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手紙配達者(文づかい)23

一月中旬に入って昇進任命などにあった士官とともに、奥のお目見えを許され、正服を着て宮廷に参り、人々と輪になって一間に立って臨御を待つうちに、老いて体のゆがんだ式部官に案内されて妃が出ていらして、式部官に名を言わせて、ひとりびとり言葉をかけ、手袋を外した右の手の甲に接吻させなさる。妃は髪は黒く、背は低く、褐色の御召し物があまり見栄えがしない代わり、声音がとてもやさしい。「あなたはフランスとの戦いに功績のあった誰それの親族か」など懇ろに話しかけなさるので、いずれの者も嬉しいと思っているだろう。従ってきた式典の女官は奥の入り口の敷居の上まで出て、右手に畳んだ扇を持ったまま直立している、その姿がとても気高く、鴨居柱を額縁にした一枚の油絵に似ていた。私は何気なくその顔を見たら、この女官はイイダ姫であった。ここに、そもそもどうして。


* * * *

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「自由という魔境」

私自身の別ブログに書いたものだが、仮説として面白いので、ここにも載せておく。

(以下自己引用)
「壺斎閑話」記事の末尾で、中村某という者が、ドストエフスキーは生涯にわたって精神病者だったという説を出していることについての文章である。まあ、その当否は別として、下の部分は面白い。

四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいた

という部分である。「したいた」は「していた」のタイプミスだろう。
これは、精神病を考えるうえで、面白い話である。つまり、「自由こそが精神を病ませる」という仮説だ。監獄や病院にいる時は拘束状態だから、「自由をあきらめる」。それが精神の安定をもたらすのではないか。あるいは、「自由」の代わりに「夢」や「希望」を置いてもいいかもしれない。夢や希望を失った状態こそが精神が一番健全に働くのではないだろうか。
そこで想起するのが、「冬の散歩道」の中の

when I look about my possibility  (look aroundかもしれない)
I was so hard to please

という一節だ。この「気難しさ」が、精神の不健康さの徴候だろう。青年期が精神の危機の時であるのも、まさに夢や希望や可能性の中で迷いに迷うからではないか。つまり、カフカ的迷宮の中にいるのである。


(以下引用)

そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。
いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。

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手紙配達者(文づかい)22

 入日は城門に近い木立から虹のように洩れ、そこに河霧が立ち添って、おぼろげになる頃塔を下ると、姫たちはメエルハイムの話を聞き終えて私たちを待ち受け、連れ立って、新たに灯を輝かせている食堂に入った。今宵はイイダ姫が昨日とは変わって楽し気にもてなしたので、メエルハイムの顔にも喜びの色が見えた。
 翌日、ムッチェンの方へ志してここを立った。

 * * * *

 秋の演習はこれから五日ほどで終わり、私たちの隊はドレスデンに帰ったので、私はゼエ・ストラアセにある館を訪ねて、先にフォン・ビュロウ伯の娘イイダ姫に誓ったことを果たそうとしたが、固(もと)より土地の習いとして、冬となって交際の時節が来ないうちは、このような貴人に逢うことは容易でなく、隊付きの士官などの常の訪問というのは、玄関の傍の一間に延引されて、名簿に筆を染めるだけなので、思うだけで訪問はせずに終わった。
 その年も隊務が忙しい中に暮れて、エルベ河上流の雪解けに蓮の葉のような氷塊が緑の波に漂う時、王宮の新年華々しく、足元が危うい蝋磨きの寄木床を踏み、国王の御前近く進んで、正服姿も麗しい立ち姿を拝し、それからふつか三日すぎて、国務大臣フォン・ファブリイス伯の夜会に招かれ、オーストリア、ババリア、北アメリカなどの公使の挨拶が終わって、人々が氷菓に匙を下ろす隙(ひま)を覗(うかが)い、伯爵夫人の傍へ歩み寄り、事の次第を手短に陳(の)べて、首尾好くイイダ姫の手紙を渡した。


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男らしさ、女らしさ

「隠居爺の世迷言」記事の一節だが、過去記事の文章の調子から見てかなり温厚と思っていた隠居爺氏の意外な一面で、こういうことをブログに書いて、今後の家庭生活は大丈夫なのだろうか。

