まあ、社交といいうか、社会生活というか、他人と交わる際にはその言動の8割くらいは演技だ、というのは洋の東西を問わないものなのだろう。
兼好法師が「徒然草」の中で、「他人に何か言う場合は、その人がそれをどう受け取るかを考えて発言するから、すでに自分の思ったままの言葉ではない」という趣旨のことを言っている。
もちろん、他人に自分を合わせるというのも「生きる上で必要な生活技術」であり、それが悪いとは言わない。ただ、そういう「二重生活」というのは案外、無意識のストレスを溜め込むものであるような気がする。
兼好法師が「徒然草」の中で、「他人に何か言う場合は、その人がそれをどう受け取るかを考えて発言するから、すでに自分の思ったままの言葉ではない」という趣旨のことを言っている。
もちろん、他人に自分を合わせるというのも「生きる上で必要な生活技術」であり、それが悪いとは言わない。ただ、そういう「二重生活」というのは案外、無意識のストレスを溜め込むものであるような気がする。
山本貴嗣さんがリツイート
住んではいないけど『"ハッキリ意見を言う""付き合いがフランクに見える"ように振る舞うことが一種のステータス』なんだろうなって思う。
日本人で言うと、すごく粘着質で嫉妬深い性格の人が「自分ってサバサバ系だから!」って言って、普段それっぽく振る舞ってるのに近いのかなと。
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