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ワクチン接種医師と「私は貝になりたい」

この問題はかなり判断が難しい。医師の責任を問うことは、それは「政府方針に従った罪」であることだからだ。医師が不勉強だからそうなったのだ、と突き放すことは簡単だろうが、忙しい医者にいちいち政府の指令の是非を詳しく調べる余裕があるだろうか。会社の経営者が不正行為をしたなら、その従業員はむしろ被害者なのではないか。
もちろん、自分のやっている医療行為が本当に適切かどうかを調べるのは医師の義務である。しかし、ワクチンの有害可能性などは、ほとんどの医師の頭にも浮かばないだろう。その治験のいい加減さについても、ネット情報に触れない人は考えもしないのではないか。
まあ、戦争で上官命令に従った兵士が裁かれるような「私は貝になりたい」問題である。もちろん、あの映画と違って、医師はその政府指示を拒否できたというのが大きな相違点だが。

(以下引用)

新型コロナワクチンを与えた医師は2030年までに破産するだろう Dr Vernon Coleman

さてはてメモ帳さんのサイトより
http://glassbead.blog.shinobi.jp/history/bankrupt%20by%202030
<転載開始>

Doctors who gave the covid-19 vaccine will be bankrupt by 2030  Dr Vernon Coleman


https://www.vernoncoleman.com/main.htm 

新型コロナウイルスワクチンを投与した医師は5年以内に破産するだろう。以下のエッセイは私の新著『医療の終焉』から抜粋したものである。


 


2020年に私は、当時新しく実験段階だった新型コロナウイルスワクチンを処方した医師は、私の予想通りワクチンが接種を受けた人に害を及ぼすことが判明した場合、訴えられる(そして投獄される)可能性が高いと警告した。医師の保険会社は対応できず、何千人もの医師が破産するだろうと警告した。



私の警告は正しかったようだ。


 


2025年初頭の欧州司法裁判所の判決によると、個人にワクチン接種を勧めた、またはワクチン接種を実施したすべての医療専門家は、民事および刑事の両方の責任を負うことになる。



​​
医師はワクチンを投与するかどうかを選択でき、接種しないよう助言することもできたため、その行為に対して責任があるとみなされる可能性があると判決された。

(この判決により、ワクチン接種に反対した、またはワクチンを批判したために懲戒処分の対象となった医師らが無罪となる可能性がある。)

ECJ
は、医師にはワクチンを処方または投与する義務がないため、医師は自らの行動に責任を負わなければならないと判決を下した。



裁判所は、医師には患者にとって最も安全で適切な治療を選択する権利があり、医師には個々のケースでcovid-19ワクチンを投与するかどうかを判断する責任があることを確認した。この原則に反する国の規則はどれも違法であると思われる。

患者がワクチンによって健康が深刻かつ恒久的に損なわれたと主張した場合、どの程度の損害賠償金を支払わなければならないかを見積もることは困難である。しかし、患者 1 人あたりの金額は数百万ポンド/ドル/ユーロに達する可能性がある。医師の保険会社が数百万件の請求 (患者 1 人あたり数百万ポンドを要求を満たすのに十分な資金を持っているかどうかは疑問である。そのため、英国、米国、カナダ、オーストラリア、EU などの大多数の医師が破産するだろう。英国では、職務上の不正行為により破産した医師は医師免許を失う可能性があり、これはおそらく他の国でも同様である。最終的には、人間の医師をロボットやコンピューターに置き換える必要がある可能性がある。(陰謀家たちのやり方は、問題を作り出してから解決策を提案することであることを覚えておくことが重要だ。この場合、問題は医師の不在であり、解決策はより安価で効率的なロボットとスマートフォンやコンピューターのアプリで医師を置き換えることである。)

また、一般開業医が訴えられるとすれば、新型コロナに関する真実を隠蔽した団体も訴えられる可能性が高くなると思われる。BBCはワクチンやワクチン接種を批判した人にはインタビューしていないと自慢していた。またYouTubeは私がワクチンについて真実を語ったため、私の動画をすべて削除し、チャンネルを閉鎖した。ソーシャルメディアも同じ理由で私を禁止した。つまり、BBCYouTubeなどはすべて、真実を隠し、重要な情報を隠蔽したとして訴えられる可能性がある。同様に、医療免許団体(英国の総合医療評議会など)も訴えられ、破産する可能性がある。



