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誰もがいつでも笑顔の社会www

「東海アマ」氏の記事の末尾だが、まあ、一種のスピリチュアリズムというか、妄想集団の言説としか私には思えない。もちろん、私も「人類全体が精神的に高次の次元に移る」という「アセンション」が起こればいいと思うし、数世紀後には(科学の限界が明白になって、精神性の探求が重視され始めたら)可能性はゼロではないと思うが、それがなぜ今年の12月22日を起点にして起こるのか、「教祖連中」の妄言としか思えないわけだ。
どうでもいい揚げ足取りをするなら、「快感」と「笑顔」はあまり両立しないと思う。セックスのエクスタシーの瞬間の表情はむしろ苦悶の表情に近い。その後も笑顔ではなく「虚脱」の顔だろう。つまり、肉体的欲望とは「排出の必要がある」から求めるもので、ウンコを出すのと同類だ、というのが私の思想で、欲望を「業」と言ってもいい。無理に追い求めるのは事故のもとだ。(「愛の自ずから起こるまでは呼びかつ覚ますことなかれ」と旧約聖書の「雅歌」にある。)欲望達成は人生の意義のひとつではあるが、ひとつにすぎないだろう。カント(女性性器)を求めるのと同様に、カント(哲学者)の書を読むのも快感ではあるわけだ。
ただ、恋愛という「結晶化」(妄想拡大)があると、異性を求める欲望はロマンチシズムの美感を伴うわけである。人類が小説を発明するまでは、性欲はあっても恋愛は存在しなかったと私は思っているwww 異性の美醜を区別する文化の発生は、かなり古いようだが、ネアンデルタール人やクロマニヨン人に美醜の感覚があったとは思われず、従って、恋愛も存在しなかっただろう。強い男が尊ばれただろうことはもちろんだが、女性の場合、デブの女性が案外価値が高かったのではないか。
ちなみに、私は他人の笑顔は好きだが、自分ひとりでいる時に笑顔でいることはまったくない。そういう人間は「多幸症」というキチガイである。つまり、笑顔は「他人へのサービス」なのである。これを仏教では「顔施」と言うようだ。


(以下引用)

 私は、12月22日以降、人類は二極化の道に突入し、もう互いに融合したり邂逅したりができなくなると、並木良和やバシャールを引用して、何回も書いてきた。
 この安倍晋三=麻生太郎=佐川宣寿=赤木俊夫の人間関係は、まさに、もうすぐ、はるか銀河の彼方に旅立って、二度と還ってこない「ネガティブ一座」の本質を見せてくれていると思う。

 彼らは、人間の序列が大好きであって、「どっちがエライか?」という上下関係による見下しの序列のなかで窒息死する運命なのだ。
 宇宙の果てまで飛んでいっても、なお、序列だけを価値にして生きようとする連中だ。彼らは、2050年頃、この宇宙から消えてしまうとバシャールは予言した。

 ついでに、完全分裂したポジティブ側についても触れておくと、これは私の勝手な憶測なのだが、その価値は、序列ではなく「快感ワクワク」ということになる。
 前回は、エロいことも含めて書いたが、ものごとの判断の基準、守るべき価値として、「どちらが気持ちいいか?」が前面に出てくるはずだ。

 もちろんエロスも含むのだが、人々は、「気持ちのいい生き方」をするようになる。そうして、みんながワクワク感を求めて、毎日を楽しんで生きてゆく。
 もう赤木俊夫さんのように、快感と逆行を強いられる時代ではなくなる。
 「キモチイイ世界」がやってくるんだぞ。毎日が笑顔の世界、女性たちは笑顔が美しくなる。険しい表情を強いる人は、どこにもいなくなるんだ。
 

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