である。これは、現在の日本における右翼あるいはネット右翼の若者とそっくりではないか。資本主義の悪に痛めつけられながら、その根源の敵に立ち向かおうとせず、共産主義という架空の敵のみを敵とするという、「突撃隊」の若者たち!(1月2日)


(以下引用)

イタリアの新聞が、同国のコロナワクチン接種義務についての批判を一面で報じる

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=24428
<転載開始>

イタリアの新聞がコロナワクチン強制接種政策を攻撃

francesoir.fr 2024/12/12


Un journal italien s’attaque aux vaccins anti-Covid



イタリアの新聞ラ・ヴェリタの12月12日付けの一面。「ワクチンは感染やウイルスの伝播を防がなかった」という論調。


イタリアの『ラ・ヴェリタ』2024年12月12日号の第一面の見出しは「ワクチンは感染やウイルスの伝播を防がなかった」という調子を示している。


また、ワクチン接種の個人の自由を支持するメローニ政府の決定についてもふれている。


イタリアでは、マリオ・ドラギ政権下で、罰金を伴う強制ワクチン接種にまで制約が及んだ。したがって、ワクチン接種を拒否した 50歳以上の人々と医療専門家は 100ユーロを支払わなければならなかった。


ジョルジア・メローニ氏がイタリア権力を握ると、ワクチン接種を受けていない介護者が復職した。そして先週の火曜日、イタリア政府は以前課せられた罰金を取り消した。


『ラ・ヴェリタ』の一面には、これが「純粋なイデオロギー的原理主義の注入」を拒否するものだと書かれている。現政府によれば、「この義務は不法で非科学的だった」とした。 「制裁を廃止することで、私たちは権力の乱用、憲法への攻撃を是正した」と記事は付け加えた。


米国の54歳以下のガンによる超過死亡率が過去最高値を更新


0~54歳の悪性腫瘍の超過死亡率の推移(2018~2024年第48週)

Ethical Skeptic

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最晩年の読書計画

私が高校時代に1年間クラス担任教師だった人が数年前に亡くなったが、その人と私は一度しか私的に話したことがない。だが、その時に非常に重要な言葉を彼から聞いて、それは今も私の心に残っている。
それは、「ドストエフスキーが理解できたら(自分は)死んでもいい」という言葉で、当時の私は小説というのは娯楽だとしか思っていなかったから、こうした「文学への真摯な姿勢」というのが非常に斬新だったし、その言葉を聞いただけでも彼は私の「恩師」だと思っている。

つまり、何かの本、特に小説を読んで「理解する」には、読む人のレベルによってさまざまな理解のレベルがある、ということをこの言葉は言っているわけだ。
私は高校時代に「カラマーゾフの兄弟」を読んで、凄い作品だと感じたが、当然、その年齢の知識レベルや知能レベル、判断力レベルでその作品の内容の何パーセントを「理解」したか、分かったものではない。たぶん、あらすじやキャラの面白さしか把握しておらず、つまり、娯楽小説のひとつとして「消費」しただけだっただろう。しかし、その小説の中に何か深遠なものがある、という印象は感受してはいたわけで、それが私の生涯を通じてのドストエフスキー評価の高さになってはきたわけだ。その背景に、あの「恩師」の一言があったわけである。

さて、残り少ない人生の残り時間を何に使うかと言えば、「これまでの人生で知った、優れた本を再読して、あらたなレベルの『理解』をする」ことが最適だろう、と思っている。もはや、昔考えたような「読んだことのない、気になる本をすべて読破する」時間は無いと思うからだ。

その「優れた本を読む」ことの中には、好きな本を英語原書で読むことも想定しているが、これはたとえば「不思議の国のアリス」のような短い本でも、なかなか難しそうである。
とりあえず、未読の本の中では
ドストエフスキー「貧しき人々」が最優先で、
再読したい本だと
ドストエフスキー「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「死の家の記録」
トルストイ「戦争と平和」