Note
The above is taken from `The End of Medicine’ by Vernon Coleman. To purchase a copy CLICK HERE

Copyright Vernon Coleman March 2025


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大英帝国(同君連合)の落日

「大摩邇」から転載。
なかなか面白い話だが、幸福感というのは主観的だから、このリストにどれほどの信頼性があるかは分からない。しかし、英語圏国家の国民の間に一種の自信喪失や不安や失望感が広がり、国を覆っていると言えるのではないか。
それはまず「経済的問題」(コールマン博士の記事でよく分かる、一般国民の貧困化。)であり、「自国政府の行動への不満や不信」(強圧的で全体主義的になりつつある。)であり、「未来への展望が抑圧的であること」(欧州全体の没落傾向など、プラス要因がほとんど無い。)などが原因ではないかと思われる。
現実の状況として日本やアジア諸国がそれよりいいかどうかは分からないが、英語圏諸国では過去の栄光があるだけに現在と未来が暗く思えるのだろう。
別の言い方をすれば、「過去の植民地からの収奪がもはや不可能になり、今後はじり貧だろう」という見通しではないか。しかも、旧植民地からの移民によって宗主国の人種は非白人がかなりの割合を占めているのだから、白人にとって未来は暗いわけだ。


(以下引用)

米非営利団体の大調査で「世界で最も不幸な国ランキングの第2位」がイギリスに

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=27015
<転載開始>

順位は以下のようになっています。不幸な国ランキングです。メンタルヘルスに重点があてられているようです。


1位. ウズベキスタン
2位. イギリス
3位. 南アフリカ
4位. オーストラリア
5位. タジキスタン
6位. ブラジル
7位. エジプト
8位. アイルランド
9位. イラク
10位. イエメン


AncientArgonaut

英国を含む世界で最も悲惨な10カ国が明らかに – 全リスト

express.co.uk 2025/03/28


The world’s 10 most miserable countries revealed including UK – full list



イギリスの状況が悪いということはご存知の方もいるだろうが、戦争で荒廃したイエメンやイラクよりも悪いとは予想していなかったかもしれない。


悲しいことに、米国の非営利団体 Sapien Labs が実施した調査で、最も不幸な10の国をリストアップし、英国は貧困に苦しむ紛争で荒廃した国々を打ち負かし、ウズベキスタンに次いで 2位になった。


イエメンとイラクは、それぞれ世界で 10番目と 9番目に不幸な場所だ。しかし、その国の人々は英国よりもまだ幸せなようだ。


このレポートでは、気分や見通し、社会的自己、適応性と回復力、推進力とモチベーション、認知と心身のつながりなどの基準を使用してリストを確認し、英国はすべてのカテゴリでパフォーマンスが悪かった。


71カ国の50万人のデータを使用して、研究者は「進化する精神的幸福のグローバルマップを提供し、証拠に基づく社会政策と介入を通じて、人口の精神的幸福のより効果的な管理に使用できるその推進力に関する深い洞察を可能にする」ことを目指した。


英国の貧弱なランキングは、表の上位にある国の苦難を考えると、いくつかを驚かせるかもしれないが、2023年に英国家統計局は英国全体で個人の幸福の全体的な低下を記録している。


同様に、メンタルヘルス慈善団体マインドは、英国の特に男性や若者の間でメンタルヘルスの危機が広がっていることを何度も警告している。


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「近代の超克」と「西洋の超克」

「近代の超克」座談会で出席者たちがのぼせ上ってキチガイじみたたわごとを言っているという批評自体はおそらく事実を指摘したものだろう。(私自身はこの座談会の筆記録を読んでいないが、軍国主義時代の国威高揚気分の最中の座談会だから当然そうなると推定できる。)
しかし、では、彼らが論じた「近代の超克」あるいは「西洋の超克」の基本思想は間違いか、と言うとそうとも言えないのではないか。すべてを国粋主義や軍国主義に結び付けるほうが間違いなのではないか、というのが私の疑問である。
というのは、下の記事に書かれた「三つの要点」に私はすべて賛同するからである。
で、私は反軍国主義であり、絶対平和主義であり、そして国粋主義者でも何でもない。むしろコスモポリタン(世界市民)思想家だということは何度も書いている。
要は、はたして「西洋の超克」は悪なのか、間違いなのか、ということである。今の世界を見て、「西洋の超克」を否定するのは西洋人とその隷従者だけではないか?