ところで、今日は女房の愚鈍さに私が腹を立ててムカついてしまった。そして「ああ、男と女だな」と思った。

という箇所のことである。どういう事件があったのか、一方的な発言しかないので、それが本当に「女房の愚鈍さ」のためかどうかも不明だ。で、問題は、私がその女房の立場なら、こういうことをSNSに書かれたら、その恨みは一生忘れないだろうということである。たとえ表面的には和解しても、心の底に恨みは残る。
概して、年を取ると「堪え性」が無くなるものだと、私は自分の経験からそう思っている。つまり、隠居爺氏の怒りは、氏の堪え性の無さの発現だった可能性もあるわけだ。しかし、この文章を読んだ読者の大半は、「ああ、隠居爺さんの奥さんは『愚鈍』な人なのだろう」と心に銘記することになる。こういう、一方的な断罪は、私も公人や有名人への批評でよくやるが、連中は批判されるのが仕事の一部のようなものだから、まったく問題はない。問題は「弱者への攻撃」だ。まあ。隠居爺氏の奥さんが案外な強者で、いつも爺氏をいじめている可能性もゼロではないだろうが、氏の書きぶりだとそうは見えない。
なお私は氏の文章に(かなり韜晦して書いているが)「男らしさ」「女らしさ」への強いこだわりを感じるのだが、実はその意識こそが社会を悪化させる一因なのではないか、と思っている。少なくとも、かなりな割合の「男らしさの欠如した男」や「女らしさに乏しい女」の生き苦しさの原因だろう。で、その「男らしさ」は本当に男らしいのか、単なる演技なのかは分からないのである。
私はバイオレンスが大嫌いで、ある歌の歌詞だが、女の子が男の子に向けて歌う「大好きよ、強くなくても。大好きよ、頑張らなくても。」というフレーズを聞いて、かなり救われたものだった。もっと若いころに聞いていたら、人生の悩みがかなり軽減していただろう。ちなみに、これは「神秘の世界エルハザード」というアニメ(OVA)の主題曲のひとつである。

ま、要するに、男らしさも女らしさも不要で、「人間らしさ」があるかどうかが社会の構成員の要件なのではないか。つまり「ヒューマニズム」「人道性」の有無である。とは言っても、男に生まれながら性転換をしたり女の恰好をする、あるいはその逆も含めた今のLGBT運動を私が好ましく思っているわけではない。これも不自然極まるもので、すべて過度というのは悪化に至るものだ。


(以下引用)

気を抜いているから、話があちこち飛んでしまうけれど、男に男らしさのばらつき、女に女らしさのばらつきが生じてくるのは、自然の摂理みたいなもので、それが当然なのだけれども、それがそのままではなく、一挙に反対の性になろうとするのはどうしてなのだろうか。

 これは全く私の想像で、何の根拠もないのだけれど、女になろうとする男、男になろうとする女というのは、自分の本来の性に対するあこがれが強すぎるのではないだろうか。つまり、女になろうとする男は、男に対するあこがれが強すぎ、男になろうとする女は女に対するあこがれが強すぎる。

 そのため、ちっとも男らしくない自分や、ちっとも女らしくない自分を許せないんだよね。絶対に許せない。だから一挙に反対の性に飛ぼうとする。私のように、男なんて、弱虫だし、臆病だし、根性なしだし、嘘つきだし、デタラメだし、不真面目だし、努力しないし、チャランポランだし、売国奴だし、そう、まるで岸田総理のような情けないのが男だと思っていると、こんな私でも十分立派な男だと思えるんだよね。

 芸能界で、オカマとかオネエとか呼ばれている人を見ると、これも私の全くの主観になるけれども、とっても男らしい人たちだと思う。マツコ・デラックスなんて見ても、あの気配り、鋭さ、論理性などは男のものだよね。岸田総理にも食わせてやりたいくらいだ。

 ところで、今日は女房の愚鈍さに私が腹を立ててムカついてしまった。そして「ああ、男と女だな」と思った。男は兵隊だからね。ぼやぼや、ノホホンとしていると殺されてしまうという頭がある。だからピリピリしているときがある。

 女は"ぼのぼの"の世界で生きている。穏やか、まったり、ぼんやりなど。そうでないと子供は育たない。

 そんな性質の異なる男と女が一緒に暮らしているのだから、うまくいかないのも当然というか、しかし、だからうまくいくともいえる。どちらにしたところで、ご苦労様というところではあるけれど。

