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お札の顔

故人となった俳優を紙幣の顔にする、というのは悪くない。もともといい顔だから人気俳優になったわけだし。ただ、森光子とか松田優作というのはテレビ世代の選択だろう。丹波哲郎は同意。お札にふさわしい堂々たる顔だ。
私なら

一万円札:三船敏郎
五千円札:丹波哲郎
千円札;植木等

といったところか。植木等は、明るい気分にさせてくれる、ということでの選択。女性俳優は御札にしたいような顔は思いつかない。原節子あたりだろうか。吉永小百合はまだ存命なのでダメwww

俳優ではなく、文化的偉人ということなら、黒澤明と手塚治虫あたりか。





壱万円札…丹波哲郎
五千円札…森光子
千円札 …松田優作






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もはや日本語は無政府状態

みなさんは、下のふたつのツィートが日本語として読めるだろうか。「幸運にうちひしがられてろ」も、「自分を棚上げるな」も斬新であるが、どうにも背中がむずむずして居心地が悪くなる。なお、「完売女優」も私には新語だが、ある界隈では周知されている言葉なのだろう。いや、「周知されている」という日本語は正しいのか、不安になってきた。





さんがリツイート

女優にこんな事言うあんぽんたん、ファンを舐めるな、女優に覚えられたいなんて欲はファンとは言わねえ、女優の前を横切って活動の邪魔をするんじゃねえ。ただただ同じ時代にいられる幸運にうちひしがられてろ。


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udon人間

私は胃が弱くて、朝食はいつもウドンなのだが、もしかしたら来世はこのようなうどん人間になるのだろうか。いや、今でも愚鈍だから、さほど違いは無いのかもしれないがwww







さんがリツイート

上司がもらったイカれた香川土産を見てほしい。どの角度から見てもこっち見てるの怖すぎて泣きそう


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「面従腹背」か「面従背反」か

これは「逝きし世の面影」からコピーしたものだが、「えっ、『面従背反』という言葉もあるのか?」と思ってネットで調べると、どうも無さそうである。当然「面従腹背」が世間一般で通用している言葉だろう。前川氏がじっさいに「座右の銘は『面従背反』」と言っていたならいいが、そうでないとしたら、前川氏の言葉を間違って引用したことになる。
「面従腹背」とは、「面(顔)で従って腹(の中)で背く」であり、「背」は背中ではなく「そむく」意味だ。「背反」だと、「そむき、そむく」と同じ意味の語を重ねて強調したものだが、「面従背反」だと「面」と「腹」の対比が無くなり、対句性が消えて、四字熟語として面白くない。
まあ、私の知らないところで「面従背反」という言葉も使われているのかもしれないが、「背反」自体は「背中でそむく」というわけではないだろうから、あまり気の利いた四字熟語だとは思えない。単なる趣味の問題だと言えばそれまでだが、大教養人である宗純氏らしくないな、という気がする。さて、前川氏は「面従腹背」と言ったのか、「面従背反」と言ったのか、どちらだろうか。そんなの、どっちだっていいじゃねえか、という声が聞こえてきそうだが、私はこういう些事こそ面白いし大事だと思うのである。そうでなければ「新元号は『安晋』でいいよ」となるだろう。
なお、私が宗純氏を最高度に尊敬していることは、過去の記事から分かるはずである。だからこそ、こういう部分は大事にしてほしいと思っている。



(以下引用)これは記事の小見出しだが、大見出しにも「面従背反」と書いている。


『座右の銘は「面従背反」 前文科事務次官の前川喜平』


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漢文語順から見た「令和」

「逝きし世の面影」の読者コメントだが、ちょっとした盲点を指摘しているので転載する。
「和」が「倭」に通じることは私も少し書いたが、「令和」全体で、「倭人に命令する」意味になることは思いつかなかった。
実際、漢文の文法では英文法と同じく「名詞+動詞」の語順の場合は名詞は主語で、「動詞+名詞」の語順だと名詞は目的語になるから、「令和」は「和(倭人)に令す」となる。
まあ、安倍側近に漢文の知識がある人間がいるとは思えないから、偶然だろうwww

(以下引用)