(追記)おそらく、西洋人は自然を克服すべき敵と考え、日本人は人間は自然の一部であり、自然を母なる存在、あるいは畏怖し尊重し愛するべき存在だと考えているところに両者の文明の本質的な違いがあり、西洋近代は合理主義によって世界の自然や無数の「生命ある存在(異人種や異民族含む)」を軽視し、収奪し、蹂躙して、それを「合理主義」としてきたのではないか。再度言うが、理論(合理主義)とはデジタル的思考であり、そこから抜け落ちる無数の存在を無視して成立するのである。そこに近代が超克されるべき理由があり、このままでは人類は自然に復讐されるだろう。それは宮崎駿が「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」で舌足らずに描いたテーマだ。

(追記2)参考までに「西洋的合理主義思考」の陥穽を小林秀雄の「対話集」から引用する。これは、「最初から結論ありき」の思考であり、西洋人が議論(ディベート)に強い所以である。苫米地英人も、「先に結論を決め、その「論拠」を三つ考えてから議論しろ」という趣旨のことを書いている。そして、それは「考えること」とは別の「思考操作」でしかない。だから相手の話を上の空で聞きながらでも議論できるわけで、真摯に考えるなら、思考の結果として答えが出たり出なかったりするはずだ。つまり、議論に負けることがある。それが当然であり、それこそが「建設的な議論」なのである。むしろ誠実な方が議論に負けたりするから、判定者は見かけの勝敗に誤魔化されないようにするべきだろう。

田中(美智太郎)「数学的に考える場合は、シンボルで考える。しかし数学者なんかでも案外ものを考えてないのじゃないですか」
小林「数字にたよってね」
田中「ホワイトヘッド(注:数学者で哲学者)がそういうことを言っていました。数学は思考の練習になるというが、そんなことは嘘だ。ただシンボルを操作しているだけで実際は考えていないことが多い……。」
小林「そういうことはたしかにあるね。”数学者が実はものを考えていないのだ”というような言葉は、なかなかわかりにくいのじゃないかな。つまり合理的に考えようとすることは、極端にいえば数式に引っ張られている状態になるわけで、ほんとうの考えというものは、合理的にいくものではないんじゃないか、というようなことを私はよく考えますね。」

(以下再引用)赤字と太字は酔生夢人による強調。「デモクラシーの超克」は「デモクラシーの欺瞞性の超克」と言い換えるべきだろう。現在、デモクラシーが機能している国は無い。

そこで廣松は、視点をこの座談会を超えて、もっと広いところに向ける。この座談会とほぼ並行する形で、京都学派のメンバーによる座談会が中央公論誌上で展開されたが、それに目を向ける一方、京都学派の個々の論客の思想の変移をたどり直しながら、京都学派に共通する反近代・反西洋の要素を剔抉しようとするのである。

それらをもとに京都学派の反近代主義=近代の超克というべきものを定義すると、それは次の三つのテーゼからなると廣松はいう。政治においてはデモクラシーの超克、経済においては資本主義の超克、思想においては自由主義の超克、がそれだ。これらを超克した後で待っているものは何か。それが政治における全体主義、経済における統制主義、思想における復古主義をさすのは自然の勢いだろう。かくして京都学派は、日本ファシズムを理論的に合理化した。その合理化はけっして外在的な理由にもとづいたものではなく、京都学派に内在する論理の必然的な展開であった、と位置付けるわけである。

このように、この本の中で廣松が主に行っているのは、京都学派の思想の特異性である。しかし何故廣松は、彼らの思想を改めて問題にしたのだろうか。廣松がこの論文を雑誌に連載したのは1974~75年のことである。その時点で京都学派とそれが代表する反近代の思想を改めて問題化する必要があったほど、世相に逼迫する理由があったのだろうか。

柄谷行人は、60年代に「近代批判」運動が盛り上がったことを引き合いに出しながら、そこでの論脈が戦前の「近代の超克」のなかで論じられていたことをすこしも超えていないと感じた廣松が、戦前に溯って近代批判を検証しなければならないと感じたのではないかと推測しているが(講談社学術文庫版解説)、あるいはそうかもしれない。

