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ブラック官兵衛

「紙屋研究所」から一部転載。
省略した最初の部分は、NHKの「黒田官兵衛」が視聴率的に苦戦しているという話から始まって、そもそもなぜ黒田官兵衛レベルの人物をなぜ大河ドラマの主人公に選んだのか、という疑問を呈している。そのあたりも面白いのだが、おそらくプロの書き手である管理人氏の文章を全文コピーするわけにもいかないので、後半だけ転載した。
吉川英治の「黒田官兵衛」(題名もこうだったかは忘れた)を少し前に読んだ(NHKがドラマ化するというニュースを知る前である)ために、黒田官兵衛の名前は私には親しいものとなっていたので、NHKのドラマ化の結果がどうなるかにも関心はあったのだが、最初のあたりを瞥見すると、意味不明の色事(恋愛沙汰)に長々と時間を使っているようで、まったく見る興味を無くしたものである。ドラマというと色事(恋愛)を入れないと成立しないという、ハリウッド映画式、あるいはアメリカテレビドラマ式の思想が、日本の時代劇や歴史ドラマまでいかに毒しているか、ということである。アメリカのドラマ(たとえば「ユーレカ」など)は、地球が破滅するかという危急の際でも、それに立ち向かうべき主人公の男と女がいちゃいちゃしたり、痴話喧嘩ばかりしているので、見ているこちらは腹が立つばかりである。私はかつて、「スーパーマン」のテレビ放映を友人たちと見ていて、地球の危機を前にして自分の恋愛だけにかまけているスーパーマンにあきれ、「愛は地球を滅ぼす」と言って、友人たちに大うけしたものだ。(これは、当時の「24時間テレビ」の「愛は地球を救う」というキャッチコピーへの皮肉。)
いや、興奮してつい話が逸れた。とにかく、アメリカドラマの恋愛病、色情狂ぶりは、日本のドラマも汚染している、ということである。日本の歴史ドラマに「政略結婚」はあっても、「恋愛」などあってはおかしいのである。それが歴史に忠実な描き方だろう。壬申の乱だって、べつに額田王をめぐる三角関係からの戦争ではない。そうだったら、トロイ戦争みたいで面白いが。
さて、駄弁が長くなったが、紙屋研究所管理人氏が見落としている漫画がある。
それは平田弘史の「黒田三十六計」で、コンビニで買える。「ブラック官兵衛」を描いている点では、これに勝るものは無いのではないか。平田弘史の作品の中では最上というわけではないが、官兵衛がNHKドラマの主人公にいかに不適であるかはありありと分かるだろう。


(以下引用)






「生涯の汚点」としての宇都宮鎮房暗殺

 さて、こうした「官兵衛」本、あるいは「官兵衛」マンガが中心な中で、ぼくが驚いたのは中津市(大分県)が監修している屋代尚宣『マンガ 戦国の世を生きる 黒田官兵衛と宇都宮鎮房』(梓書院)である。


 何が驚いたといって、まさか宇都宮鎮房(しげふさ)の謀殺をこんなに正面から描くなんて思いもしなかったからである。


 秀吉の九州平定後、官兵衛は豊前(大分県)に領土を与えられるが、秀吉に協力した土豪・宇都宮鎮房は伊予(愛媛県)に領地を移すよう秀吉に求められる。また、太閤検地によって兵農分離がすすめられ、中間搾取者としての地付きの小勢力の武士(国人)は農民になるか俸録(給料)制の家臣になることを迫られた。

 これらの不満が一体となって、大規模な反乱となる。

 黒田は大苦戦を強いられ、最終的には和平とみせかけ、政略結婚まで用意しながら、城内に誘い入れ、謀殺。一族皆殺しにしてしまう。


 どこが不敗の軍師だよ、何が平和を願った男だよ、と言われてしまう官兵衛の「黒歴史」である。「あれは子の長政がやったことで、官兵衛の所業ではない」という言い訳もあるが、かなり苦しい。


 司馬遼太郎はこの一件を次のように評している。




留守居の官兵衛の嫡子の長政がこれらと戦い、とくに最大の土豪である宇都宮鎮房との戦いで惨敗した。宇都宮氏は城井(きい)谷を根拠地とし、鎌倉以来の地頭で土地の者からよく崇敬されていた。長政がこの鎮房をもてあまして陰惨な謀殺をやっているが、このことに官兵衛は無縁とはいえず、この男にとっては生涯の汚点といっていい。(司馬『新装版 播磨灘物語(四)』講談社文庫p.331、強調は引用者)


 「生涯の汚点」。

 相当に厳しい言葉である。

 宇都宮氏はすでに一族としてのまとまりがないほどに分立していたが、少なくとも鎮房の本家に関しては、黒田によって根絶やしの凄惨な弾圧が行われる。政略結婚のために嫁ぐことになっていた13歳の鶴姫は磔(はりつけ)にされるのだ。


 NHKパンフの描き方にみられるように、大河ドラマの主人公が謀殺などをした男であってはならず、このエピソードがとりあげられることはまずない。特に何かにつけて教訓くさく大河ドラマの主人公を押し出したい行政などにとっては、タブーではないのか、とぼくは思っていた。


