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G3S

まあ、年金も無いだろうし、仕事も無いだろうから、「成るべくしてなった」と言えるのではないか。社会が「無敵の人」を作っているのである。
ちなみに、「333」は「スリーサンズ」という、昔のポップスグループ名として読める。ただし、日本人だけが読める。
とりあえず、希望者は刑務所に戻れるようにしたらいいのではないか。死ぬまでそこで暮らせるようにするわけだ。高齢になって娑婆に戻っても生きていく道はないのだから。3畳くらいでも個室に住めるなら、いい余生だろう。もちろん、労務は無しで。食事は、スーパーの期限切れ食品で作ればいい。いや、自分で作らせればいい。「娑婆生活期限切れ」人間には期限切れ食品でいい。包丁を持たせたり火を扱わせるとあぶないから、そこは工夫すればいい。
本は自由に読め、パソコンが使えるなら、私は将来入ってもいいww 人類始まって以来の大思想を発明するかもしれない。サドレベルの小説が書けるかもしれない。



1: 2025/03/03(月) 21:57:00.416
まだまだ現役、やね
no title

カッコよすぎやろ


3: 2025/03/03(月) 21:57:41.627
じいさんずかわヨ


4: 2025/03/03(月) 21:57:50.880
窃盗団も高齢化やな


5: 2025/03/03(月) 21:58:13.445
いちばん若いのが69歳で草


6: 2025/03/03(月) 21:58:31.567
たのしそう


7: 2025/03/03(月) 21:58:44.499
G3S(じーさんず)




8: 2025/03/03(月) 21:58:52.572
これ結構前のやつじゃない?


11: 2025/03/03(月) 21:59:54.652
なにちょっと格好つけとんねん


12: 2025/03/03(月) 22:00:05.765
ドラマ化できるやろ


13: 2025/03/03(月) 22:00:08.011
ちょい悪オヤジはモテるで


15: 2025/03/03(月) 22:00:55.298
青春だろこれ


16: 2025/03/03(月) 22:01:36.526
モーガン・フリーマンの洋画であったな


17: 2025/03/03(月) 22:01:58.189
【高齢窃盗団】車いすで出廷した88歳“実行役”服役中に親睦を深め「こと(窃盗)をするので運転してくれないか」運転手役の71歳と金品保管の69歳は高校の同窓生
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1428892?display=1

半世紀以上の付き合いで何してんねん


19: 2025/03/03(月) 22:09:50.320
オーシャンズ3


20: 2025/03/03(月) 22:11:59.160
多分ウキウキで計画してたと思う


25: 2025/03/03(月) 22:15:41.216
犯罪の高齢化やね


26: 2025/03/03(月) 22:17:31.070
1番歳上のジッジが実行役なの強キャラ感あってすこ


28: 2025/03/03(月) 22:19:27.820
コードネームいる?
いつ誰に名乗るんだよ


29: 2025/03/03(月) 22:21:12.871
>>28
そらB3S(ばーさんず)と出会った時にアピールするためにいるやろ


31: 2025/03/03(月) 22:26:45.451
ゴールデンカムイ思い出した


9: 2025/03/03(月) 21:58:59.552
実行犯が最年長とか采配ミスだろ

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戦闘教師ケン氏の「トランプ・ゼレンスキー会談」論評

戦闘教師ケン氏の記事だが、「物の見方」の問題なので、政治ブログではなく、こちらのブログに載せる。トランプ・ゼレンスキー会談を「リアリティショー」であり、「論評する価値はない」としていること自体がなかなかの「論評」だという根本的矛盾があるように私には思えるww

問題は「リアリティショー」だから「論評する価値はない」という見方が妥当かどうかだ。むしろ、こうした「リアリティショー」をマスコミや大衆に提示するのは、どういう必要性があったのか、というのが問題なのではないか。
私は「リアリティショー」はテレビの実物を見たことがないし、アニメ「押しの子」で知っている浅い知識しかないが、「すべてが嘘」ではなく、ある種の偶然や出演者の意志も加味される「虚実皮膜(漢字はこうだったか。読みは「ひにく」だが「皮肉」の字ではなかったと思う。)」つまり、半分嘘で半分本当というのがその特徴だと思っている。
つまり、トランプは、相手に強引な和平策を示す必要性があったし、それが拒否されても別に構わなかった。ゼレンスキーは、それを絶対に呑めないし、拒否してもNATO欧州勢が後押しするから大丈夫だという確信があってのあの「大喧嘩」芝居だった、ということなら、それはそれで大きな意味のある会談だっただろう。それでお互いの面目を立てる、というのが一番の目的だったのだから。おそらく、会談前にゼレ助は欧州首脳たちから今後もバックアップするという確約を取っていたと思う。まあ、それが彼ら全員の命取りだ、というのは私の意見である。(ところで、「ゼレ助」って、なかなかのネーミングではないか? www)