手に入るならバルザックの未読の本を幾つか読んでみたい。あるいは「ゴリオ爺さん」や「幻滅」を再読するのもいい。私はこの中に出てくる悪党ヴォートランが好きなのである。もちろん、「人間喜劇」の中には未読の優れた本がたくさんあるだろう。ただ、読むエネルギーが必要だろうからもう少し若いころに読んでおくべきだった気がする。

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古文と関西弁

コピーできていないが、下のチコちゃん氏によれば、今の関西弁は江戸時代にできたらしい。

古文が口語文ではなく文語文だからにしても、井原西鶴などの庶民生活を描いた作品に今の関西弁がまったく出てこないのは不思議である。関西弁が江戸時代にできたとしても、江戸時代には「下品な言葉」として、小説の中には出てこなかったのではないか。(何事でも出始めには下品視されるものだ。)たとえば江戸の十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には庶民の言葉もかなり出てきたと思うが、江戸時代以前の大阪や京の作家でも関西弁はほとんど使われていないはずだ。明治でも小説にはほとんど登場していないと思う。谷崎潤一郎の「細雪」あたりが、小説の中で関西弁が使われたさきがけではないか。
私の推測だが、明治維新以降に関西人が「反東京」(反中央)意識から関西弁を多く使用するようになったのではないか、と思う。

これは、井上章一が世間の「関西弁蔑視」に文句を言っている文章を読んで持った疑問を考察したものである。
井上章一は「関西弁でも抽象的な高度な思考はできる」例として富永仲基を例に出しているが、彼の著作は関西弁で書かれてはいない。彼の思考が関西弁でなされたかどうかは証明不可能だろう。



(以下引用)




補足

言葉足らずですみません。なぜ古文の表現が残ってないのではなく、なぜ今の関西弁が生まれたのかが知りたいです。 「~~やねん」とか「~~やで」とかの表現は古文中に出てこないので、どこから発生したのかなぁと思いました。 昔は書き言葉と話し言葉が違ったから一概に無かったとは言えませんが。



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2019/9/2 20:13



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チコちゃん


2019/9/3 11:25



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「ビッグバン説」の虚妄性

夜明け前の空が完全に曇り空で、空を見ても面白くないので、心内の夢想だけに耽りながら散歩をした。まあルソーではないが、「孤独な散歩者の夢想」である。
で、例によって大半は散漫な夢想ではあるが、比較的集中して考えた題目が宇宙論である。

私がビッグバン説をインチキだと思っていることは何度も書いているが、それは私に宇宙物理学の知識があるからではまったくなく、むしろそういう知識が無いからこそ、直観的にそれが嘘だと分かるというか推定するのである。

その判断の根拠は非常に簡単な大原則で、「無から有は生まれない」ということだ。これに反する事象はこの宇宙には存在しないはずで、それなら宇宙そのものも無から生まれたはずがない。「ビッグバン説」は基本の基本から大嘘なのである。
何かが無から生まれたように見えるのは、単に「目には見えない物質の離合集散」の結果にすぎない。それは微生物や細菌や元素(あるいは原子や分子)という存在だ。
しかし、仮にビッグバンによる宇宙誕生が、何かの原子や分子の離合集散によるものなら、「宇宙誕生以前に原子や分子が存在した」ということになり、それは既に「ビッグバン以前にそれらの元素を含む宇宙が存在した」ことになる。つまり、無から有が生まれることは絶対にないのである。おそらく、ビッグバン説の大本(ヒント)は核爆発による異常な熱膨張現象だろう。しかし、それも「無から有が生まれた」わけではない。単なる膨張だ。
そういう意味では、ビッグバン説とは別の話として「膨張宇宙説」は可能性が無いとも限らない。しかし、膨張とは基本的に「限界があるもの」の話であり、限界の無い宇宙(宇宙に限界があるなら、その限界の「向こう側」はどうなる、という頓智問答になる。)が膨張するというより、単に遠隔地点の星と星の間の運動の結果が「宇宙そのものが膨張しているように見える」だけという可能性もある。核爆発による膨張と私が言うのは、爆風のことである。