ヨーロッパにおいては、近代批判という現象の波が歴史の節目節目で現れている。ロマン主義の運動や、ニーチェの近代批判などはその典型である。西洋人が近代を否定する場合には、自分自身が生み出した文化が否定の対象になるわけだから、それは内在的な否定の形をとる。ところが非ヨーロッパである日本において近代批判が問題となるときには、その近代とは西洋とほぼ同義であると考えられるケースが多い。そのように考える人々にとっては、近代の超克即西洋の超克とならざるを得ない側面がある。しかし、20世紀の時代にあって、その西洋文明を否定してどのような文明を立てようというのか。単に日本人としての先祖返りでは、我々は痴愚蒙昧の世界に逆戻りするということになりかねない。そんな風に廣松は思っていたに違いない。そこで世の中で近代批判の声が高くなってくるたびに、その批判の内実を批判的に検証する必要を感じる、というのが廣松の本音だったのではないか。そんなふうに受け取れる。

柄谷行人がいうとおり、この本は廣松が日本の哲学および批評について書いた唯一の本である。その唯一の本で廣松がとりあげたものが、日本の思想における近代批判の流れであったわけだ。そういう点でこの本は、80年代以降に更なるアクチュアリティを持つようになったとの柄谷の指摘は正しい。80年代以降になると、日本にもポスト・モダニズムの思想が輸入されて、日本の思想業界においても近代批判が声高く叫ばれるようになるが、そのような時代においてこそ、近代批判の視座を問題とするこの本は大きな意味を持つようになるのだと思うからである。

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収容所列島化した日本

「大摩邇」から転載。
学校が刑務所化しているということだろう。自殺のかなりな割合が、人間関係なのではないか。狭い空間に押し込められた動物の群れは殺し合いを始めるという。
そして自営業がほぼ不可能になり、組織内で生きられない人間には将来の展望も無いのが現代社会である。ならば、人生に絶望する時期が早くなるわけである。

「オーバードーズ」という言い方は、まるで薬物(麻薬)中毒みたいに聞こえるが、これは製薬会社への忖度のはずだ。つまり、医薬品の中には自殺に使える薬品が多々あるということだろう。

知識を得るだけなら、学校よりインターネットのほうがはるかに有益である。今や、学校の存在意義は高学歴という虚名(高位奴隷の称号)しかない。そういう時代に対応できない小学校・中学校・高校という収容所に子供たちは押し込められて勉強という苦役をさせられ、囚人同士でいじめあいいがみあい殺し合っているわけだ。

(追記)上記の補足にこの記事を追記する。

担任からも「メガネつぶしたろか」 中1自殺で両親が訴え、賠償命令

大滝哲彰

 大阪市で2018年に市立中学1年の男子生徒(当時12)が転落死したことを巡り、両親がいじめを防ぐ義務を怠ったとして市や担任らに計3800万円の賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁(土井文美裁判長)は27日、市に110万円の賠償を命じた。担任の対応を違法としつつ、公務員の個人責任を認めない判例をもとに、賠償責任は市が負うとした。


 判決によると、男子生徒は18年1月27日未明に自宅マンションから飛び降りた。複数の生徒が「チビ」「メガネ」と侮辱し、ラインで「死ね」というメッセージを送るなどしていた。担任は男子生徒を「いじられキャラ」とみて、「笑いをとるため」に複数回「メガネつぶしたろか」などと発言していた。


 判決は、いじめを強くうかがわせる事実があったのに担任は特段の対応をせず、むしろ助長したと指摘。「いじめを防ぎ、生徒の安全を確保する義務を怠った」と述べた。


 市教育委員会は取材に対し、「判決の中身を精査して、慎重に対応を考える」とした。



(以下引用)

2024年の日本の小中高生の自殺者数が529人で過去最多に。女子が男子を初めて上回る

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=27009
<転載開始>

2024年の小中高生の自殺者数、529人で過去最多…女子が初めて男子を上回る

読売新聞 2025/03/28


厚生労働省と警察庁は28日、2024年の自殺者数の確定値を発表した。


小中高生は前年より16人多い529人で、統計のある1980年以降、過去最多となった。男女別では、女子が初めて男子を上回り、女子中高生で計38人増えた。



小中高生の自殺者は、男子が239人(前年比20人減)で、女子が過去最多の290人(同36人増)。小中高生別では、高校生は男子が166人で女子が185人、中学生は男子が64人で女子が99人。小学生は男子が9人、女子が6人だった。