(以下引用)

2025年03月02日

米宇会談はただのリアリティ・ショー

20250302SS00003.jpg

米宇会談の破綻を経てリベラル人士が発狂している模様。
だが実際には、トランプとゼレンスキーがお互いに言いたいことを言って物別れになっただけの話であり、特に論評する価値もない。

ゼレンスキーにしてみれば、体面上「勝ち続けて、ロシア国内に反攻を進めている」ことになっているのに、アメリカから「敗北扱いの和平仲介、しかも有償(レアアース)」などという条件を飲めるはずがなく、飲めば国内世論が沸騰し、ゼレンスキー政権が保たないだろう。
そもそもゼレンスキーの勝利条件は「聖戦貫徹」であり、ロシアの無条件撤退以外に権力の正当性を保てる条件はない。

他方、トランプとしては「ウクライナから手を引く」ことが勝利条件であるが、さすがに無条件で手を引くと批判に耐えられないかもしれないので、「有償の和平仲介」を提案したのだろう。トランプ的には、「採掘量もわからない未開発の資源を担保にしてやるんだから破格の条件だろう」という話になる。
もちろんこれは断られることが前提であり、米国民(支持者)の手前、「俺はウクライナのためを思って色々提案したんだけど、あの連中が失礼にも全否定しやがった」という形が必要だった。

トランプとゼレンスキーは互いに万能感あふれる芸能人であり、劇場型政治家でもある。
そこでわざわざ首脳会談という「劇場」を設定し、互いに「言いたいことを言い合った」のだろう。
つまり、リアリティ・ショーである。

そう考えれば容易に納得できるし、わざわざ論評するような類のものでもないことに気づくはずだ。

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「自由主義」の極限

石井洋二郎の「フランス的思考」の記述の一部を要約する。

(以下引用)赤字は夢人による強調。

「宗教的拘束にとらわれない十七世紀の自由思想家を『リベルタン』という。」

「美徳は人間において二次的な情動でしかなく、人間の内にある第一の情動は、他のいかなる情動にもまして、誰を犠牲にしてもかまわないから自分の幸福を実現したいという欲求であることは、疑う余地がない」(注:サド作品の登場人物の発言である。)(注2:「一次的」「二次的」を過大に考えていることを除けば、私自身、この発言は正しいとは思っている。ただ、多くの「正常な」人は「他人を犠牲にする」という一点で立ち止まるのである。これは我々の無意識に埋め込まれた第二の本能だろう。我々自身が「親という他人」から生まれた存在なのだから。つまり、この論理は見かけほど堅固なものではない。単に「極限的(数学的論理)思考」なだけだ。)

「自由の享受に限界はないというこの論理をさらに押し進めていけば、最も普遍的でこれ以上に絶対的な準則はないと思われる『人を殺してはいけない』という規範までもが相対化されることになるであろう。この段階にまでたどりついてしまえば、もはやタブーはいっさい存在しない。サドにあって重要なのは、ただおのれの欲求を充足させることだけであり、他者への配慮を前提とした友愛とか憐憫とか隣人愛といった観念は、まったく空疎で無意味な偽善にすぎないのである。」

(以上引用)

あまり誰も言わないことだが、こういう「重要なのは、ただおのれの欲求を充足させることだけであり、他者への配慮を前提とした友愛とか憐憫とか隣人愛といった観念は、まったく空疎で無意味な偽善にすぎないのである」という思想は実は現代世界に底流する観念であって、多くの人はそれに則った行為(経済犯罪などが顕著で、前科持ちがマスコミ、特にテレビで堂々と発言している。)をしながら、それを明確に言語化しないだけである。
これが「自由主義の極限」である。「愚劣な合理主義」と言ってもいい。なぜ愚劣か。それは、この思考が実は自分自身にすら本当の満足を与えないからである。なぜなら人間の欲求は本当はささやかなもので満たされるからだ。
気に入らない人間を殺したいという欲求はよくあることだ。しかし、世界中の「悪人」を殺したいとなれば、「自分」が(他者から見た悪人として)その中に入るのである。この矛盾を解決するのが法であり道徳である。これは「偽善」と言うより、「社会の集合知」と言うべきだろう。