まあ、物理学その他の学問は「専門的言葉」「前提的知識」が膨大にあり、それらを学んでいるうちに何もかもが混迷化してビッグバン説のような極端な詐欺がまかり通るようになるのだろう。もちろん、それは「学問の世界」が「権威者による支配」の世界であり、それに逆らうと学問の世界で生きていけないからでもある。

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足の底は体の底(体全体を支えるアトラス)

私の別ブログに書いた記事だが、案外と重要な考えかもしれないので、こちらにも載せておく。

(以下自己引用)年齢がばれるので冒頭の一句を削除したww


「足底部」の重要性



今日初めて私は「歩き方(歩行のメカニズム)」を知ったのだが、それを書いておく。

最初に、あなたたちは足指の付け根の部分を何と言うか知っているだろうか。
それを実は「足底部」と言うのである。
つまり、足の底は踵ではなく、足指の付け根、あるいは足の中で足指と踵を除いた部分なのである。そのうち、「土踏まず」は実質的には地面に触れないから、「足の底」は「足の指の付け根」部分だ、と言えるだろう。
これが「歩き方」の最大の秘密である。この足底部(足底部前部)が、体重を支え、歩く時の中心であるということだ。体重制御の中心は決して踵でもつま先でもない。

歩いていると、これが分かるはずで、踵は平地を歩く時「最初に地面に触れる」から歩く時の中心部分だと錯覚する人が多いと思う。しかし、それはほんの一瞬で、次の瞬間には体重は足底部に移り、次の脚の踵が地面に触れるまで、体重を足底部が支えるのである。そして、次の脚に運動部位が移る瞬間に今の脚の足指が少し地面に触れてすぐに地面を離れる。一瞬触れるだけで体重を支えることはない。

足底部(足底部前部。以下「足底部」とする)が歩く時の重心移動の中心だということは、上り坂を上るときに明白になる。この時、踵はほとんど地面に触れないのであり、上っている間中、足底部が体重を支えているのである。つま先は靴底に触れるが体重を受けることはない。
下り坂もほぼ同じで、下るときには踵が最初に地面に軽く触れるが、それは「地面の存在場所の確認」程度で、次の瞬間には体重は足底部に完全に乗り、次の脚の踵が地面に触れる時まで体重はそこで支えられる。

以上を頭に入れれば、正しい歩き方とは「足底部」を意識して歩くことだとわかるだろう。これができていないと、長期的には足や脚の変形や故障につながる可能性もある、かもしれない、と少し脅しておく。

妄想的に言えば、格闘技でも足底部に重心を置くのが大事で、踵に重心を置けば、後ろに倒れそうになった時の支えがないし、足指に重心を置けば、前に倒れそうになった時の支えがない。足底部に重心を置けば、後ろに倒れそうだと踵が支えるし、前に倒れそうだと足指が支える。このことを言った格闘技の先生はいないのではないか。

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風邪の微熱と解熱剤

風邪やインフルエンザによる発熱は身体の自己防御反応なのであり、さほどの高熱でもないのに解熱剤を使うのは愚の骨頂だと思うが、目安は40度を超えてから、というところだろう。
下の記事の中に出ているボルタレンなどは現在でも解熱剤の主流なのではないか。
「風邪は汗をかくと治る」というのが昔からの生活の知恵であり、発熱と発汗は同じ事象の両面であると思う。「発熱で苦しい」など、甘えでしかない、というのが私の考えで、そういう連中にはたとえば尿道(尿路、尿管?)結石などの七転八倒の苦しみをプレゼントしてやりたいくらいだwww 
まあ、タンパク質は40度を超えると変質するという説も聞いたような気がするので、脳がゆで卵状態になる前に解熱剤を飲むのはいいだろうが、38度くらいでは平熱と同じだろう。

(蛇足)このブログに載せてあるヘミングウェイの「目の前の死」を、お暇な人は読むと面白いのではないか、と思う。

(以下引用)

インフルエンザ脳症の原因は解熱剤だった。( ̄▽ ̄;)

donのブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/don1110/entry-12878268037.html
<転載開始>
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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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