NG(ネットゲリラ。「No Good」ではない)今日の御御籤の「何故生荊棘」の「生ずる」は自動詞だから語順は「何故荊棘生」が適切ではないだろうか。で、読みは「(何の故にか)荊棘を生ずる」ではなく「荊棘の生ずる」とする。つまり、この場合は荊棘が主語で「生ずる」が述語となる。
確かに、「生荊棘」だと「荊棘を生じる」となるが、それだと荊棘は目的語となり、主語が不明になる。では、誰が(何が)主語なのか、と言えば、「天が」くらいしか思いつかない。「天何故生荊棘」なら分かる。「天はなぜ荊棘を生じさせたのか」ということであるが、そんな主語は書いていないのだから「何故荊棘生」が漢文としては正しい気がする。「なぜ荊棘が生えたのか」ということ。
ちなみに、漢文はだいたい(もちろん例外もある)動詞の前の名詞は主語、動詞の後の名詞は目的語と思っておけばいい。動詞である漢字は見つけやすいはずである。
つまり、「泣く」や「笑う」が動詞なのは明白だから、
「我泣君笑」なら重文で、「我は泣き君は笑う」だが、「君笑う」全体を目的語とした複文として「我は君の笑うを泣く」とも読める。まあ、普通はそんな捻った表現はしないだろう。
「力抜山」は「力(は)山を抜く」だが、力士の名前だと「力抜け山」になるwww いかにも弱そうだ。
確かに、「生荊棘」だと「荊棘を生じる」となるが、それだと荊棘は目的語となり、主語が不明になる。では、誰が(何が)主語なのか、と言えば、「天が」くらいしか思いつかない。「天何故生荊棘」なら分かる。「天はなぜ荊棘を生じさせたのか」ということであるが、そんな主語は書いていないのだから「何故荊棘生」が漢文としては正しい気がする。「なぜ荊棘が生えたのか」ということ。
ちなみに、漢文はだいたい(もちろん例外もある)動詞の前の名詞は主語、動詞の後の名詞は目的語と思っておけばいい。動詞である漢字は見つけやすいはずである。
つまり、「泣く」や「笑う」が動詞なのは明白だから、
「我泣君笑」なら重文で、「我は泣き君は笑う」だが、「君笑う」全体を目的語とした複文として「我は君の笑うを泣く」とも読める。まあ、普通はそんな捻った表現はしないだろう。
「力抜山」は「力(は)山を抜く」だが、力士の名前だと「力抜け山」になるwww いかにも弱そうだ。
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