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手紙配達者(文づかい)21

姫は言葉忙(せわ)しく、「私はあなたの心持を知っての願いがあります。こう言うと、昨日初めて相見て、言葉もまだ交わさぬうちにどうしてと怪しみなさりましょう。しかし私は容易に惑う者ではありません。あなたは演習が済んでドレスデンに行きなされば、王宮にも招かれ国務大臣の館にも迎えられなさるでしょう」と言いかけ、衣(きぬ)の間から封じた手紙を取り出して私に渡し、「これを人知れず大臣の夫人に届けてください。人知れず」と頼んだ。大臣の夫人はこの姫君の伯母に当たり、この姫の姉君さえその家に行っていらっしゃるというのに、初めて逢った異国の者の助けを借らなくてもよいだろうし、またこの城の人に知らせまいということなら、ひそかに郵便に付してもよいだろうに、こう気兼ねして奇妙な振る舞いをしなさるのを見れば、この姫、心が狂いなさったのではないか、と思われた。しかしそれはただ瞬間のことであった。姫の目は物を言うだけでなく、人の言わぬことも聞くことができたのだろう、言い訳のように言葉を続けて、「ファブリイス伯爵夫人が私の伯母であることは聞いていらっしゃるでしょう。私の姉もあちらにおられるが、それにも知られぬことを願って、あなたのお助けを借りようと思っているのです。ここの人への心づかいだけならば、郵便もありますが、それすら、一人で外出することが稀な身には叶いがたいのを思いやってください」というので、まことに理由のあることなのだろうと思って、承知した。

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人々は、なぜ他者の発言を批判するか

「神戸だいすき」のコメント欄は、ほとんどスルーしているが、さきほど気まぐれで読むと、なかなか面白い。コメント者同士の罵り合いや、ブログ主への批判など、百家争鳴である。中には近代史やその裏面にも詳しい物知りもいるようだが、概して品性の低そうな印象だ。
まあ、こういう喧嘩の場所(きれいに言えば議論の場)を自分のブログで提供している神戸だいすき女史は太っ腹である。ついでに言えば、彼女の偏見や無知な部分、思い込みも面白い。発言が正確で正論しか言わない人間の書いたものが面白いはずがない。

私など、思い付きのでっちあげをまったく推考なしに書いているブログなので、コメント欄など作ったら地獄化するだろう。何せ、私も含め、人間ほとんどが、他人の悪口を言うのが大好きなのである。他人の悪口を言うと、相手を見下せて、相対的に自分が偉く思えて気持ちがいいからだ。



(以下引用)お互いの喧嘩の事例としては他のコメント群が適切だが、少しは知的にマシなコメントを載せる。






    • 34. タマゴ 
    • 2023年09月18日 22:16
    • >「目的を果たした大東亜戦争」

      「大東亜戦争の目的」とは?
      まさか、この期に及んで、アジアアフリカの解放とか言いませんよね?

      まず、大東亜戦争とは?
      ここが凄く大事。
      多くのネトウヨが誤解している。

      太平洋戦争の日本側の呼称、ではありません。
      「日中戦争と太平洋戦争の総称」が正しい定義です。
      当時の帝国議会でそう決議されたのですから、間違いありません。
      つまり、大東亜戦争の開戦とは、日中戦争の開戦のことなんです。

      日中戦争は、起きた当時、支那事変と呼ばれていました。
      「戦争」とは認識されていなかった。
      なぜなら、戦争には大義名分や宣戦布告が必要ですが、支那事変にはそのどちらも無かったからです。
      よく分からないゴタゴタがきっかけで勃発してしまった単なる紛争くらいに思われていた。

      要するに、大東亜戦争の開戦(支那事変の勃発)には目的など存在しなかったのですよ。
      全て後付けです。
      第一、アジアの国である中国に進出して、何がアジア解放なんですか?
      これだけ言っても分からんアンタは物凄いバカなんですか?
    • 35. タマゴ 
    • 2023年09月18日 23:02
    • >日本は、いくらずたずたにしても降参しない。

      日本がなかなか降伏しなかったのは、当時の日本にとって、国体護持が至上命題だったからです。
      天皇を元首に頂く国家体制を維持するためにはどうすればよいか?

