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日本は「戦争を選んだ」のか、日米戦争に追い込まれたのか

「あかいひぐま」氏の2022年10月20日の「NOTE」記事の一節だが、この情報の根拠が知りたいものだ。文中の「ユダヤ人陛下」とはルーズベルト大統領のことと思われる。
下の記述が事実なら、「それでも日本は戦争を選んだ」と言えるのだろうか。戦争しか選べないように追い込まれたのではないか。念のために言えば、下の〈以下引用〉の中の文章を書いたのはアメリカ人である。
加藤陽子の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」は、名著だとは思うが、しかし、次のような言葉は、自分の固定観念的認識に無自覚な言葉ではないかと思う。

「アメリカという民主主義国売られたケンカを買ったときに、いかに強くなるかがわかりますね。」



〈以下引用〉

1936年、FDR(フランクリン・デラノ・ヴァン・ローゼンフェルド)は、日本の天皇の降伏を拒否した。天皇はドイツとの同盟を破棄し、中国から撤退し、ソ連の拡張に対抗するアメリカの同盟国になることを申し出ていたのである。1939年3月、ユダヤ人陛下の政府は、ドイツ軍からの和平と引き換えにヒトラーを逮捕するという申し出を拒否した。要するに連合国は、相手が降伏しようとした後で、5800万人を殺したのである。それ以来、彼らは人々を殺し、奪っている。

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戦争の美化と軍事国家化をやめよ

戦争がいかに冷酷で非道なものか、ということを、ベトナム戦争で従軍し、戦場で何人もの人を殺し、帰国した後でPTSD(戦後心的外傷症)になり、何年もかかってそこから回復し、その後戦争の悲惨さを人々に訴える「平和の伝道師」になった或る黒人の書いた本から転載する。この本は名著である。お固い本の苦手な私でも数時間で読め、しかも戦争や軍隊の真実の姿がよく分かる。日本のすべての小中学校の図書館に、特に沖縄の学校に置くべき本だ。
先に、その最後のあたりにある、「憲法9条」についての、他の人からは聞いたことのない、或る指摘を引用しておく。地図上の、大きすぎて誰も気づかない文字のようなものだ。

強い軍隊、大量破壊兵器を持っていても、安全は得られません。けれど、九条のような憲法、法律を持っていることは、安全をもたらしうるのです。なぜなら、それはだれにもその国を攻撃する理由を与えないからです

(以下アレン・ネルソン著「戦場で心が壊れて(元海兵隊員の証言)」〈新日本出版社〉から引用)


私たちは、武器を持った敵はもちろんのこと、女性も子どもも老人も、数多く殺害しました。正規軍が相手ではない戦いでしたから、だれが敵でだれがそうでないかを戦場で区別することはできなかったからです。戦闘が始まったら、ジャングルの中で動いている者は、味方の兵士以外、すべて撃ちました。
包囲した村に女性と子どもしかいない場合、男は敵の戦士です。彼らは周囲のジャングルに潜んでいるはずでした。そういう場合、私たちは、村に残っている女性や子ども、老人を殺し、その死体を村の入口にわざと見えるように並べ、敵をおびき出すという残虐非道なこともはたらきました。


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あれれー、おかしいなあ

増田俊男の「時事直言」記事だが、カネの亡者の増田が米国を道徳的に非難するのが不思議であり、裏に何かが、たとえばウクライナ戦争で欧米の敗北が確定的だという情報でもあったのかもしれない。ただ、ネットの一部ではワグネルがロシア政府に造反したという噂もあり、真実がつかみにくい。

(以下引用)



<時事直言>神を冒涜し続けるアメリカ


この世の中の無機物と有機物(生命)の自由裁量権(殺傷権)は創造主(神)にあり創造された人間にはない。
大家さんが所有する家の借家人には家を解体する権利はないのと同じである。
神に創造されたトルーマン米国大統領は1945年8月6日広島、8日長崎に原爆を投下して数十万人に及ぶ大量殺戮(ジェノサイト)を行った。
アメリカは神が創造した日本人を大量殺戮したのである。
アメリカが人の法によって裁かれるのは当然だが、何よりも神によって罰せられなくてはならない。


神が創造した無機物と有機物(生命)は原子を核とした分子で成り立っている。
人間は与えられた物質を使用、利用することは許されるが創造物存在の破壊・消滅は許されない。(質量不変の法則)
通常爆弾の爆発は一種の分子化合反応であるが、原子爆弾は全く異なり「原子(核)の破壊」による爆発である。
原子の破壊は「物質の破壊・消滅」であり、神の創造物存在の破壊・消滅である。
これほどの神への冒涜があるだろうか。


アメリカは人の法を犯し、創造主を冒涜し続け、一切罪を認めない。
政治上の理由でアメリカを人の法で裁くのは難しいが、アメリカは必ず神の懲罰を受ける、、、ニューヨーク消滅など?