原因・動機(重複含む)は、学業不振や学友との不和などの「学校問題」が最も多く、「健康問題」や「家庭問題」が続いた。


子どもの自殺対策に取り組むNPO法人「 OVA」(東京)の伊藤次郎・代表理事は、女子の増加について、「10歳代女子の医薬品の過剰摂取(オーバードーズ)による自殺未遂が男子よりも増えている。悩みの深刻化だけでなく、SNS上で自傷・自殺に関する情報にアクセスしやすくなっていることも影響している可能性がある」と指摘している。


日本臨床救急医学会などの調査では、自殺未遂者で救急搬送された人は、オーバードーズによるケースが多く、女性では約7割を占めた。


OVAに寄せられている10歳代以下の悩みの相談内容は、「孤独感・孤立感」が約3割で最も多く、「周囲の大人が子どもの変化を敏感に感じ取り、声かけすることが重要だ」と話す。


全体の自殺者数は前年比1517人減の2万320人で、過去2番目に少なかった。男性は1万3801人、女性は6519人だった。


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恋愛と結婚とセックス

私が問題にしたいのは、引用した部分の末尾にある

そして、理由はよくわからないですが、「婚姻数」が、昨年同月比で 17%も減っています。

ということで、ワクチン関係の話はもううんざりなので、ワクチン信者(まあ、狂信者である。)はどんどん死んだほうが世のため人のためなのではないかと思っている。

で、「婚姻数の低下」、いや激減は、「理由はよくわからない」どころか、明白だろう、というのが私の考えだ。案外岡氏もとぼけているだけではないか。
それは、

1:結婚適齢期の男女の貧困化

2:結婚のメリットの低下(家事は電化製品がやり、食事はコンビニがある)

3:非婚者への社会の「風当り」の低下

が主な原因だろう。そのほかに「仲人という存在の消滅」も大きいかもしれない。

つまり、(個人的特性は無視して)総合的に言えば「結婚のメリットがなくなり、非婚のデメリットが低下した」という、実に当たり前の話なのである。さらに言えば、「セックスへの幻想の低下(愛とセックスの分離)」もあるかもしれない。性的面を露骨に言えば、セックスの前提としての「恋愛」が消滅し、さらに「愛と性欲の調整制度」としての結婚の意味が低下したということだ。「結婚は自由なセックスの障害になる」、という、昔なら「道徳的に不健全な思想」が、今の「自由性交賛美」時代ではほとんど当たり前になったわけである。

念のために言えば、私は頭が古く固いので、「自由性交賛美」思想が大嫌いである。自由性交は、私には「尿意を催したので小便する」ようなものに見える。できれば処女と童貞のまま結婚し、一生添い遂げる「偕老同穴」が恋愛と結婚の理想ではないか、と思っているが、まあ、これは封建時代の化石思想だろう。
他のどの男(女)ともセックスしまくりの相手に恋愛できるだろうか、というのが私の疑問だ。それなら、自分の目の前で、愛する女(男)が別の男(女)とセックスしているのを平気で見ていられるだろう。そうでないなら、それは自然な心情ではないのであり、自分で自分をだましているわけだ。まあ、そういうフリーセックスは原始時代の状態か、人間の動物化だろう。性病も全員で共有されるwww
もちろん、「過去は問わず」に、結婚後はお互いに貞操を守るというのも立派な姿勢だと思う。結婚してから(結果的に)その相手に恋する、というのも素晴らしい。実際、結婚しないと相手の本当の正体は分からないとも言える。そして、子供を持つ・育てるということも結婚しないとなかなか経験できないことだし、未婚で子供を持つことは(特に女性にとって)たいてい悲劇になる。

(以下引用)

厚生労働省の人口動態統計速報で今年1月の「死亡者数」が前年同月比で約14%の大幅な増加

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=26957
<転載開始>

2025年1月の人口動態統計速報より

厚生労働省



・出生数は 4.4%の低下


・死亡数は 13.9%の増加


・人口の自然増減は -24,451人


そして、理由はよくわからないですが、「婚姻数」が、昨年同月比で 17%も減っています。


ワクチン接種後のIGG4レベル増加は「コロナ感染リスクの上昇」と関係していることを示した論文

打てば打つほど感染しやすくなるということを証明した形ですかね。

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「伝統主義者」としてのヴァレリー

松岡正剛の「千夜千冊」の中から、ヴァレリーの言葉が気に入ったので抜き出しておく。
私の解釈では、1は、我々には未来は(幻想や空想としてしか)見えず、確かに見えるのは過去と伝統だけだということだろう。
2の「人間の最も古い要請」とは、いかにすれば我々は幸福な社会や幸福な人生を可能にできるか、ということだと解釈しておく。これが過去の哲学の根本問題ではないか。そして、その答えは「新しいもの」の中にあるというのが人類の希望であり続ける。


1:「我々は後ずさりしながら未来に入っていくのです」


2:新しいものの中で最もすばらしいことは、
人間の最も古い要請にこたえることだ。

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ラム酒が一本!