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「怒りの葡萄」

いわば、「資本主義批判」とも言えるこの小説への大資本家と米政府による「回答」が米国の第二次大戦参加である。つまり、葡萄(国民大衆)は踏みつぶされ、その血は戦場で流されたわけだ。

(以下引用)一部省略


怒りの葡萄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

著者ジョン・スタインベック
発行日1939年
発行元The Viking Press-James Lloyd
ジャンル小説
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語英語
形態文学作品
前作二十日鼠と人間
 

怒りの葡萄』(いかりのぶどう、英語The Grapes of Wrath)は、アメリカ合衆国作家ジョン・スタインベックによる小説である。初版は1939年。1930年代末に発生した干ばつと砂嵐を契機とした農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との軋轢闘争を素材とした小説で、1930年代のアメリカ文学を代表する作品として評価されている[1]。この小説により、スタインベックは1940年ピューリッツァー賞を受賞した[1]。後のノーベル文学賞受賞(1962年)も、主に本作を受賞理由としている。

物語

[編集]

世界恐慌と重なる1930年代、大規模資本主義農業の進展や、オクラホマ州はじめアメリカ中西部で深刻化したダストボウル(開墾によって発生した砂嵐)により、所有地が耕作不可能となって流民となる農民が続出し、社会問題となっていた。本作は当時の社会状況を背景に、故郷オクラホマを追われた一族の逆境と、不屈の人間像を描く。


オクラホマ州の農家の息子である主人公のトム・ジョードは、その場の激情で人を殺し、4年間の懲役刑から仮釈放で実家に戻ってきた。彼の家族の農場はダストボウルで耕作不能となり、生活に窮した家族は、オクラホマを引き払い、仕事があると耳にしたカリフォルニア州に一族あげて引っ越そうとしているところだった。トムは一族や、説教師のジム・ケイシーなどとともに、カリフォルニアへの旅に合流した。物語の前半では、すべての家財を叩き売って買った中古車でジョード一家がルート66を辿る旅が描かれる。


祖父や祖母は、アリゾナ砂漠やロッキー山脈を越えてゆく過酷な旅に体力が耐えられず車上で死亡し、従兄弟も逃亡する。そして、そのような苦難の旅の末、一家は人間らしい生活ができると思っていたカリフォルニアに辿り着く。しかし、当時のカリフォルニアには、大恐慌機械化農業のために土地を失った多くのオクラホマ農民が既に流れついていたため労働力過剰に陥っており、ジョード家の希望は無惨に打ち砕かれる。移住者たちは、「オーキー英語版」(Okie。“オクラホマ野郎”の意味)と呼ばれ蔑まれながら、貧民キャンプを転々し、地主の言い値の低賃金で、日雇い労働をするほかなかった。労働者を組織しようと活動をはじめたケイシーは、地主に雇われた警備員に撲殺される。その場に居合わせたトムは、ケイシーを殺した警備員を殺害し、家族と別れて地下に潜る。家族を次々と失ってゆくジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水がやってくる。

解説

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本作は、奇数章に作者のスタインベックの評論、偶数章にジョード一家の物語を整然と配置した構成を取っている。このような構成を取ることによって、本作は単純な「ジョード一家の物語」という枠を超えて、当時の大恐慌下のアメリカ社会に対する直接的な告発ともなっている。


作者のスタインベックはキリスト教文学、とりわけ聖書に決定的な影響を受けた作家である。本作でジョード一家が貧しいオクラホマから、乳と蜜の流れる、豊饒な「約束の地」であるカリフォルニアに脱出するところは、旧約聖書のエクソダス『出エジプト記』をモチーフとしているという。また、物語の最後でママ・ジョードが言う、「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」と。これも新約聖書の一節である。


このように本作は、一見「社会主義小説」とも評される内容であるが(実際、出版当時そのような論評が数多く見られた)、それだけにおさまらない、きわめて深い内容を持つ作品である。

タイトルの意味

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「葡萄」とは、神の怒りによって踏み潰される「人間」のことを意味すると一般に解釈されている。