      そこで軍部を中心に唱えられたのが一撃講和論。
      戦争に勝てないのは分かっているが、せめてアメリカに一度大打撃を与えて、少しでも有利な条件で講和したい。
      無条件降伏では国体を護持できんのではないか、と。
      (実は、昭和天皇も一撃講和論を支持していたとされています。)

      しかしアメリカになかなか一撃など与えられなかった。
      そんなこんなで降伏が遅れに遅れ、沖縄が壊滅状態に追い込まれ、特攻の悲劇が遂行され、そして原爆が投下された。
      そこで漸く、軍部も観念し、昭和天皇も降伏することを決断したというわけです。

      日本人が粘り強い民族だからなかなか降伏しなかった、というのは大嘘。
      アメリカに国体護持が保証されていたなら、数ヶ月前に降伏していたんです。
      歴史を学んでいないと、こういう初歩的なデマに簡単に騙される。
    • 36. 明珠 
    • 2023年09月18日 23:33
    • (夢人注:下記記事のウィキペディアアドレスを省略。画面の邪魔になるので)

      松代大本営跡
      沖縄戦への影響
      現代史研究家の大日向悦夫は「沖縄戦というのは勝ち負けの戦いではなく、松代大本営ができるのを待つための時間稼ぎの戦いだった」と述べている[8]。沖縄戦は、1945年4月に米軍が本島に上陸、5月に首里城陥落。その段階で沖縄を防衛していた第32軍は大本営に降伏する旨の連絡をしたが、大本営は「さらに南に移動して戦いを継続せよ」と命令した[8]。そのため第32軍は摩文仁の丘を目指して南に下り、一般住民もその後に従った。連合国の米軍は沖縄南部にかけてモップアップ作戦を展開し、地下壕の多くを破壊した。6月に入ってから、陸軍大臣をはじめ幹部や宮内庁職員が松代大本営の建設現場を視察[8]。天皇の側近が「ほぼこれでいいだろう」と言って松代を後にするのが6月半ばで、その直ぐ後の6月21日に大本営は沖縄に「貴軍の忠誠により本土決戦の準備は完了した」と打電した。

      → 他にもいくつかのタイミングを待っていたんでしょう。
    • 37. タマゴ 
    • 2023年09月18日 23:44
    • >史上一回だけの勝利だから。

      独立戦争(対イギリス)、米西戦争(対スペイン)、米墨戦争(対メキシコ)に勝ってますよ。

      独立戦争はさすがに知ってるでしょう。

      米西戦争では、アメリカはフィリピンをスペインから強奪しています。
      これが後に資源獲得を目指して南下する日本と直接的に対立するきっかけにもなりました。

      米墨戦争では、アメリカはメキシコからカリフォルニアなど広大な領土を強奪しています。
      トランプが作った国境の壁なんてもんは、メキシコからすればフザケんなって話なんですよ。
      元々アメリカ南部はメキシコだったんだから。
    • 38. 名無し 
    • 2023年09月19日 00:25
    • 神戸おばちゃんの思いたいように思うのはいいが、ブログに書くんならよーく調べないとならんね。タマゴさんはよくよく神戸おばちゃんのド間違いを正してくれているから、素直に考え直したらとうですか?
      まあ歳が歳だから直らんかもなーー頑迷だな。

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手紙配達者(文づかい)20

今や私は下界を離れたこの塔の頂で、昨日ラアゲイッツの丘の上から遥かに初対面した時から、怪しくも心を惹かれて、卑しい物好き心でもなく、好色な心でもないが、夢に見、現(うつつ)に思う少女と差し向かいになった。ここから見晴らすはずのザクセン平野の景色はいかに美しくても、茂る林もあり、深い淵もあるだろうと思われるこの少女の心には、どうして勝ろうか。
 険しく高い石の階段を上ってきて、顔にさした紅の色がまだ褪(さ)めないのに、まばゆいばかりの夕日の光に照らされて、苦しい胸を鎮めるためだろうか、この頂の真ん中の切り石に腰を下ろして、あの物言う目の瞳を突然私の顔に注いだ時には、常には見栄えのしない姫だったが、先に空想の曲をピアノで演奏した時にも増して美しいのに、なぜか、誰かの刻んだ墓の上の石像に似ていると思われた。




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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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