ラム酒というのは私の憧れの酒だが、まだ飲んだことが無いし、売っているのを見たこともない。
沖縄はサトウキビの名産地なのだから、ラム酒を作ったらどうか。
「海賊パーティ」などしたくなるのではないか。


エンヤラホイ、
それにラム酒が一本! (「足長おじさん」中の「宝島」の引用)

Avast!Belay! Yo ho ho,and a bottle of rum.

ちなみに、ヘミングウェイの好みのカクテルだったというダイキリの酒もラムである。
アグネス・ラムとも鬼娘のラムともたぶん関係はない。

(以下引用)

ラムの製法

ラムの原料はサトウキビである。まずは、その堅い茎を絞ってジュースを抽出するのだが、歴史の項でもふれている通り、サトウキビジュースはその全てが砂糖に変化する訳ではない。結晶化して砂糖になる部分と、結晶化しない=砂糖にならない部分が同時に出来る。この砂糖にならない部分のことを、日本語で「糖蜜」と言う。全世界のラムの8割は、この糖蜜から造られている。これを「トラディショナルラム」という。では、サトウキビの収穫から順に説明する。

1.サトウキビの収穫



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サトウキビは葉で光合成をし、茎の中に蔗糖を貯める。収穫は糖度がピークに達する乾期に行う。サトウキビは、ナタを使って手刈り、またはトラクターを使った機械刈りをする。サトウキビは刈り取った後、加水分解と酸化がはじまらないうちに圧搾し、次の工程に進めなければならない。




2. 洗浄〜圧搾



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大きな滑り台のような機械で洗浄されたサトウキビは、カッターで20cmほどに切断される。切断されたサトウキビは、シュレッダーで繊維を裂かれた後、ベルトコンベアーで運ばれて3〜5個の歯車に順に押しつぶされながらジュースを絞り出される。

3. バガス



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サトウキビを絞り尽くした後に残る繊維をバガスという。通常このバガスは蒸留所のボイラーにくべられて燃料となる。その他、紙や建築資材、飼料肥料に再利用されている。

4. 砂糖と糖蜜の分離



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サトウキビジュースを加熱・濃縮をすることにより、多くの糖分を含む糖液が出来る。これをバスケット型の遠心分離器にかけて、砂糖の結晶と糖蜜とに分ける。ここで分離された糖蜜がトラディショナルラムの原料となる。

5. 発酵



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酵母が糖分を分解し、エチルアルコールと炭酸ガスに変化させるプロセスを発酵という。この発酵の段階で、ラムの特徴となる芳香成分の大部分が形成される。カリブ海での一般的な発酵時間は24〜36時間で、発酵後のアルコール度数は平均4〜8%である。

6. 蒸留



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カリブにおいて、大多数はステンレス製の柱状型連続式蒸留機を用いる。他、一部では単式蒸留機も用いられている。発酵済の液体を熱することにより、気化したアルコールはコンデンサーを通り液化される。カリブでの一般的な蒸留後のアルコール度数は約70%である。

7. 熟成



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蒸留後のアルコールは、ステンレスタンクで3ヶ月〜12ヶ月休ませながら加水されボトリングされる。これをホワイトラムという。また更に2年前後の間、樽に寝かせてからボトリングされるものをゴールドラム、3年以上の長期熟成をするものをダークラムという。糖蜜を原料とするトラディショナルラムに対し、サトウキビジュース100%を発酵・蒸留する製法がある。19世紀にフランス植民地で始まったこの製法のことを「アグリコールラム」という。また、サトウキビジュースを一度加熱し、シロップ化させた「ハイテストモラセス」を発酵・蒸留する製法もある。ここでは、主な製法を紹介したが、「サトウキビを原料とした蒸留酒」という条件を満たせばラムとなるため、他にも様々な製法が存在する。


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