なお、怒りの葡萄(grapes of wrath)という表現は、同じくヨハネの黙示録に題材を得たアメリカの女流詩人ジュリア・ウォード・ハウの1862年出版の『共和国の戦いの歌』(リパブリック賛歌)の歌詞からとったものであり[5]、当時としても広く知られているものであった。1938年6月時点では作品名として「レタスバーグ事件」と名付けられて作品の製作が進められていたが、内容に満足しなかったスタインベックは改稿を重ね、1938年に脱稿、「怒りの葡萄」と名を改して出版された[6]

反響

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本作品は出版当時、アメリカ全土で一大センセーションを起こし、作品内に描かれた小作人、地主、移動労働者、資本家、行政当局といった人々がその真相を伝えているかどうかを巡って全米で論争が起こった。作品の舞台となったオクラホマ州とカリフォルニア州においては擁護する声よりも非難する怒号が圧倒的に大きかった[7]。オクラホマ州では多くの図書館で『怒りの葡萄』が禁書扱いとなり、州出身の国会議員により「オクラホマの小作人は他の土地の小作人に勝るとも劣らぬ立派な頭脳と心情を持っている。この本はねじくれて歪んだ精神が生んだ黒い悪魔の書だ」といった弾劾演説が行われた[7]。初版は50万部を超えて『風と共に去りぬ』の次に売れたといわれ、社会的反響の大きさは1852年に出版されたハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』以来と言われている[8]


保守層からは目の敵にされ、カリフォルニア州では出版から2か月後には反論パンフレット『喜びの葡萄 ―ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』に対するカリフォルニアの清新溌溂たる回答―』が出版された[7]。一方で記述の正確さを擁護する声も少なくなく、社会学者や聖職者、行政府の役人といった様々な階層の人間が作品内の出来事を事実として証言している[7]。また、映画『怒りの葡萄』の製作に先立ち、ダリル・F・ザナックが私設探偵をオクラホマ州に派遣して調査させたところ、事実は小説以上に酷かったとのエピソードもあった[7]


発表翌年の1940年にはジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演により映画化され、ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞、監督賞、またアカデミー賞監督賞助演女優賞ジェーン・ダーウェル)を受賞している。詳細については『怒りの葡萄 (映画)』を参照。


1995年にはブルース・スプリングスティーンがアルバム「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード英語版」(The Ghost of Tom Joad)を発表している。


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固有名詞の力

八潮市の道路陥没問題はマスコミ報道もほとんど消えている印象だが、まあ、私はテレビも見ないし新聞も(取ってはいるが)ほとんど読まないので、報道され続けているのかもしれない。

だが、私が不思議なのは、道路陥没で地中に沈み、消息不明のトラック運転手の名前が一度も報道されていない(らしい)ことだ。そして、その生存は絶望視された結果なのか、その捜索もしていないように思える。そして、日本全国はこのトラック運転手を完全に忘れたように思える。
それこそが、運転手の名前を報道しなかった狙いではないのか?

つまり、たとえばこれが小川さんなり何なりだったら、誰の心にも「小川さんはどうなった?」という疑問が残るが、名前が無いと、単なる「物体の消失」になるのである。

たとえば、いい方の例で言うと、だいぶ前に山で幼児が行方不明になった時に、ヴォランティアで捜索していた老人がその幼児を見つけ、その発見者の名前(尾畑春夫さんだったか。字は曖昧にしか覚えていないが)が全国的に知られたのである。今でもその事件も尾畑さんのことも覚えている人は多いだろう。

だが、今回は「消えた運転手」は人々の記憶からすら無くなったのではないか。名前が「ない」から記憶されないのも当然なのである。これが固有名詞の威力だ。名前があるから我々は誰かを「人間」として認識すると言ってもいい。これが「某政治家の汚職」と言われても、「政治家なら汚職して当たり前じゃねえの?」くらいにしか認識しないだろう。つまり、名前が無いと個人ではなく、人間として認識すらされないわけだ。

まあ、八潮市の道路下の下水道の工事をした業者の名前まで公表しろとは言わない。その業者の責任なのか判定は困難だろうからだ。

私は、日本社会の「官僚支配」は、上級官僚の名前がマスコミに出ないことが一番大きな力になっていると思っている。「無名のヴェール」に隠れているから、彼らは悪事ができるのである。
あなた、財務省や外務省の上級官僚の名前を知っていますか?

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コウモリを食べると風邪をひく?