 ところが、である。


 このマンガは、中津市が「監修」にもかかわらず、このエピソードを取り扱う。いや扱うどころじゃねえ。タイトルがそもそも『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』であり、まさにド真正面から扱っているのだ。


異色のマンガ『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』

 職場でこういう話が好きな人と、「まさかあのエピソードは扱うまい」と話題にしていたので、こんなマンガを中津市が出したという新聞記事(読売新聞)を読んだとき、びっくりして「ぜひ読まねば」と思った。


 ところが、書店はおろか、Amazonでさえ入手できなさそうである。現地でお土産としてしか売ってないらしい。

 記事に、中津市教育委員会に電話しろとあったので、電話した。本体が700円、送料が740円もする(さらに少額小為替の換金手数料が200円かかった)。しかし、何としても手に入れたいと思い、郵送してもらった。

http://www.city-nakatsu.jp/docs/2014022000106/


 絵柄がすごいね。

 中津市のホームページには「親しみやすいマンガで」とあるのだが、全然親しみやすくねえ。まあ、マンガという表現形式が一般的に親しみやすいという意味だろうけど、一人残らず目が切れ長の劇画調。怖い。


 官兵衛の半生も手際よくまとめているが、中心は宇都宮と黒田の相克。

 ヤマ場は、やはり和睦の酒宴ということで入城した宇都宮鎮房を暗殺するシーンである。「官兵衛は謀殺に関係ありません」という立場をとらず、子・長政に実質的な指揮命令をして殺したのが、まさに当の官兵衛であるという考証に立っている。




再び一揆が起これば今度こそ黒田は詰め腹を斬らされる

喰うか喰われるか

これが世の中の流れじゃ


とミもフタもない弱肉強食の世界観を口にする官兵衛。

 いいねえ。リアル。

 いや、これがホントのところだと思うよ。

 正直。

 マンガにも書いてあるけど、同じ九州(熊本)で、佐々成政が過酷な圧政と検地を行ったために、同じように反乱がおき、秀吉に失政の責任を問われて文字通り詰め腹を切らされた。

 官兵衛は秀吉の怒りを恐れて、徹底した弾圧を決意していたとみるのがまあ正当なところだろう。太平の世を願って……とかそういう寝ぼけた主張はアレですわ。


「中世対近世」という解釈の正当性

 本書に「刊行にあたって」という中津市長の言葉が載っている。



敵を殺さず戦に勝つといわれた官兵衛も、この時ばかりはそうもいかず、鎮房と徹底的に交戦し、最後は謀殺という非情な手段をもってこれを鎮めました。新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです。(本書p.109)


 うむ、これだけではなかなか苦しい。

 観光の目玉としたい行政であるにもかかわらず、このテーマを正面から扱ったことには拍手を送りたいが、「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」とは「いい話」っぽくまとめすぎである。

 後述するように実はこの市長の述べた評価は妥当なのだが、肝心のロジックが抜けているので、「いい話」にまとめる横車を押している感じが否めない。


 この「新しい世の中をつくるために避けられない戦いだったのです」というロジックは、本書の「おわりに」として市教委の一人(三谷紘平)が書いているのがより詳細に伝えている。


 三谷は、宇都宮対黒田は単なる一地方の勢力争いではなく、検地と兵農分離によって中間搾取者であった土着の小勢力を徹底的に排除し、封建革命を完成させようとする秀吉側と、それに抵抗する中世の旧権力との闘争であると見ている。中世対近世というわけである。



宇都宮鎮房については、滅びてまで自らの土地を守ろうとした、中世を代表する武士であったと、あらためて評価すべきではないでしょうか。(本書p.146)


 これは得心がいく。

 これに対する近世権力の代表、黒田の評価はどうか。




官兵衛の豊前平定は、この中津の地を豊前の中心に定め、戦国の世から平和の時代へ変えるための行動であったということができます。(同前)


 「平和の時代へ」というのは、「平和主義者である官兵衛」という解釈だといかにもとってつけた感じになるけども、この文脈でいうと「中世の分立する小勢力を整理・掃討して、近世権力をうちたて、強力な秩序をつくりだす」というふうに読めばさほど無理はなくなる。統治が混乱することを望む支配者はいないのだから。それを「平和の時代へ変えるための…」などというのは、ちょっと強引なように思われるけど、こういう流れの中であれば許されるだろう。

 じっさい、マンガとして、こういう場合、黒田は正義、宇都宮は悪、のような造形に描かれがちである(あるいは郷土的愛着からまったく逆にする)。しかし、さっきぼくが「怖い」と評した作者・屋代の、「どの人物も酷薄なフォルム」というタッチがここではプラスに生きている。読者はどちらにもあらかじめの正義を感じることなく、「喰うか喰われるか これが世の中の流れじゃ」的な感覚を味わうことができる。


 だから、この本をぼくは高く評価する。

 行政が主体でつくったにもかかわらず、大河ドラマの英雄の「汚点」に斬り込み、なおかつギリギリのリアルな解釈をしているからである。


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