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抗癌剤は増癌剤?

宋文洲がリツィートしたものである。

(以下引用)

国際クリニック押上 院長 統合医学で健康になる会元会長宗像 久男 医師 4月27日の産経新聞にですね、 高齢者に抗癌剤は効かないという言う新聞が出ましたね。 癌センターが出したんですよ。 そんな事、我々から言わせると、もう何十年前から当たり前の話じゃんと思うんですよ。 1990年代から急激に欧米は癌死が減ってるんです。 これを今度の癌センターが発表したいわけです、ようするに抗癌剤は効かないらしいっていう、欧米は知ってんです。 だからこの頃から1990年代から、抗癌剤を使わなくなったんですね だから癌死が減ってる。 OTAレポートってのが1990年に出たんですね。その時に抗癌剤は増癌剤であるっていうことはアメリカ政府が公式に認めた。1年半にわたって743人の肺癌患者を調べたんですね。 これOTAレポートっていうんですけど、1990年にレポートが出て 抗癌剤は増癌剤であるっていう事をアメリカ政府は公式に発表したんですね。 これによってアメリカは抗癌剤を使わないような国民なってた。 日本はねここまで行ってないんだな。 ようやく日本が目覚め始めた。

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宗教的奴隷と政治的奴隷

オウム真理教の非論理性が、次の引用からよく分かるのではないか。しかし、教祖や上位者への習慣化した盲目的追従(これが「修行」の中で育成されていく)が、その教義の非論理性をも見えなくしたのだろう。
ついでに言えば、オウム真理教の「成功」の最大の理由は、教団内部の「序列制」にあると思う。軍隊的な序列の特徴は上の者への絶対服従である。「修行」を積めば、あるいは献金や奉仕活動など教団への貢献度が高いとどんどん階級が上がる。そして、その「修行」は予備校の授業のように「カリキュラム化」されているのである。自分の「偏差値」を上げようと、信者は修行に励むのだ。自分の修行が無意味だと思いたくないから、修行に疑問を持たないようになる。つまり、宗教の軍隊化と予備校化だ。別の言い方をすれば「奴隷製造工場」である。奴隷制度の一番の成功は、「奴隷制度の内在化」である。つまり、自ら進んで奴隷の地位に安住するようになることである。オウム真理教徒の事例を拡大すれば、日本人は、米国によって精神的奴隷になっていると言える。


(以下引用)

 

輪廻とカルマ

教団では輪廻転生が信じられていた。麻原は自らの出版物を通して、徳川家光朱元璋など多くの前世を持つと称していた[320]。中でも意識堕落天の宗教上のは直前の生であったため、その世界で麻原に帰依していた人たちが多く転生し、現在の信者になっていると教団内では信じられていた。また、道場では「宿命通」というアニメビデオを放映し、麻原のエジプトでの前世の物語を展開していた。ジェゼル王の時代に彼は宰相のイムホテップとして王に宗教的指導を施し、最古のピラミッドである「ジェゼル王の階段のピラミッド」を造ったとしている[321]

輪廻転生と関連してカルマ(業)の法則も信じられていた。虫500匹を殺すカルマが人1人を殺すカルマに相当する、接触しただけでカルマが交換される、スポーツやグルメを楽しむとカルマを負って低い世界に落ちるなどといった独特の教義があった[322]。一方で、1986年に麻原は「解脱すれば現世で罪になることをしてもカルマにならない。だから、解脱者には罪はない」と説いた[323]