まあ、WHOはロックフェラー医薬品帝国(ビル・ゲイツが最近は表に出ている)の一部門だと私は認識しているが、下の記事の出来事もその「新作戦」の導入だろう。
よく読むと、その「新しい未知の病気」の症状は風邪やインフルエンザの症状と変わるところはない。

発熱、頭痛、悪寒、発汗、首のこり、筋肉痛、複数の関節痛や体の痛み、鼻水や鼻血、咳、嘔吐、下痢などの症状

しかし、最後は「出血熱」という変な症状で死んでいる。ここがミソだろう。つまり、「恐怖心を煽り立てる」わけだ。その次は世界への「感染」の広がり(何しろ、初期は風邪と同じ症状だし医者が「これはコンゴ熱です!」と言ったら「感染」が広がるに決まっているww そして知ってか知らずか劇薬を処方したりする。あらゆる薬は患者によっては毒薬でもあるわけだ。そして患者の数パーセントが死亡して社会問題化する。)、そして新ワクチンの発売で大儲けという予定である。
まあ新コロで世界はこりごりだろうから、今回は失敗する可能性が大だと私は思うが、要は、「彼ら」はいつも機会を狙って行動しているということだ。

*「出血熱」というと「エボラ出血熱」を思い出すが、あの騒ぎはどう解決したのか覚えている人すら稀だろう。そもそも、なぜ「熱」で「出血」するのだ? 体温が100度くらいになって沸騰して目や鼻や口から出血するのか? (ちなみに「華氏」だと体温は100度以上にもなるが、もちろん沸騰はしない。これは冗談だ。まあ、本当は「出血」と「熱」の関係はないが、単に「血が出る」という言葉や概念が恐怖を煽る効果があるとされ「出血熱」と命名されたのだろう。)

(以下引用)

コウモリが原因とされるコンゴの謎の病気がさらに多くの村に広がる

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=26161
今回はどのような実験をしているんでしょうか?
<転載開始>

以下で報じられた病気です。すべて、同一の病気かどうかは不明です。


コンゴ民主共和国:「未知の病気」に数百人が感染し、53人が死亡
BDW 2025年2月22日

コウモリが原因とされるコンゴの謎の病気がさらに多くの村に広がる

breitbart.com 2025/02/28


Congo Mystery Disease Linked to Bats Spreads to More Villages



世界保健機関(WHO)は 2月28日、コンゴ民主共和国(DRC)で発生した謎の病気が別の村に広がり、感染者数が 141人増加し、死者数は 60人になったと発表した。


新たな感染クラスターは、最初の感染発生地域から約 40マイル離れたバサンクス保健区域で報告された。これまでのすべての症例は、コンゴ民主共和国の赤道州内で発生している。赤道州はケンタッキー州とほぼ同じ大きさで、コンゴ川にまたがっている。


感染拡大は 1月21日、コウモリの死骸を食べたとされる幼児 3人が、その後急速に進行する出血熱に罹患して死亡したことから始まった。


被害者に行われた検査では、エボラ出血熱、マールブルグウイルス、黄熱病などの既知の病気の可能性は否定された。


WHOは 2月27日、「疾病監視の強化により、発熱、頭痛、悪寒、発汗、首のこり、筋肉痛、複数の関節痛や体の痛み、鼻水や鼻血、咳、嘔吐、下痢などの症状を示す患者が合計 1096人確認された」と発表した。


WHOは、被害者から採取されたサンプルの約半数が「この地域でよく見られるマラリアの検査で陽性反応を示した」と指摘した。


コンゴ病は、マラリア、髄膜炎、あるいは食中毒によって患者の体内で悪化する可能性があるようだ。WHOは、調査員らが、この病気の毒性と致死性を説明するかもしれない「異常なパターン」を探していると述べた。

 

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死んだり殺したりするやつ

「よつばと!」の中で、風香(高校生)が失恋して、失恋したことをよつば(五歳児)に話すと、よつばが「(失恋って)あの、泣いたり死んだりするやつな?」と言うのだが、当人が死ぬならまだしも「死んだり殺したりする」こともけっこうある。まあ、本当に殺す気ならカッターナイフを選ぶというのは、それだけで頭が悪そうな感じで、こういう男に惚れられたら災難である。(失恋による犯行だというのはほぼ確実だと私は見ている。)

注:「泣いたり死んだり」はうろ覚えで書いた。


(以下引用)

卒業式後に女子生徒をカッターナイフで切りつけ 殺人未遂容疑で同級生の18歳男を逮捕


配信

京都新聞

滋賀県警彦根署



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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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