暗号を読む (英松) 2019-04-02 15:58:40 自民党安倍政権の出展という点から推測すれば
<令和>は、返り点を付けて読めば
倭(倭国、倭人)に命じる→支配を継続する
の意味を含んでいる
・宗主国
・天皇官僚システム
・半島系支配者層
三者了解された元号と言える


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悪意と悲惨に溢れた現世への慰藉としてのフィクション

「ネットテレビ」のひとつであるアマゾンプライムには無料で見られる(らしい)作品がたくさんあり、特に、昔の映画がわりと豊富なのが他のネットテレビとの違いである。
私は現代の映画は洋画も邦画もさほど興味はなく、好きな監督や俳優が出ているか、漏れ聞いた内容が興味を惹くもの以外はほとんど見ていない。大ヒット映画でも見ていないもの、見る気のしないものはゴマンとある。見る気のしなかった「タイタニック」は、かなり後になって半分くらい見て途中でやめたし、同じく気乗りのしなかった「アバター」は後で見て、うっかり最初から最後まで見てしまったが、なぜ最後まで見たのか、後悔した。そういう勘は割と当たるほうで、評判になった作品をかなり後になってから見て「時間の無駄だった」ということは結構ある。
見て面白い映画でも、「面白いけど、でも、見る必要は無かったな」というのが、最近の映画の大半であるが、これは私が年寄りになり時代遅れになったためだとは思わない。たとえば、「アメリカンヒストリーX」などは、傑作だと理解できるし、見て良かったと思う。しかし、映画の本道は娯楽性にあり、それも見ていて気分が良くなる性質の娯楽性が一番だ。テレビのお笑い番組のように弱者をいじめて笑うというのは「残酷ショー」でしかない。
現在の邦画にはそういう「明るく楽しい映画」というのがほとんど無い。カネを払ってまで見る価値があるとは思えないものがほとんどだ。むしろテレビドラマの方に優れた脚本家や演出家が集まっているのではないか。ここ数年で言えば、「逃げるは恥だが役に立つ」「重版出来!」「あまちゃん」「真田丸」、そして最近の「チャンネルはそのまま!」などは、実に面白く、それらの作品の特徴は「明るい気持ちで、楽しく見られる」ということである。暗い時代の中で、なぜテレビドラマや映画まで暗い内容や暴力的内容のものを見て落ち込む必要があるのか、ということだ。
アニメで言えば、一見幼児アニメにすら見える「けものフレンズ」が大ヒットしたのは、あの明るく平和で優しさとユーモアに満ちた世界が、現代の社会に痛めつけられた若者に深い慰藉を与えたわけである。
さて、話を最初に戻すが、私はアマゾンプライムで昔の洋画(50年代以前の白黒作品が多い)を見ることが多いが、その出来の素晴らしさにいつも感心する。「ああ、これは見る人を傷つけないように最大の配慮をしながら、しかも面白いものを作ろうとしている」というのが良く分かる。笑いの質、泣かせの質が実に良質で、それは人道性への配慮があるからだろう。
実は、この記事を書いたのは、深夜にアマゾンプライムで見た「オーケストラの少女」(原題は「100人の男と一人の少女」)が素晴らしかったからで、この作品は日本公開当時、大ヒットしたのだが、私は、「それは当時の日本人の映画鑑賞レベルが低かったからだろう」と思っていたのである。だが、実は作品自体がまさに「アメリカ的な良さ」の塊とも言える内容で、人間の善意や人情というものが人々を幸福へ導くこと、そして絶望的状況でもチャレンジすることの大切さというのが、御伽噺的な「上手く行きすぎる話」の連続の中で描かれるのだが、シニカルになった現代人にはもはや描けない世界だろう。まあ、一見をお勧めする。
あらゆるジャンルで今のものは昔のものよりいいというのは大間違いで、世界は進歩する一方では、何かの点で退歩するのである。






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まずは平和(ピンフ)をめざそう

なるほど、「令和」の音も字も「了解!、では!」の雰囲気はある。「令に和す」わけである。これからは、こういう使い方も、ありかもしれない。仕事(4人でやる奴)が終わったら、「和了!」とかね。








すでに「では!」とか「了解」感覚で使われている。





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プロフィール

HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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