この他、教団に不利益を与えた者はカルマ返しを受けるとし、信者への体罰はカルマ落としとされた[324]。その人の悪いカルマを落としてあげるには苦しみを与えればいいとされた[325]。楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、十分睡眠をとると徳が減る、苦しければ苦しいほど徳を積む事になる、だから相手を苦しめるのはその人のためにいいことである、オウムを批判する人を攻撃するのもカルマ落としであるとみなされた[325]。1991年10月16日には「教学試験でカンニングしている者がいたら、構わず殴りつけろ。叩きのめせ。それは彼らが、来世、三悪趣に落ちるカルマを落とす意味においてだ。自分より強そうなら、2,3人で、それでだめなら10人で殴れ。これは私が認めただ。教学を勉強しない者については、怒鳴るとエネルギーをロスするから、しっかりといじめてやれ。精神的に、飯を食わせないとか、眠りそうになったら起こすとか。」とし、四無量心が根づけば殴ってでも修行させた方がいいと説き、リンチいじめを肯定した[326]

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ある種の宗教は「精神異常」への道である

フロイトの「精神分析入門」のどこかに、精神病の簡単な定義が書いてあって、それは私の要約では「精神病とは現実との(精神の)乖離である」というものだ。たとえば、暴力団員などというのはそれなりに現実社会に適応しているわけで、精神病ではない。犯罪者も同様だ。その適応の仕方が不道徳であることとは別の話である。サイコパスといわれるのも精神病ではなく、「異常適応」、つまり現実社会に適応しているが、その仕方が普通人とは違うわけだ。冷酷無残な人間が高い地位に就くことは当たり前にある。我々の持つ道徳観念は現代の道徳観念にすぎないし、「道徳とは禁止の体系である」以上、その規範に縛られない人間のほうが「強さ」を持つのは当たり前だろう。つまり、ボクシングやレスリングの試合でピストルを撃つ人間のほうが強いのは当然だ。単にスポーツという「限定的場所でのルール」がある場合にはルール違反になるだけだ。

村上春樹の「約束された場所で」は、オウム真理教信者へのインタビューを集めた珍しい本で、かなり貴重な内容を持っていると思うが、その中にこういう部分がある。先に、この部分を「精神病は現実との乖離である」という定義に対応させると、オウム真理教の修行とは「精神病になるための修行である」と言えると思う。
初期には「(修行を続けていくと)やはり自分自身がどんどん変化していくのがわかります。いろんな物事についての考え方も肯定的になりますし、前向きになります。確実に変わっていきますね」となるらしいが、実はこれが大きな罠のようだ。この「初期体験」があるから、後で起こる修行に伴う異常体験をも「肯定的」に「前向き」にしか考えなくなるのだろう。
で、問題は、ここからだ。

「ところが修行が進んできますと、アストラルに突っ込むというか潜在意識が出てきまして、だんだん現実感が希薄になっていきます。」「記憶があいまいになってきて、自分のやったことが果たして夢なのか現実なのか、その判断ができなくなってくるんです。」「あっちに意識が行ってしまって、それからこっちに帰ってこなくてはいけないんだけれど、うまく帰ってこられない。」「これは経典にも出ていることなんですが、ある修行の段階になると、そういう分裂的なものが顔を出してきます。」「そういう分裂した状態をすぱっと治さなくてはならないんですが、それは精神科医のところに行っても駄目です。修行の中でやっていく以外にないんです。となるとやはり出家するしかありません。自分の中に頼れるものがないとなると、あとは教団に身を委ねてしまうしかないのです。」

この段階で、既に洗脳状態にあることが分かる。

それは精神科医のところに行っても駄目です。修行の中でやっていく以外にないんです。となるとやはり出家するしかありません。

という結論になぜなるのか。それは、そのような考え方しかできない状態、つまり通常の思考が不可能な状態になっているわけで、それは「洗脳状態」と見るべきだろう。


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「野ばら」

「スキップとローファー」の劇中劇で「野ばら」の替え歌が出るが、確か「野ばら」の原詩はゲーテの作で、シューベルトとウェルナー(だったか)の曲があるはずだ。アニメの曲はウェルナーだろうか。
で、この詩には文語調の名訳があるが、正確には覚えていない。うろ覚えで書いてみる。前にも書いたが「匂う」は色美しいという意味。

童(わらべ)は見たり
野中の薔薇
清らに咲ける
その色愛(め)でつ
飽かず眺む
紅(くれない)匂う
野中の薔薇

「手(た)折りて行かん
野中の薔薇」
「手折らば手折れ
思い出種(ぐさ)に
君を刺さん」
紅匂う
野中の薔薇

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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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